第十話 『戦いの後に』
歓声をあげ、勝利の雄叫びが上がるが、それは長くは続かない。
長きに渡って破壊をまき散らしてきた災害指定個体《鎧兎》の討伐は喜ぶべきことではあるが、しかしそれを成し遂げるのに被害が大き過ぎた。
死傷者、負傷者は最初の戦いの倍以上が出ており、またアルナード領には《鎧兎》がもたらした破壊の爪痕が大きく残っている。
負傷者の救護、遺体の回収、地割れや砕け散った大地の修復など、やらねばならない事は多くあった。
誰もが疲弊仕切った戦場の中で、まだ動ける者や魔術師が走り回り、彼らに対してタイレスやフェルトなどが、疲労を隠しながら指揮を取っている。
そんな中で、ウルグ達はちょっとした英雄扱いされ、後始末には参加せずにすぐに治療を受ける事になった。
現在はレイネスを筆頭とした土属性魔術の使い手がグシャグシャになった地面を修復しており、本当に危険な者以外は二次災害が起こるのを防ぐため、道が歩けるようになるのを待っている。
「間に合って本当に良かった」
そんな中、ウルグ達はテレスティアと合流していた。
向かう途中、通り過ぎる騎士や兵達に「凄いな」「助かったぜ」などの声を掛けられ、ウルグは照れくさそうに、ヤシロは誇らしげにし、メイとキョウはその微笑ましい光景を見て小さく笑っていた。
仕方のなかった事とはいえ、凄まじくギリギリの登場だった事を思い出し、ウルグがホッと胸を撫で下ろす。
アルナード領へ向けて走っている時も、ウルグはテレスティアがどうなっているか気が気で仕方なかったのだ。
「バッチリ間に合って良かったです。そのお陰で、ウルグ様の登場がまるで物語に出てくる英雄みたいで、傍から見ていてゾクゾクしました」
「ああ……最高のタイミングだった。ウルグも、皆も助けに来てくれてありがとう」
ウルグを思い出してふるふると体を揺らすヤシロに、少し苦笑しながらもテレスティアはウルグ達に頭を下げた。
ドヤ顔をしながらも、礼に「仲間……まぁライバルですから」と返すヤシロに、ウルグも「そうだな」と頷いた。
それからテレスティアがメイとキョウに視線を向ける。それに気付いた二人が自己紹介する。
改めて礼を言おうとするテレスティアに、
「気にしないでください。私は先輩の力になりたかっただけです。先輩の仲間がピンチなら、頼りない先輩に変わって私達が守らないと」
「キョウちゃんはちょっとツンデレ入ってるから、余り気にしないでください」
そんなやり取りを交わし、テレスティアとメイ達は知り合った。
ふと会話が途切れた時、メイ達とのやり取りを見守っているウルグと目が合あった。
駆け付けた時の落ち着いた口調と、力強い目つき。
《鎧兎》と戦うウルグの姿を見て、テレスティアは色々な事に押し潰されそうになっていた彼が、ようやく救われたという事を悟った。
彼の横でヤシロが片目を瞑り、薄く笑ってこちらを見ている。
自分が助けてあげられなかったことに歯痒さを感じる。しかしそれ以上に、ウルグが救われた事が嬉しかった。
そして同時に、助けだされた時の事を思い出し、どうしてかウルグの顔を直視出来ない自分がいることに気付いた。
彼を見ていると顔が異様に熱くなる。
それが何なのかを考え、そして理解した。
「テレス……? どうかしたのか。顔が赤いぞ」
「なぁ、ウルグ」
テレスティアはウルグのすぐ目の前にまで行き、はっとした表情のヤシロが動くよりも先に、ウルグの頬に自身の唇をくっつけた。
一瞬にして熟れ過ぎた果実のようになったウルグに対して、テレスティアが告げる。
「惚れ直したっ」
―
慌てふためくウルグと、怒り狂うヤシロ、ムッとしたキョウに、「きゃっ」と顔を赤らめるメイ。
周囲の視線を集めるそんな一幕からしばらくして、崩れていた地面の修復作業が終了した。
怪我人が指示された場所へ移動を開始する。
少しふらつくテレスティアをヤシロとメイが支え、五人で目的地へと歩く。
「……」
その中で歩くウルグの胸に、何か支える物があった。
自分が何かを見落としているのではないか、まだやらなければならない事があるのではないか。
そんな胸騒ぎが、ウルグの胸の中で強くなってきている。
「どうかしたのか、ウルグ?」
「い、いや」
テレスティアに顔を覗きこまれ、顔を赤くして狼狽えるウルグだが、その時フラッシュバックするように、自分が死んだ時の光景を思い出した。
何かに斬り裂かれ、体を大きく損壊して自分は死んだ。
ウルグはそれを《鎧兎》の攻撃だと思っていた。
「あ――」
その時になって、ウルグは思い出す。
攻撃を喰らった自分の体に、へばりつくような嫌な魔力が絡みついていた事を。
