第九話 『絶望を斬る』
力強く、優しい言葉。
それを聞いて、テレスティアは心の底から安堵した。
「――――!!」
獲物を横から攫われた《鎧兎》が、怒りの咆哮を上げる。
バキバキと背中から複数の白い刃を作り出したかと思うと、それを弾丸のように撃ち出した。
テレスティアを抱えたままのウルグにはそれを防ぐ手立てがない。だが、ウルグはそちらを見ようともしなかった。
三つの影が、刃の軌道上に入り込んだ。
魔術では防げない攻撃が、彼女らが握る剣によって弾かれる。
その中にいた、深紫の少女がウルグに抱き抱えられたテレスティアへと振り返る。
「助けに来ましたよ」
ヤシロが、紫紺の瞳を器用に片目だけ閉じて言った。
「――皆で!」
―
ウルグはテレスティアを抱き抱えたままタイレス達がいるところまで飛び退のいた。
追おうとする《鎧兎》をヤシロ達が足止めする。
「あの兎は、俺達でぶっ倒す。だから、休んでてくれ」
相手は災害指定個体で、超級魔術を喰らっても耐える化け物だというのに、その黒い瞳を見ると、ウルグ達なら可能だと、そんな確証のない予感がテレスティアの胸に生まれる。
そう言ってテレスティアの頭を撫でて微笑むと、ウルグは《鎧兎》の方へ戻っていった。
「大丈夫か、テレスティア!」
タイレスや兵達が駆け付けてくるが、テレスティアはウルグの方から目を離す事が出来なかった。
心臓が暴れるように鼓動を打ち、無意識の内に口から熱い吐息が溢れる。
自分を助けに来てくれた黒い英雄達に釘付けになっていた。
「おい、《鎧兎》の前にいるの、子供じゃないか!?」
「クソ、どこから飛び出してきたんだ!? 早く助けに行かないとッ!」
「というか……黒髪?」
事情を知らぬ騎士や兵達は、戦場に湧いて出た子供達が危機に晒されていると思い、失いかけていた闘士を僅かに取り戻す。
遠目から大声で逃げるように叫ぶが、少年達は振り返りもしない。
《鎧兎》の相対していた少女達が、黒髪の少年が戻ってきた事を確認して後ろへ飛び退いた。入れ違いに黒髪の少年が前へ飛び出し、《鎧兎》の正面に立つ。
大きく見開いた《鎧兎》赤い眼球が黒髪の少年を捉え、怒りの咆哮を放ちながらブレードを振り下ろす。
その場にいた多くの者が黒髪の少年が無残な肉塊に変わるのだと確信し、自身の無力さを悔いて悲鳴のような声を漏らした。
「は――?」
だが、彼らが、予見していた光景は訪れない。
少年は横へ倒れ込むようにして回避行動を取ると同時に、がら空きになった《鎧兎》の横っ腹を手にしていた黒い剣で薙いだ。
それだけでも驚くべき事だが、それだけは終わらない。
「攻撃が、通ってる……?」
少年が薙いだ瞬間、《鎧兎》を甲高い雄叫びをあげて大きく仰け反った。
曝け出された白い腹部が真一文字に斬り裂かれており、そこから遅れて鮮血が吹き出している。
黒髪の少年が軽い身のこなしで後ろに飛ぶと、何か黒い靄のような物を纏った三本のナイフが傷口へ飛来する。ナイフの内、二本は《鎧兎》の肌に触れた瞬間に黒い靄が消滅して弾かれたが、最後の一本は傷口へと吸い込まれ、肉を大きく抉った。
「――――!!」
少年達を追うようにして、《鎧兎》が跳躍した。空中でブレードを持ち上げ、地を割る一撃を放とうとする。だが
その最中で巨大な顔を球体の水が覆った。
視界を塞がれた《鎧兎》が身動ぎしただけで水は消滅するが、ブレードの狙いは大きく逸れる。
直撃は免れたものの、出鱈目に振られた一撃の斬撃が、地を抉りながら少年達へ迫る。
その時、浅葱色の髪を持つ少女が前へ飛び出した。剣を構えた少女が衝撃に触れた瞬間、その威力は何方向にも拡散され、完全に受け流された。
《鎧兎》に手傷を負わせて、なおその攻撃を無傷で乗り切った少年達に、騎士達に動揺が走る。
