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嫌われ剣士の異世界転生記  作者: 夜之兎/羽咲うさぎ
第五章 迷翠の剣士
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第八話 『撒き散らされる破壊』

「――来るぞ!!」


 地面が激しく震え、同時に岩の壁が粉々に砕け散り、中から白い巨体がその凶悪な顔を覗かせる。その視線の先にいるのは、騎士達と合流して陣形を整えたテレスティアだった。

 赤い双眸が線のように細められ、異様に整った歯並びを剥き出しにして《鎧兎》が咆哮する。

 四本指の足を一歩前に踏み出して地面を陥没させ――、


「《風打ウインドブロー》ッ!」


 巨大な顔の中央に、暴風を纏った大槌おおつちが叩き込まれた。

 大槌の威力が《鎧兎》の体を揺らし、その動きを中断させたものの、風の魔術は今まで通りに肌に触れた瞬間に霧散し、大槌の威力を大幅に削っていた。


 開いた口元から苛立ちの咆哮を放ち、自身に攻撃をしてきた相手にブレードを振るが、大槌の主は空中でまるで壁を蹴るかのような回避行動を起こし、軽業師のように宙を回転しながらテレスティアのすぐ目の前まで後退してきた。


「まったァ、どえらいのに好かれてんな、嬢ちゃん。ダンスでも踊ってやったらどうだ」


 大槌で《鎧兎》の出鼻を挫いたのは、レイネスと共に部下を引き連れてこちらへやって来たシュルトだった。

 その三白眼で大槌を受けてもまるで無傷な《鎧兎》を睥睨しながらも、テレスティアに対して軽口を投げかける。


「逢引きの相手は一人と決めていますので、あのような化け物は遠慮被ります」

「ヒュウー。まァ、その一人の話はまた後で聞くとして、今はあの兎野郎をどう仕留めるかの相談だ。体に触れた瞬間に纏っている魔力が完全に消えやがる」


 《鎧兎》は数百年前からその存在が確認されている。

 今まで討伐されて来なかったのは、出没が唐突であること、恐ろしいまでの戦闘力を持っていること、そして何より魔術を消滅させる鎧が原因だ。

 《鎧兎》は自身の肌に『魔術を打ち消す魔術』を纏っており、生半可な魔術は完全に消滅してしまう。

 《鎧兎》と呼ばれる理由はそこにあった。


「それがなくったって、あの兎は鎧並みに堅ェ。あれを仕留めるにゃァ、魔力を殆ど使わねえ理真流の剣技か、超級クラスの魔術をぶつけるしかねェが……残念ながらこの場にはアレを殺せそうな剣士はいねェ。となると、超級魔術をぶっ放す必要がある訳だが――」


 超級の魔術を単独で使用できる魔術師は世界に数える程しかいない。複数の魔術師が集まれば使用出来るだろうが、それには相当な時間が必要になる。

 今、行動可能な魔術師をかき集めれば、十分掛からずに魔術の行使が可能になるだろう。だが、それまで時間を稼がなければならない。


「奴は私を狙っています。詠唱が終了するまで、私が囮になるのはどうでしょう」

「嬢ちゃんを囮にするって手も考えたが、それは流石に不味ィだろうからやめだ。その代わり、嬢ちゃんには例の奥義とやらを使って貰いたい。話じゃあ《喰蛇》にも有効だったみたいだし、あの兎にも届くだろう」

「超級魔術では倒し切れないと?」


 《鎧兎》は既に動き始めていた。悠長に作戦会議をしている時間はなく、シュルトの話を聞いていたレイネスは既に後方の魔術師達に超級魔術の詠唱を開始させていた。


「あァ。寄せ集めの魔術師じゃ、本来の超級魔術の威力は出せねェ。そこで嬢ちゃんの奥義であの兎にダメージを与え、そこを後ろの奴らが仕留める。それまでは俺達が時間を稼いどくからよ――ッ!」

「承知しました。ご武運を!」


 会話に割りこむように、《鎧兎》がテレスティアへ全力疾走してくる。

 レイネスが魔術で泥沼を作って《鎧兎》の足を一瞬だけ止め、シュルトが風の魔術で自身の体を加速させ、大槌をその顔へ再度叩きこむ。


「おォっとォ!」


 それを気にもせず、《鎧兎》がブレードを振るった。シュルトが空中で方向転換してそれを回避、《鎧兎》がそこへ追撃しようとした所へ、背後からロイスが斬り掛かった。


「シッ――!」


 黄金に輝く剣閃が、凹凸のある白い背中に薄く傷を付ける。魔術が消滅させられたとしても、そこに至るまでの剣の加速は無かったことにはならないのだ。


 ロイスが《輝聖剣》と呼ばれる所以は、魔術を込めると黄金に輝く片手剣にある。彼の圧倒的な剣技と、剣速と威力を一瞬で最高にまで高める黄金の魔剣の力により、ロイスの剣は龍種ですら両断する威力を誇る。


