第一話 『絡まれ、そして口説かれる』
―前回までのあらすじ―
ヤシロの懸命な呼びかけにより、失意の淵から立ち直ったウルグ。使徒の襲撃にあいながらも、なんとか無事学園へと帰還する。自分が剣を握る理由を再確認したウルグは、再び鍛錬の日々へと戻るのだった。
王都から北へ進んだ先にある深い森。
木々が茂り、鬱蒼とする森林の中で、バキバキと音を立てながら一匹の魔物が生まれた。
全身を葉のような緑色の鱗で覆われた、巨大な蜥蜴。
《緑龍》と呼ばれる龍種だ。
生まれたばかりの《緑龍》は強い飢えを感じ、周囲を見回す。
強い脅威を感じ、森の動物達は皆逃げている。
獲物がいないと分かり、《緑龍》が移動を開始しようとした時だった。
「……っかしいな。森を真っ直ぐ進んできゃ、道に出る思ったんだが」
道に迷ったのか、一人の男が茂みから姿を現した。
かっこうの獲物を、《緑龍》が見逃す筈もない。
『――――!!』
森全体を揺らすかのような咆哮。
それを受けて男は、
「お、龍か。なあお前、森の外へ続く道知らねえか?」
と、一切の緊張感なしにそう言った。
知能の高い龍は、まったく警戒しない男に一瞬何かを感じたが、それは空腹が塗りつぶした。
《緑龍》は男に喰らいつこうと、牙を剥き出しにして走り始める。
生まれたての魔物は本来の力を発揮できない。
しかしそれでも、龍種。
本来の実力がなくても、人間一人を喰らうのには何の問題もない。
身構えることすらしない男に、龍の顎が喰らいついた。
『――――!?』
ガチン、と噛み合う牙。
牙が獲物を捉えた感覚はない。
避けられたのかと、《緑龍》が男を探す。
「はぁ、つまらねえ。歩くのにも飽きたな」
《緑龍》のすぐ横で、男は剣を腰に差しながら怠そうに呟いた。
もう一度男に喰らいつこうとして、《緑龍》は気付く。
この男は、一体いつの間に剣を抜いていたのか?
そう考えた時には、既に全てが終わっていた。
次の瞬間、ズルリと視界がズレる。
疑問を浮かべる間もなく、《緑龍》は絶命した。
「お、そうか。木に登って見ればいいか」
龍を殺したというのに、男は一瞥すらしない。
一足で樹木の上へ跳び乗ると、ぐるりと周囲を見回す。
そして、男の視線が森の出口を捉えた。
「お、あれか」
森が途切れ、道が続いているのが見える。
方向さえ分かれば、あとはそっちへ進むだけだ。
「王都にゃ、ある程度余裕を持って到着しといた方がいいかねえ。さぁて、面白えことがあると良いんだが」
そう呟き、男は木から飛び降りた。
男が向かうのは王都。
そちらへ向け、男は歩き出した。
―
―
アルナード領からの一件以来、平和な日常が続いている。
傭兵団に襲撃されることもなく、やばい魔物と出くわすこともない。
精神的にも落ち着いている、貴重な日常だ。
あれから時間が経過し、色々と行事が行われている。
二年生になって最初に受けた身体測定の結果はこうだ。
―
魔術適性……無し
魔力量……A
魔力操作……A+
身体総合……A+
―
魔術適性が相変わらずなのは置いておく。
前回、魔力量はA-、魔力操作はAだった。それが二年生になった今、魔力量と魔力操作の評価が一つ上がっていた。
魔物を倒せば、微量だが魔力を吸収するという。恐らく、魔力量が上昇しているのは多くの魔物を倒してきたからだろう。
自分としては、あまり違いは分からないが、意識してみれば確かに以前よりも多くの魔力があるように思える。
魔力操作に関しては修行の成果だろう。
«魔力武装»も«魔力付与»も、迷宮都市にいた頃、学園に来たばかりの頃の比べると格段に上達している。
最高評価であるA+なのも納得だ。
ただ、もしかしたら魔力量と魔力操作の上昇は、魔力の暴走が影響しているかもしれない。
