虚章 『消えた嘘』
――木々の生い茂った森の中、漆黒の鎧が振り下ろす刃を舞うように躱す。
鎧の放つ一撃は重く、また速い。まともに喰らえば生身の人間など一撃で肉塊に変わってしまう一撃を、ステップを踏みながら回避し、反撃の機会を待つ。
目で鎧の挙動を見ながらも、頭では鎧の次と攻撃を予測し、それに対応できるように動いている。
俺の誘導した通りの場所へ攻撃してきた瞬間、躱すのと同時に鎧へ鳴哭を振り下ろした。漆黒の刃が肩口から脇の下まで抜け、鎧に含まれていた魔力を大きく損壊させる。
「チッ」
それだけのダメージを負っても鎧の動きは止まらず、次の一撃を放とうとぎこちなく腕を持ち上げ始めた。
即座に腰に差していた短剣を抜き、鎧の顔面へと思い切り突き刺す。魔力を纏った短剣は兜を激しく砕き、それによってようやく鎧は動きを止める。
鎧はバラバラになって地面へと落下し、カラカラと音を立てて散乱した。
荒い息を整えながら、俺は周囲に散らばる無数の黒い鎧の残骸を確認し、鳴哭と短剣を鞘に戻した。
「頑張ったわねっ!!」
戦闘を終えた俺の元へ、鎧に狙われないように離れた場所でこちらを見守っていた、長い青髪と宝石のように煌めく碧い瞳の女性が、労いの言葉を口にしながら近付いてきた。
「いえ、この程度は――ッ」
大した事はないと言おうとして、接近してきた女性が地面を蹴り、俺に抱きつこうと突っ込んできた。
言葉を切り、女性の突進を回避しようと横へ飛ぶ。刹那、青い残像を残して女性が消失する。どこに行ったのかと気配を探る間もなく、俺は温かいものに包まれていた。
「あまーい! 私のハグを回避したければ、«絶剣»並みの速度で動くことね! ひゃー、ウルグの汗の匂い」
俺の頭を胸に押し付け、息を荒くして汗ばんだ髪の匂いを嗅いでくる姿はまさに変態そのものだが、その変態のハグを躱せないのかと思うと自分が情けなくなってくる。
瞬間的に魔力を上昇させていることは分かるが、速すぎて目で追うことが出来ないのだ。«絶剣»云々は冗談で言っているのだと思うが、割りと本気で«絶剣»を使えないとこの人のハグをどうこうするのは無理な気がしてきた。
「……毎回毎回、そんな本気で躱そうとしなくてもいいと思うんだけどなー。ちょっと傷付くなー」
「本気で躱そうとして、躱せてないこっちの方が精神的に傷付いてますよ……」
「むぅ」
そうは言いつつも、この触れ合いは嫌いじゃない。むしろ、好きだ。本人には言わないけど。
そんなやり取りをしている内に、何かおかしくなってきてお互いに笑みを零す。
ゆっくりと俺から手を離し、女性――セシルは優しく言った。
「お疲れ様、ウルグ」
―
オトラ村を出てから、四年ほど経過した。
俺は十四歳になり、体も大きくなってきている。剣の腕も、魔力操作も村にいた時よりも遥かに上達しており、先ほどの鎧――《死鎧》程度の魔物、つまりBランクくらいの相手ならば、連続して戦っても勝てるくらいにはなっていた。
俺がこれだけ強くなれたのは、偏にセシルのお陰だ。
原因不明の病を患っていたセシルだったが、唐突に体内で暴れ回っていた魔力が正常に戻り、しばらくの休養をおいて彼女は元気だった頃の体力を取り戻した。
セシルが完全に回復したのを見計らって、俺達は家を出た。それからセシルと共に大陸を旅している。
どうしてセシルの病気が治ったのかは分からない。ただ、暴走が収まってから、以前使えていた魔術が使えなくなったとセシルは言っていた。魔力量もかなり少なくなっているらしい。それで化け物のように強いのだから、全く手に負えない。
「むにゃむにゃ」
現在、俺達は宿のベッドで横になっている。
ベッドは二つあるのに、気付けばセシルは俺の隣にやって来ており、またわざとらしく寝た振りをして、「いつでも大丈夫よっ」とでも思っているのか、唇を尖らせてこちらに向けてきている。
同じ部屋で寝れるのは嬉しいが、不便な事もある。こんな密着されては悶々とした夜を過ごさなくてはならなくなる。俺だって男なのだ。
前にこっそりとそういうあれをしようとしたら、セシルがトイレに行こうと起きて死ぬかと思った。というか、俺がそういう事をしようとすると、セシルは毎回トイレに行く気がする。あれ、バレてる? もしかしてバレてる?!
