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15 私の塾

 社会の試験76点という有終の美を飾り、中2の1学期を終えた一穂は夏休みの予定会議に参加していた。


「貴重な夏休みの過ごし方について話します」

 一穂の母真理が議題を発表した。


「温泉」


 一穂の父一平は無言を貫き、兄和也興味なさそうに鎮座していた。毎度長期休暇ではどこかへ遊びに行くが、どこでも構わないらしい。そして――

「他に案がないなら、温泉だけどいいの?」

 無言は肯定である。


「そう。どこの温泉がいいの?」

「どこでも」

 無表情で一穂は丸投げし、真理は嘆息をつく。お馴染みの光景だ。


「そう、適当に見繕っておくわね。和也、都合の悪い日を後で言いに来なさい」

 和也は顔を背けてしまったが、後で予定表をこっそり机にでも置くんだろうな、と皆予想している。口は開かないが、やることはやる男なのだ。


「一穂は明日朝から塾に行く事になったわ」

「え?」

 相談も話し合いもなく突然の報告がなされた。

 一穂は目を見開き、和也は立ち上がる途中で固まり、一平は顔を赤らめていた。


「あと学校主催の夏期講習は欠席してね」

 一穂は眼を瞬かせ、和也は浮かせた腰を椅子におろし、一平は頭を掻いていた。


「え?」

「その代わりの夏休み特訓メニューの1つが塾よ。2学期に学校中を驚かせましょう」

 両親が考えた夏期特訓の第一歩は塾を試す事だ。


 まず必要なのは性格や能力に合った勉強法を見つける事だ。

 多様な生徒を教育してきた経験のある塾講師ならば、一穂みたいな学年最下位レベルの中学生に適した学習方法を知っている、かもしれない。好敵手や目標になる仲間もできるかもしれないし、だんだん他の子との学力差が縮まるのがわかって楽しいかもしれない。


「うん」

 真理の気迫に気圧される一穂。


「授業も生徒もレベルが高くてついていけないかもしれません。馬鹿にされるかもしれないわ。今はまだ格下だから甘んじて受け入れなさい。今得るべきは自分に合った勉強法よ。塾で見つかればよし、見つからなければすぐ辞めればいいわ」


「うん」

 困惑と驚きのミックスジュースだ。


「因みに3つの塾に行ってもらうから」

「え?」

 塾選びは事前に真理と一平が行って3校に厳選されている。

 1つ目は市立高校を志望する生徒を集めた専門塾。入試の要点や合格レベルを知っている。

  

