01 私の中学
南北に300メートル、東西に400メートルの敷地に3つの校舎が『三』の字を表すように並び、中央に渡り廊下があるおかげで王の字になっている。その東側には北から順に1辺30メートルの弓道場が1つ、1辺50メートルの体育館が2つ、同じ広さのプールが1つ、同じ広さの二階建て食堂が1つ、広場を挟んで、和式の家付きの日本庭園ある。そのさらに東には運動場とテニスコートがある。自転車置き場は王の字の北側で、正門は王の字の南側だ。
別段重要ではないが、これが市立赤詰草中学の大まかな構造である。
設備や敷地面積を考えれば、随分とゆとりのある贅沢な作りだ。将来を支えるのが若い人材であり、それを育てる機関である事を考えれば有効な税金の使い方だと市民は納得している。
基本的には40人のクラスが1学年につき7つある。総勢538人の生徒数を誇る中学だ。中学2年と3年に1人ずつ退学した生徒がいるので、39人クラスが2つある。設備から考えると、生徒数は少なめだが、少子化の影響もありどうしようもない。清掃が大変になるという難点はあるが、代わりに空き教室ができる程なので部屋数で困る事はない。
一説には、独身貴族という結婚を希望しない層や、共働きで子どもを育てる余裕がない層、出世至上主義で出産による休暇を避けたい女性層が原因だと言われている。一方で、他国と比べ貧困化が進んだ結果、自分たちが生きるだけで精一杯になってしまったからと嘆く人もいる。
理由がどうであれ、私――横井 一穂――は、この人口密度の低い中学を気に入っていた。端的に言えば、人付き合いが嫌いで、できるなら1人でこっそり生きていたい私にとって、いい時代に生まれてきたと自負している。
1番北にある4階建て校舎の3階、階段のすぐ隣に私の教室はある。東西に並ぶ教室の1番東にある教室で、それより東には階段を挟んでトイレがあるだけだ。立地的には、静かな教室である。2つある出入り口の東側が後ろになっていて、廊下沿いの後ろから2番目が私の席だった。
週最初の1日をどうにか乗り越えた私は自分の席で本を読んでいる。人目を気にする必要がある類のものではないので、堂々と読んでいた。部活に熱心なので、ホームルームという名の1日を締めくくる最後の授業がすぐさま始まって、ぱぱっと終わるのを楽しみだ。
「おーい、かずっち~」
視線を活字から上にすると、案の定そこに見えたのは真紀だった。近衛真紀、男女問わず何人も友達がいる中学の有名人の1人だ。何度か告白もされたらしい。胸の成長具合も学年で上位なのに、嫉妬されてる気配がない。何故か私とも友好的に遊ぼうとしてくれる特異な人だ。
「何?」
「はい、これ。お土産ー」
4連休で旅行した生徒のお土産プレゼントラッシュに乗って真紀は今日1日、方々の人に紙袋を配り歩いていた。人気者も大変そうだ。私ならそんな骨の折れる事はできない。
もじゃもじゃの腰まで届く顎鬚を生やした筋肉隆々の中年がプリントされた紙袋を毛ひとつない手に持っている。妙に袋が大きい。中年が槍を持っているのは戦国時代のイメージなのだろう。真紀は三国志が好きだとどこかで聞いた覚えがあるから関連グッズなのかもしれないが、もしお土産が長い顎鬚おっさんのコスプレセットだったら社交辞令の笑顔を作れる自信がない。もらっていて言う台詞では全くないが、仕方ない。
「ありがと」
「……恥ずかしいから後で見てね?」
やっぱりおっさんのコスプレ衣装みたいなマイナーな趣向を持つ人にしか価値を見いだせない不良在庫系の商品か……。顔が引きつる。
「そういえば明日、英語の小テストってむかつくよ~」
「そうだね」
忘れていたが、彼女がそう言うならそうなんだろう。
私にとって英語っていうのは記号でしかない。アップルの綴りだってわからないくらいなのだ。4択問題でえんぴつの神様に頼むしかない程絶望的な状況の私に比べたら、皆高得点なのだから何も気にしなくていいのに、なんて思ってしまう私はいる。海外に行かないなら無用の長物だ。
「かずっちは余裕なん?」
「まぁ。これがあるから」
読んでいた本をそっと机に置いて、筆箱から半分出ていた鉛筆を持ち上げた。6角形の緑の鉛筆の天辺には1から6までの数字が書かれている。選択問題の正解率は今の所3割2分だ。プロの野球選手と比べても悪くない数値だと言える。
真紀の唖然とした顔を見て、少し心配になる。
「……あげないよ?」
「いらないよ!」
鉛筆を大事に筆箱にしまい、しっかりジッパーを閉じる。これで故意に誰かが触らない限りはエースの緑鉛筆は無事だろう。もちろんオーナーとして私は徹底した管理をするので無事に明日の試合に臨めるはずである。
明日のは中間や期末試験と比べれば遊びである。勝っても負けても影響が少ない草野球みたいなものだ。エースの肩慣らしだけでなく、控えや若手の鉛筆の活躍を見るいい機会でもある。遊びであって、遊びではないのだ。