確かに、《鎧兎》は先ほどの二つの魔術で大きく消耗し、明らかに動きが鈍り、攻撃の精度も落ちている。
それでも、果敢に戦う彼らの姿に、諦めかけていた彼らの心は揺さぶられていた。
「あの黒髪、報告にあった奴だな」
「隊長、ご無事で!」
立ち尽くす騎士達の前に、額から血を流したシュルトが姿を現した。
ダメージを受けているものの、命に別状は無さそうだ。
それまで指揮を取っていたレイネスがシュルトの元へ駆け付け、無事だった事に安堵の息を漏らす。
「報告……例の《喰蛇》の」
「あァ。嬢ちゃんと一緒に戦って、最終的に《喰蛇》の本体を両断したっていうガキだな。嬢ちゃんのピンチに、仲間連れて駆け付けたって訳だ」
黒髪の少年の素性を耳にし、驚愕を浮かべる騎士達をシュルトが睨み付け、
「テメェら! ガキ共に戦わせて、自分は呑気に観戦してるつもりかよォ! そんな腰抜けに育てた覚えはねェぞ!」
シュルトの叫びに、戦いを見ていた騎士達がはっとした表情を浮かべる。
武器を落としていた者がそれを拾い上げ、握り締める。
「欠片でも度胸があるってんなら、あのガキに続け――!!」
シュルトの号令に、いち早く騎士達が動き始める。それに続いて冒険者、そして兵達も行動を開始した。
絶望から何とか立て直した戦況に、シュルトは大槌を担ぎながら黒髪の少年を見て笑う。
「やるじゃねェか」
―
アルナード領へ向かう途中、キョウ達は《鎧兎》の情報をウルグから耳にしていた。
魔術を無効化する魔術、白い鎧を纏った近接戦闘に長けたSランクの魔物。
単体で都を滅ぼせる絶望的な戦闘力を持った魔物だが、ウルグは自分なら何とか出来ると言ってのけた。
ウルグの持つ鳴哭というバスタードソードには、魔術を斬り裂く«魔術刻印»が刻まれているらしい。
それをもってすれば、《鎧兎》の白い鎧も突破できると。
そして事実、ウルグの攻撃は《鎧兎》に通っていた。
「テレスを殺そうとしたんだ」
《鎧兎》の攻撃を回避したウルグが、その巨体に潜り込んで腹部に一閃。
鳴哭が触れた瞬間、《鎧兎》の鎧が力を失って斬り裂かれる。
怒り狂った《鎧兎》が白い刃を連射した。
ウルグの前に滑り込んだヤシロがいくつかの刃を撃ち落として道を作る。
そこを通り抜けたウルグへ、待ち受けていた《鎧兎》がブレードを振り下ろした。
「俺に殺されても、文句は無いな」
ブレードを受け流したウルグの一撃が、更に《鎧兎》の肉を抉った。
そしてその傷口へ、ヤシロのナイフやメイの魔術がぶつかる。
鳴哭によって鎧が無くなった傷口には、魔術であっても攻撃が通る。
これも、ここへ来る途中にウルグが予想していたことだった。
「――――!!」
苛立ちのままに破壊をまき散らす《鎧兎》に、前へ出ていたウルグとヤシロが後ろへ飛び退く。追跡しようと足を踏み出す《鎧兎》の前に、メイが作り出した水の壁が立ち塞がった。
動きを止める効果はないが《鎧兎》からこちらの動きを隠す遮蔽物にはなる。
二人は一言も言葉を交わさないにも関わらず、完全な連携を取っていた。
《鎧兎》の死角から、ヤシロがナイフで奇襲を仕掛ける。それによって注意が逸れた一瞬を狙い、ウルグが本命の一撃を仕掛けようとする。
だがそれよりも早く、《鎧兎》がウルグの動きを捉え、体から刃を生み出して射出する。
その時になって、ようやくキョウの出番が回ってきた。
「先輩!」
ウルグの前に滑り込み、飛んできた刃を受け流す。
魔力が通らない剣を握る腕に凄まじい負荷が掛かるが、冷静に衝撃を捌いていく。
その上をウルグが通り抜け、《鎧兎》の首元へ一閃。鮮血が吹き出し、ウルグの体を赤く染めてた。
役割分担では、ウルグが鎧を壊し、ヤシロがそこへ追撃。メイは魔術で《鎧兎》を撹乱しながら、余裕があれば追撃。そしてキョウはウルグ達が対処しきれない攻撃への防御だ。
