第六話 『剣匠ジーク』
絶心流《剣匠》ジーク・フェルゼン。
自分の師匠であった先代の《剣匠》を斬り伏せ、今代の《剣匠》となった男。
当然、その存在は知っている。
同じ《剣匠》のシスイからも、「ジークとは何度もしのぎを削った」という話を聞かされていた。
そんな男と、俺は戦っていたのか。
即座に«震鉄剣»を返してきたことから、絶心流が使える剣士だということは分かっていた。
だがまさか、絶心流の頂点と呼べる相手だなんて予想できる訳もない。
「……く」
けれど。
頂点だろうと何だろうと。
俺が敗北したことには、変わりないのだが。
「アルレイドの知らせを受けて、心臓が飛び出るかと思ったぞ。生徒に斬り掛かるなんて、いくらなんでもやり過ぎだ」
溜息をつきながら、エレナがジークを睨む。
逃げたか、なんて疑ってしまっていたが、アルレイドはちゃんと助けを呼びに言ってくれたらしい。
仮面を付けているジークを見て正体を気付いたということは、どこかで面識でもあったのかもしれないな。
「うるせえ。つまらねえことを言うな。そういう面倒なことを考えてるから、いつまで経ってもオレに勝てねえんだ」
エレナの睨みも、ジークはどこ吹く風だ。
ハッとエレナの言葉を鼻で笑う。
「面白えか、つまらねえか。好きか嫌いか。それだけ考えてりゃ十分なんだよ。グダグダ考えてる暇があったら、もうちっと剣でも振りやがれ」
「……っ」
ジークの言葉にエレナの額に青筋が浮かんだ。
おい、これエレナ爆発するんじゃないか……?
そう思った矢先、ジークがエレナに追い打ちを掛けた。
「というか、少し見ねえ内にお前太ったか? 肉付きが良くなってるな。教えることにかまけて、サボってんじゃねえだろうな。このデブ」
「うがあああああ!!」
エレナの堪忍袋の緒が切れた。
叫びながら、ジークへ正面から殴りかかっていく。
《苛烈剣》の二つ名に恥じない、苛烈な一撃だったが、ジークはそれを軽く受け止め、エレナに足を掛けて転ばせた。
顔面から落下し、ゴッと鈍い音が響く。
「まぁ、ちったぁ強くなったか。それでも雑魚だけどな。オレに比べたら全然雑魚だけどな」
「この……クソ師匠がァ」
顔を上げ、涙目で睨むエレナをゲラゲラと笑うジーク。
……何だろう、この師匠あってのエレナ、って感じだな。
元気すぎる。
「……取り敢えず、場所を移すぞ」
「あぁん、なんでだ」
「こんな場所でいつまでも騒いでいられるか!」
確かに自由訓練場の前で《剣匠》と教師が言い争っているのは不味いからな。
ひとまず、この場はこれで収まりそうだ。
「お前もついて来い」
そう思った矢先、ジークに声を掛けられた。
「お前にも色々聞きたいことがあるからな」
「……すまん、ウルグ、ついてきてくれ」
断れる訳もなく、二人についていくことに。
エレナが謝ってくる所なんて初めて見た……。
「どうせ客間だろ? さっさと行こうぜ」
そう言って校舎へ入っていってしまったジークを見て、エレナが「ぐぬぬぬ」と顔を歪める。
それからがっくりと肩を落とし、エレナはポカンとした表情で固まっていたエステラと後輩達の方へ視線を向ける。
「アタシの師匠が迷惑を掛けた……。申し訳ない」
「過去に何度もジーク絡みで色々あったんだろうなぁ」と思わせるような、哀愁ただよう謝罪だ。
幸い、後輩達は誰も怪我をしておらず、問題にはならなそうだった。
「あの人、やっぱり俺目当てだったみたいだ。巻き込んで、怖い思いさせて悪かったな」
エレナと一緒に、俺もエステラと後輩達に頭を下げておいた。
ジークの目的はよく分からないが、俺を狙って来たのは間違いない。
せっかく集まってもらったのに、怖い思いをさせてしまったな……。
模擬戦で距離が縮まったのに、これで前以上に悪化したかもしれない。
「全然大丈夫です!」
「庇ってくださってありがとうございました!
