第五話 『ありったけの一撃』
「――――」
初手から«鬼化»する。
当然だ。
こんな圧倒的な相手に、出し惜しみなんてしている暇はない。
「なんだそりゃあ。おもしれえ技使うな」
「…………」
全身を暴れ回る魔力を見て、男は愉快そうに笑うだけだ。
剣を握っているが、動く気配はない。
剣を構えることすらしない。
それでも、相対しただけで分かる。
迂闊に突っ込めば、それだけで真っ二つにされると。
というか、あいつに剣が通る気がしない。
剣道で、七段八段の先生を前にした時と同じだ。
向かい合っただけで、「あ、この人には勝てない」と彼我の実力差が分かる。
この感覚は……そう、シスイと向かい合った時、そしてアルデバランを見た時にも感じた。
圧倒的な、実力者。
「そんな熱心に見つめても、オレはお前に惚れたりしねえぞ?」
付け込む隙があるとすれば、そう、この男は完全に俺を舐め切っている。
現に自分から攻めてこず、俺が動くのをジッと待っている。
倒すとしたら、最初の一撃だ。
「お」
全速力で、男へと突っ込む。
馬鹿正直に正面から突っ込んでくる俺を見ても、男は剣を構えない。
一足で間合いに踏み込む。男はまだ何もしない。
柄を握る手に最低限の力を込め、«風切剣»を放つ。
「余裕ぶってろ」
男はまだ何もしない。
最速で放たれた«風切剣»。
今まではこれが最速だった。
だが、ここ数ヶ月の死闘や修行を通して、俺はもう一段階、剣速を上げられるようになっていた。
名付けるなら、«幻風剣»。
放たれてコンマ数秒後、鳴哭は更に加速し、音すら置き去りにして男の首へ迫る。
男はまだ、何も――。
「――おもしれえ」
その声が耳に入った瞬間には、俺はもう吹き飛んでいた。
何をされたかも分からずに、宙を舞う。
「ウルグ殿!?」
エステラの叫び声が聞こえた。
それを気にする余裕もなく、俺は宙で体勢を立て直し、何とか地面に立つ。
男は最初から一歩も動かずに、俺の方を見ていた。
正真正銘の、化け物だ。
「はぁ……はぁ……」
ショックはない。
最速の技が通じなかった。
最初から分の悪い賭けというのは分かっていた。
「来るな!」
駆け寄ろうとするエステラの気配に、先んじて声を掛ける。
彼女が出てきても、こいつはどうにもらない。
「くっ……」
歯噛みするエステラを背に、化け物のような強さの男を睨み付ける。
男は白けたような表情で、俺を見ていた。
「おい、まさか今のでおしまいか? お前はそんな程度なのか?」
「さっさとかかってこいよ」と言いたいのだろうか。
あれが俺の会心の一撃だという事は分かっているだろうに。
だが、諦められない。
負けるつもりは毛頭ない。
「……ふん」
チラリ、と男が後ろのエステラ達に視線を向ける。
荒々しい剣気に当てられ、後輩達は「ひっ」と悲鳴をあげて硬直している。
「……おい」
「あ?」
「お前の目的は、俺なんだろ」
エステラ達に、手出しさせる訳にはいかない。
「は、だから手を出すなってか?」
男はギラリとした笑みを浮かべる。
獲物を狙う、獣の眼光。
最悪、エステラ達を逃さなければ……。
「お前が全力でオレと戦うってんなら、いいぜ」
そう警戒したが、予想に反して男はそう言った。
「元からそいつらには興味ねえしな。俺が殺してえのはてめえだ」
「そうかよ」
心置きなく、という訳ではないが、これで心配事が一つ減った。
後は全力で戦うだけだ。
「おおォォッ!」
地面を蹴り、男へ迫る。
相変わらず待っている男へ、エレナから教わった«震鉄剣»を叩き込んだ。
斬るのではなく、叩き付けて刃を揺らし、相手の腕を麻痺させる。
完全に習得した訳ではなかったが、その時は成功の手応えがあった。
が、
「ぬりぃな」
あっさりと受け流された。
そして、「こうやるんだ」と同じ技を叩き込まれる。
「っ、う」
電撃でも流されたかのような衝撃が走った。
腕から剣が飛んでいきそうになるのを必死で堪え、流心流の構えを取ってどうにか衝撃を流す。
痺れた腕を回復させようと、後ろへ飛び退いた瞬間、目の前に男がいた。
「――――!?」
刃が迫る。
咄嗟に体を深く沈め、回避した。頭の上を刃が通過していくのを感じながら、片手で男の足を狙って剣を振る。
あっさりと躱された。
「――っ」
ゾクリ、と悪寒が走る。
即座に地面を転がって立ち上がる。
それと同時に本能に従って横薙ぎに鳴哭を振った。
予感は当たっており、男の振った剣が迫ってきていた。
辛うじて、鳴哭でそれを弾く。
「は、遅えな」
男の体がぬるりと動いた。
滑るような動きで俺の横に回り込み、剣を上段から振り下ろす。
鳴哭の予備として持ち歩いていた剣『浮雲』を抜き、片手で男の剣を防ぐ。当然耐え切れずに浮雲は弾き飛ばされるが、男にバッサリと斬られるのだけは防げた。
息を荒くする俺に、男は冷めた視線を向けてくる。
「そんなもんか?」
全力を出しても、相手にならない。
正真正銘の化け物だ。
「はっ、《喰蛇》を殺せたってんのはやっぱまぐれみてぇだな」
「ッ……」
「次だ。次の一撃でお前を殺す。そんで、お前の仲間を殺しに行く。止めたかったら、オレを殺してみろよ」
「て……めぇ!!」
させない。
絶対に、誰も殺させたりなんかさせない。
許さない。
守るって決めたんだ。
「おおおおおおおおおォォォ!!」
何の工夫もなかった。
放ったのは、ありったけの魔力を乗せた«風切剣»。
これが最後――――全てを込めた一撃だった。
「――――ッ!!」
いつもとは違う手応えが伝わってきた。
上手く言葉には出来ないが、酷くしっくりとくる一振り。
今までで最速の一撃だった。
「――――」
男が目を見開くのを見た。
腰に差していた、もう一本の剣を抜き放つのも見えた。
そこから放たれた一撃は見えなかった。
「――――がっ!」
凄まじい勢いで、体が吹き飛んでいく。
全身が熱い。意識が飛びそうだった。
「――――」
そんな俺を、誰かがガッシリと受け止めた。柔らかい感覚が伝わってくる。
顔を上げれば、エレナが俺を受け止めていた。
「大丈夫か、ウルグ」
アルレイドが呼んでくれたのだろうか。
エレナは難しい顔をして、男の方を見ていた。
「!」
さっきの«風切剣»が、頬を掠めたのだろうか。
男の付けていた仮面に切り込みが入り、スルリと地面に落ちた。
頬から血を流す、三十代後半くらいに見える男。
やはり、見覚えがない。
だが、エステラや後輩達は違ったようだった。
「……貴方は」
男の顔を見て、目を見開いている。
……知っているのか?
「いつか、こうなるとは思ってたけど……やっぱ来ちまうかあ」
エレナが地面に俺を下ろし、ため息混じりにそう呟く。
「はっ、久しぶりだな。エレナ」
ぼさっとしたくすんだ焦げ茶の髪に、エレナ以上に苛烈な、もはや壮絶と言ってもいい程の力を宿した赤い瞳。
腰に二本、背中に一本の剣を差したその男は――。
「勘弁してくれ――お師匠様」
絶心流《剣匠》――ジーク・フェルゼンだった。