 ロイスの攻撃に畳み掛けるようにして、超級魔術の詠唱に加わらなかった魔術師が後方から援護射撃を行った。

 狙うのは赤い双眸、使うのは相手の眼をくらます雷の魔術だ。


「オオォ――――」


 視界を塞がれ咆哮する《鎧兎》へ、近接戦闘に長けた者達が一斉に攻撃を仕掛けた。属性魔術や《魔力付与エンチャント》は使わず、《魔力武装アーマメント》など自身の攻撃力を高める魔術を使用して攻める。

 

 決定打にはならないものの、無数の攻撃は《鎧兎》の体にかすり傷を作っていく。苛立つように《鎧兎》が身を震わせれば、今度はレイネスを筆頭にした土属性魔術師が巨大な岩を作り出し、《鎧兎》の頭上へ叩き落とした。

 魔術は効力を失うが、土や岩としての実体を持つ土属性魔術はほんの一瞬だけ、《鎧兎》へ干渉する事が出来る。

 岩は《鎧兎》に触れた次の瞬間には砕け散ったが、それでも兎を地面に押し潰すだけの効果は合った。


 魔術の詠唱を行う三十以上の魔術師達は、その光景から遠目から見ながら、内心でいけるのではないかという希望を抱き始めた。

 前線で戦う者達も、《鎧兎》への時間稼ぎが出来ている事に自信を持ち、次の攻撃を移行しようと陣形を整えていた。

 

 《鎧兎》が起き上がり、岩の衝撃を振り払うかのように頭をブンブンと振る。

 ギョロギョロと赤い目を動かし、目眩ましの魔術が飛んで来ることを確認すると、羽虫を撃ち落とすかのように腕を振るった。

 

「――退け、馬鹿がッ」


 魔術と同時に動き始めていた騎士達へ、シュルトが叫ぶ。

 雷の魔術は目眩ましとして機能する前に消滅させられ、《鎧兎》は接近してくる騎士達の動きを完全に捉えていた。


 皆が抱き始めた希望を打ち砕くかのように、《鎧兎》の一振りは強靭な騎士達を一撃で肉塊に変えて行く。

 シュルトの叫びに攻撃を中断した者はその光景に身を凍らせ、


「ひ――」


 直後、接近してきた《鎧兎》の一撃によって彼らの後を追うように自身も肉塊へと変わった。

 更に暴れようとする《鎧兎》に、ロイス率いるAランク冒険者五名が、後方から再び奇襲を掛ける。


「このッ――」


 洗練された五つの剣技が《鎧兎》を捉え、五つの切り傷が白い肌に刻まれる。

 苛立ちのままにブレードを振る《鎧兎》だが、彼らは軽く躱していく。


「目を狙うぞ!」


 ロイスの一言で、五人が連携を取り始める。

 《鎧兎》を撹乱するように、二人が前へ飛び出した。高速で動く二人に《鎧兎》の視線が定まらない。

 そこへ、背後へ回った二人が背中から斬り付ける。《鎧兎》が二人の方を向こうと首を動かした瞬間、死角から現れたロイスの刃が《鎧兎》の眼球に突き出された。


「――――」


 すんでのところで、《鎧兎》のブレードが攻撃をガードする。

 失敗を悟った瞬間に、ロイスは即座に後方へ飛び退く。仲間がロイスへの追撃を防ぐため、あらゆる方向から牽制する。

 

 防いだということは、やはり眼球に攻撃が通る。

 そう確信し、ロイスが次の手に出ようとした時だ。 

 《鎧兎》がブレードを地面に突き刺し、そして掬いあげた。

 抉られた大地が、弾丸の雨となってロイス達に振りかかる。


「防御!」


 彼らは動じず、ロイスの号令に合わせてパーティの魔術師が防御した。

 《鎧兎》は魔術を無効化する。だから弾丸を防御した直後に、次の攻撃に備えなければならない。

 ロイス達はそれを正確に理解し、実行しようとしていた。


「がっ」


 次の瞬間、白い刃が魔術師の胸を貫いていた。

 防壁が消失し、土や岩が突っ込んできた。

 不足の事態に焦りながらも、彼らはそれを回避し、何が起きたのかを冷静に判断しようとする。


「な――」


 直後、土に混じって白い刃が飛んできている事に気付く。咄嗟に剣で弾いた者は助かったが、癖で魔術を使ってしまった二名は串刺しにされる。

 心を痛めながらも、ロイス達は生き残る為に次の行動に移っていた。

 