「格好良かったです!」
と思っていたが、後輩達は何故か高揚した表情で、そんなことを言ってきた。
「…………」
何人かの少女が顔を赤らめていたり、やたらキラキラした目で俺を見てきているのはどういうことだろう。
こんな目付きで見られたのは初めてだ。
なんか怖い。
「……ウルグ殿」
その中で、エステラは一人沈んだ表情を浮かべていた。
「何のお力にもなれず、申し訳ありませんでした」
己の無力さを噛み締め、エステラが頭を下げる。
「相手がジーク殿だったから良かったものの、あれが殺意を持って向かってきた敵だったら……。私は何も出来ませんでした」
こういう時は、何か気の利いたことを言って、慰めるべきなのだろうか。
相手が悪かったから、と。
……いや、そうじゃないな。
「ああ、俺も悔しいよ」
「ウルグ殿……」
「これが実戦だったら、俺も殺されてた。誰も守れずに、あっさりと。だから俺も自分が許せない」
悔しい。
最近の俺は敗北を、この悔しさを忘れていたのかもしれない。
ヌルくなっていた。
「だから、俺はもっと強くなる。エステラ、一緒に強くなろう」
「――――」
少し、驚いた風なエステラ。
……あれ、やっぱり何か気の利いたことをいった方が良かっただろうか。
傷を抉るようなことを言ったか……もしかして。
そんな懸念は一瞬。
「――――はい!」
エステラの力強い返事に、打ち消された。
その瞳には悔しさはあれど、落ち込んでいる様子はない。
「じゃあ、取り敢えず行ってくる」
そう言うと、後輩達は見送りの言葉をくれる。
この短時間で、かなり態度が軟化したなぁ……。
「ウルグ殿――ありがとうございました」
「……ああ。じゃあ、またな」
それから、エレナ達と一緒に教師用の個室へと向かった。
―
「おい、エレナ。このガキ、お前の弟子か?」
「あぁ。もう一年以上教えてる」
個室の椅子に座ると、ジークがエレナに話を切り出した。
「何段だ」
「二段」
エレナがそう答えると、ジークは「ふん」と鼻を鳴らし、
「よし、お前。このジーク様が認める。
てめぇは今日から絶心流三段を名乗っていいぞ」
などと言い出した。
「まだ三段の技を教えきれていない」とジークを睨むエレナだが、
「馬鹿が。お前だって分かってんだろ。二段? こいつはそんなにしょぼくねぇ。他の流派も齧ってるみてぇだが、絶心流だけの実力を見たって三段の実力はある」
そして「それ以上に」と言葉を区切ってから、ジークは犬歯を見せながら、赤い瞳を俺に向けてきた。
「このオレに傷を付けやがった。そんな奴が二段なんて認めねえ」
最後の«風切剣»で俺が頬に付けた傷を指さしながら、ジークはそう言った。
凄い言い分だが、それは自分の実力に自信があるからだろう。
ジークはそれに相応しい実力を持っていた。
「…………」
エレナはすっかり不機嫌になって、俺を睨んでくるが、どう反応していいか分からない。
俺はまだ、この部屋に来てから一言も話していないのだ。
「……ふんっ」
何も言えない俺に、エレナは拗ねてしまった。
こんなエレナを見るのは始めてだ。
いつも豪胆で過激な彼女だが、ジークの前ではたじたじになってしまっている。
「それで、お師匠様はウルグが目的で学園に来たのか?」
「まぁ、それも目的の一つだ。オレが仕留め損なった《喰蛇》を仕留めたおもしれぇ奴がいるってんで、学園に来てみた」
つまり、俺がどんな奴かを試しに来たってのか?
