29 私の炊き出し
11月中旬、晴れた土曜の午前11時。
気温も11度。
市立図書館前の公園で11人のジャージ姿の人間が包丁や野菜、肉を手にしている。
ガスタンク、コンロ、机、調味料、クーラーボックスが運ばれていて、活気があった。
側に停車してある白い軽トラックに残った箱からは人参や大根、ごぼうねぎなどの野菜が見えている。他にもペットボトルのお茶、大鍋、米、ザル、プラスチック製の器などが目に映る。
「横井さん、皮むきむき終わった?」
段ボール箱から存在感を主張している人参の山と格闘中の一穂にボランティア団体『吹き出し』の大野由香が厭らしい笑顔を向けた。
化粧っ気のないポニーテールだが、なかなか男受けが良さそうな顔である。
ジャージ姿なのに、胸が主張している。
「いえ」
地べたに座ったまま握った人参を回転させ、皮むき器で擦るように削っていく。
隣ではじゃがいもと大根の皮むきが行われていて、皮をむかれた根菜はザルに入れられ、水洗い班(大野だけだが)に回される仕組みだ。
「横井さん、冷めてるね。賢者様のようだね」
捨て台詞を吐いて、じゃがいもと大根が入ったザルを両手に蛇口のある場所まで歩いて行った。大野の洗った根菜は一穂の母含む2人の下ごしらえメインの包丁班に回される。
2人のお米班は机や炊飯器、米を運んでいるところだ。
残りの3人は調理班で、調味料、コンロや鍋の水を用意している。
数百人分の豚汁になるらしく、むいてもむいても人参が残っている。
豆腐、こんにゃく、ねぎ、白菜もあるので皮むき班が遅くても、大野や包丁班の仕事に影響はない。
「ん?」
ごま油とごぼうの匂いが漂ってきた。最初に下ごしらえまで済ませたごぼう第一陣分の炒め作業に入ったようだ。人参の匂いも漂ってくる。
大鍋にさらに野菜を流し込んでいるのが見える。匂いに変化はないがじゃがいもだろう。この次に大根、白菜、こんにゃくが投入されて、しっかり炒められるのだと思う。
「賢者かと思ったけど横井さん、人参持ったまま何を妄想しているのかな?」
料理の進行が気になって動作を止めてしまっていた一穂に大野がにやにや顔を向ける。
「すみません」
「まー、妄想しながらでもいいんだけど、現実でも手動かしてね」
満面の笑みでじゃがいも入りのザルを運んで行った。
そして、豚肉の香ばしい匂いが鼻を刺激したかと思うと、大鍋から煙が上がった。熱湯を注ぎ込んだようだ。人参の皮むきしながら、目を凝らすと何かを注ぎ込んでいるのがわかる。みりんを加えているようだ。
公園にはぽつりぽつりと人が集まってきている。
全体的に服はださい。
ホームレスを主な対象として宣伝もしていたので当然である。
職場体験で出会った河野や山田の姿も見えた。
「よほど気に入ったようね。太くて硬くて美味しそうだものねー」
また大野に手が止まっているのを指摘されたかと思ったが、手はちゃんと動いている。
何か言わずにはいられない性格のようだ。
無言で遠い目を返しておいた。
ボウルに鍋の汁を加えた調理班から味噌の匂いが流されている。
最終段階に入ったらしい。
お湯で溶かした味噌にしょうゆ、みりん、ネギを加えて味を調えるはずだ。
お好みで白ゴマやごま油を垂らせばさらに美味しい。
「横井さん、私たちで作った愛の結晶をあげるわ」
豚汁だ。
両手に豚汁を持った大野が座った。
「どうも」
「ちょっと休憩しましょう。あんたらもお客さん来る前に豚汁食べてき」
皮むき班の2人も豚汁を取りに駆けて行った。
豚汁を渡されて、気が付いた。
「箸……」
「あ、お姉さん、ひょろい棒の事なんて忘れてたよー」
にやけた顔から判断するにわざとだろう。
一穂はがっくり肩を落とした。
「はい」
皮むき班の2人の手には割り箸が握られている。
一穂と大野の分も持ってきてくれたらしい。
「ありがとうございます」
「あれ?何か扱い違わない?」
大野が不機嫌顔だ。
一穂は少し考えて、口を開いた。
「大野さんは…… 特別なので」