「…………」
俺はセシルに背を向け、再び目を瞑った。そうすると「むぅ」と不満気に声を漏らし、嘘寝をしていたセシルが俺に密着するように近付いてくる。
セシルの体温が伝わってきて、心が落ち着く。やっぱり、俺はこの人が好きなのだと、改めて自覚させられる。
まぁ……好きになって当たり前か。こんな俺の事を愛してくれる人なんだから。
オトラ村を出てから、俺はセシルに連れられて大陸の色々な場所へ連れて行かれた。絶心流、流心流、弾震流などの道場に行き、各流派について学んだ。セシルの戦い方が理真流に近かったので、理真流に関しては彼女に教えて貰った。
絶心流と流心流、理真流は基礎を使いこなせる程度にはなったのだが、どうしても弾震流は向いていなかったので、対処法を教わった。
取り敢えずは、殆どの剣士が習う流派に関して、ひと通りの知識は身に付けた。
それから冒険者として迷宮に潜ったり、色々な魔物と戦ったり、と色々な経験を重ね、今は大陸の外れにある小さな村で魔物を相手に修行をしている。
セシルが俺に教えるのは、戦う為の剣というよりも、生き残る為の剣だった。
森でのサバイバルの仕方や、迷宮での生き残り方、強い魔物との戦い方や逃げ方など、剣術以外に関しても生き残る為の術を多く教わっている。
例えば自分より圧倒的に強い相手からの逃げ方や、遠距離からナイフを使って相手を一撃で殺す技、相手の攻撃を一撃も喰らわぬまま同じ箇所を何度も斬り裂いて殺す方法などだ。
正面から堂々と戦うよりも、逃走したり、不意を突いて殺す技が多い。
俺に死んで欲しくないという、セシルの優しさなのだろう。最初は学びたい剣の方向性の違いに不満があったが、今は逆に感謝している。十分に強くなれているしな。
今の俺は、前世では考えられないほどに充実していた。
―
夕暮れ時。
鳴哭を手に、セシルへ斬り掛かる。
«魔力武装»し、習った流派の技を組み合わせた動きで彼女に迫るが、ただの一太刀すら浴びせることが出来ない。
彼女は魔術師だというのに、近距離での戦いですらまるで歯がたたない。
「動きにラグがあるわ。私の行動を予測して」
わざと遅く動いてくれているというのに、それでもセシルの動きは予測しきれない。風の魔術で瞬間移動のように死角に回りこまれてしまえば、どうする事も出来ないのだ。
そして、セシルは速いだけではない。繰り出される風の魔術は恐ろしい程に鋭い。
遠距離からの魔術は高速で動き回る魔物を簡単に捕らえ、近距離から繰り出す魔力を凝縮して作った風の剣からの一撃で龍種の鱗をも斬り裂く。
オールレンジ攻撃が可能な化け物だ。
「シッ!」
懐から取り出した投げナイフを投擲、弾かれる。
その瞬間に彼女との間合いを詰め、鳴哭を振り下ろす。が、これも弾かれる。
ここまでは予想済み。鳴哭を振り下ろした直後に片手を柄から離し、腰の短剣へと伸ばす。即座に抜き、短剣を横薙ぎに振った。
「――――」
セシルに腕を捕まれ、短剣を使った攻撃は途中で止められてしまった。
そして指で頬を突かれ、俺は敗北を悟った。
「ナイフと短剣の使い方、大分慣れてきたわね。もう十分、実戦でも使いこなせるわ」
短剣とナイフは、旅に出てすぐにセシルに教え込まされた。あまり得意ではなかったが、今は使いこなせていると思う。
それからセシルに反省点を教えて貰い、今日の修行は終了した。
朝から昼に掛けてはジョギングや素振りなどをし、午後からは型の練習、そして一日の終わりにセシルと戦う。それが最近の修行だ。
修行を終えると、俺達は暮らしている宿へ行き、風呂に入る。ここで問題が発生する。
セシルが入ってくるのだ、風呂に。
そうするのが当たり前と言わんばかりに、流心流もかくやとごくごく自然な動きで浴室へ入ってくる。いや、セシルと一緒に風呂に入るのは初めてではないのだが、それでもやはり恥ずかしい。
「……っ」