メイもキョウも前に出過ぎず、無理だと思ったらすぐに下がるように言われていた。
《鎧兎》が刃の弾丸を放ちながら、腕から生えるブレードから斬撃を放つ。
ウルグは踊るように弾丸を回避、斬撃の軌道を鳴哭で逸らした。
「……凄い」
メイの少し前まで下がってきたキョウは《鎧兎》と戦うウルグの姿に感嘆した。
あれが、本当のウルグの実力。
前に戦った時とは動きのキレが段違いだった。剣気も必要以上には出ておらず、動きの流れが読みにくい。
水のように滑らかな動きで攻撃を躱し、間合いに入った瞬間に必殺の一撃を放つ。攻撃を躱されても深追いはせず、相手の先を読んで行動していた。
何よりも、ウルグは静かに憤怒していた。
テレスティアを傷付け、殺そうとした事にだろう。
冷静に、そして怒りによって研ぎ澄まされた一撃はかつてない程に強烈だ。
そして、凄いのはウルグだけではない。ヤシロのサポートも的確だ。
《鎧兎》の注意がウルグに向いていれば傷口を抉り、自分に注意が向いていればウルグの攻撃が通るまで完全に引きつける。
簡単なように聞こえるが、ラグのないこのコンビネーションはお互いへの完全なる信頼があって初めて成せる技だ。
「ゲオオオオォォォ――!」
「っ!?」
呼吸が止まるほどの咆哮が響き渡り、《鎧兎》の動きが変わった。ウルグとヤシロの両方を狙っていたのを止め、自分へダメージを与えうるウルグだけに狙いを絞り始めたのだ。
ヤシロの攻撃を無視し、傷口を抉られながらもウルグへ進んでいく。
「姉さん!」
「うん!」
キョウとメイが頷き合い、前へ飛び出そうとした時だった。
後方から魔術の雨が飛来し、《鎧兎》を撃ちぬいた。大半が鎧に無効化されたが、その内の少しが傷口を斬り裂いて広げ、焼き焦がした。
「援護します!!」
シュルトとレイネスが、行動できる騎士や兵をかき集めて陣形を立て直していた。
無視しきれないダメージに《鎧兎》が動きを止めた隙に、ウルグとヤシロがキョウ達の所にまで下がってきた。
「やっぱそう簡単にはいかないか」
荒い息を吐きながら呟くウルグの視線の先で、彼が削った鎧がパキパキと音を立てて再生していた。
「いやァ、大分効いてるみたいだぜ。鎧が再生しきってねェ部分もかなりある」
シュルトの言葉によく見てみれば、傷口が完全に塞ぎきってない部分が幾つか散見出来た。
「えと……貴方は」
「三番隊隊長のシュルトだ。お前のお陰で何とか戦線を立て直せた。感謝するぜ。あの兎野郎の鎧を突破出来たのは、その黒い剣の力か?」
「はい。この剣なら、あの鎧ごとアイツを斬れます」
分かったと言ってシュルトが後ろを振り返ると、
「総員、このガキを全力でサポートしろォ! こいつの攻撃は《鎧兎》の鎧を突破する!」
ウルグ達の戦いを見ていた騎士達は、何の疑問も示さずにシュルトの号令に歓声を上げる。
それを掻き消すかのように《鎧兎》が雄叫びを上げ、行動を開始した。
視線の先にあるのはウルグ一人だ。
「俺らが隙を作る。だからお前があいつに止めを刺すんだ。出来るか?」
「はい」
即答したウルグにシュルトは「良いじゃねえか」と口を歪め、大声で指示を出した。
レイネスを筆頭にした魔術師達が巨大な壁を作り出し、《鎧兎》の視線を覆う。
「ウルグ様、影を使います」
その間に、ヤシロがウルグへと手を伸ばした。
「私の影は一時的にですが他の人も覆うことが出来ます。盟いを交わしたウルグ様となら、あの《鎧兎》の目の前にまで行ける筈です」
「あぁ、頼む」
「――任せて下さい」
短い一言で、ウルグはヤシロの手を掴んだ。
それだけで十分だった。
手を繋ぐのと同時に、壁が崩壊する。
「ぶち込めェ!」
シュルトの号令が掛かり、目が眩む程の魔術が一斉に放たれる。メイも水魔法で《鎧兎》の顔を覆っていた。
