第十二話 『戦いは終わり』
地が揺らぎ、世界がアルデバランの雷に染め上げられる。
白く染まった世界が元の色を取り戻すと、すぐ前に立っていた筈のスペクルムの姿が跡形もなく消えていた。
一瞬、今の魔術で消し飛んだのかと考えたウルグだったが、アルデバランの視線にそうではないと理解した。
スペクルムは大きく横に跳躍し、今の雷を回避していた。
「《剣聖》ィ! 世界からアンタを奪えば、己の願いが世界に届く!」
聞くに耐えない狂態に、アルデバランは一切の反応を示さない。
スペクルムの体を覆っていた強大な魔力が、その手に握る剣へと移動した。剣の表面を、目視出来る程の悍ましい魔力が覆う。
「己の想いよ世界に届け!!」
剣が連続して振られ、鋭い斬撃が弾丸のようにアルデバランへ殺到した。僅かにタイミングがズレた斬撃の全てが、正確にアルデバランを狙っている。
「喧しいな」
ポツリと言葉を零したアルデバランが、斬撃へ向かってゆっくりと歩いて行く。その悠長な仕草にウルグが目を開くが、直後その顔は驚愕に染められた。
降り注ぐ斬撃を、アルデバランはトトン、と独特のステップを踏みながら躱していく。斬撃はすぐ近くへ落ちるが、その一切がアルデバランに触れることはない。
気付けば、アルデバランはスペクルムとの距離をあっさりと縮めていた。
流れる動作に、アルデバランが間合いに入るまでの間、スペクルムは反応する事が出来なかった。
大剣が唸りを上げて振り抜かれて初めて、《剣聖》が目の前にいると知覚する。
「こりゃァ、すげェ!!」
雷を纏った剛剣にスペクルムが驚嘆の叫びを上げるが、直後大剣を覆っていた魔力が消滅する。
スペクルムが持つ謎の能力の前では、《剣聖》の攻撃すら無効化されてしまうのか。
「がッ!?」
魔力が消滅し、威力の落ちた大剣を受け止めようとしたスペクルムが、直後吹き飛んでいた。
魔力を失ってなお、その一撃をスペクルムは防ぐことすら出来なかったのだ。
体勢を立て直したスペクルムとの間合いを詰めるアルデバラン。
振り下ろされる一撃を、スペクルムが防ぐ。
そこから、二人の剣戟が始まる。
「――――」
その姿をウルグは呼吸を忘れて魅入っていた。
アルデバランが使用する雷の魔力は強力だ。速度と威力を兼ね備えたそれは一撃必殺と呼べる。
だがそれ以上に、その剣は美しかった。
その剣は『剣の基本』の全ての突き詰めていた。
振る上で当たり前と呼ばれるそれを完璧に熟している。
アルデバランの剣は、ただそれだけだった。
だからこそ、途方もなく美しく、そしてどうしようもなく強いのだ。
《剣聖》の剣技に心を震わせるウルグには、その剣戟は何分に渡って繰り広げられたかのように思った。
だが、実際に刃が交わっていたのはほんの十数秒。
三度刃を交えた後、大剣の先がスペクルムの胸を裂き、次で左腕を斬り落とし、次で彼を吹き飛ばした。
血の雨を振らせながら、スペクルムが宙を舞う。
いつの間にかその口には斬り落とされた自身の腕が加えられていた。
地面に着地すると同時に、吐き出した腕を服の中に終い、狂気の瞳で悠然と佇む《剣聖》に、狂喜しならが言葉を投げかける。
「はァァァァはははははは!! もう出し惜しみはしねェ! アンタの一切を、ここで奪う!! 失う、得る、施す、奪う、奪う奪う奪う奪う奪う!」
その手元に、離れた場所にいるウルグにも分かる程に、嫌な魔力が集まっていく。あれをさせてはならないと、本能が叫んでいた。
「――――!?」
アルデバランの姿が消えた。
それに気付いた一瞬後、雷が落ちたかのような轟音が鳴り響く。
「知覚出来なければ、魔力を消すことは出来ないらしい」
見失ったアルデバランを探すスペクルムの背後に、アルデバランは極大の魔力を纏って立っていた。
「«刃雷»」
「しま――」
直後、振られた大剣からその刀身の数倍はあるであろう雷の刃が発現し、スペクルムを飲み込んだ。
刃はそのまま地を抉りながら、遥か遠方までスペクルムごと突き進んでいく。
「やった、のか」
地面に膝を付いて戦いを見ていたウルグが呟き、すぐに頭を振る。
遠くへ行ったスペクルムの魔力は徐々に小さくなったが、完全に消滅する事は無かった。
「……逃げられたか」
スペクルムの魔力がフッと消える。自ら気配を消したのだろう。
《鎧兎》、そして使徒。
二つの脅威が去ったことで、ようやくアルナード領に静寂が帰ってきた。
「……終わっ、た」
そう理解した時、ウルグの体の中にあった緊張が消えた。気張って入れていた力がなくなり、徐々に意識が遠くなっていく。
消え行く意識の中で、ウルグの目には《剣聖》の剣が焼き付いていた。
―
―
目を開くと、アルデバランの顔が俺を覗いていた。
「うぉぉ!?」
悲鳴を上げ、思わず顔をあげる。そのせいで、アルデバランの顔にぶつかって――ぶつからなかった。