学園で色々調べたが、これに関してのちゃんとした情報は得られなかった。
亜人魔術の中に、自身のリミッターを解除する«狂獣化»というものがあるが、それに似ているくらいか。
ただこちらは魔力を暴走させるのではなく、筋力に関するリミッターを解除し、普段の数倍の筋力を発揮するという術なので、俺のとは少し違う。
要するによく分かっていないのだ。
これを使用することで、俺はAランク冒険者クラスの力が使えるようになる。
よく分かっていない力に頼るのは気持ち悪いが、強くなるためならば俺はこれを利用すると決めた。
魔力を暴走させた俺の戦いぶりを見て、テレスに「鬼のようだ」と言われた事がある。
だから俺はこの技を«鬼化»と呼ぶ事にした。
取り敢えず、魔力面ではしっかりと成長している。
戦闘中に魔力切れになるようなこともない。十分だ。
一番重要なのは剣術面。
俺は今、流心流と絶心流を二段、理真流を初段まで習得している。
理真流はいずれ二段まで取るとして、取り敢えずは三つの流派の基礎は身に付けた。
弾震流と騎士流剣術は対処方法を先生達から教わった。
この世界で主流とされる剣術は、もう全て抑えた事になる。
『剣の基本』も完璧で、修行している剣術の基礎も抑えた。
魔術師や魔物との戦い方も覚えた。
ここからは、より上の段階を目指していきたいと思う。
今までも一応そうやってきたが、流心流と理真流はあくまで補助として修行し、絶心流を伸ばしていく事にした。
具体的に言うと、流心流、理真流を絶心流に組み込む修行をし、絶心流は応用の技をメインする。
理真流はまだ途中だから二段の修行は続けるが。
各流派の先生の理解は得られているので、今はこういう感じに教えて貰っている。
エレナもアルレイドもスイゲツもしっかりと教えてくれるので感謝の念に絶えない。
ヤシロに関しては、「ウルグ様と同じ修行法にします!」と言って、俺と同じ修行をしている。
元々戦闘スタイルが似ていたから、問題ないだろう。
そういえば、彼女は俺よりも先に理真流の二段を取得してしまいそうだ。理真流には短剣やナイフなどを使った技もあり、ヤシロにそれがピッタリはまった。
«影の太刀»のような、相手の不意を突く技のレパートリーが増えてきているので、かなり強い。
最近の模擬戦では俺の方が勝率は上だが、それでも負ける時は恐ろしい程あっさりと負ける。
侮れない。
テレスは今までどおり、メヴィウス流剣術と魔術を修行していくようだ。
魔力操作を極めて、«無手»をより早く、使えるようにすると言っていた。
あれが数分でポンと作れるようになったら、とんでもない事になりそうだ。
メイは流心流と魔術をメインに、キョウは流心流をメインにしつつも他流派の技を取り入れていくスタイルを取っている。
二人ともメキメキ上達しているから、俺もうかうかしていられない。
しかし、以前と比べて成長速度が落ちてきている気がする。
何というか、壁にぶつかった、という感じだ。
今までは色々な剣術を取り入れてスピーディに成長出来ていたものの、ここからは自分が持っている物を伸ばしていかなければならない。
どうにか、壁を越えなければ。
―
「気分転換に、冒険者業でもしませんか?」
ヤシロのその一言で、休日に冒険者ギルドに向かうことになった。
久しぶりに、ヤシロとふたりきりだ。
「ウルグ様も私もAランク冒険者。これで胸を張ってギルドに行けますね」
壁……いや、胸を張って誇らしげにそういうヤシロ。
「いや、多分これまで以上に悪目立ちするだろうから、胸を張るのはちょっとな」
Aランク冒険者といえば、かなりの実力者ということになる。
