第四話 『甘い匂い』
王立ウルキアス魔術学園。
その図書館で俺は一人、本や資料を読み漁っていた。
目の前の机に並んでいるのは使徒、災害指定個体、魔神について書かれた資料だ。
前世では図書館なんて殆ど行った事はなかったが、利用してみると案外良い所だな。
本独特の匂いがする静かな空間の中、聞こえるのはページを捲る音とペンの走る音。
落ち着いて本を読むことが出来る。
だけど、ヤシロなんかは、本の匂いを嗅ぐとお腹が痛くなるらしい。
図書館に来ると毎回ヤシロがトイレに行きたくなる現象を、俺は密かにピンポイントポンポンペインなどと呼んでいる。
本人の前では絶対言わないが。
というのも、以前この事でヤシロをからかったら、顔を真っ赤にしてめちゃくちゃ怒られたからだ。
そういう訳で、今はヤシロと別行動中だ。
お昼頃に待ち合わせしている。
まあ、それはさておき。
アルナード領の出来事を受けて、俺は情報収集を行っている所だ。
本を読むのは特に好きという訳ではないのだが、必要に駆られると苦もなく読む事が出来る。
「使徒……ね」
持ってきたメモ用紙に、重点を纏めていく。
使徒という存在が世間にはっきりと確認されるきっかけとなったのは、やはり六代前の《剣聖》が一騎打ちで使徒に殺された事件だろう。
何の目的か、大陸の北側にある小さな街で、突如として使徒を自称する者が暴れ始めた。
街にいた冒険者や、剣士などが対処に当たったが、あっという間に全滅。
その中にはAランク冒険者も数名いたらしい。
そこに駆け付けたのが六代前の《剣聖》、ミレイド・フォン・レイメルだ。
ミレイドは《剣聖》と同時に、弾震流の《剣匠》をしていたらしい。
騒ぎを聞きつけたミレイドが駆け付けて使徒と対峙。
引き連れていた弟子達を街にいた人達の避難に当たらせ、自身は使徒と一騎打ちを行った。
結果、ミレイドは敗北し、またその余波で街が一つ消滅した。
その街は現在では再興され、かなり小規模になりながらも、一応は元通りになっているらしい。
生き残った人達の情報によると、この使徒はかなり小柄な女性で、しかも亜人だったらしい。
正体は分かっていないが、耳と尻尾が付いていたという。
この一件で人狼種に対する人間の心証が悪化したのは間違いないだろうな。
そしてこれとは別に、ここ十数年の間に二名の使徒が確認されている。
一人は緑髪の男。
当時、《簒奪剣》と呼ばれていた凄腕の剣士によって仕留められたらしい。
その《簒奪剣》はそれ以来姿を消し、表に出ていないようだ。
使徒の死体からは、これといった情報を得ることは出来なかったと書かれている。
そして本当に最近、十五年くらい前に、使徒が活発に活動していたようだ。
仮面とフードを被っていたため、性別は不明。
小柄だったため、《剣聖》を倒した使徒ではないかという話がある。
この仮面の使徒は、当時猛威を振るっていた犯罪者集団や、傭兵団などをいくつも壊滅させているようだ。
こう聞くと、良い奴っぽいが、何を目的でそれを行っていたかは不明。
その犯罪者集団の殲滅に踏み込んだ理真流《剣匠》を筆頭とした十名の剣士が、偶然鉢合わせて交戦になった。
仮面の使徒は十名の剣士相手と激しい戦いを繰り広げ、最終的に瀕死にまで追い込まれる。
だが、あと一歩という所で、協力者と思われる男が仮面の使徒を掻っ攫って逃げていったようだ。
それ以来、時折各地で使徒による犯行と思わしき出来事がポツポツと起こっているが、はっきりとは分かっていない。
最近だと、人狼種の『牙の一族』の壊滅、またレオルの村の壊滅がこれに該当するだろうか。
目撃者が軒並み死んでいるため、はっきりと使徒のしわざ、とは明言出来ないのだ。
「そこに、スペクルムか」
『施しの使徒』リオ・スペクルム。
アルナード領を襲撃した《鎧兎》等の魔物で疲弊した所を襲撃。
《剣聖》によって撃退される。
結局、あの男の目的は分からず終いだ。
《鎧兎》などの魔物達の襲撃とのタイミングから、あいつが魔物をけしかけた可能性が高い。
「まぁ……そもそも魔物を作り出したのが魔神って話だからな。その魔神を復活させようとしている使徒が、魔物を操る術を持っていてもおかしくない、か」
それにしても、«断界結界»で封印された魔神を復活させる術などあるのだろうか。
まぁ、スペクルムの狂人っぷりを見ると、考えなしで騒いでいるだけ、という可能性もあるが。
使徒に関する情報はこんな所だろうか。
あとはついでに災害指定個体について調べてみた。
《喰蛇》、《鎧兎》、《蟲龍》など、どれも甚大な被害を起こしている。
だが、災害指定された魔物は、それ程多くない。
既に討伐されている魔物もそれなりにいる。
一応、ひと通りの知識は頭の中に入れておいた。
万が一、出会った時に対処出来るようにだ。
持ってきた資料を元の棚に戻し、時計を確認する。
まだ余裕がありそうなので、亜人魔術についてもう一度書類を読みなおした。
俺が使った『未来予知』。
そしてスペクルムの魔術を消す魔術。
調べても、該当しそうな亜人魔術は存在しない。
俺の未来予知も、スペクルムの魔術も、全容がはっきりしていないから調べにくい。
亜人魔術ではないが、スペクルムのは俺の剣に付加されている«絶離»に少し似ているかもしれない。しかし、触れていないのに消していたから、やはり別物だろう。
結局、どちらについても分からなかった。
いい時間になったので、俺は書類を片付け、図書館を後にした。
今日は休日で、ヤシロとメイ達は女子寮の部屋の飾りつけなんかをしてるらしい。
昼になったら、皆でご飯を食べようという話になっているので、俺は厨房へ向かった。
―
厨房に行くと既に全員揃っていた。
ヤシロ、メイ、キョウ、そして予定が空いていたというテレス。
全員、すっかり仲良くなっている。
少し寂しい。
「あ、先輩。ちょうど良かったです。少し聞きたい事があるんですけど、良いですか?」
「ん? なんだ?」
「ヤシロさんから聞いたんですけど、先輩から時折、甘い匂いがするそうじゃないですか。特に朝方に」
「迷宮都市にいた時も、ウルグ様の部屋から微かに甘い匂いがしてたりしていました。あれって、何なんですか?」
「…………」
冷や汗がブワッと出た。
ちょっと待って。
それってあれですか。
いや、そんな。
女性には分かるって言うから、ちゃんと換気していた筈だ。
「スンスン。今日はしませんね」
近づいて来たヤシロが、鼻を鳴らして匂いを嗅いでくる。
やめろ。
「ウルグは夜間になにかしているのか?」
不思議そうな顔で、テレスが聞いてくる。
ヤシロもキョウも、分かっていないようだ。
「……ふふ」
だが、メイ……。
さっきから会話に入ってこず、口元にうっすらと笑みを浮かべてこちらを見ている。
まさか、こいつ、気付いている?
