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22 私の職場体験①

 一穂の体験する職種は案外あっさりと第一志望のホームレスに決まった。

 授業参観日に担任と副担任の前で、真理の放った主張が鶴の一声になったのだ。


「一穂はホームレスになろうと本気で思っています。先生方がそれを止めたいと思っているなら、職場体験で現実を見聞させるのが最良ではないでしょうか」


 現実を直視すればホームレスが反面教師になり、決して目指すような職業でないと体感する。

 そして、働く事の意義や社会における立ち位置を再考するいい機会になりえるだろう。

 合意がなされた両者によって、信用できるホームレスの選定と安全を保障する為の対策がなされ、幾重の予防線付きで一穂の2日に及ぶ職場体験は開幕した。


 職場体験1日目。

 平均気温も20代になり、35度を上回る暑い日あるものの、朝はぐっと涼しくなった。

 10月中旬にある中間試験の3週間前である。

 一桁の気温は清々しい。

 秋雨も季節の移り変わりを表している。


「ホームレスは猛暑に雨に大変だな」

 監視役の中山が付き添っている。

 一穂は担任の言葉の棘に珍しく本気でイライラして眉をぐっと寄せた。


 ホームレスの朝は早い。

 家屋とは違い太陽が頭上を照らす間が主な活動時間になるのだから仕方ない。

 現代人のように深夜までパソコンをするだとか、読書するだとかは難しいのだ。

 初日には案内を依頼していたホームレスの河野和重とは駅で出会う事になっていているのも朝の5時だ。


「お、いたいた。おはようございます」

 年季の入ったよれよれのスーツを着た短髪の男だ。年齢は父と同じくらいだろうか。

 朗らかな顔だ。


「おはようございます」

 一穂は中山が聞いた事がないくらいはっきりと挨拶した。

 近づいてみると、鼻を刺す臭いがするかと思っていたが、少し汗臭い程度だった。


「私は河野和重。ホームレスをやっている」

「はじめまして。横井一穂です。今日はよろしくお願いします」

 一穂は学校のジャージ姿でお辞儀した。


「よろしくお願いします」

 河野も丁寧にお辞儀をした。

「今日はホームレスの1日を体験してもらおうと思います。ついてきて」

 追随して歩いてみると、ブルーシートや段ボールでできた小屋が点在していた。

 こんなに沢山の小屋を見かけた覚えはないのではっと息を飲んだ。


「沢山段ボールが敷かれているでしょう」

「はい」


「これがホームレスの寝床でね、ヤドカリみたいに1人1人自分の小屋を持ってるんだ」

 周りから見るとどれも大差ないが、それぞれこだわりを持っている。

 しかし、こんなに沢山あったら怒られてしまいそうだ。


「ホームレスの最初の仕事って何だと思う?」

「仕事?」

 一穂は目を丸くして、答えた。


「もっと正確に言うなら約束事かな」

 問題に答えようと頭を必死に動かすが、一穂の140億の脳細胞はまだ眠っているようだ。諦めて首を横に振る。


「わかりません」


「最初の仕事は小屋を畳む作業だよ。通勤の邪魔になったり、住民からの苦情を受けたりしないためだよ。私の所では朝6時以降まで段ボールハウスが残る事を禁止している」

 ホームレスにもルールがあると母が言っていたが、その通りだったらしい。

 昼間に見かける小屋は河野のホームレス集団とは別なのだろう。


「まぁ、横井さんは自分の段ボールハウスを持っていないので、体験できません」

「はい」

 予想はしていたので落胆は少ない。


「これが終わったら自由。将棋してもいいし、お金稼いでもいい」

 目をキラキラ輝かせ、自由という言葉を噛みしめた。


「でもね、ホームレスも食べないと死んでしまうでしょ。だから、たまに仕事をします」

「はい」


「ゴミ拾ったり、物乞いしたりね」

「ゴミ?」

 廃棄物を回収して、どうしてお金になるのか一穂にはわからなかった。

 不要だからこそゴミなのに。


「そう。空き缶や雑誌、導線や家電だね。こういうゴミは欲しい人がいて売ればお金になるんだよ。誰かにとって不要な物が万人にとって不要な物とは限らないんだね」

 説明には入ってないが、家電はリサイクル法によって無断廃棄が禁止されている為、遭遇する機会は極めて少ない。

 雑誌や本が古本屋で売れる事から一穂は漠然と理解した。


「今日の午前中はゴミ拾いを体験してもらおう。途中で飽きたら将棋でも指そうか。本当は乞食体験もしてもらいたかったんだけど、先生の了解が取れなくてね」


 差し出された透明のビニール袋を受け取り、市内を歩き回る。

 導線、釘、空き缶や週刊誌を回収し、いっぱいになった袋は河野が持ってくれた。

 道中でいつの間にか河野が荷台を引いて歩くのを視認して、『えー』と驚きの声をあげてしまった。


「途中で私が荷物置き場に使ってる場所を通過したから、その時にね。横井さんは真剣で話しかけづらかったから、黙って取ってきちゃったよ」

 すでに9時を過ぎている事実が4時間ほど一心不乱にごみ収集していた裏付けになっている。

 夏休みの暗記学習で身に着けた集中力の賜物で、一穂本人は驚いていないが、後ろからストーカーのように監視を続ける中山は驚愕していた。すでに疲れて、休憩を取りたがっている。


