BAD CHRISTMAS
よかったら感想をくれると嬉しいです!
陽が射すところに影がある。至極当然のことだ。
それは俺が生まれる何年も前から続いてきた、万古不易の仕組みなのだから。
俺は時々影に親しみを覚える。きっと、そう思うのは互いに陽を浴びることのない日陰者だからなのだろう。
人の命は平等か? という命題がある。その答えは人によって様々だ。
平等だと言い張る者、平等ではないと否定する者。或いはそのどちらでもなく、無価値だと言う人もいるかもしれない。
命は平等ではない。
単純に想像してみよう。もし、貴方が最も親しんでいる者と見ず知らずの他人の命が天秤に掛けられたら、貴方はどちらを取る。天秤はどちらに傾くのか。
そんなものは簡単だ。親しい方を取るに決まってる。それでも命が平等だと謳うのは独善者で、答えが出ているのに懊悩する振りをするのは偽善者だ。
コイントスの裏表で決めるなんて言う奴は、きっと命を無価値だと思っているんだろう。
人の命は不平等だ。生まれつきの障害、境遇、貧富、義務。種々雑多な人がいる中で、それこそ平等と謳うのは稚拙というものだ。
そこらにいる者より、国を担う要人の方が大事に決まってる。
社会を動かしているのは、決まって命の価値が高い奴だ。
それこそ不平等。
だから――
「これもまた不平等だ」
俺は臥せった体勢で、黒塗りの狙撃銃を構え光学照準器を覗き込む。
遠望するのは、隣接する高層ビルの最上階で談笑する一人の白髪の男。
所属する組織から、殺せと下知が出されたターゲットだ。
命が不平等だからこそ、俺みたいな日陰者がいる。
だから彼も、死にいく中で不平等を嘆くのだろう。
「298……」
引き金を引く。
つがえた肩に衝撃が走り、弾丸が不可視の速度でパーティー会場に吶喊する。
音は鳴らない。サイレンサーを付けている。
ターゲットの胸で紅い花が咲いたのを見届けて、俺は狙撃銃を下ろした。
後はここから退却するだけだ。
「ターゲットを消した。これより帰還する」
『了解。指定した場所にて待機。そこに迎えを寄越す』
片耳に差したイヤホンから響く音声は、俺の返事を待たずに途絶えた。元々、拒否権などないのだが。
俺は立ち上がり、狙撃銃を釣竿を仕舞うロッドケースに収納し通信にて指定された場所へと足を運ぶ。
自分の格好は上下共に目立たないもので、ロッドケースは着用している帽子とあいまって如何にも釣り人な雰囲気を醸し出す。
これを見てスナイパーだとか騒ぐ奴はいないだろう。居たとすれば、相当の手練か頭がイカれてる奴だけだ。
階下へと続く階段を下り、鉛のように重い息を吐く。
命は不平等でも重みがあるのは確かだ。
今日、俺は298人目の、都合299人分の命を背負うことになった。
ターゲットの胸元に飾られた百合の花がバラへと転じる光景が強く脳裏に焼きついていた。
「後悔しているの?」
アンジェリナが俺に問う。
場所は行きつけのバー。マスターが組織の一員ということもあり、組織も懇意にしている店だ。
隣りでグラスを傾ける金髪の美女は、流し目でこちらを見る。娼婦のような格好の所為か、周囲にいる男たちの視線を胸元に集めている。
「いや。戦災孤児だった俺にはこれしかなかった。今更どうとは言えんよ」
「へ~、そう。マスター、マティーニ追加で」
「バーボンをロックで頼む」
「承知しました」
マスターがシェイカーを振り始めるのを横目に息を零す。
「老けるわよ」
すかさず注意された。
どうにも癖というのは無意識のうちに出てしまうようだ。
俺は溜め息の代わりにアンジェリナに話を振る。
「ルーチンワークを何百回と繰り返せば疑問に思うのも自明だろう」
