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16 私の通信講座

 夏期学力向上企画の第一歩として試した専門塾は一穂に向かないものだった。


 2つ目の塾は少人数制で生徒数が5人以下。

 最初の塾と違って、生徒1人1人に合わせた授業が期待できる。

 結果は……


「お前、馬鹿だな」

 一緒に授業受けていた如何にも真面目そうな髪を7対3の比率で分けた眼鏡っ子クラスメイト羽嶋光輝の心無い一言で自信喪失し、少人数だから故の近い距離感のせいで言われた決定打で勝負が決まった。


「お前の質問は初歩の初歩すぎて、勉強になんないんだよ」

 先生の指導はわかりやすくて理解も進んだのだが、人嫌いの一穂が非難を受けながら学習するには精神的負荷が強すぎた。


 3つ目に考えられていたのは進学塾で、基礎の部分は宿題で生徒が自分で予習するように設定されていて、予習で理解できなかった部分を塾で補い応用させ、学校の授業が復習になる仕組みだ。事前に準備ができるので、塾で理解できたと自信を持たせ、学校の授業も簡単について行けるようになれば成功だ。


 しかし――

「もう塾はいいわ。欲しい情報は手に入ったし」

 真理は欠伸しながらさらりと塾案を投げ捨てた。そして、縦25センチメートル横35センチメートル、高さ15センチメートルほどのカラフルな箱を机に置いて宣言した。


 ◇


「次は通信講座を試すわよ」

 誰もが1度は憧れる通信講座だ。心の中で『わくわくが爆発だー』と叫ぶ。

「これなら他の人を気にしなくても勉強できるでしょう」

 中学生のくせに髪を7対3に分けた眼鏡男の記憶を頭を振って追い払う。


「それじゃあ、行ってくるから」

 両親は職場で、兄も外出。

 1人きりになったリビングで段ボール箱を密封する透明なテープに鉛筆で突き刺した。静かな部屋で乱暴に切り裂いて、箱の内側に織り込まれた開け口に指を突っ込んで開ける。

 中に入っているのは教科別の参考書が3冊とチラシの冊子。それぞれ厚みが1センチメートルで気持ち悪いマスコットキャラクターが表紙に描かれている。


「どれからやろっかな」

 赤い国語、緑の理科、橙色の社会。


「……なんて最初の一冊は決まってるか」

 橙色の冊子に手を伸ばす。ぱらりと頁をめくると赤い透明のプラスチック製のシートが挟まっている。


「何に使うんだろ?」


 海月の頭部分に脳みそが透けて見えている生徒キャラ、リンゴ飴という名前らしい。リンゴ飴ちゃんが足が7本のタコ先生から授業を受ける形で話が進んでいく。頁が進んでいくたびにご褒美としてたこ焼きのシールを貼るようになっているのに作為的なものを感じる。


 タコ先生の発言には重要な語句が赤字で書かれている。


「あ、赤シート」

 赤シートを被せれば……


「赤シートを被せれば、赤タコ先生が消える」

 えげつない……。


「でも、いろんな表現方法を何回も読んで何回も問題解けば頭に浸透していく」


 教科書じゃない軽い表現もありなのかもしれない。

 3回通り読んで回答した。


 最後の頁にくっついていた試験用紙の切り取り線部分にはタコ足の1つがまたがっていて、7本になってしまった足がまた1本切りとられてしまうのだ。この調子で1本ずつ足が切断されたら、今年度中に足がなくなってしまう。