慌てて風呂から出ようとするが、抱き寄せられてしまった。正面から向かい合う形になるが、セシルの顔がまともに見れず、俺はくるりと体を反転させる。
するとセシルは小さく笑い、俺を自分の膝の上へ乗せる。肌と肌が触れ合い、つるつるとした感覚に全身が熱くなっていく。
「ウルグは照れ屋さんね」
「姉様がおおっぴら過ぎるんです! もう俺は十四ですよ!? 十四にもなって……その、一緒に風呂に入るなんて……」
背も伸びて来ている。もう二、三年すればセシルを越すだろう。そのせいで、背中に柔らかい感覚がダイレクトに伝わってくる。
「ウルグは私とお風呂に入るの……嫌? ウルグが本当に嫌なら、無理に一緒に入ろうとはしないわ……」
「う……」
沈んだ口調でそんな事を言われて、突っぱねられる訳ないじゃないか。
「……別に、嫌じゃないです。ただ……その恥ずかしいだけで」
「~~っ! もう……なんでウルグはこんなに可愛いのよ!!」
「うわ、そんなにくっつかないでください!」
そんなやり取りをして、温まってから体を洗うために浴槽から出た。
セシルは俺の後ろに座り、「姉様に任せなさい」と頭をワシャワシャしてくる。手つきは優しく、気持ち良い。
「髪、伸びてきたわね。明日辺り、私が切ってあげるわ」
「お願いします。剛毛で癖があるから、伸びてくると寝癖が酷いことになるからなぁ」
「ふふ、今朝も後ろの方がパックリ割れてたわね」
髪を洗い終わると、次は体だ。からだ用のタオルに前世で言うボディソープを付け、全身を洗っていく。が、途中でタオルをセシルに奪われた。
「体も私が洗ってあげるわ。うへへへ」
「ちょ」
セシルの手つきはエロい。脇の下や、腹筋などを必要以上に触ってくるし、下半身の時など後ろから生唾を飲む音がして怖くなる。
俺の体を洗い終わると、やたらツヤツヤしているので、なんだか悔しくなり、今日は反撃してみた。
「え、ちょ、ウルグ?」
「たまには俺が洗ってあげますね」
「私は自分でっ……ひゃ、うるっ、ぁ、そこっ!!」
「エロい声ださないでください。おら、こっち向けよ」
「ちょ、なんか強引っ。うひゃあ」
普段は反撃なんかしないから、こうしてたまーにするとセシルはかなり取り乱す。やられ慣れていないのだろう。
ふははははは。
などと調子に乗って、正面からセシルの体を見てしまったりすると色々とダメージを受けるので、薄目を開ける程度であれこれする。
セシルがグッタリし始めた辺りで、やめておいた。
「うるぐ……しゅごい」
「しゅごいとか言わないでください」
あんま色っぽく来られるとどうしていいか分からなくなる。ちょっとやり過ぎたかもしれない。
それからぽわーっとしたセシルが元に戻るのに、一時間ほど要した。
―
「ウルグのばか」
元に戻ったセシルだったが、拗ねてしまった。「ぷんぷん」などと擬音を口に出し、真っ赤な顔で「やり過ぎよ」と怒っている。
「そこで反省していなさい。……体が熱いので風を浴びてきます」と言って、どこかへ行ってしまった。
やはりセシルには弄られ耐性がない。
十分程して戻ってきたが、その頃には多少冷静になっていた。
「姉様、ごめんなさい。やり過ぎました」
「…………」
「怒らせるつもりはなかったんです……。俺の事……嫌いになりましたか……?」
「嫌いになるわけ無いじゃない! ひしっ!」
ちょっと沈んだ声でそう言うと、途端に機嫌を直してセシルが抱きついてきた。ちょろいのは前からだが、年々弟バカっぷりが増してきている気がする。
「じゃあ……許してくれますか?」
「勿論よ。というか、別に怒っていないわ。ウルグに強引にされてドキドキしただけだもの」
ちょろい。
「でも……ドキドキさせた罰として今日は一緒に寝ましょう」
「いっつも一緒に寝てるじゃないですか……」
それから夕食だ。
残念な事に、セシルはあまり料理が得意ではなかった。俺もあまり上手な訳ではないのだが、作り方などを本で読んで忠実に作っている内に上達してきて、最近ではレシピを見ずに料理が作れる所にまできた。