 ◇


 そして、翌日。

 鳥の囀る声で目が覚めた。


 学校がないだけで早起きできるのは何故だろう。

 まぁ、塾はある。

 適当に準備して、真理と共に家を出た。


 市立高校対策の専門塾は窓に宣伝があるくせに、白壁の特徴がない印象に落ち着いている建物で、よく通る国道沿いの眼鏡屋の隣にあるのに今まで知らなかった。


 紺色のドアを開けた真理に続いて入った塾への第一歩。

 左手に受付があり、一穂が受ける夏期特別講座は階段を上がってすぐの部屋にあった。トイレ以外では唯一の部屋なので迷う事もなかった。


 白い長机が並び、2人で1つの机を使うらしい。

 早めに来たはずなのにもう来てる人がいる。

 制服姿ではなく私服。

 シャツとジャージだったり、ワンピースだったり、いろいろ。

 一穂は緑の蛇がぐるぐる巻きついたデザインのシャツにデニムだ。


「私服で授業受けるって外国みたい」

 アニメでのイメージで海外の中学校に制服はないと思い込んでいる一穂。

 日本には私服で登校する中学校がないと信じている。


 例外なんて知らないお年頃だ。

 一穂は左後ろの席に陣取り、窓から見える晴れ空を呆然と眺めていた。


「あれ? かずっちじゃん!」

 学校の人気者、真紀だ。2か月ほど前の進路調査で市立高校を第一志望にしたとメールで聞いたので、この専門塾に来るのは至極自然だ。


「真紀……?」

 赤と黒のシャツにふりふりの黒スカートでモテそうな服装だ。


「そうだよー。かずっちも市立高校志望してくれたんだ!よかった~」

 無邪気に笑っていて、なんだか鬱陶しい。


「教養あるホームレスになるためだけどな」

「え?何?聞こえなかったー」


「早く席につかないと授業始まるって言ったの」

 真紀は慌てて一穂の隣の席を奪取し、携帯で時間を確認していた。最初の授業まであと10分の余裕があった。中学校の休み時間分である。


「かずっち、ひどい」

 怒ったふりをしている。


「あっそ」

「かずっちはどの授業受けるの?私は国数英の3科目だけど」

 素早い頭の切り替えで話題を方向転換した。教科毎に講習を受けるか決めれる仕組みだが、一穂の選択科目は全て真理が決めているので選択肢があった事すら一穂には初耳だった。


「同じ」

 顔を背けてゆっくり発言した。


「よかったー。私も国数英以外はあんまりいらないかなって思ったんだ~。理科も社会も暗記だし」

 理科も暗記科目なのか。


 ちゃんちゃらちゃらららら、ちゃんちゃん。

 頭上から気をそぐようなリズムの音楽が放送された。授業開始時間である。


「はいはいはい。授業開始ですよ。私は穂村彰吾ですよ」

 3桁の体重はあるだろう丸みを帯びた体型でとても熱そうだが、肌は滑々で爽やかだ。灰色のスーツ姿で、持っていた上着を教壇に置いた後、プリントを掲げた。


「今日はテスト半分、説明半分、問題演習半分だからよろしく!」

 数学教師なのに半分の意味わかっているのかネタなのか。


「じゃぁ、テスト配っていくから後ろに回していってね。テスト時間は30分、後に行くほど難しいからな」

 教室中の生徒に目を合わせながら大声を出し、左端の先頭席まで歩いていった。


「ワン、ツー、さん、し、ごー、ろく、ひち、はち」

 英語と日本語が混ざってる!

 もしかして、英語の3以降の数字が何か知らないのか?


「ワン、ツー、さん、し、ごー、ろく」

 独特の数え方でテストの配布を終えられ、釈然としないまま呆然としていた。


「あ。もう始めていいよ」


 本当に釈然としない。

 何人か堪えきれずに笑っていた。

 テストは4択問題など1問もなく真面目で一穂は最初の1分ですぐに理解した。


「これ、1問も解けないわ」

 問題を解いていく音が聞えるから、他の生徒には回答できるレベルなんだろう。

 それは、そうか。ここの生徒は誰だって市立高校目指しているんだから。


 ……


 ……


 1問も解けず、説明を聞いても速すぎてわからなかった。

 この授業で知りえたのは英語の先生が全身真っ黒の服装で気味が悪いと穂村が思っている事と、車で事故しそうになった多々ある経験から焦りはよくないと穂村が悟った事である。


 ついでに言えば、真剣にホワイトボードの説明を書きこんでいく真紀からは本気で市立高校に入学するんだって気迫が伝わってきた。


 専門塾の授業は端的言うと、一穂に合っていなかった。

 国語は授業でもあまり理解はできず、その後の休憩で、一部の生徒たちが先生の間違いを指摘しあっていて、学力の差を痛感させられた。


 英語担当の加賀美由紀は黒い上着、黒いシャツ、黒いスカートに、黒いハンカチ、黒いタイツに黒いブローチ、怖いくらいの黒統一だった。

 授業内容は学校の授業との違いが全く理解ない、つまり意味のわからないものだった。


「かずっち、授業どうするか決めた?私は数学と英語だけ取る事にしたよ」

「さぁ」

 自尊心があったのか、『難関校を目指すだけあって優等生揃いで授業についていけない……。』とは言い出せず、言葉を濁した。

 真紀も苦労しているようだったけど、何とか食らいついていけるんだな。


 ◇


「塾はどうだったの?」

 4人乗りの乗用車で迎えに来てくれた真理が成果を確認してきた。

 車独特の嫌な臭いがする。


「授業は難しすぎるし、生徒も優秀すぎる。やっていける気がしない」

 鏡越しに顔を見て、真理は声色も変えずに発言した。


「そっか。使えない学習方法が1つ判明してよかったわね。次は生徒数が少ない塾を試すわよ」


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