 まぁ、足がまたがってるのは偶然だよね。


 可哀想なので今日はやめておこう。

 時計を見上げて顔を引きつらせる。


「もう昼か」

 何時間集中していたんだよ。

 予定表が貼られた冷蔵庫を開き、ぎゅうぎゅうに収納された食べ物に絶句する。昼食が入っているとは聞いていたが、山積みされた容器の威圧感に気圧される。


「いったい何食分作り置きしたんだ……」

 手前にあったパックを掴んで机まで運ぶ。途中で手を滑らせて落としたけれど、しっかり蓋がしまっているプラスチック製の容器なので気にする必要はない。


 引き出しからスプーンを出してから倒れこむように椅子に座って、容器を開封。

 かつ丼をスプーンですくって口に放り込む。


 ご飯が冷えて縮こまっている。

 カツも硬くて委縮した触感が悲しい。

 レンジは使用禁止の札に守られているし、火の扱いは口を酸っぱくしてご法度だと言い聞かされている。温かい昼食が食べたいという禁断の誘惑をアニメでの教訓で諌める。


「勇者ぴろりんだって火の消し忘れで爆死したもん」

 ぴろりんは不死鳥の如く赤ちゃんになって甦るという超展開になって主人公が今季の中盤でいなくなるという最悪の事態からは避けられた。『私にもできるかな』なんて中学生特有の妄想を現実と混同してしまう病気にはまだなっていないので大丈夫だ。


 そもそも幼児化して喜ぶのはぴろりんみたいな変態か今世を諦めた世捨て人くらいなのだ。また小学生を繰り返すなんて絶対に御免だ。


 ◇


 隻眼の骸骨が描かれた赤い国語の冊子に手を伸ばす。

 最初に目に入るのは骸骨くんが隻眼の熊先生に教わっているイラストだ。


「こういう興味を煽るようなキャラクターを採用したのにも戦略的背景があったのかな。どういうストーリーで勉強させるのか気になるし」

 ななめ読みしながら、かつ丼が凝縮した固まりをスプーンで切り崩していく。


『まずは漢字を勉強するげろん!』

 熊先生の台詞は変な語尾だ。

 社会の試験でも漢字で減点あったんだよな。スプーンを鉛筆に持ち替えて、漢字を書いていく。

 空欄を埋め終わった所でご褒美にかわいい鳥のシールだ。


「漢字の暗記は問題ないんだ。単純に覚えるだけでいいから。でもなー」


 国語の漢字暗記は問題ないけど、文章問題や文法は理解できない……。


 骸骨君の生々しい人形劇で登場人物の気持ちを表現して、そこにある間違いを熊先生が指摘していく。悪い妄想を誘発することに人形は鳥だ。


「登場人物の気持ちなんて結局のところ作者にしかわからないよ」

 立ち上がって歩き回りながら愚痴を振りまく。


「日本人ってこんな事ばっかりやってるから、権外の意味を悟るなんて化け物じみた能力身に着けたんだろうな」

 赤い冊子をぱたりと閉じ、一穂は頬を両手でぱちんと叩いて深呼吸。

 虫が集合しないように空になったパックにスプーンを入れて蓋をした。


 最後、理科やってみようか。

 緑の冊子を押さえた手を寄せて表紙を捲る。


 包帯でぐるぐるまきのミイラが生徒で猿が先生らしい。


 猿先生による回路や電流の説明は身体を張った実験が主で、直列回路と並列回路の違いでは感電していた。白目剥いた猿先生を起こすのにさらなる電流を加えるのは教育上問題がある気がする。それ以前に教えを乞うミイラが実験器具を用意して、猿先生の口頭説明は頑なに理解できないと言い張る様は恐ろしい。


 電気を扱う危険性は頭に刻まれそうだが、精神病にかかる人が出ないか心配だ。

 理科はどうしてそうなるか納得できなくても、計算以外は暗記すれば点数が取れそうだ。

 付録の教材として風呂でも暗記作業ができる防水性のシートがあった。今夜試してみよう。こういう今まで知らなかった教材があると脳が刺激されて楽しい。


 ただ、ダイバーの装備をしたミイラとは対照的に何も身に着けていない猿先生が印刷されているのを見るとさすがのぶれない統一感に身震いする。


「なんだかんだで、通信講座はいい勉強方法かもな。教科書だけでも暗記はできなくもないから絶対必要ってわけでもないけど。なんか先生や生徒の行く末が気になるし」


 一穂は冊子を閉じた。

 国語や倫理観はともかく理科と社会は通信講座でも学力向上しそうだ。


 残る1番の問題はこれまでの積み重ねがないと学習に支障が出る数学と英語だ。

 両親には何か考えているんだろうか。

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