何も問題がなければ、次の期末試験に出場するスタメンの選定会として絶好の機会となる小テストだが、予定外の事故への対策も当然してある。机の中に2軍のエース鉛筆を1本置いてあるのも、下駄箱に2軍の4番が控えているのもその一環だ。
試合前日の緊張感を空気と一緒に飲み込み、気分を落ち着けようとした。事故や負傷が起こるのを最小限に抑える努力をしても避けられない場合がある。イライラするわけにはいかないのだ。オーナーがどっしり構えていなければ、引き抜きに対する危険が高まる。信じたくはない事だが、目の前で無害そうに佇んでいる真紀だって、ヘッドハントする恐れがないとは言えないのだ。
「ちょ、何その眼? いや、本当に本気で要らないからね!」
「はいはい」
口では何とでも言えるのだ。信用し過ぎない事は短い人生で学んだ大事な教訓だ。
きーんこーんかーんこーん
きーんこーんかーんこーん
休み時間が終わって授業が始まる音だ。今回はホームルームが始まる合図である。いつの間にか担任の先生も教室に入っていたようだ。真紀も自分の席にそそくさと帰っていく。
「席につけー、席に」
担任の中山 義昭だ。理科の授業を担当している。高圧的で威厳ある態度をとろうとしているようなのだが、残念ながら既に誰ひとりとして立っている人はいない。全席満員、全員着席しているのに、1歩遅い発言ばかりだからがっかりキャラとして認知されている。
理由はわからないが、たまにボケて笑わせようとするのだが、危なげなく毎回すべっている。その上で、誰も反応しないので、薄くなった頭をぽりぽり掻いて、さも何もなかったかのように授業を続けるという痛ましい事例が多発している。
もちろん例外というのも当然あって……。
「中山先生、皆席についてますよ」
副担任の前野 利美だけは律儀に対応するのだ。数学を教える身であるためか、そこに問題があれば対応する性格なのかもしれない。数学は結局、問題を解決する学問なのだから。
「ちっ、五月蠅い。わかっとる」
わかっていて、ボケたのか。威厳を見せようとして先走り過ぎたのか。判断が悩ましいところだ。どちらにせよ、恥ずかしそうにしかめっ面をそむけていた。不貞腐れているようにも見える。
静まり返った教室で、ただ1人居づらそうにしている中山がさらに顔をしかめている。こういうのを見ると集団で教師を虐めている気分になるのが普通かもしれないが、このクラスに限って言えば楽しんでいる。見栄を張って横暴な発言をしても、広い心で許せれる。
今回も結局沈黙に耐えきれずに、発言したのは中山だった。
「えーとじゃな。お前らもわかっとると思うが。いづれは中学を卒業せにゃならん。そういうわけで、進路希望調査として第1希望から第3希望まで書いて来週までに提出する事。わかったな!」
副担任の前野は中山の演説の間に、進路希望調査のプリントと連絡日誌を先頭の席の人に配っていた。連絡日誌というのは、翌日の時間割、宿題やコメントを書く欄が続くノートだ。毎朝ホームルームで先生に渡した日誌を日中に担任か副担任が目を通しコメントを書き、帰る前のホームルームで返してもらうのだ。簡単に言えば先生と生徒の交換ノートである。
私のような生徒は、生徒のコメント欄に絵を描いている。漫画のキャラだったり、目の部分に傍線が入った中山だったりする。因みに、中山に呼び出されて、説教されたこともある。『この絵はわしを馬鹿にしとんのか?』と言われたので、『それが先生だと言ったのは誰でしょうか? その人こそ先生を馬鹿にしてますね。』と返したら、無罪放免になった。もちろん私も中山の事をいい意味で馬鹿にしている生徒のひとりである。それからは、度々中山が日誌に出てきている。
「……以上! 気を付けて帰れ!」
ホームルームが終わったら各自部活へ向かっていた。当然、部活熱心な私も例外ではない。
プリントと日誌を入れた後、鞄のジップを閉めて背負う。今日使った体操服を手に持ち、すたすたと教室を出た。当然ながら、教室を出る生徒が多いので、階段はうんざりするほどではないにしても混雑していた。中学生は元気だな、とこの光景を見ると毎回思う。
階段を降りて、下駄箱で運動靴をはき、のんびり北側へ歩いていく。そこにあるのは当然自転車置き場だ。帰宅部の人はこの時間に一斉に帰るものの、部員は少ないので比較的静かである。
自分の自転車には学校から発行されたシールを貼らないと、勝手に撤去される。自転車の場所もクラス毎に決まっているので、決まった場所にとめておかないと減点を食らう。この点数によって、生活指導の対象になる事もあるので、皆注意している。余計なもめ事を避けるための措置であるらしい。
自転車の前方にある籠に鞄と体操服を入れる。
「さて、今日も帰宅部がんばろー!」
2重にかけてある鍵を外し、ペダルをこいだ。