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03 私のテスト

 とんとんとん

 とんとんとんっ


 小刻みにドアを叩く音で私は覚醒し、四肢が引っこ抜けるくらいに伸ばす。朝日が入らない私の部屋は薄暗く、元気いっぱいに動こうと思えるほど暖かくはない。気温に関してはまだ5月なのだから仕方がない。


 乱れたパジャマを少し整えて、部屋を出る。ご飯、味噌汁、目玉焼きに、昨日の残りであろうぶつ切りキャベツが並んだ食卓に、私以外の家族が勢ぞろいしていた。父はいつものように仏頂面で新聞を見て(読んでいるようにはみえない)、母と兄はテレビに顔を向けたままご飯を食べている。


「おはよう」


 顔はテレビに向けたまま、兄が小さく声を出したのを皮切りに、両親も挨拶した。母以外は顔を向けて来ないが、別に寂しいわけでも嬉しいわけでもない。


「いただきます」


 最後に食卓に着いた私が、静かに声を発して、木製の茶色い箸をゆっくり手にとる。挨拶には何故か厳しい父と口論になるのは嫌なので、こういうところはきっちりしている家族である。

 会話はないが、テレビというありがたい発明品によって、明るい家庭が演出されていて、誰ひとり不快感を感じなくて済む。


 目玉焼きには醤油派の私は、今日も隣でケチャップ付きの卵を口に運ぶ兄を横目に見ながら、手を醤油ビンに伸ばす。目玉焼きの味付けには個人個人で思い入れがあるらしく、この話題を出すのはタブーとされ、ひとたび切っ掛けを作ってしまえばたちどころに炎上し、傍観者も巻き込み不毛な大論争に発展するのだ。


 早くも食べ終え、皿も洗い終えた兄は再び席についている。彼はニュース後の占いを信じているのか、毎回確認して一喜一憂している。私も自分の運勢を見ないではないが、目くじらを立てるほどのものではなく、ただの話題合わせ程度だという認識しかない。


 今日の兄の運勢はよかったらしく、ご機嫌で部屋に戻って行った。私の運勢は可もなく不可もなくまずまずで、ラッキーアイテムは散歩、悩みが解決する手がかりをつかめるのだそう。散歩がアイテムとして載るのは腑に落ちないのだが、ただの占いなのだから重箱の隅を楊枝でほじくるような非難をするほどでもない。


 兄に後れをとりつつも、2番目に食べ終えた私も着替えるために部屋に戻る。

 パジャマを脱いで胸を揉んでみるも、あんまり育っている感じはしない。まだまだ成長期なんだから心配するには早いとは思いつつも、毎日顔を合わせる真紀と比較してしまい少し落胆してしまう。


「いってきまーす」

 兄が家を出る時間は毎回同じで、私が着替え終えていないとゆっくり昼食を買って登校する余裕がなくなる。ほっぺを両手でぱちんと叩き、気合を入れる。急いで制服を着て、洗面台に直行し歯ブラシに歯磨き粉をつけながら鏡を見て身だしなみを確認する。


 にきびが出ているが、今さら言ってもしょうがないので気を落とさないように自分を鼓舞する。口全体を撫でるように2周こすったら、3回ゆすいで、棚に縦に重ねられたタオルを1枚手に取り口を拭う。さっさと鞄を背負って玄関に走る。靴下だと床が滑るので、上手く止まらないと玄関に正面衝突してしまう。もちろんそんな失態は小学校を卒業するまでに克服しているので、今日も危なげなく滑り、靴を履いた。


 玄関をがらりと開けると、全身に冷たい風が吹き付けて少しだけスカートを揺らす。やっぱりまだ涼しい。

 我が家は両親が共働きなので、昼食は各自買っている。昼食代は父が1500円、母がと兄が1000円、私は500円だ。少なからぬ不満もあり、こういう横暴がまかり通ってしまうところに格差社会を感じてしまう。