「まーそうねー。あたしもそう思うわ。でも、貴方も分かっていると思うけど。それ以上考えると――」
「余計なことはしないさ。俺だって命が惜しい」
実際、今まで殺しに疑問を覚えた奴は次々と死んでいった。
暗殺しようとして、暗殺されたり。戦地に赴き一瞬の油断で死んだりと様々だ。
だから、ここは思考停止に陥るのが正しいのだろう。
俺は横を向いて、しかし溜め息を零してしまう。
「だーかーら。老けるって」
「アンジェリナ。氷を舐めるな」
「――! ハァ、あたしも人の癖なんて言えたもんじゃないわね」
彼女もまた、身寄りを失くした貧者だった。当時は泥水を啜ってでも生きてきたという。
何でも口に入れたがるのは彼女の悪癖だった。
「……」
「……」
沈黙が二人の間を支配する。マスターの振るシェイカーの音だけが無音に響く。
暫くして、口火を切ったのはマスターだった。
「お待たせしました。マティーニと、バーボンです」
グラスがカウンターの上をスライドする。
アンジェリナがそれを一口で半分ほどまで嚥下し、グラスをふらつかせながら口角を上げる。
「今更昔のことなんてどうでもいいわよね」
僅かに頬を上気させながら彼女は言った。アルコールが彼女の口を軽くしたのかもしれない。
「それよりアンタ。組織の幹部の話、知ってる?」
「知らん。いいのか、そんな話して?」
「諜報担当のアタシがいいって言ってんだからいいに決まってるでしょ!」
「酒に呑まれるなよ」
「失礼ね。素面よ!」
そう言うアンジェリナの頬は、いつか映画で見た愛を語らう恋人達のように赤かった。
俺はバーボンに少し口をつけて、耳を傾ける。
「なんでもね、幹部の息子が組織を無断で抜け出したそうよ。それで今その幹部の地位が危ういんだって。このまま息子を見逃したら幹部転落は間違いないでしょうね」
「それがどうしたんだ?」
「それがさー、組織脱退の理由が駆け落ちなんだって。一般人との」
「ほう」
それはただの夢物語だ。本当に相手のことを考えているなら、そもそも関わらない方が良い。
現実はいつだって残酷で、ハッピーエンドなど有り得ないのだ。
そんなものはメロドラマや、映画の中にしか存在しない。
「いや、アンタも無関係じゃないわよ。アンタんとこの上司は幹部昇進を狙ってるんでしょ? 暗殺命令が下りるんじゃない?」
「それもそうだな」
「そうだなって……。他の幹部狙ってる奴の下っ端との戦いに巻き込まれるのよ?」
「もう何度も経験してる。慣れというのは怖いものだな」
隣でガジガジと氷を歯噛みしていたアンジェリナがバツの悪い顔をする。
「何それ嫌味?」
「忠告だ。お前ほどの女が品なくしてどうする」
「惚れちゃった?」
「調子に乗るな酔いどれ。マスター、勘定だ」
懐から紙幣を取り出しカウンターに置いた。
マスターはそれらを回収する際に、スっと俺のスーツの袂にメモリを滑り込ませた。
「次の指令です」
「もうか。早いものだな」
耳打ちされた言葉に本心が漏れる。
マスターは相好を崩し、定番の一言を告げる。
「どうかご無事に」
「ああ」
シェイカーを持つ彼の皺に塗れた手は、指が数本欠けていた。
およそ人の能力というものは環境で左右される。
遺伝なんてのは基礎スペックに過ぎなくて、それからの伸びしろの方が遥かに高い。
何しろ、普通の餓鬼が十年間死ぬ思いをして修練を積んだだけで暗殺者になれるんだ。この理論は実証されている。
人格もそんなもののひとつで、環境に依存することが多い。
人間、経験さえ積めば誰しも変わるものである。
暫く見ないうちに性転換した同業者も見たことあるくらいだから、この話は馬鹿にできない。
人は絶えず変化する。変化しないものなどないのだ。