残像を残してアルデバランが衝突を回避していた。
バクバクと鼓動を早めている心臓を抑えながら、周囲を見回す。
四面を清潔そうな白い壁で覆われた、小さな個室にいるようだ。俺はベッドの上に横になっていた。
服はゆったりとした怪我人用の物に変えられている。ベッドのすぐ隣に、畳まれた魔術服と鳴哭が置いてあった。
「…………」
キョロキョロと周囲を見回す俺を、アルデバランが無言で見つめている。
スペクルムと戦っている時は途轍もなく頼もしかったが、いざ一対一で向い合ってみると、正直怖い。
眼力が凄まじい。
「あの……」
「体は大丈夫か」
「あ、はい」
「そうか……」
「…………」
「…………」
再び沈黙が部屋に広がる。
息苦しい。
何故、このおっさんは喋ろうとしないのか。
「……どうして、ここにいるんですか?」
「……《鎧兎》の首を討ち取ったのが黒髪の少年だと聞いてな。あの巫山戯た男との戦いでも、奮闘したと聞く。助けられた騎士も多い。処理が一段落したから、様子はどうかと見に来たのだ」
低い声で、アルデバランがここにいる理由を説明してくれた。
なんというか、あの気さくなレグルスの父親とは思えないな……。
寡黙な人のようだ。
「礼を言う」
「いえ……そんな」
「名前を聞かせてくれ」
「……ウルグ、です」
それを聞くと「そうか」とだけ言って、アルデバランは背を向けて部屋の扉の方へ歩いて行ってしまう。
その後ろ姿を見て、あの美しい剣を思い出した。
「あの……アルデバランさん」
振り返ったアルデバランに、俺は言う。
「俺は……《剣聖》になります。だからいずれ、貴方を倒します」
それを聞いた時、アルデバランは背筋が粟立つ笑みを浮かべ、「覚えておこう」と言い残して、病室から出て行った。
プレッシャーから開放され、グッタリとベッドに倒れ込む。
結局何だったんだ、あの人は。
それからしばらくして、部屋にヤシロとメイ、キョウが入ってきた。
聞けば、彼女達も少し前まで気を失っていたらしい。
簡単な検査をして、俺の部屋に駆け付けたらしい。
今のいままでアルデバランがいたと教えると、「先を越されたッ」とヤシロが何故か悔しがっていた。
ヤシロの話によると、ここはアルナード領にある病院の一つで、あの後俺達はここに運び込まれたらしい。
テレスの計らいで、俺達は個室を使えているようだ。
「そういえば、テレスはどうしたんだ?」
「テレスさんなら、早い段階で目を覚まして、お父様と一緒に後始末してたそうですよ。先ほど、一段落付いたと聞いたので、もう少ししたら会えると思います」
どうやら俺達はあれから半日以上、寝たきりだったらしい。
あれだけ魔力を消耗すれば仕方ないか。
今でも、少し体が重いしな。
「結局……最後は先輩に助けられてしまいましたね」
キョウが落ち込んだようにそう言った。
助けられた、というのはスペクルムが飛ばした斬撃を斬った事だろう。
あの時は必死で、余り後先考えてなかった。
「気にするなって。俺も皆に沢山助けられたし。その……あれだ。仲間、だから、助け合い……とか普通だろ」
照れくさいのを堪えてそれを言うと、ヤシロ達に笑われた。
「そうですね。お互い様、って事で」
「ここぞという時のお兄さんはあんなに格好良いのに、兎さんを倒した後とか、今とか、どうしてこうなってしまうのでしょう」
割りとグサッとくる事をメイに言われた。
こうなってしまうのでしょうって、今の俺はそんなに駄目か。
「ウルグ様はちょっと抜けた所と、格好いい時のギャップが良いんですよ」
「なるほど」
「なるほどじゃねえよ……」
そんなやり取りをしている内に、部屋に医者が入ってきて、俺は検査する為に一旦ヤシロ達と別れた。
検査室で体に障害が残ってないか、体内の魔力に変化はないか、などを調べられた。
「んー……特に何もなさそうですね。若干、魔力の量が少ないですが、しばらく休養すれば大丈夫でしょう」
そう言われ、俺の検査は終了した。
体内の魔力におかしな所が無いかと医者に尋ねたが、特に何もないと答えられた。
……外から調べられる魔力には、特に異変はないという事か。
「おォ、探したぜ」
検査室から出ると、後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこには青髪と三白眼が特徴な男が立っていた。
確か、三番騎士隊の隊長、シュルトだったか。
「体はどうだ?」
「特に悪い所はなかったそうです。もう少し休めば、完治するって言われました」
「そうかそうか。良かったなァ」
そう言って、シュルトはバンバンと背中を叩いてくる。
さっきのアルデバランとは真逆で、よく喋るな。
「名前はウルグ、だったな。ウルグ、改めて礼を言わせて貰うぜ。あの嬢ちゃん達にも言ったが、お前らが来てくれなかったら《鎧兎》、もしくはあの包帯野郎に全滅させられてたかもしれねェ」