あれは、《鎧兎》の物ではなかった。
では、一体誰の魔力だ。
あの夢は予知夢だった。
アルナード領は魔物に襲撃され、ウルグが来なければテレスティアは死んでいた。
嫌な予感が、徐々に形を伴っていく。
警告するように、額がズキズキと痛み始めた。
《鎧兎》の物ではない攻撃を受けて、俺は死んだ。
それはつまり、違う誰かの攻撃を受けたという事で――、
「まだ、終わってない――?」
自身が辿り着いた答えを口にした瞬間だった。
額が一際強い痛みを発したと同時に、地面が大きく揺れ始める。
地震かと思いかけ、直後ウルグは揺れの原因を理解した。
「なぁ――!?」
アルナード領を囲む山の方角から、一筋の光がこちらへ突き進んで来るのが見えた。
ウルグがそれを知覚するまでの間に、それは恐ろしい速度で接近、修復した地面を砕きながらウルグ達の元へ真っ直ぐに向かってくる。
«無手»と同等、もしくはそれ以上の魔力が呆けた表情を浮かべる人達を消し飛ばすが、あまりの速度に誰も反応することが出来ない。
「――何だよ、これはァ!」
その光に最初に反応出来たのは、シュルトだった。
風を纏った大槌を、自身に向かって突き進んでくる魔力の塊へと叩きつける。
「なァ!?」
触れた瞬間、凄まじい勢いでシュルトが吹き飛ばされた。騎士隊長の一撃すら弾く光を止められる者は他におらず、ウルグ達のすぐ目の前にまで接近してきた。
次に動いたのはメイとキョウだった。
メイが水の壁を創造、一瞬で突破され、キョウが流心流の技で魔力を拡散しようとして弾き飛ばされる。
ここまでしても、魔力の流れは僅かに緩くなっただけだ。
「ヤシロッ!」
「ッ」
全力で魔力を開放したウルグが、ヤシロに指示を飛ばす。それだけでウルグの意図を正確に理解し、それ故に躊躇う素振りを見せたヤシロだが、すぐに振り切ってテレスティアの体を抱きかかえる。
今のテレスティアにはこの光を回避する余裕はないのだ。
ヤシロがテレスティアを抱きかかえるのと同時に、光がウルグへと直撃した。
魔力を暴走させ、«風切剣»を放つ。
全力の魔力でぶつかり、そしてその絶望的な魔力量の差を悟る。
「が、ァアアアア!!」
鳴哭の«絶離»でも消しきれない魔力の奔流に、全身が悲鳴をあげる。剣を握る腕の感覚が失われていき、勢いに押されてウルグの体が後ろへと下がっていく。
その間にヤシロがテレスティアを連れて魔力の射線上から退避していた。
ああそうか、とウルグは悟る。
テレスティアを助けに行った自分はこれで死んだのだと。
《鎧兎》での戦闘で今以上に疲労し、その状態でこれを受け止める。
耐え切れる訳が無かった。
だが――
「«高位治癒»ッ!!」
ヤシロの腕に抱かれたテレスティアが、ウルグに向かって魔術を送る。
ダメージが僅かに和らぎ、ウルグはほんの一瞬だけ余力を取り戻した。
「ああああああああああああァァァ!!」
絶心流から流心流へと構えを変更、誰もいなくなった後方へ魔力を受け流した。
ビームのような魔力が遥か後方まで地面を抉って進んでいく。
あの一撃を耐え切れたのだ。
ヤシロ、メイ、キョウ。
三人が加わってくれた事で、ウルグはこの攻撃に対処する事が出来た。
「は、は」
ほぼ全ての魔力を使い果たし、ウルグはかつてない疲労感に地面に崩れ落ちた。
ヤシロ達が何かを叫んでいるが、もう聞こえない。
テレスティアの«高位治癒»はなければ、受け流せなかったかもしれない。
「何者だ!」
魔力が飛来した方向へ、攻撃を逃れていたレイネスが鋭く叫ぶ。
魔力の発信源はすぐ目の前の山。
《鎧兎》との戦闘でウルグ達は領地の端の方へと来ており、すぐ目の前に山が存在している。
そこから、大地を抉りながら魔力が放たれたのだ。
木々の中から、一つの影が飛び出してきた。
超人的な跳躍力で、それは大胆にも騎士や兵達の中心へと降り立つ。
武器を構え、警戒を露わにする騎士達をぐるりと眺めてから、地面に倒れたウルグを一瞥し、最後にテレスティアへと視線を向ける。
「――あァ、己はいつだってこうだ」
酷く嗄れた声だった。
諦観に塗れた、人の心をささくれ立たせるような声色で、その人物は周囲の視線を浴びならも言葉を続ける。
「どんなに絶好の機会が巡って来ようとも、己の手には収まらない。最初っから分かってるんだ。己は失う事ばかりで、何かを得る事なんて無いって。分かってて、期待して、そしてその希望を喪失する。その繰り返しばかりだ、全くもって嫌になるぜ」
異様な雰囲気を纏った、異様な風貌の男だった。