だが――、
「あの女、一体何者だ?」
季節は冬。石畳の街道には処女雪が降り積もっている。
空を直線に裂くようにして聳え立つ瀟洒な家の群れも、この季節は屋根が真っ白に染まり街の景観を一変させる。
世間はクリスマスなる行事に浮かれ騒ぎ立てている。巷では気の早いカップルが、これまた気が早く植樹されたモミの木の下で愛を誓い合っている。
クリスマスまであと20日。気が早いどころではないのかもしれない。
そんな中、俺は組織より貸し出された借家にて街道沿いの様子を窺っていた。
視線の先にあるのは一見普通の花屋。一見というか、普通なのだが、その看板娘に問題があった。
年の頃は20代半ば。腰まで届くような茶髪が特徴的な女性だ。妙齢の女性にしては落ち着いており、一時たりとも穏やかな笑みを絶やさない。
そう、一時たりとも。
「あいつ、もしかしてこっちに気付いているのか?」
いや、それは有り得ない。こちらはプロなのだ。素人に監視を気付かれるようなら廃業だ。
上司から下された命令は単純なものだった。
花屋の娘を監視しろ。いずれ標的が現れる。その時は誰よりも真っ先に標的を始末しろ。
要するに、この前とそう変わらない仕事だ。
どうやら花屋の娘が駆け落ち相手らしい。
「笑みを絶やさないとは……。アイツの表情筋は一体どうなっているんだ」
もしかしたらとうに笑顔のまま固まっているのかもしれない。
だとしたら笑えるな。
俺は笑おうとして顔を引きつらせた。
笑いものになるのはこっちだな。
「状況に変化はなしか」
ここに来て早一週間。組織の離反者は未だに姿を現さない。
とっくに殺されていてもおかしくはない時期だ。抜けがけされたのかもな。
俺は安いバケットを口に含みながら、そんなことを思惟していた。
二週間が経過した。未だに状況に変化は見られない。安いバケットだけの生活にも飽きてきた。
だが、持ち場を離れるわけにはいかない。
俺は常に狙撃銃と拳銃を傍に置き、排泄と僅かな就寝時以外は窓辺の椅子に腰掛けていた。
食料は定期的に使いが持ってくるので心配は要らない。就寝時といえども、完全に意識を寝させているわけではないので異常には気がつけるようにしている。
今日もまた無為に一日が過ぎようとしている。
そんな折に一通の連絡が入ってきた。
それは上司からの命令で、花屋の娘について調べろというものだった。何か離反者に繋がるものがあればと期待しているのだろう。
俺は早速監視を継続しつつ周辺の住民に聞き込みを開始した。
結果、何も分からなかった。
それも当たり前だ。二人は逢引するような関係で、表沙汰になるわけがない。
本来なら監視対象と接触するのはタブーなのだが、今回ばかりは許可が下りた。
俺は他の暗殺者から身を誤魔化すように変装し、花屋に近づいた。
「失礼。花をひと束貰いたい」
「どのような用途でしょうか?」
「なに、気まぐれなもので。適当にひとつ見繕って頂きたい」
花屋の娘は相変わらずの笑顔で花を選別し、抱えて持ってくる。
「それでは、こちらのクリスマスローズなどいかがでしょう?」
恐らく、近々行われるクリスマスのイベントと掛けてているのであろう。
娘は笑顔で花束を差し出してくる。
「確か、花言葉は『追憶』『慰め』とかだったか……」
「あとは『不安を取り除いて』なんていうのもありますね」
「俺はそんなに浮かない顔をしていただろうか?」
自分が無表情だというのは理解しているつもりだ。俺も意図してやっている以上、ここに来るまで表情は一切変えていないつもりだ。
それとも自分は腑抜けてしまったのか。
「なんだかそんな気がした、というだけです」
娘の答えは存外拍子抜けだった。だが、胸中を見破った慧眼は確かなものだ。