 背後に回っていた二人が、今まで付けた傷を狙って刃を突き立てる。一撃で倒せないなら、同じ部位を何度も攻撃すればいい。

 刃が突き刺さった瞬間、


「が――」


 《鎧兎》の背中から、無数の刃が突き出した。

 二人はそれに体を斬り裂かれ、苦悶の表情を浮かべながら回避しようとして、突き出した刃が弾丸のように発射された事で、全身を貫かれた。


「化け物め……ッ!」


 思わず悪態をついたロイスへ、《鎧兎》が二本のブレードを同時に使って斬り掛かってくる。


 一撃一撃が地を割り、体の至る所から刃を放出する。それだけなら、ロイス達は《鎧兎》にここまで遅れを取ったりしなかっただろう。ここにいるメンバーの殆どは魔術を使え、不測の事態にも対応できる。

 だが、『魔術を無効にする』という能力が、全てを狂わせていた。


「シッ――!!」


 剣の効果によって初動の速度を極限にまで高めたロイスがは、二つの攻撃を回避すると同時に宙へ舞い、鎧の存在しない眼球目掛けて突きを繰り出した。


「な――」


 甲高い金属音を響かせ、ロイスの剣が《鎧兎》に防がれていた。

 ロイスの剣は常に最高速度にある。それを防がれたということは、つまり《鎧兎》は彼の攻撃を完全に見切っているという事だ。

 先ほどまで、《鎧兎》はロイスの動きに付いてこれていなかった。つまりそれは、この戦いの中で《鎧兎》はこちらの動きに慣れたという事を意味している。


 この時点でロイス達は攻撃の失敗を悟り回避しようとするが、《鎧兎》の一撃は完全に彼を捉えており、ロイスは地面へ叩き付けられた。

 意識を刈り取られたロイスに《鎧兎》がブレードを振り下ろそうとして、

 

「――砕けた地、無数の礫のなりて、我が敵を飲み込み給え――«礫の雨アースレイン»」


 レイネスが唱えていた上級魔術の詠唱が終わり、《鎧兎》の上空から大量の石が雨のように降り注いだ。

 上を見上げた《鎧兎》がブレードを一閃、放たれた斬撃が礫の雨に到達し、一瞬で上級魔術が消滅する。


「上級魔術が……ッ!」


 かなりの量の魔力を込めた上級魔術が、一撃で消滅させられた事に顔を顰めるレイネスだが、魔術によって《鎧兎》の気が逸れた一瞬、シュルトが意識を失ったロイス達を回収していた。

 足元からロイス達が消えていることに気付いた《鎧兎》がシュルトへ視線を向ける。


「舐めんじゃねェぞ、クソ――」


 直後、フェルトの目の前に《鎧兎》の姿があった。

 両腕のブレードを持ち上げ、二つの方向からシュルトを狙う。

 

「――ッ」


 即座に風魔法で上空に飛び上がってそれを回避するが、《鎧兎》はシュルトを逃さない。

 シュルトを越える高度にまで飛び上がり、シュルトの上からブレードを振り下ろした。


「クッソがァ!」


 上へ大槌を振るも、ブレードの威力には遠く届かず、シュルトは下へ叩き落とされる。

 

「隊長!」

「問題ねェ!」


 叫ぶレイネスにそう返し、シュルトは地面に叩き付けられる瞬間に風の魔術でクッションを作り出してその衝撃を無くして地面に着地した。

 次いで《鎧兎》は悠々と地面へ着地し、地面が陥没して土煙が舞う。


 荒い息を吐くシュルトを見下ろす《鎧兎》の口元が三日月形に歪み、その赤い瞳に嘲りの色を滲ませる。


「ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッ」


 歯茎まで見せながら、《鎧兎》は喉を鳴らしながら歪な笑い声を響かせる。

 フェルトの戦いを見守っていた冒険者や兵達が、《鎧兎》の嘲笑に全身を粟立たせ、恐怖に身を竦ませる。


「テメェら、ビビってんじゃねえ! こいつを倒しゃァ、一生周りの奴に自慢出来るだけの功績と名誉を手に出来る! それに念の為に呼んでおいた《剣聖》がもうじき到着する! アルデバランの野郎に手柄を全部持ってかれて良いって野郎は、引っ込んでやがれ! そうじゃねェ野郎は気合見せろ!」