目元と口元を除き、その男は顔を包帯で完全に覆い隠していた。包帯の隙間からは茶色と黒が混ざった髪が無造作に飛びている。見る者を底へと引きずり込むかのような諦観と悲観を映し出すその瞳は左右で色が違っており、右目は赤く、左目は黒い。
所々に赤い染みのある薄汚れた茶色のマントで身を覆い、そこから覗く腕には一本の無骨な剣が握られていた。
「おいおいおい、アンタらさ、己みたいな哀れで惨めでちっぽけな奴に、そんな視線を向けるなよ。殺意も敵意も悪意もいらねェ、憎悪するなら施しをくれ」
今にも斬り掛かりそうな騎士達を前にして、その男はおどけるように肩を竦め、べらべらと場違いな言葉を並べ立てる。周囲とまるで違うものを見ているかのような男の空気感に、その場にいる者達は心が掻き乱されるかのような嫌悪感を覚えた。
「……もう一度問います。何者ですか」
レイネスの剣呑な問いかけに対し、男はそれでも尚おどけた態度を崩さない。
「何者、か。うーん、なんて名乗るのが正解なんだろうなァ。昔は合ったのかもしれないが、残念な事におのれの名前を覚えてないんだ。傑作だよな、自分の名前も失っちまうなんて」
問に対して答える素振りを見せず、笑える冗談を口にしているかのように肩を揺らす男。
戯言を並べ続ける男に対して、話を聞く価値が無いと判断したレイネスが騎士達に目で指示を飛ばし、自身も腕に魔力を集め始める。
「では、貴方の名前は、牢の中でじっくりと聞かせて貰うとしましょう」
そう冷たく言い放ち、腕から岩の弾丸を連射する。それと同時に騎士達が逃げ道を塞ぐようにして男の左右へ回り込んだ。
「うおッ!?」
飛来する岩に男は悲鳴をあげて飛び退くようにして回避する。先を読んでいた騎士達が、隙だらけの男へと斬り掛かった。
男は握っている剣で騎士達の攻撃をギリギリの所で受け止め、転がるようにして騎士達から間合いを取る。
「ふぅ。なァ、己は大切な物は失って初めて気付くっていうのが持論なんだが、アンタらはどう思う」
息を荒らげながら姿勢を立て直した男は、それでもなお無関係な話を続けようとうする。
騎士達はそれを無視して、次の攻撃へと移っていた。
答えない騎士達に「つれないなァ」とため息を吐きながらも、男は自分の考えをつらつらと羅列する。
「別れて初めて恋人の温かみを知り、病気になって初めて健康の有り難さを知り、不幸になって初めて幸福の希少性を理解する。人間ってそういうもんだよな。もっと身近な例えを出すなら――」
男が言葉を続けるよりも先に、レイネスと騎士達が連携して魔術を放った。
炎を纏った岩の弾丸が群れをなして男へと襲いかかる。
それに対して男は回避行動を見せようとせず、
「な」
次の瞬間、男を撃ち抜く筈だった魔術が跡形もなく消滅した。呆気に取られるレイネスの間合いに、男はロケットのように直線上に進んで入り込む。
「――腕だ」
ドサリと音を立て、レイネスの腕から何かが落ちる。否、レイネスの肘から先が切断され、腕が地面に落ちていた。
切断面が空気に触れ、噴水のような血液が噴出した瞬間、耐え難たい激痛がレイネスに襲い掛かる。
絶叫するレイネスに微笑ましい物を見るかのような視線を向けながら、男は周囲の騎士達へ語りかけるようにして言葉を続けた。
「腕ってのは体に常にくっついてるだろ? だから腕がない場合、どんなに不便なのか普通の人間は知らないんだ」
「ぐううぅぅ!」
レイネスが男から距離を取ろうとして、バランスを崩して地面に倒れ込む。
騎士達が斬り掛かってくるのをひらひらと躱しながら、
「銀髪のアンタはもう分かると思うけど、腕ってのは結構重くてさ、なくなると左右のバランスが取れなくなって思ったように動けなくなるんだよ。やったなァ、アンタ今、腕を失った事で、腕のありがたみを理解出来てるんだぜ。これからは残った腕を大事にして生きていけるだろ? そんな叫んでないで、己に感謝の言葉の一つも合っていいと思うぜ」
その目の輝きを見れば、その言葉を聞けば、男が冗談や挑発でそう言っているのでは無いということが理解できる。
本心から、腕をなくしたレイネスに腕のありがたみを教えられた事を喜んでいるようだった。
「あぁ、そうそう。名前ね、確かに名前が無いとこれから色々不便だ。昔の偉い人が何とかは自分でどうにかするものだ、みたいな事を言っていたし、ここは新しく名前を考えて名乗るとしようかな」
唐突に話題を転換、男はぐるりとテレスティアの方へ振り返り、口元に歪な笑みを浮かべて名乗り始めた。
「己は――」
その日、アルナード領で大陸を震撼させる出来事が起こった。
一幕目は《鎧兎》の襲撃。
そして、二幕目は――。
「『施しの使徒』リオ・スペクルム」
――使徒の襲撃だった。