いや、まさか。
中学生に行くか行かないかくらいの年齢だろ?
そんな知識があるとは思えない。
というか、清楚なイメージのあるメイが知っているとは思いたくない。
冷や汗をだらだら流しながら、メイをチラリと見て、視線がかち合った。
目を細め、笑みを濃くする。
ヤバイ、こいつ分かってる。
「甘い匂い……香水か?」
「んー。少し違うような。そういえば、前にゴミ箱から少し匂いがしましたね」
「ゴミ箱……」
もうやめてくれ!
いっそ殺せ!
「お菓子を食べているんですよね、お兄さん」
その時、救いがあった。
メイだ。
答えに窮していた俺に、メイが助言をくれた。
「あ、あぁ。たまに夜にお菓子を食べててな。その匂いだと思うぞ。うん」
「お菓子ですか……」
ヤシロはあまり納得していない顔だ。
この時ばかりは、ヤシロの嗅覚が憎かった。
「まぁ、全員揃ったのでご飯にしましょうか」
キョウがそう言い出したことで、この話は終了となった。
じっとりとかいた汗を拭っていると、メイにウインクされた。
しばらく、メイには頭が上がりそうにないな……。
それからそれぞれメニューを頼み、昼食を食べる。
その時に上がったのは、成績の話だ。
「先輩達は一年生の成績、どうだったんですか?」
「ふむ。私はオールSだった。一年で習う部分は既に頭に入っていたし、『剣の基本』や『魔術学』も完璧だったからな」
「オールSか……。俺は実技系はSだったんだけど、座学で結構評価落としてるな」
色々な事があって忘れがちだが、ここは学園だ。
当然、授業の評価という物はある。
各授業ごとに、教師が生徒一人ひとりの成績を付ける事になっているのだ。
俺が多く取っている剣術系の授業はオールSだったのだが、座学はちょいちょいミスがあった。
といっても、最低でもBだ。
単位が貰えないE以下の評価は一つもない。
ヤシロも成績は俺と殆ど同じだ。
座学で評価を落としていた。
計算が苦手なのか、算術の授業があまり良くなかったみたいだな。
「魔術学園に在学中に良い成績を収めたり、何らかの偉業を成し遂げたりすると、将来の進路にかなり役立つぞ。冒険者ギルドの職員、騎士団への入団など、色々と有利になる。成績が良いに越したことはない」
と、オールSのテレスが自慢気に言う。
といっても、メイもキョウもこれといった進路はない。
ここへ来たのは社会勉強の為だからだ。
「まあ、今回の《鎧兎》討伐は誇れる偉業だ。学園側からの評価はかなり高いだろう」
アルナード領へ行っていた事で、授業選択の用紙を出せなかったが、《鎧兎》討伐の件があって、後から出しても受け取ってもらえた。
最初の授業には出れていないが、そのあたりは考慮してもらえるらしい。
それから、俺とヤシロはAランク冒険者になった。
前回の《喰蛇》、そして今回の《鎧兎》討伐の功績のお陰だ。
災害指定個体を二匹討伐した、ということで一足飛びにSランク冒険者への格上げという案も出たらしいが、俺達の年齢を考慮して、Aランク冒険者という所に収まったらしい。
まぁ、流石に十三、十四の子供がSランク冒険者は前代未聞過ぎるのだろう。
Aランクというのも、十分規格外だという話だが。
メイとキョウも、今回の件でBランク冒険者になった。
こちらも年齢を考慮したあれこれで、そこに落ち着いたようだ。
三番騎士隊の隊長、シュルトは冒険者ギルドの決定に関して文句を言ったりしたそうだが、色々と面倒なのでAランク冒険者で承諾しておいた。
魔術学園では、冒険者のCランク以上、もしくは流派の段を取得しているということを申し出ると、授業料が安くなったり、奨学金が貰えたりする。
今回の件を報告した所、授業料はほぼほぼタダになった。
奨学金も貰えるそうだ。
《喰蛇》と《鎧兎》討伐の報奨金なんかも貰ってるから、無駄遣いしなければ金に不自由はしないだろうな。
その後、二年生の頭にある三人でペアを組んで、魔物狩りをするという、イベントについて語り、昼食を食べ終えた。
平和な一日だった。
夜な夜なお菓子を食べている(意味深)