 臆病風に吹かれる仲間をシュルトが大声で鼓舞、彼の部下である騎士達はいち早く硬直から抜け出し、戦線に復帰する。

 その様子に《鎧兎》は笑みを引っ込め、赤い目でシュルトを睥睨した。


「舐めんじゃねえぞ、クソ兎が」


 先ほどと同じ台詞を吐き、大槌を構えた。



「準備が整いました」


 《鎧兎》との戦闘が開始してから五分が経過した。

 ヒットアンドアウェイの戦法で時間稼ぎしていたシュルト達の前へ、金髪を靡かせた凛とした面持ちの少女が姿を表わす。


「それか、噂の«無手»ってのは」


 堂々と《鎧兎》の前に降り立ったテレスティアの手には何も握られていない。否、魔力感知を行えば彼女の手の中に膨大な魔力が剣の形に凝縮されているのが分かるだろう。

 

「――――!!」


 テレスティアの登場に、《鎧兎》が沸き立ち自身に群がる騎士達を蹴散らしてテレスティアへ走り出す。

 遠方から魔術師達が雷魔術と土魔術で足止めを行うが、その気になった《鎧兎》にはもはや何の意味もなさない。


「ハッ、ギリギリだったな。後ろの連中も準備が整ったようだぜ」


 《鎧兎》からの攻撃を避けるため、後方で詠唱を行っていた魔術師達の上空に、テレスの«無手»と比肩しうるレベルの魔力が集中している。

 «無手»もその魔術も、本来の超級魔術には若干劣るものの、その威力は絶大だ。

 これだけの魔術を単独で発動できるテレスティアの異常性にレイネスは畏怖の念を感じながらも、迅速な指示を送る。


「総員、退避――!!」


 地を抉り、《鎧兎》が跳躍した。

 上級魔術すら容易く斬り裂くブレードを大きく持ち上げ、上からテレスティへ振り下ろそうとする。


「ハァ――――ッ!」


 それを迎え撃つようにして、テレスティアが«無手»の魔力を開放した。

 膨大な魔力が全てを斬り裂く風の刃となり、上から落ちてくる《鎧兎》を捉える。二本のブレードが«無手»に接触するが、その膨大な魔力は鎧に触れても消滅する事はない。


 跳躍した事が仇となり、《鎧兎》は地に足をつけて踏ん張る事が出来ない。下から襲い来る魔力の奔流に耐え切れず、白い巨躯が上空へと吹き飛ばされていく。

 «無手»に触れているブレードが大きく損壊して砕け散り、風の刃が頑強だった表皮を斬り裂いてそのまま《鎧兎》の左肩を吹き飛ばす。


 吹き荒れる魔力がアルナード領を駆け抜けていく。

 それまでとは違う、自分の体を大きく損壊させたダメージに空に舞う《鎧兎》が苦痛の雄叫びを上げる。

 砕けた腕の破片と血液が地面にぶち撒けられ、大地を赤く染めていく。


 だが、それでもまだ《鎧兎》は健在だ。その強靭な生命力は肩を吹き飛ばされた程度では揺るがず、未だ活動を可能にする。

 «無手»を耐え切った事に戦慄するテレスティアだが、彼女はこれで終わりではないという事を知っている。


「ぶち込め――ッ!!」


 全ての者が安全圏にまで退避した事を確認したシュルトが、《鎧兎》が地面に落ちてくるその前に、後方の魔術師達へ指示を飛ばす。

 待ってましたと言わんばかりの雄叫びが上がり、膨大な魔力が定められた形へと姿を変えていき、やがて太陽のような輝きを持つ一つの球体が出来上がる。


「――――!!」


 宙に浮いた状況では、魔術を回避することは出来ない。それを悟ったのか、落下していた《鎧兎》が大地を震わす咆哮を放つ。

 背筋を冷たくする程の気迫だが、今ではただ焦っているようにしか見えない。


 放たれた魔術«滅亡恒星エクステンションノヴァ»が《鎧兎》の目の前に到達し、その直後目を焼く程の光を放ちながら爆裂した。

 爆風が吹き荒れ、レイネスが創りだした岩の壁がテレスティア達を守る。地が揺れ、圧倒的な熱量は壁に守られていても感じられた。

 «無手»の一極集中した刃とは違う、膨大な魔力によって纏めて消し飛ばす新星爆発。


 爆発が止むと同時に、地面へ《鎧兎》が落下してくる。

 体から黒煙を出している《鎧兎》の巨躯は、ぴくりとも動かなかった。


「やった……!」

「倒した――!!」

 