 少し遅れ気味なので、幾分か速いペースで弁当屋に向かう。私が贔屓にしている弁当屋『真心ファミリー』では毎朝違う手作りメニューが3つある。3種類も用意するなんて大変そうだ。朝調理したものは昼に配達しているそうで、夕方になると余り物が安売りされていると聞いた事がある。


「おはようございます」

「いらっしゃいませ!」


 店頭には見慣れない男が立っていた。黒髪の短髪で、特に不思議ではないが私より背が高い。若い先生くらいの年齢だと思う。


 胸には『室井幸一』と書かれたネームプレートと『訓練中』と書かれた若葉マークがついている。

 人見知りなので、あまり内容は確認せず、そそくさと弁当を選んで、どきどきしながらお金を払った。焦り過ぎて、おつりを貰った後に弁当を忘れて行きそうになってしまい、さらに恥をかいてしまった。


「室井くーん」

 走って、店を出て自転車に飛び乗っていると、店の奥から慣れ親しんだ声が聞こえてきた。弁当屋のおばちゃんの声だ。


 焦りとか恥ずかしさとかでいっぱいいっぱいの今引き止められると、爆発してしまうかもしれないので、聞こえなかった事にして逃げるように、いや、まさに脱兎のごとく逃げた。


 ありったけの羞恥心で学校まで辿り着いた時には、予想を大幅に上回るタイムを記録し十分すぎるゆとりを持って教室まで歩く事が出来た。無駄に汗をかいてしまったので、臭いが気になるが、今さらどうしようもない。


 私の記憶が正しければ、この時間に学校に来たのは中学1年の最初の学期くらいだ。いつも私が教室に入る頃には、生徒が沢山教室に揃っていて、雑談に花を咲かせている。今日はまだ数人しかいない。部活で朝の練習をしている人が教室につくよりは早く、他の人が登校するにも少し早い時間なのだろう。


 いつもより早いと言っても始業の20分前、いつもより10分早いだけなんだけど……。

 教室にいる3人は私とあまり接点はなく、これからも話す事がなさそうな印象を持っている。1人は友達がいないのか、いつも黒板をじっと見ている男子。名前は覚えていない。


 残り2人はテニス部だったかバドミントン部だったかで活躍している女子だ。体育の授業でバドミントン勝負をして他の人を蹴散らしていたのは覚えているのだが、テニス部だったような気もする。私にはどちらも似たようなもんなので、あまり気にしない事に決めた。


「今日あるのは小テストくらいのものか」


 授業が6時間目まであるというのに、私の頭の中では小テスト以外の出来事はあまり重要視されていなかかった。殆どの授業でついていけず、劣等生の座を不動のものとしている総合成績が学年255位は伊達ではない。最下位ではないが、十分劣等生だろう。最下位争いをしている生徒になると算数の基礎が危うい人たちで、試験の選択問題さえ諦めているらしい。


 そういう人たちの為に新しくクラスを作る動きがあると小耳にはさんだのだが、私にも声がかかる可能性は十分にある。正直言って、今の時点では授業を全く理解できないので、意味がないのだ。


 そういうわけで、私にとっての授業はお絵かきの時間になっている。例外として担任の中山や副担任の前野先生は簡単な問題が1問だけある私用のプリントを用意してくれるので、勉強になっている。



 当然ながら、突飛な出来事もなく、順調に絵を描く手が進み、英語の小テストの時間になった。4時間目である。これが終われば昼食で、内容を視ずに選んだせいでどんメニューなのか心配半分楽しみ半分だった。


「ようやくこの時が来たな」


 小テストは4択問題が10問。今日の試合では打率3割2分のエース緑鉛筆、4択問題に特化した紺色鉛筆、昨年度2軍から1軍に上がった期待の青鉛筆、期待の新人紫鉛筆の4本が参加する。我がチームに入ったばかりの若手と1軍入りしたばかりの新人には期待を込めて3問ずつ挑戦させる。残りのベテラン2本は肩慣らしだ。