「気にしないでください。俺達はテレスを助ける為にここに来たんですから」
「そうか。だが、それでもウルグに助けられた奴が多いのは事実だ。本当に感謝してるぜ。それにしても、テレス、か。なるほどなァ……」
シュルトの三白眼が、嫌ぁな感じの笑みを受かべた。
「もしかして、アレか。ウルグお前、テレスティアの嬢ちゃんとそういう関係なのか? そういえば、逢引がどうとか言ってたしな」
こいつ、本当にアルデバランと正反対だな。同じ騎士でもここまで違うか。
ニヤけながら顔を近付けてくるシュルトに困っていると、後ろからツカツカとやってきた銀髪の女性がシュルトの背中に蹴りを叩き込んだ。
「ってェ! レイネスてめぇ、何しやがる!」
「すいません。虫がくっついていたものでつい」
「嘘つけェ!!」
「はい嘘です」
「……あのさァ」
激昂するシュルトをさらりと交わす銀髪の女性――レイネスの腕にはグルグルと包帯が巻かれていた。
確かこの人は、スペクルムに腕を斬り落とされていたな……。
「腕は無事くっつきました。まだ使えませんが、すぐに回復するそうです」
俺の視線に気付いたのか、レイネスがそう言った。
やっぱ、この世界の医療って凄いな。
腕が斬り落とされても、高位の治癒魔術なら元に戻せるんだから。
超級の治癒魔術には欠損した腕を治す力すらあると聞くし。
……それでも、死者を蘇らす事は出来ないが。
「なァ、ウルグ。お前、騎士にならねェか? 確か魔術学園の生徒だったよな。卒業したら、三番隊に来いよ。面倒な手続きすっ飛ばして、良いポストに付けてやるからよ。お前なら、ウチの連中も文句は言わないだろうしな」
「折角のお誘いですが……今は受ける事は出来ません」
「……そうか。お前程の実力があれば、二十後半になる頃には騎士隊長にはなれてるだろうな。ま、気が向いたら連絡くれや」
残念そうな顔をしながらも、シュルトはあっさりと引いた。
レイネスは何も言わず、話を聞いている。
「そういえば……さっきアルデバランさんが病室に来ました」
「アルデバランの野郎が? 休憩しにどっか行ったと思ったら、ウルグんとこ行ってたのか」
「あの人が他人に興味を持つなんて、珍しいですね」」
俺の言葉に、二人は驚いていた。
どうやらあの人は騎士の中でもそういう認識らしい。
「何か言われたのか?」
「えーと、礼を言われました。後、名前も聞かれました」
「へェ……あいつがねェ。一瞬、抜け駆けして一番隊にスカウトしに行ったかとそうじゃなかったか」
それからしばらく、鳴哭の事や剣術の話などをして、シュルト達と別れた。
チンピラっぽい人だったが、隊長としての仕事がまだ色々残っているらしい。
別れ際、「アルデバランが他人に興味を持つのは珍しい。誇っていいぜ」などと言われたが、どう反応したらいいのか分からなかった。
《剣聖》に興味を持たれた、か。
それからヤシロ達の元へ戻り、手が空いたというテレスとも合流した。
―
「私達はヤシロちゃんにお願いして、隠れて待機してたんですけどね。それから、ヤシロちゃんがウルグさんを木刀で負かして、お兄さんを慰めるんだけど、ちょっと泣きそうになりました。キョウちゃんも鼻すすって見てたし」
「啜ってません!」
「そうか……ヤシロがか」
「はい、私です。ウルグ様をお救いする為だったら、私は何でもしますからね」
少し遅めの昼食を取りながら、メイ達が俺の話で盛り上がっている。
おい、その話するのはやめろよ。
あれはこう、もっと大切な感じの話だろ。
テレスとメイ達も、少しぎこちない所はあるにしろ、普通に会話出来ていた。
共通の話題があると、打ち解けるのが早いのだろうか。
俺がキョウと仲良くなるには、かなり時間が掛かったんだけどなぁ……。
「アルナード領が元に戻るまで、学園には帰れそうにない。私はもうしばらくここに留まるが、ウルグ達はどうする?」
テレスの問に、俺達もしばらくアルナード領でゆっくりしていく事になった。
まだ連戦のダメージは引いてないし、体力を取り戻してからテレスと合わせて帰っても問題ないだろう。
それに、後で使徒について、騎士に話を聞かれる事になっているしな。
―
こうして、アルナード領で起こった戦いは駆け付けた《剣聖》によって終結を迎えた。
しかし、死者や怪我人の数は膨大で、また領地も大きく荒れてしまっている。
何より、襲撃してきた使徒、スペクルムには逃げられてしまっている。
ゾワリとするあの目に、粘り着くような魔力。
俺の中にある、妙な既視感。
そして、今回の事を予知した俺の能力。
分からない事は山ほどあった。
それでも、今は皆が無事だった事を喜びたい。
今回の件で、大切な事も知ることも出来た。
しばらくの間、俺達は休息に浸った。
次話で今章終了です。