魔術師達が残りの魔力を殆ど詰め込んだ魔術に、さしもの《鎧兎》も身動ぎする。傷口を庇うように、ブレードを振り回した。
魔術により、《鎧兎》は目の前の集団からウルグとヤシロの姿が消えている事に、すぐに気付く事が出来なかった。
味方の魔術や、《鎧兎》から放たれる刃を躱しながら、二人は《鎧兎》の背後へ向かう。
ここへ来る途中から、自身の体がかつてないくらいに軽いのをウルグは感じていた。
「――――ッ!!」
《鎧兎》の背中から、針鼠の如く大量の刃が突き出す。咆哮と共にそれが弾けるように連射され、走るウルグやヤシロの元へも飛んでくる。
だが、二人は呼吸を乱すことなく、最低限の動きでそれを躱していく。
背負っていた『重さ』を仲間と分かち合ったウルグの速さに刃は届かず、主と共に進む影もまた彼と同じように今までにない集中力を見せていた。
「――――」
やがて、二人は《鎧兎》の背後へと到達した。
ヤシロの影が消滅し、地面を蹴りつけて跳躍したウルグが《鎧兎》の首を狙う。
魔力を暴走させ、握った剣は絶心流«風切剣»――今放てる最速の技を繰り出していた。
「っ」
それは野生の勘とも言える反応だった。
首が斬り落とされる直後、《鎧兎》がグリンと振り返る。
双眸がウルグの動きを完全に捉えていた。
頭から生える二本の耳が、ウルグを迎撃しようと伸び始める。
「俺を忘れんじゃねェ!!」
その後頭部へ、上空から落ちてきたシュルトが大槌を叩き込んだ。《鎧兎》の意識が逸れ、耳の動きが止まる。
だがそれでも、刃が首に届くには一瞬足りない。耳と同時に動き出したブレードを見てそう判断しながらも、ウルグは«風切剣»を放つ。
――自分には届かないと、信じていたからだ。
ヤシロが自分より先に滑り込み、巨大な影を纏った小刀を《鎧兎》の塞ぎきっていない傷口へ捻り込んだ。
内臓までも抉る一撃に、《鎧兎》の動きが大きく鈍る。
「おおおおおおォォォッッ!!」
絶叫と共に、黒い剣閃が煌めいた。
自分の物だけではない、強い想いを乗せた刃は、減速した《鎧兎》のブレードを斬り裂きながら首へと到達する。
魔を断つ黒い刃が白い鎧を破壊し、《鎧兎》の鮮血をぶち撒けながら肉を裂き、骨を断ち、やがて刃が反対側へと通り抜けていく。
「――――」
「――――」
強い意思を灯した黒い瞳と、大きく見開かれた赤い瞳、二つの視線が交差した。
直後、噴水のような血が吹き出し、《鎧兎》の巨大な頭部が宙を舞った。
頭と離れ離れになった体が死の痛みに総身を震わせ、膝から崩れ落ちる。宙を舞う首が最期に見るのは、血に塗れながら刃を振り切った黒い剣鬼の姿だった。
「――――」
《鎧兎》の目から完全に光が失われ、膝を付いていた胴体が音を立てて崩れ落ちる。斬り落とされた首から溢れる血の海に沈み、そして二度と動く事はなかった。
唐突に訪れた静寂に、その場にいた全ての者が言葉を失う。
その中で、息を切らすウルグへヤシロ達が静かに駆け寄る。
《鎧兎》の屍の後ろから、シュルトがウルグの隣にまでやって来た。
「――《鎧兎》はこの黒髪の少年が討ち取った!」
静寂を破るようにして、シュルトがウルグの隣で叫んだ。
その場にいた者達の視線がウルグに集まる。
《鎧兎》を討ち取った本人は、その視線に呆けたような表情を浮かべていた。
「ウルグ様」
「先輩」
「お兄さん」
ウルグに対して、三人が優しく声を掛ける。
我に帰ったウルグが、持ち前の不器用さを発揮して何を言ったらいいか少し迷いった後、
「――勝ったぞぉぉぉ!!」
「うおおおお――――!!」
たどたどしい勝利宣言に、白んだ空の下、アルナード領の沈黙を破って大歓声が上がった。
――こうして、絶望的な戦いは駆け付けた小さな英雄達の活躍により、勝利に終わった。