 その《鎧兎》の残骸を確認し、騎士や兵達が歓声を上げていく。

 既に襲撃してきた魔物は全て掃討されており、最後に襲ってきた《鎧兎》も沈んだ。

 勝利の雄叫びを上げる仲間に、テレスティアも肩の力を抜こうとして、


「――――」


 飛来した白い刃が歓声をあげていた者達を串刺しにする光景を見て息を飲んだ。


「ご、ぱ」


 刃に貫かれたものは吐血し、白目を向いて絶命する。

 その刃が飛来した方向に合ったのは、焼きただれた体で立ち上がった《鎧兎》の姿だった。


「馬鹿な」

 

 バキバキと音を立て、欠損していた腕やブレードが元の形へ戻り、焼きただれた皮膚を白い鎧が覆い隠していく。

 やがて«無手»と«滅亡恒星»で負わせた傷が殆ど見せなくなる。

 動きは精彩を欠いており、ダメージがないという訳ではない。

 

 しかし、《鎧兎》が立ち上がったという現実に、絶望的な空気が急速に広がり始めていた。



「退避しろ――ッ!」


 怒りに目を見開いた《鎧兎》の一太刀が、大地を大きく抉る。地割れが発生し、逃げ遅れた者が何人も地の底へ飲み込まれていく。

 力任せに再生した両腕のブレードを振るたびに、アルナード領の地形が変わるほどに大地が割れ、その衝撃に飲み込まれて多くの者が命を落としていった。

 

 未だ猛威を振るう《鎧兎》に、多くの者が戦意を喪失して逃走を開始し、前線は恐慌状態に陥った。

 訓練を受けた歴戦の騎士と冒険者は我を保ったが、日が浅い者や経験の少ない者は完全に冷静さを失い、我先にと走り回る。


「馬鹿どもが!」


 逃げ惑う者は《鎧兎》にとっては格好の獲物だ。ブレードを振って斬撃を飛ばし、その体を背中から斬り裂いていく。

 破れかぶれに突撃した者は、一切の傷を負わせることが出来ないままに肉塊へと変わった。


 最悪の状況に陥り、一方的に虐殺されていく仲間を助けようとシュルトが前へ飛び出した。

 レイネスやテレスティアも大声を張り上げて指示を出すが、大した効果が上がらない。

 