ご飯は俺の担当だ。
「幸せ」
セシルは俺が作った料理を本当に美味しそうに食べてくれる。最初に作った時など、泣き始めたくらいだ。
美味しそうに食べてくれる人がいると、もっと美味しく作って喜んでもらいたい、という気になる。料理の腕が上達したのはセシルのお陰だ。
夕食後は二人でまったりと過ごす。
今日は今後について話し合っていた。
「ウルグにはもう、Aランク冒険者並み、四段剣士の一歩手前くらいの実力があるわ。各流派の基本も、殆ど抑えてる。これ以上強くなろうと思ったら、実戦経験を積みつつ、メインの流派を極めていく必要があるわ」
流心流、理真流、絶心流、この三つは全て初段まで取得している。
初段以降はセシルの指導の元に修行し、各流派の長所を合わせた剣技で修行している。
「極めるとしたら、やっぱり絶心流でしょうか」
「そうね。やっぱりウルグには絶心流があっていると思う。だから、もうしばらくしたら、四段以上の絶心流剣士に師事しましょう」
「…………」
最近のセシルは、少し焦っているような気がする。俺を強くしようと必死に見える。いや、強くなりたいというのは俺の希望だし、ありがたいことではあるのだが。
「《剣匠》ジークに教えて貰えるのが手っ取り早いのだけど……彼はかなり気まぐれだと聞くから難しいでしょうね」
今後の事について話し、俺達は寝た。
―
――ずっと一緒に、いるからね。
「嘘つき」
―
「どうしたの、ウルグ」
目を開けると、セシルが俺の顔を覗きこんでいた。どうしてか、心臓が早鐘のように鼓動を打っており、見慣れた彼女の顔をしばらく見つめてようやく落ち着いた。
何か、とても悲しい夢を見ていた気がする。セシルが死んで、俺は一人でオトラ村から旅立つ。セシルがいなくなる夢。
瞬きすると、目から冷たい雫がこぼれ落ち、頬を伝っていく。セシルは指で俺の涙をすくうと、もう片方の手で俺の頭を撫でてくれた。
セシルに頭を撫でられるのが好きだ。前世で、一度だけ父に頭を撫でて貰ったのだが、理由だと思う。
セシルに撫でられると、胸が温かくなる。
「姉様」
「んー?」
「愛してます」
俺の言葉にセシルは少し驚いたような顔をして、それから柔らかく笑みを浮かべ、
「私もよ。ウルグのこと、世界で一番愛してるわ」
そう言って、俺の事を抱き寄せた。
ふんわりと甘い匂いに包まれる。柔らかくて、温かい。
「姉様が、死んじゃう夢を見たんです。病気が、治らなくて……」
「…………」
「一人に、なって……怖くて」
「……大丈夫。私はちゃんとここにいるわ」
セシルの体温は本物だ。甘い匂いも、感触も。
だけど、離れれば消えてしまうような気がして、俺はセシルの体を強く抱きしめた。
「ウルグを一人になんかしない。私がずっと貴方のそばに居て、守ってあげるからね」
子供あやすような優しい口調で、セシルはそう言った。
「ウルグを初めてみた時、綺麗な子って思ったの。髪も、目も、全部すっごく綺麗で、可愛くてね。でも、私が触ったら汚れちゃうかな……なんて思ったんだけどね。ウルグはもう覚えてないと思うけど……貴方は迷ってる私の手を握ってくれたの。それが、凄く嬉しくて」
「…………」
「……とにかく、安心して。私は死んだりしないわ」
少し、陰のある表情で、セシルはそう言った。
そんな彼女がたまらなく愛おしくて、俺は思わずセシルの頬に手を当て、その唇に自分の唇を重ねた。
勢い余って歯がぶつかってしまう。
「う……」
驚いた顔で固まっていたセシルが、失敗した事に唸った俺を見て相合を崩し、今度は彼女から俺にキスしてきた。
「あう」
歯が当たった。
セシルも下手だった。
「ふ、ふふ」
「はははは」
そのことがおかしくて、二人で笑った。
その日、俺達はいつもよりくっついて眠った。
「愛してるわ、ウルグ」