俺はより一層花屋の娘に興味が湧いてきた。
こんな感覚は不思議だ。何時ぶりだろう。
「これで足りるだろうか」
「はい、ちょうどです」
「それでは失礼する」
取り敢えず今日のところは顔見せ程度でいいだろう。
俺は色鮮やかな、似合わぬ花束をもって帰還した。
それから何日かが過ぎた。
気付けば明後日はクリスマスイヴだ。
街も華やかな雰囲気を帯びつつあり、商店は今が稼ぎ時だとばかりに気合を入れている。
それは花屋とて例外ではなかった。
「あ、いつもの……!」
「今日も適当にひとつ見繕っていほしい」
俺はすっかり常連と化していた。
この数日間、彼女から離反者に関する情報は一切聞くことがなかった。その代わりに、彼女の趣味だとか行きつけの店だとか、どんな花が好きだとか、そんな話をしていた。
俺も知識の上でなら話についていくことができ、共感してもらえるのが嬉しいのか彼女はマニアックな話まで持ち出すようになっていた。
俺も不思議なことに、そう悪い気分ではない。なんだかフワフワとした、心地良い感覚さえある。
「また来て下さいね」
「そのうちに」
背に向けて掛けられた言葉に、俺は一言返した。
何事もなければ、どうせ明日もここに来ることになるのだ。
俺は帰還し再び監視体制に戻ると、彼女に勧められたケーキとやらを食した。
普段酒くらいしか味の濃いものを口にしない所為か、甘砂糖が胃に沁みるようだ。口内が程良い食感に包まれる。
何だか不思議な感じかした。
「失礼するわよー」
約三週間ぶりに聞く声が耳朶に触れる。
彼女は俺の返事など構わずにピッキングして部屋に入ってきた。
「……やはりアンジェリナか。何度ノックしろといったら分かるんだ」
「どちらにしろ部屋に入るという結果は変わらないじゃない。はい、これ食料」
「助かる」
アンジェリナは気を利かせてくれたのか、バケットではなく他の栄養価の高い食物を籠に詰めて持ってきてくれていた。この辺がこの女の侮れない点である。
不躾なだけの女ではないのだ。
「それでさー。聞いたんだけど、アンタ監視対象とやたらに接触してるそうじゃない」
アンジェリナが勝手に椅子を引っ張り出してきて腰掛ける。こいつは俺の仕事を邪魔しにきたのだろうか。
「ああ、それなんだがな……」
アンジェリナは軽薄そうに見えても、人生経験は豊富だ。俺の求める答えをもっているかもしれない。
俺は例のフワフワした奇妙な感覚について尋ねてみた。
やがて、全てを喋り終わった俺は額をおさえるアンジェリナと対面していた。
「アンタ、それ恋してるってやつよ。一番やっちゃいけないことね。まあ、黙っててあげるけど」
「ほう、俺は恋していると」
「そうよ。一般的な見解で言うならそういうことになるわ」
「別に俺は何の欲も抱いてはいないけどな」
俺の知る恋人というのは、キスしたり抱き合ったり、情欲を迸らせたりと、節操もなく発情している奴らのことを指すのだが。俺はそういうのをしたいと、無意識のうちに思っていたというのか? だとしたら、深層意識というのは恐ろしいな。
アンジェリナが溜め息を吐く。
「どうした。老けるぞ」
「黙りなさい。全く、アンタみたいなストイックな恋は近年稀に見るものね」
「欲を制御できないと暗殺者にはなれないからな。当然のことだ」
彼女は余ったバスケットを口に含み、「うわっ、パサパサ……」と顔を顰めるとゆっくりと腰を持ち上げた。
空になったバケットの籠を回収し、呆れたような目線で告げる。
「まあ、どうしようと貴方の自由よ。組織の命令ってわけじゃないし、貴方の希少性は組織も重々理解しているから、貴方が任務に失敗しても上司に消される心配はないわ」