 両手でエース鉛筆を固く握り、全身の気合を鉛筆に籠めていく。この世界には鉛筆と私以外に何もない、そんな錯覚を抱くほどに集中力を高め、そっと転がす。優しく机と接触したエースは2転3転し、貫録を魅せつけるよう鮮やかに着地した。


 額の汗をゆっくり拭い、神妙な顔で小テストの解答欄に『2』と書き込む。

 エースはその次も『5』や『6』という絶対に不正解な数字は出さない、つまりエラーのない堅実なプレーで与えられた問題をこなした。


 次は紺色鉛筆だ。何の期待もせず文房具屋を歩いていて、数ある鉛筆の中から偶然見つけた1本で、あの出会いには運命的なものを感じている。まず、4択問題に適した身体をしているその姿にド肝を抜かれたものだ。もはやそのために生まれたと言いても過言ではなく、他の事に使おうものなら確実に宝の持ち腐れになるであろう存在だ。


 上から見ると、角を丸くした正方形で、余計な細工をしなくても4択問題の回答が1発で出る。テニスで言えば、サービスゲームでフォルトが出ない才能に恵まれた選手だ。


 ころん……。


 余り転がらないこの選手は、テストで居眠りをしてしまった時や、穏やかな木漏れ日に包まれて眠ってしまいそうな時でも、素早く成果をあげてくれる優等生なのだ。


「3問目が3で、4問めが2」

 ここまでは安心して任せられた。次は期待はあるもののルーキーだ。想像以上の出来か、それとも問題児か、期待と不安が入り交って、汗がしたたり落ちる。

 まずは1軍入りした7転8起の青鉛筆だ。彼は4択問題で『5』や『6』を連続して出し、試合を長引かせイライラさせる問題児であるものの、結果としては2軍では他の追随を許さない奇抜な選手だ。


 ころころ……。


『5!』


 ころころ……。

『5!』


 ころころ……。

『6!』


 ころころ……。

『2!』


 確率操作されているのを疑ってしまうが、ファールばかりでも最終的にヒット出せれば御の字だ。ころころと幾度も、幾度も、幾度も幾度も投げて、途中で叫びたい気持ちを必死に抑え、耐えがたきを耐えて、ようやく3問埋めた。


 ……5分という長い戦いだった。

 最後は購買で毒々しい色が決め手になり、オーナー兼監督の私の目に留まり、チーム入りした紫鉛筆だ。

 ふぅ、と息を吐く。


 ここまで緊張する事は滅多にない。自分の鑑定にも自信があり、この新入りからも溢れんばかりの自尊心を感じる。初戦だというのに場を凍り付かせるほどの緊迫感を醸し出すこの潜在能力には敬意を表するしかないだろう。激闘の中生き抜いてきたベテラン選手な存在感を持つ新人をころりと投げる。


 ころころころ

 ころころころころ

 ころこ……


「(って、うあぁぁぁああああ)」

 ここまで私を驚かせた新人がかつていただろうか。テスト中だという事を一瞬忘れ、心の中で叫んだ。

 あの新人紫鉛筆は予想以上の転がりを見せ、机からも落ち、そしてなお移動を続けたのである。


 やんちゃすぎる。

 幸いにも前の席の椅子の下で止まった紫鉛筆を恐る恐る拾い、数字を確認した。速やかに自分の席に戻り小さくうめく。端っこの席で左側が壁なのに、床まで転がるとは予想を超えた逸材かもしれない。


『4』

 なかなかの趣向を凝らした鉛筆だ。今から結果が楽しみだ。

 次こそは落とさないように慎重に転がしたものの、監督の私を嘲笑うかの挑発的な転がりを見せていく。私が転がしているのか、鉛筆に転がされているのかわからないが、気を緩めず1球ずつ転がし、数字を出した。


 光を怪しげにぎろりと反射するその紫鉛筆がただのやんちゃ坊主なのか将来を担う化け物になるのか、ごくりと息を飲み、解答用紙の最後の空欄を埋めた。


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