俺達のような子供で、しかも黒髪がAランクなんてことになったら、注目されない方がおかしいだろう。
トラブルの一つや二つは起きるかもしれない。
だから気を付けよう――などと思っていても、やはりどうしようもなかった。
冒険者ギルドの中に入ると、中にいた冒険者達の視線が俺達に集まる。
俺ももう何度もここに来ているから、常連の冒険者なんかはすぐに視線を外す。
ギルド嬢の元へ、二人でも受けられそうな依頼を十分に吟味した依頼を持っていき、受注した。
その時に、選んだ依頼の難易度や、ギルド嬢とのやり取りで、どうしても俺達がAランク冒険者であるということは近くの冒険者にバレてしまう。
「おい、ガキ」
横から声を掛けられた。
その声色を聞いた時点で、俺は「あーあ」とため息を吐きたくなる。
立っていたのは、筋肉隆々の厳つい男だった。
背中には大きな斧を背負っており、身に纏っているのはそれなりの魔術服だ。
「てめぇらがAランク冒険者だと? ふざけるなよ。おい、こいつらは本当にAランクなのか?」
男の問に対して、ギルド嬢は頷くしかない。
その答えに厳つい顔をより厳つくして、男は俺達、主に俺を睨み付けてくる。
「一体どんな手を使いやがったんだ? 見たところ、貴族には見えねえが、賄賂でも使ったのか?」
周囲の話を聞いていると、どうやらこいつは迷宮都市の方からやってきたソロのBランク冒険者らしい。
この荒々しさは確かに迷宮都市を思い出す。
一人でここまでやって来たというプライドがあるのだろう。そんな奴からすれば、俺達がAランクってのは確かに賄賂でも使ったように見えるのかもしれない。
「私達は災害指定個体《喰蛇》と《鎧兎》の討伐に貢献した実績が認められ、Aランク冒険者へと昇給しました。賄賂などの不正は一切使っていません。言い掛かりはやめていただけませんか」
ヤシロが一歩前に出て、男を睨み付けながらきっぱりとした口調でそう告げた。
「災害指定個体ィ? なぁ嬢ちゃん、あんたのその細い腕で、一体どうやってそんな化け物を倒すんだ?」
「…………」
ヤシロが「殺っていいですか?」と無言で聞いてくるが、俺は首を横に振る。
こういう輩は相手にする価値もない。
何を言っても、こちらの言葉になんか耳を傾けないからだ。
「行こうヤシロ」
敵意むき出しのヤシロを引っ張って、男から離れようとする。
苛立った男が、ヤシロの肩に手を伸ばしてくるのが分かる。
それを振り向かずに、パシリと弾いた。
「な……」
「俺に触れるのはまだ良いが、こいつに触るのはやめてくれ」
いや、俺も嫌なんだけどな。
「な……てめぇ!」
傍から見れば、男が一方的に絡んで、軽くあしらわれた事になる。
男もそれに気付いたのだろう。
あとに引けなくなり、怒声をあげながら殴りかかってきた。
しまったな……。
冷静なつもりだったが、やはり仲間のことになると後先考えずに動いてしまう。
「下がってろ」
ヤシロを後ろに下がらせ、俺が相手する事にした。
男の拳は鋭く、速い。
構えからして素人ではないことが分かる。
拳闘士かもしれない。
Bランク冒険者なだけあって、«魔力武装»もしっかりしており、拳の速度は並みの剣士の剣よりも速い。
それでも、落ち着いていれば見える速度だ。
最低限の動きで、連続して放たれる拳を躱していく。
両手から繰り出される拳は色々な方向からやってくる。
この拳のリズム、理真流に少しにているかもしれない。
しばらくの間、構えや速度などを分析し、隙を探す。
――今だ。
動きを見切り、滑るような動きで間合いを詰める。
そして、男の腹に魔力を纏った一撃を叩き込んだ。
「ごっ!?」
男は泡を飛ばし、目を向いて後ろへ倒れ込む。
手加減したとはいえ、魔力を纏った一撃だ。気絶くらいしただろう。