「そうか……」
アンジェリナはついでとばかりにケーキをひと切れ持っていき、部屋を出た。
あんなことを言われてはどうしたらいいのか分からなくなる。
……いや、今まで通りでいいのだ。俺にはそうすることしかできない。
像が幼年の頃から縄で拘束されていると、成体になっても足に縄を括るだけで大人しくなるというのと同じく、俺も組織に飼い慣らされることに慣れてしまっている。動物園の動物みたく、野生にはかえれないのだ。
俺には殺すことしかできない。
悲劇も喜劇も、物事というのはいつも突然やってくる。奴らはこちらの都合など構うことなく、神出鬼没に現れる。
それは俺の人生においても度々起こったことであり、今回もそうだった。
状況に変化が訪れたのはクリスマスイヴの夜。
ターゲットが花屋の裏口に現れたのだ。
今なら狙撃できる。
「…………」
光学照準器に目をあて、しかし撃たない。撃てないのだ。
まだ俺は覚悟が決まっていなかった。
組織の離反者と関わっていることが明らかになった以上、花屋の娘も処刑は免れないだろう。たとえ生き残ったとしても、相方がいなければ虚しいだけだ。
俺はどうすればもう一度彼女と話ができるのだろうか。
別に恋したことを否定するわけではないが、特にこれといった欲望は湧いて来ない。征服欲も、独占欲も、性欲も、およそ欲というものの大多数のものを抱かなかった。
俺はただ、もう一度会って話をし、花を買いたい。それだけに尽きるにのだ。
そのために、俺は一体何をすればいいのか。
ふと、視界に赤いレーザーポインターが映った。その先には花屋の娘。
離反者を動揺させ、隙をつくり殺そうとしているのか。
「――!」
気付けば、俺は銃口を向ける方向を変えていた。
銃口が向ける視線は、レーザーポインターが射出されているであろう家屋。
引き金を引き、弾倉から薬莢が弾き出される。
瞬間、レーザーポインターは途絶え周囲の殺気が濃厚になった。
今の射撃で俺の位置はほぼバレてしまっただろう。
俺はひとつ土産を残してすぐさま部屋を後にした。
部屋を後にした直後、先程までいた部屋から銃撃音が響き暗闇にマズルフラッシュが瞬いた。大方馬鹿な奴らが罠に引っかかったのだろう。
敵はあと何人残っているのだろうか。俺は腰に装着した拳銃を撫でながら思案する。
狙撃銃を部屋に置いてきたので、頼りになるのはこの一丁だけだ。
俺は二人の後をつけるようにして街道を走る。
クリスマスイヴと銘打つだけあって通りはとても混雑している。
まともに進めないと判断した俺は、裏路地から二人を追跡することにした。
道中サイレンサーを拳銃に取り付けながら、辺りを警戒する。
二人はどうやら付近の港町から船に乗って逃げようとしているらしかった。
そうなると、必ず通らなくてはならない道がひとつできる。仕掛けられるとすればそこだろう。
二人が大通りに出る。
ここが勝負の分水嶺だ。
「どこにいる……!」
俺は懸命に辺りを見回す。
すると、視界の隅で何かが光った。視線を向けると、大通りに面した家屋からスナイパーライフルが顔を覗かせていた。
彼我の距離は遠い。
拳銃の有効射程は狙撃銃と比べるととても短い。こんなとこから射撃してもロクに当たりはしないだろう。
スナイパーライフルの照準が二人に定められる。
迷ってる暇はない。
「サンタに代わって鉛玉をプレゼントしてやるよ」
拳銃をクイックドロー、流れるような動作で引き金を引く。
改造を施された弾丸は螺旋を描きながらスナイパーライフルの上方を掠め、鮮血が迸る。
あの角度なら確実に仕留めた。
遠目に確認し、再び走り出す。
関門は越えたと言っていいが、港町の方面は今日に限り人があまりいない。
