23 私の職場体験②
2日目。
「今日はホームレスが受ける援助を体験してもらいます」
昨日と同じ種類のスーツを着た河野が立っていた。
全く同じ色。
寸分たがわぬ所にある穴。
……昨日のスーツじゃねえか!
「はい」
一穂の5メートル後方には中山という中年男性がプロのストーカーもびっくりの監視を始めていた。
平日の午前11時、人通りは少ないが、周囲の人からは完全に変質者として感知されているはずだ。
昨日の職場体験中も警察に事情聴取されていた。
「まずは炊き出し。協会やボランティア団体がホームレスの支援活動として食事提供をしているんだよ。古着や生活用品もたまにくれるし。散髪だって定期的にやってもらえるよ」
野外で寝るホームレスの服が古くても壊滅的な状況になっていないのは古着が手に入るからだ。
「まぁ、協会の飯はまずいけど、路上のご飯よりは安心して食べれるはずだよ」
存在さえ認識していなかった協会についた。
クーラーボックスや大きい鍋が置かれている。
「はい、並んで」
薄汚い人々が推定年齢50歳が集まっているが、どこか活気がある。
30前後の人もいるが、全体的に少し臭い。
河野と他のホームレスの臭いの差はなんだろうかと不思議に思う。
一穂の順番になった時、炊き出し担当の青年がぎょっとした顔を見せていた。
胸の『職場体験中』を見て、さらに驚愕していたらしいが、すぐに作業に戻っていた。
プラスチック製のお椀に種々の野菜の入ったスープ、おにぎり3個、ペットボトルのお茶、乾パン1袋、飴缶1箱、そして大きい封筒を貰った。
「結構多いんですね」
「量だけは多いんだよ。別に毎日あるわけじゃないし」
「そうなんですか」
「この教会のは月に1回だよ」
確かに毎日これだけ提供してたら、昼食買う人いなくなるかもしれない。
一穂は野菜スープを1口飲む。
「うっぼっ!?」
なんだこの調味料をけちった薄いスープ。
そして、申し訳程度に入っている肉。
「まずいでしょ」
「まずい」
「それもホームレス体験だからね。そうそう、もらった封筒の中身見てみ」
封筒を手に取り、わくわくしながら中を覗く。
2つの冊子と数枚の紙切れが収納されている。
「まずこの冊子、生活保護が何で、どうやって申請できるか書かれている」
最低限度の生活を保証する為の制度だ。
社会の授業中に生存権の頁を発見した時には、ホームレスがホームレスなのはこの制度がうまく動いていないのかと勘ぐった。
「河野さんは生活保護を受けているんですか?」
「いや、受けてないよ」
あまりが興味がない風に手を振った。
一穂は困惑顔で情報を組み立てて理解しようと試みる。
「そうだね。ホームレスを種類分けして考えてみようか」
難問奇問に挑戦するような一穂に河野は提案した。
「そもそもホームレスってなりたくてなった幸せ組となりたくないのになっちゃった不幸組がいるんだよ」
炊き出しに集合した人々を注視して見回すと、笑顔な人と不満顔の人がいる。
男だらけの中、少数ながら居る女は痩身で化粧っ気はないものの小奇麗でホームレスには見えない。
「それでね、不幸組をさらに3分割すると、仕事も貯金もある脱ホームレス主義層、仕事が取れない貯金切り崩し層、仕事はあるが貯金はないその日暮らし層の3つ」
貯金も仕事もない人が含まれていない。
存在すら認識されていない層なのだろうか。
「貯金も仕事もない人は……?」
「そういう人は生活保護を受けてさっさと屋根のある暮らしに移行するんだよ。貯蓄があると生活保護が受けれないからね」
生活保護にも条件がある。
貯金する余裕が残っているなら、自分の人生に選択肢がある。
自分のお金は貯金しながら、生活費を援助してもらえる程優しいわけではないのだ。
「仕事も貯金もあってホームレス辞めたい人はなんで存在してるの?」
昨年度の一穂しかしらない人が耳にしたら驚くほど長い文章だ。
「家探すにも家賃を払っていけるか心配されるのは仕方ないよね。数十万は貯まらないとなかなか場所がないらしいよ」
部屋や家を貸す側にとって、お金の払えない(かもしれない)人を入居させる利点は少ない。臭く不潔であれば尚更だ。
一穂は得心がいったと頭を上下に揺らして首肯した。
「次に自ら希望してホームレスになった幸せ組ね。これも3つのグループに分けてみようか」
心なしか河野が嬉々としているようにみえる。
話したくてうずうずしていたのだろうか。
「まずお金も仕事もある野宿社会人層、次に仕事はないが貯金にゆとりがある自由層、最後に貯金も仕事もない友愛層」
一穂の眼がきらきら輝いている。
夢が具体的になっていく予感がする。
「野宿社会人は仕事も好きだけど、路上生活に惚れちゃった人だね。独身で家に帰っても誰もいなくて寂しいって思っている人がそう。例えば、昨日会った山田さんもそうだよ。プロの将棋指しだけあって頭いいんだよ」
昨日、将棋を教えてくれた男を思い出す。
お金があるのに小汚い恰好をしていたのは、ホームレス社会に溶け込むための密かな戦略なのだろうか。
「次に貯金が十分あっていつでも家借りたり職探しできる層。この人たちは日々の業務に意味を見いだせなくなった人や欲まみれの人間関係に疲れた人が多いよ」
この層は貯蓄が少しずつ目減りしていく事が多い。
一穂は聞き逃しのないように脳内で復唱しながら、暗記するように話を聞いた。
「最後の友愛層はリストラや配偶者の裏切りで、社会で生きる意味を失くした人たちかな。まぁ、私みたいな人だね」
河野は困ったような照れたような不思議な調子で苦笑していた。
「もちろんさっき言った分類は完璧じゃなくて、旅人もいるし冬だけ生活保護受けてる人もいる。千差万別だよ」
彫刻刀で削っていくように河野の言葉で理想のホームレス像が明確になっていく。
自由なホームレスが具体的になっていく。
「最後に2つ忠告しておくね」
笑顔でおにぎりをひと齧りしているが、言葉に重みがある。
「私もだんだん年齢が上がって行って、食事も運動も疲れやすくなってしまった。もしかしたら、この先屋根のある生活が恋しくなるかもしれない。そういう時に再起するだけの貯金や知識、技術があるかないかは大きいだろう。それを肝に銘じておきなさい」
「はい」
言葉に優しさが詰まっている。
学力も武器になる。約20日後の中間試験が頭をよぎった。
傍目からは親子の会話と勘違いする人もいるかもしれないな。
実際にこそこそ見守っている中山がどう思っているかはわからない。
炊き出しのスープとどこで買ったのかバナナを食べながら視線を送ってくる中山は立派なホームレスに一穂から見える。
「それから、横井さん。女のホームレスってあんまり見た事がないでしょ?」
「うん」
河野が微笑んだ。
「世の中には悪い人間もいっぱいいる。女の子に破廉恥な事をする人もいるでしょう。しっかり対策を考えておきなさい」
さっきまで食事していた小奇麗な女の人たちはいつの間にか消えていた。
あの人たちは一般市民に擬態して、忍び隠れて野外生活をしているのかもしれない。
「そのスープ食べ終わったら、ここの人たちと雑談でもしよう」
視線の先にはホームレス(?)と笑い合う中山の姿があった。
ミイラ取りがミイラになるかもしれないな……。