 このままでは全滅もあり得ると、撤退の指示を出すためにシュルトの方を向いたテレスティアは、《鎧兎》の放った斬撃が彼に飛来しているのを見てしまった。


「シュル――」


 即座に魔術を放ち、大声で彼の名を呼ぶテレスティアだが、既に斬撃は間に合わない所まで来ていた。

 シュルトが斬撃に気付いた直後、その体が斬撃に飲み込まれ、仲間を巻き込みながら後方へ吹き飛んでいく。


「そん、な」


 隊長がやられたという事実に、懸命に戦っていた騎士達に動揺が走った。

 そして、彼らは悟る。

 今まで時間稼ぎを出来ていたのは、《鎧兎》が遊んでいたからだという事に。


「あ、ぁ――」


 取り返しが付かない程に、絶望が蔓延していく。

 耐え切れずに心が折れた者の手から武器が滑り落ち、乾いた音を立てた。

 膝から崩れ落ち、震えながら嗚咽を漏らすものもいた。

 狂ったように引きつった笑みを浮かべる者もいた。


 騎士達の心が折れ始めたのを理解しているのか、《鎧兎》が嘲笑する。

 歯をむき出しにした醜悪な笑みを見せ付けられ、テレスティアも体から力が抜けていく。

 レイネスが大声で指示を出しているのが、酷く遠く感じられた。


 地を鳴らしながら、悠々と《鎧兎》が近づいて来る。

 テレスティアを逃がそうと兵達が立ち塞がるが、《鎧兎》の前では時間稼ぎにもならなかった。

 戦場は大きな混乱に陥っており、騎士や冒険者にはテレスティアを気にかける余裕がなかった。

 テレスティアが兵士達に逃げるように指示を出している間に、その巨体がテレスティアの前に到達した。


 よく見れば鎧には所々ヒビが入っており、先ほどの攻撃で相当のダメージを与えられていたことが分かる。

 しかし、これ以上《鎧兎》に有効なダメージを与えられるとは思えなかった。

 後方の魔術師の殆どはあの超級魔術で魔力を使い果たしている。テレスティア自身も、«無手»の使用により魔力の残力は雀の涙程だ。


「だが、それでも……!」


 こんな所で諦める訳にはいかない。

 あの《鎧兎》は今、自分を狙っている。他の者が逃げる時間くらいは稼ぎたい。援軍として《剣聖》もこちらへ向かってきている筈だ。


 何より、ウルグを残して死ぬことはだけは嫌だった。

 今の彼はレックスの喪失により、精神状態が不安定だ。ここで自分が死ぬような事があれば、今度こそ彼は立ち直れなくなるだろう。


「それに、まだあいつとしたい事は沢山あるッ!」


 だから、こんな所で諦める訳にはいかないのだ。

 間合いに入ってきた《鎧兎》の顔を狙って、風の斬撃を放つ。羽虫を払うような仕草で打ち消されるが、テレスティアから意識が逸れた一瞬を狙い、巨体の横へ回りこむ。

 

 地を踏みしめ、持てる力を一点に集中した突きを放った。魔力を無効化する鎧によって威力は激減するが、それでもテレスティアの渾身の一撃は《鎧兎》の体へ僅かに突き刺さる。


 が、気にした様子もなく、《鎧兎》が振り向きざまにブレードを振り下ろした。テレスティアは即座に風で身体能力を上昇させ、再び横へ回り込んだ。

 そしてもう一度突きを打ち込もうとして、


「な――」


 直後、体の感覚が消える。

 しばらくして自分が宙を舞っているという事に気付き、まもなく地面に叩き付けられた。

 口から血を零し、痛みに悶える。


「耳、かぁ……!」


 テレスティアを吹き飛ばしたのは、《鎧兎》の頭部から生えている刃のように尖った二本の耳だった。

 伸びた耳がテレスティアの死角から振り下ろされ、防御が間に合わなかった自分は吹っ飛んだ。


「テレスティア――!」


 意識を取り戻したのか、遠くでタイレスが自分の名を叫んでいるのが聞こえる。こちらへ走り出そうとして、周囲の兵達に静止されていた。

 残った魔力で«治癒ヒール»を使うが、痛みは引かず起き上がることすら出来ない。


「ゲッ、ゲッ」


 テレスティアを援護するため魔術が飛来するが、《鎧兎》は意に介さない。一足でテレスティアの目の前にまで跳躍、目を細めて喉を鳴らし、ブレードを持ち上げる。

 

「こんな、所でッ」


 手足に力を込めるが、骨が折れているのか力が入らなかった。

 もう騎士達の援護も間に合わない。

 テレスティアは自身の死を悟った。


 最後に脳裏に浮かぶのは、やはりウルグの姿だった。

 今にも泣きそうな表情をしながら、自分を殺して剣を振る少年。

 オトラ村にいた時から、彼は偏執的なまでに強さを求め、自分を蔑ろにしていた。


 テレスティアは、ウルグに幸せになって欲しい。

 必死に戦う彼が、報われて欲しいと心から願っている。

 だからこそ、自分を大切にして欲しかった。


 迷宮で、ウルグの頬を叩いてしまったのはその想いから来ていた。

 断じてウルグの独断で自分が危険に晒されたからなのではなく、自分を蔑ろにする彼の姿が悲しかったからだ。

 

 自分が死んだら、ウルグはどうなるだろう。

 ヤシロがうまくやってくれるだろうか。


 《鎧兎》のブレードが振り下ろされる。

 タイレス達の叫び声が、遠くに聞こえる。

 

「ウルグッ!」


 目を瞑り、テレスティアは最後に彼の名を叫んだ。

 


「――ああ・・



 その叫びに、返答があった。

 直後、《鎧兎》のブレードが地面を抉り、爆発したかのように大地が弾ける。しかし、大地と同じ末路をたどる筈だったテレスティアの意識が途絶える事はなかった。


 体がふわりと持ち上げられる感覚に、テレスティアは目を開く。視界に映ったのは、自身が最後まで想っていた黒髪の少年の姿だった。


「――もう、大丈夫だ」


 その黒い瞳には、もう迷いは無かった。

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