そんな場所を通る以上、刺客の格好の的になる。
案の定、待ち伏せていた刺客たちが一斉に飛びかかろうとする。
「させない!」
拳銃を連射でぶっぱなし、次々と致命傷に至る部位に当てていく。一発たりともハズレはない。
「クソッ、弾が尽きた」
だが、かといって二人が待ってくれるわけでもない。
俺は急いで後を追う。
二人はもう既に港の近くまで到達しようとしていた。この路地さえ通り抜ければ彼女たちの当面の危機は去る。
だが、あと二人刺客が残っていた。
「お、お前っ!?」
内一人がこちらに気付き驚いた表情を見せる。
だが流石は暗殺者。直ぐに表情を引き締めて拳銃を擬してくる。
「死ね!」
引き金が引かれる前に、俺は手持ちの銃を投げつけた。
狙いは寸分違わず刺客の顔に衝突する。
顔を顰めたその隙に肉薄し、手から拳銃を叩き落とすと頚椎を捻り縊り殺した。
「よくも兄貴を!」
「遅い!」
俺は即座に拾い上げた拳銃の底で男の顎を打ち抜いた。
だがしかし、男は既に引き金を引いていた。
気を失っていたが、その手に持つ銃の口から複数の銃弾が飛び出す。
俺はそれを身を低くすることで防御に努める。
「跳弾……!」
跳弾。それは言葉通り、跳ねる弾を指す。
昨今の二次作品では、跳弾を操る銃士がいるそうだがそんなことは不可能だ。
跳弾というのは、熟達したベテランの銃士にも予測できないのだ。反射は不規則で、とても弾道など計算できない。
俺は身を低くして弾が威力を失くすのを待ち、目を開いて――。
絶句した。
埠頭まであと少しというところで、二人は俯せになって倒れていた。
流血が新雪を生々しい赤に染めていく。
男は頭に、花屋の娘は腹部に銃弾が炸裂したようだった。
もう助からない。
ひと目で分かった。それは、人を殺すことに長けた俺が即座にくだせた判断。
間違いはない。
間違いであってほしかった。
「う、あ、貴方は……いつも……の」
娘の方は辛うじて意識があるようだった。
俺は静かに雪を踏みしめながら彼女に歩み寄る。
「今日、は……どんなのに、なさい……ますか?」
既に意識は混濁しているのだろう。場に似合わぬ譫言を喋りだす。
下唇を噛みながら、零す。
「適当に、ひとつ見繕ってくれないか」
「す、いません。今、これ……し、かない、んです」
そう言って彼女が取り出したのは、数日前に見たばかりの花だった。
「クリスマスローズ……」
花言葉は、『追憶』『慰め』『私の不安を取り除いてください』
相変わらず、彼女の慧眼は誤魔化せない。
たった一輪の花を受け取って、俺は久方ぶりに目元で熱いモノが流れるのを感じた。
だが、俺にとって死とは慣れたものでいつまでも感傷に浸っていられるほどのものではなかった。
慣れというのは本当に恐ろしい。
俺はその後、自生するモミの木の下で二人を埋葬した。それが彼女らを救えなかった自分に残された、唯一の贖罪のように思えたからだ。
「さようなら」
頬を伝った涙はたったの一粒で、既に枯れ果ててしまっていた。
俺は最早人間ではないのかもしれない。
俺は少々その場に立ち尽くして、暫くして帰還するのだった。
その後、組織内における俺の地位が少し上がった。皮肉なことに、任務を放棄したのに成功してしまったのだ。
俺は今後一体どのようにして生きていけばいいのだろうか。
彼女が最後に示した言葉の所為で、自分の進むべき道が不安定になってきていた。
クリスマスローズの花言葉にはこんなものもある。
『私を忘れないで』
彼女がクリスマスローズを持っていたのは偶然で、無意識に俺に渡した。それなのに、どうしてだろう。
現実主義者である俺が、こうも因果めいたものを感じてしまうのは。