「そろそろ売りに行こうか」

 河野は回収したごみを乗せた荷台を引きながら歩いているので一番疲労するはずの仕事をしているのだが、歩き慣れているおかげでまだまだ元気そうだった。


「はい」

 4時間の成果は合計2000円。

 ホームレスの1日の稼ぎとしては多めでもあるが、2人いた事を考えると少ない。

 回収したごみが売買可能か逐一確認していただけでなく、一穂には経験がないので仕方ないとも言える。


「今回はこの稼ぎで昼食を買おう。横井さんが1000円、私も1000円だ」

 一穂にとって昼食は500円なので倍の予算を得た事に驚愕していた。

 4時間働いた収入としては格安だが、バイト経験のない一穂には比較対象がないので1000円という絶対評価で判断したのだ。


 因みに、職場体験で生徒への給料が発生する事はないのだが、今回は昼食代扱いなので例外だと河野が決めた。尚、監視役の中山は疲労困憊で、一穂の存在が安全かどうか以外は確認する気力が残っていないので、お札の受け渡しが認知されてすらいない。


 初めて自分で稼いだお金をがたがた震えながら店員に手渡して一穂は400円の弁当を買った。

 勤労の喜びに全身で浸って、河野についていくと図書館近くの公園にたどり着いた。

 散歩している人と2回すれ違っただけで、人はいない。

 平日の昼は鳥の鳴き声でさえ鮮明に聞こえる程に静かなんだと初めて知った。


「午後は弁当休憩の後、他のホームレスとの交流を予定している。食べ終わってしっかり休憩したら話しかけてね。あとしっかり水分補給する事」

 河野は公園にある蛇口を捻り、水を顔に打ち付け豪快に洗い、水分補給もしてから長椅子に横になっていた。

 スーツに砂が付くのも構わず寝転がる姿は束縛のない自由を連想させて一穂を感動させた。

 中山は栄養ドリンクを飲んで寝転がっているが風情の欠片もない変質者のようだった。


「なんだか進路を決めた瞬間を思い出すなあ」

 5月に図書館近くのこの公園で見かけた2人の長髪ホームレスの奔放さに心打たれてこの道を一穂は志望した。

 懐かしさで安らかな気持ちになる。

 あの時と同じように寝転がって、中山が何か言いたげな顔を視界に入れてしまった事を悔やみながら目を閉じた。


 ◇


 しばらく眠っていたらしい。

 周りを確認すると中山が河野と話していた。


「お前、仕事せんのか?」

「もう前みたいに野望もないし。今の生活もなかなかいいんだよ」


「そんな事言ってな……」

「それに、義も相当疲れてるみたいじゃないか。もうそういうのは御免なんだよ」

 咄嗟に一穂は狸寝入りして何も気が付かなかったことにした。


「それは!」

「大声出したら横井さんが起きるぞ」

 中山は瞬時に一穂に目を向け、寝転がっているのを確認して安堵した。


 そろそろ起きた方がいいだろうか、と一穂は身体を大げさに動かし、さも今起きたふりをして身体を曲げて後ろに手をついた。


「そろそろ別のホームレスに会いに行こうか」

「はい」


 連れて行かれたのは橋の下で、緑の川が目と鼻の先にある。

 市街地の排水に対し少なすぎる降水量とダムの影響で汚染物質が残留しているのだ。

 つまり、釣った魚の安全は保障されない。

 そして、当然臭い。


「こちらは山田光さん」

 河野と同じ短髪の男で薄汚い服を着ている。河野や中山と同年代と言われても不思議がない容姿だ。


「こんな嬢ちゃんがホームレス志望ね。はっ、大層な世の中だ」

 憤慨しているようだ。ぞわりと身体が震える。


「ここでは私たちがホームレスになった理由や味わった苦悩について話します」

「はい」

 素早く深呼吸し、河野が口を開けた。


「私は昔しがない経営者だったんだ。一時はうまくいってたんだけど、結局倒産させちゃってね。妻と娘に逃げられて、もう何にもやる気がでなくなってしまった。働く意味を見いだせなくなったんだ。妻は優秀で結構稼いでいたから、生活は安定していそうだな」

 河野が『娘』と発した時だけ、哀愁が漂っていて心を鷲掴みにされた。


「それで、つらかったのはホームレスになって最初の3か月かな。食欲もなかったけれど、食べる物も話す人もいない。公園で寝ていたらつばをかけられたりね。寝る場所を探して歩いてたんだけど、奇声を発するホームレスもいたり酔っぱらって暴力的なホームレスもいた。そういうので精神をすり減らしたかな」

 つらい過去を知って、同情的な気分になる。


「次は俺だな。俺は将棋のプロだった。底辺中の底辺で賞金争いどころかただのサンドバッグだったが。レッスンプロになってもよかったんだが、教えるのも下手でな。まぁ、今じゃ河野に教えてるんだけど。ま、将来が見えなくなって、すってんてんよ」


 勝負事の世界は厳しい。プロになれただけではしょうがないのだ。

 青春全部捧げてもプロになれず、将棋教室で教師のバイトになる人もいる。


「つらかったのは将棋から逃げた事による苦悩だな。寝てる間に金取られたり落ちてるパン食べて凄まじい苦痛で死ぬかと思った事もあるけど、そっちは怒って愚痴れるだけ全然ましだ。ああ、川沿いで寝てて死にかけた事もあったな。増水してて」

 重力が増加したように沈む空気に耐えかねて、一穂は声を出した。


「今は、今は幸せですか?」

「おおとも」


 屈託のない笑顔だった。

 息が荒くなる。

 よかった。


 そして、1日目の締めは将棋だった。

 4時の解散時刻まで延々と実戦訓練。

 おかげで駒の動かし方は暗記したという……。


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