勘弁してくれ……。
しかし、そういう事情なら、昨日の襲撃はジークとは関係ないということか。
それからジークは「だがまぁ」と言葉を続けた。
「学園……いや、王都に来たのにはもう一個理由がある」
「そういえば、聖剣祭が近かったな」
その言葉に、エレナは得心がいったように頷いた。
「あぁ。招待されたんだ。っても、騎士達と同じように護衛に回って欲しいってことだろうよ」
そういえば、前に聞いたことがあったな。
聖剣祭には騎士だけでなく、流派の剣士も呼ばれるんだったか。
「使徒だか何かで国も色々警戒してんだろ。魔神や英雄にゆかりのある剣の祭りをやろうってんだからな」
「…………」
確かにこの祭り魔神を封印した英雄の一人が使っていたという、聖剣を祭る行事だ。
大きなイベントだけに人が集まる為、その分警備も厳しくなる。
「ま、それはどうでもいい。今はお前の弟子についてだ。お前、《喰蛇》を殺ったってのは本当か?」
と、そこでようやく、それまで無言で黙っていた俺に話が回ってきた。
「……はい。止めを差したのは俺です」
ジークは興味深そうな顔で俺を見ている。
何だか獣が獲物を見繕っているような表情だ。
「ふん、じゃあ《鎧兎》を殺ったってのは?」
「それも……止めを差したのは俺ですが。俺だけの力で勝てた訳じゃないですよ」
どちらの魔物も、仲間や騎士団の助力なくして勝ち目は無かった。
俺が止めをさせたのは偶然だ。
そういうと、ジークは「はっ」と小さく笑った。
「謙遜すんな。胸を張れ。声を大にして、『俺が倒しました』って自己主張してもいいくらいだ。万全だったかどうかはおいておいても、オレですら災害指定には止めをさせなかったんだからな」
そう言って、ジークは俺の肩を叩いた。
「礼を言うぜ。オレの不始末を片付けてくれたんだからな」
「…………」
誇れる訳がない。
あの戦いで、仲間が死んだのだ。
……俺だけの責任ではない。
と仲間は言ってくれる。
そう割り切れるだけの余裕も、少しは出来た。
それでも、俺の実力不足が原因の一つだ。
誇れる訳がない。
「ジークさん。礼、というなら、一つ、俺のお願いを聞いてくれませんか」
失礼かもしれない。
しかし、またとない機会だ。
逃す手はない。
「ほう、言ってみろ」
ジークは不機嫌になるでもなく、先を促してきた。
「俺に、剣を教えて下さい」
《剣匠》とこうして話せる機会など滅多にない。
指導して貰えるチャンスがあるのなら、積極的に行くべきだ。
それを聞いて、ジークは「はっ」と笑った。
「お前、悔しいのか?」
「…………?」
突然の言葉に、首を傾げる。
そして、その時になって、俺は血がにじむ程に拳を握りしめていたことに気付いた。
「オレに負けたのが、そんな悔しいのか?
言っとくが、オレに傷を付けられる剣士なんて世界にそういねえぜ?」
俺の願いには答えず、ジークはヘラヘラとそう言う。
傷を付けたから、満足?
出来るかよ、そんなの。
「……駄目なんです」
ジークが使徒で、本当に俺達を殺しに来ていたら。
俺はこいつに殺されていた。
ヤシロ達に危険が及んでいたかもしれない。
エステラ達も守れなかっただろう。
俺には仲間がいる。
だけど、俺が勝たなきゃいけない状況なら。
俺以外が戦えず、俺が戦わなければならない状況なら。
俺が負けて、仲間を危険に晒すという状況になるのなら。
「貴方に勝てなきゃ、意味が無いんだ」
ジークを真っ直ぐに見据えて、俺はそう言った。
「――――」
次の瞬間、ジークの体から剣気が噴き出す。
部屋の中が、一気に冷え込んだような錯覚を覚える。
「この《剣匠》ジーク・フェルゼン様に勝ちてえだと? てめえ、半端な覚悟でそれを口にしてんなら、ぶっ飛ばすぞ」
殺気だったジークの言葉。
「俺は貴方に勝ちたいんじゃない」
それに、俺は答える。
「貴方程度、勝てなくちゃいけないんだ」
覚悟なんて、とっくに出来てる。
「――――俺は剣聖になる」
俺は守る為に剣を握る。
そのためには強さがいるんだ。
どんな敵からでも仲間を守れる、剣聖が。
「――おもしれえ」
次の瞬間、部屋の空気が弛緩した。
「クッ、ははははははは! 気に入った。いいぜ、ウルグ。剣を教えてやる」
「!」
そう言って、ジークは破顔した。
俺の隣にやってきて、ポンポンと肩を叩いて笑っている。
「……お師匠様」
エレナがジークの様子を見て、驚いていた。
「剣聖、か。いいじゃねえか。最高に強えオレでも、剣聖にはなれなかった。あの野郎――アルデバランには勝てなかった」
ジークが笑う。
「オレは別に、剣聖になんかなりたくねぇ。が、オレは最強の剣士になりてぇ。まだ、これっぽっちも諦めてなんかいねぇぜ」
怖気が走るような、獣の笑みだ。
「それでもオレを越えるってんなら、面白え」
「――――やってみろ」
こうして、俺は《剣匠》ジーク・フェルゼンから剣を教わることになった。