「あ、そっか」
満足したようだ。
炊き出し部隊とは別の集団が少し離れた場所で大型のテントを建てている。
休憩の後はやはり皮むきだったが、食事前に殆ど終わっていたので、あまり体感時間はかからなかった。
「よ、横井、何やっとるんだ?」
「何このおっさん……」
大野が冷たい目で中山を見ている。
独り言のつもりだったのか、かなりの小声だったので一穂にしか聞こえていない。
「ボランティア」
「そんなもん、わかっとる。そんなもんは」
中山もなぜかホームレスを狙って主催された炊き出しに来ていて、私服らしいジャージ姿がホームレスに上手く溶け込んでいた。
「えっと、お知り合いですか?」
大野が貼り付けたような笑顔で中山に話しかけた。
一瞬気圧されかかっていた中山だったが、生徒の前だと思い出したからか大野を睨みつけー
「わしはこの横井の担任じゃ」
文句あるか、とでも言いたげな表情である。
「横井さん、本当?」
大野は信用していないらしく、困った顔で一穂に問いかけた。
一穂が少し間を置くと、中山が焦っておろおろした。
「はい」
一穂の肯定にほっとする中山と細い目の大野だった。
中山は歩いていき、他の人と距離をとって1人で椅子に座った。
それを眺めていた大野は何かを思い出したらしく、一穂の耳元に口を寄せた。
「じゃあ、私は行くわね。あ、行くって炊き出しにって意味よ。横井さんは休んでいていいわよー」
不敵な笑みを浮かべて大野は去った。
真理はまだ手が離せないらしく、せわしく動いている。
一穂は河野と山田の元へ歩いて行った。
「こんにちは」
「あ、横井さん、お久しぶり」
「はっ、嬢ちゃんじゃねえか」
河野と山田は相変わらず元気そうだ。
彼らと共に見識のない人が混じっていた。
小奇麗なスーツ姿の中年だが、どこか浮世離れしている感がある。
「こちらは向井義春さん。そして、こちらが横井一穂さんです。横井さんとは職場体験でホームレスの事を教えた縁で知り合いました」
河野が向井と一穂の紹介をした。
向井は驚いた様子だった。
「職場体験でホームレスって、お前、物好きにも程があるぞ」
「はっ、そうだろ。俺も会ってすぐ言ってやったんだ」
一穂はどう答えていいかわからず、苦笑した。
その様子に向井はむっとした顔になる。
「お前な、ホームレスっても、大変なんだぞ?電気ねえから、朝7時起きの夜4時寝だぜ。しかも、何か掛け声出しながらのジョギングで目覚める最悪の朝が毎日だ。転んでも助けてくれねえしな」
「でも、あんた、好きでホームレスやってるんじゃなかったか?」
山田が訝し気に目を向ける。
両手を軽く挙げた向井は白状するように答えた。
「そりゃあ、働いて働いて、それでも欲しい物が買えない生活よりはな」
「はっ、マムシがどうの立ちくらみがどうのと騒いでた頃とはずいぶん変わったもんだ」
過去を思い返す山田に苦笑する向井。
「あん時は飯の取り方も寝床の場所も知識なかったから仕方ないんだよ。酒か薬かしらんが、奇声あげて五月蠅いやつがいて眠れなかった時の話だろーが」
やはり知識がないとホームレス生活も大変らしい。
一緒に話すだけでもホームレス事情がわかって一穂は喜んでいた。
「ほんなら健康診断行ってくるわ」
向井は先ほど設営された大型テントに向かっていく。無料健康相談と書かれた看板が掲げられている。
「あ、横井さん。この前協会の炊き出し行ったの覚えてる?」
「はい」
「あの時もらった封筒に入ってたお風呂券さ、使わない分があったらもらえないかな?」
生活保護の申請書と共に協会の教えが書かれた本と協会の設備であるお風呂を使う券が入っていたのだ。券には有効期限があったので、今から貯めておく意味はない。
「いいですよ」
「ありがとう。これから寒くなるから助かるよ」
河野は喜んでいた。
冬は過酷らしい。
そして、もう冬は目の前に迫っているのだった。
また一歩、一穂の夢であるホームレスに近づいた。




