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12 父の決断

 勤務中と退社直後に2通のメールが着ていた。

 両方とも妻の真理から。


 1通目は『一穂と進路の話合いをするので、その結果を後で報告します。』

 2通目は『娘が市立高校に受かったらホームレスになる支援をすることが決まりました。夕食でもとりながら今後の教育方針を決めましょう。駅で待ってます。』


 横井一平はメールの内容が理解できず当惑していた。

 成績が最底辺の1人である一穂と優等生の象徴である市立高校に関連性を見いだせなかった。そして、そんな最高峰の高校に合格する事がなぜ誰もなりたがらないホームレスになるための支援をする事につながるのか。


 電車の座席に座って黒い革製の鞄を膝に置き、仕事で疲れ切った頭を無理やり動かす。

 頭が空回りする。


 仕事上がりで脳を酷使するなんて無茶だ。

 思考を諦め、死んだ魚のような目を車内の広告を見つめる。


『休息しよう。脱力系ドリンク、ゆるゆるエイト』

 疲労を溜めすぎる現代日本人をしっかり休ませるというコンセプトで生みだされた栄養補給飲料で、昼休み中や長引きそうな残業の前、或は就寝前に飲む事で仮眠促進と肉体・精神疲労がとれると評判である。


 こういう仕事で疲れたのに家庭の問題にも献身的に考えないといけない時には電車に乗る前に飲んで、座って休むのが効果的だ。当然、一平もゆるゆるエイトを飲み終えてきており、目を瞑る。


 鉛のように重い頭を後ろの窓ガラスに預けたら、疲労で痛い眼球や凝り固まった脳、委縮して変質してしまったんじゃないかって背中がゆるゆる脱力していく。


 温泉やマッサージのように外から身体を癒すよりも強力で、脳や眼球から疲労物質が溶け出していくように、筋肉の繊維1本1本がほどけていくように自然に楽になっていく。


 ……


 ……


 ……


 15分ほどですっきりし、身体が軽くなった。

 ごちゃごちゃと乱雑だった脳内が整理されて思考しやすくなった頭で考えなおす。


 あ、そうか。

 変換ミスだ。

 市立ではなく私立。ホームレスの方は予測変換で出てきたのだろう。


 その2つを加味して文章を書き直せば『娘が私立高校に受かったら支援することが決まりました。』となる。

 謎が解けて爽快な気分で目的駅に着くのを待った。


 ◇


 駅に着いた一平は真理に迎えられ、車で10分程の移動し、ショッピングモールの飲食スペースに座っていた。

 一平の前には蕎麦と天ぷら盛り合わせ、真理の前には親子丼が置かれている。

 平日の8時半、席に座るのに苦労はない。


「一穂のこれからについて話したいと思います」

 鋭い眼力で企画のプレゼンでもするような凄みがある。

 ぴりりと張りつめていて、それでいて興味をそそられる予感……


 期待と恐怖で全身が震える。

 ゆるゆるエイト飲んでてよかったな。

 真理がこんな雰囲気を出す時は、いつだって予想外で衝撃的な楽しい旅の始まりだ。


「メールで驚いたと思うけど、一穂の将来なりたいものはホームレス」


「ホームレっ!?」

「あれ? メール確認していなかった?」


 予想変換のミスじゃないのか。


「ふふ、ははは、はははははは」

 斜め上だ。


「どうしたの?」

 冷静で緊張感を失わずに座っている真理と突然笑い出した一平。蕎麦が箸から零れ落ちているが、気にした素振りはみせていない。箸をおいて姿勢を正す。


「一穂は本気なんだね」

「そうよ」

 周りの雑音も気にならなくなる。一平と真理は2人の世界に入っていた。


「ごめん。続きをお願い」

「そうね。ホームレスを目指すのは構わないけど、高校には入学して欲しいでしょう。そして、できれば大学にも」


「そうだね」

 そのための作戦がホームレス支援を餌に高校受験させるのか。だから工業高校でも商業高校でも芸術系でもない。


「だから、市立高校入学できたらホームレスになる為の全面支援をするって約束したわ」

「賛成。私立高校ってどこの?」


「どこのって1校しかないでしょう」

 市内の市立高校は1校、私立高校は7校ある。因みに私立高校の1つは女子高だ。


「もしかして、メールにあった市立高校って私立わたくしりつの変換ミスではなく市立いちりつなの?」

「そうよ」


「ふむ……。市立目指してもらう事で伸びた学力で滑り止めの私立に入学してもらう。成績が伸びた分私立に入った後も選択肢が増えている。そうなれば、別の道に進む気になるかもしれない」


「違うわよ。私は本気で一穂を市立に合格させる手伝いをするわ。受かったら、立派なホームレスになれるように、何にも束縛されないように、必要な知識と技能を身に着けるのに協力する」


 真理はきっぱりと言い切った。嘘の1欠片も混じってない本気の声。

 何が本気にさせたのだろう。


「……よくわからないな、ホームレスになるのを協力するのは」

 真理も一穂のホームレス化を応援するのは、彼女の夢を理解したからだ。ちょっと聞いただけで、応援したいなんて思えるはずがない。


「ホームレスになるっていう一穂の夢の根幹は何ものにも束縛されない自由な生活をする事よ。確かにホームレスに協力するって餌で市立高校に入る学力をつけさせおうとしている。でも、その餌が餌として機能したのは、何か別の夢ができた時に中卒である事で断念しないといけないのは不自由だと説得できたから。一穂はやりたい事ができた時にやれる力を身につけたいと思っているのよ。だから、大丈夫よ」

 真理の言葉は一平の奥に刺さり、疑問は砕かれた。


「一穂は最も大切な、生きる指針を見つけたんだな」

 きっと一穂が目指す『自由な』ホームレスになった時、どんな状況でも飛び回って好きな事ができる強い人間になっているだろう。

 だから、応援しても大丈夫なんだ。


「そうよ。貴方も一穂がホームレスになるのに協力してくれるかしら?」

「ああ、わかった。まずは、今からどうやったら一穂の学力を伸ばす手伝いになるか考えないとな」


 塾や通信講座、家庭教師……

 独学の仕方……

 いろいろ考える事がある。


 成績最底辺の中学生が自分で考えて市立高校に受かるだけの学力向上を目指すのは無理がある。

 そこまで低学歴だった経験がない親だけで勝手に考えて勉強法を押し付けても駄目だろう。

 娘と一緒に歩調を合わせ、一緒に試行錯誤して行こう。



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