「が……くそ、がァ!」
……してなかった。
油断していたつもりはないが、耐えられてしまった。
相手はBランク冒険者だ。少し甘く見ていたのかもしれない。
男は背負っていた斧を手に持ち、突っ込んできた。
構えは理真流だった。やはり男は理真流使いだったらしい。
剣士ではないが。
相手が武器を抜いたのだから、こちらも抜いてもギルドから罰せられる事はないだろう。
背中の鳴哭に手を伸ばし、抜き放とうとした時だった。
「――そこまで」
不意に、俺と男の間に小柄な少女が割り込んできた。
キラキラと光る短い水色の髪を揺らし、斧を持った男に制止を呼びかける。
「うるせぇ! どきやがれ!」
男は当然それを無視した。
少女は小さくため息を吐くと、ゆっくりとした動作で前に出た。
「お、おい!」
頭に血が上った男は、邪魔をする少女にお構いなしに斧を振り下ろした。
当たればただでは済まないだろう。
「――――」
斧は当たらなかった。
少女が軽く体を傾けただけで、斧は宙を空振る。
その事に驚いた男が少女に連続で攻撃するが、面白いように当たらない。
「完全に見切ってるな……」
男の間合いに入った少女が、軽く足を引っ掛けて男を地面に倒した。
なおも起き上がろうとする男に、少女が剣を突き付けた。
「これ以上暴れるのなら容赦しないわ」
「う……ぐ……」
刃を向けられていては、男も動くことが出来ない。
がっくりと肩を落として、男はおとなしくなった。
―
「とんだ災難だったね」
その後、男は駆け付けた騎士によって連れて行かれた。
ギルドからも何らかの処分を受けるだろう。
やってきた騎士には「またおまえかよ」という目で見られたが、俺にお咎めはない。
ヤシロには待機して貰っている。
「すいません、巻き込んでしまって」
「気にしないでいい。わたしが勝手に割って入ったから」
水色の髪に、青と緑で左右色の違う瞳。
年齢はヤシロと同じくらいだろうか。
ギルドにいたという事は冒険者なのだと思うが、この少女、かなりの実力者だ。
「……珍しい髪の色」
「あぁ、よく言われます」
「わたしは好き。黒色」
少し変わった少女だ。
ただ、そう言われると嬉しい。
「ありがとうございます」
「顔つきは可愛いけど、体はがっちりしてて逞しい。可愛さと格好良さの両方を内包してて、素晴らしいと思う」
「……ありがとうございます?」
少しじゃなくて、かなり変わってる人かもしれない。
もしかして俺、今口説かれてる?
この流れ、どこかセシルを思い出す。
「この後、良かったら一緒にお茶でも飲みにどう?」
「あー、すいません。連れを待たせているので……」
「残念。君、名前は?」
「ウルグです」
「……ああ、君が」
「?」
「じゃあまた今度、機会があったら一緒に」
そう言って、少女は背を向けてギルドから出ていこうとする。
扉の前で止まると、くるっとこちらを振り返った。
「いい忘れた。私はミリア。よろしく」
そう名乗って、今度こそ少女はギルドから出て行ってしまった。
俺の事を知っているようだったが、一体どういう人なのだろう。
それにしても、ミリアか。
どこかで聞いたことがあるような気がするな。
「……まあいいか」
取り敢えず、ヤシロの元へ行こう。
「すまん、待たせた」
「あの人と、何を話していたんですか?」
「あー助けて貰った礼を言ってたんだ」
「お茶に誘われてましたね」
聞こえてたのなら聞くなよ……。
ちょっと微妙な態度のヤシロにあれこれと話し掛けて機嫌を直してから、俺達は当初の目的だった魔物狩りへと向かったのだった。
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