第七話 『災厄の襲来』
王都から東の方向へ進んだ場所にアルナード領はある。
アルナード領は山に囲まれた資源が豊富な土地にあり、ウルキアス大陸の中でも特に栄えた領地の一つだ。
アルナード領はは英雄メヴィウスの子孫、現在はタイレス・メヴィウス・アルナードによって統治されている。
場所の関係か、アルナード領はしばしば魔物によって襲撃される事がある。
その為、アルナード領には屈強な兵士や、歴戦の冒険者などが多く集まっており、複数の龍種に襲撃にあったとしても撃退が可能だ。
万が一の場合には王都へ迅速に連絡が行き、三番騎士隊がすぐに駆け付ける手はずになっている。
城壁に守られた王都程ではないが、このアルナード領も安全な場所だ。
――そのアルナード領が、激しい戦場となっていた。
溢れかえるような魔物が群れをなして領地を襲撃していた。
ランクはAからDまで確認されており、その数は百を超える。
群れの後方には龍種も確認されている。
予兆は無かった。
突如として、どこからか現れた魔物達がアルナード領へ進撃を開始したのだ。
――これが始まりとなり、アルナード領だけではなく、大陸中を震撼させる大きな出来事が幕を開ける。
領主であるタイレスはすぐさま領民を避難させ、所有している兵士と領に滞在していた冒険者の指揮をとって魔物を迎え撃った。
尋常ではない魔物の数に襲撃が開始してからすぐに王都へ遣いを出し、三番騎士隊の派遣を要請し、同時に娘であるテレスティアへも領地への襲撃を報せた。
テレスティアと騎士隊はアルナード領へ到着次第、魔物の殲滅に加わった。
魔物には《六腕岩猿》、《翼竜》、《岩石龍》、《爆裂鬼》を初めとした、単体でもかなりの脅威となり化け物が揃っていた。
襲撃当初は防戦が続いていたが、騎士隊が加勢してからは一気に流れが変わった。
三番騎士隊隊長《風絶縋》シュルト・メイヒス。
三番隊副隊長《操土》レイネス・フレイムル。
彼らにによって戦況は徐々に安定し、溢れかえっていた魔物は順調に数を減らしていった。
龍種には多くの負傷者を出したが、それでも兵と騎士達の連携によって追い詰め、全ての討伐に成功する。
アルナード公爵家当主のタイレスは自ら前線に立って娘と共に戦闘に参加し、兵たちの指揮を高めていた。
脅威となりうる殆どの魔物を狩り尽くし、この異常な事態は集結を迎えた。
皆がそう思っていた時だった。
――災害が現れた。
―
アルナード領へ来たテレスティアは、父タイレスが指揮していた戦場へと参戦し、獅子奮迅の働きを見せていた。
その胸中には、ここにはいないある少年の事が燻っていたものの、戦闘に入れば嫌でも意識を切り替えざるを得なかった。
領地の中で猛威を振るう魔物の力は強大で、他所事を考えている余裕は皆無だったからだ。
公爵家の令嬢という事で、冒険者や騎士達はテレスティアを心配しているようだったが、それも戦いが始まればすぐに無くなった。
握った剣から放たれる風の斬撃や遠方からの援護射撃など、全ての距離をカバーするテレスティアの戦いぶりはこの戦場の中でも群を抜いていた。
「脅威となる魔物は、殆ど片付けたか」
«炎石»と呼ばれる魔石を使用した外灯が照らすアルナード領の中、大方の役目を終えたテレスティアが荒い息を整えながら、残った低ランクの魔物を掃討している冒険者や騎士を見てそう呟いた。
負傷者の救護は迅速に行われており、負傷者は魔術師達によって治療されている。後は完全に魔物がいなくなったのを確認し、後処理をするだけだ。
「あぁ。一段落って所だァな」
その時、くすんだ短い青髪をオールバックにした三白眼の男が、ヌッとテレスティアの横へ姿を現した。
「シュルト殿」
その男が身に付けているのは三番騎士隊の隊長を示す紋章が刻まれた鎧だった。
この男こそ、三番騎士隊を束ねる隊長、シュルト・メイヒスだ。
右肩には相当な重さがあるであろう蒼銀の大槌を乗せているが、その身のこなしからはまるで重さというものを感じさせない。
「嬢ちゃんも当主サマも、怪我が無さそうでなによりだ。まぁ、どっちもこんな所でやられるたまじゃねぇとは思ってたけどな」
「隊長、その呼び方は失礼ですし馴れ馴れしくて気持ち悪いのでおやめください」
シュルトがテレスティアにフランクな口調で話し掛けているのを見咎め、見るものに知的な印象を覚えさせる銀髪の女性が走ってやって来た。
「お前、俺に対してちょっと口が悪すぎるんだよなァ……」
丁寧な口調でありながらも辛辣な事を言うのは、シュルトのサポートを行う副隊長、レイネス・フレイムルだ。
その毒舌にシュルトが顔を顰めて、レイネスが「事実を述べたまでです」と素っ気なく返す。
微笑ましい二人の光景に口元を緩めながらも、テレスティアは領地の現状を見てすぐに意識を引き締めた。
死亡者は二十一名、負傷者は四十六人。
あの魔物の大群と戦って、この程度の被害で済んだのは僥倖と言える。指揮を取ったタイレスやシュルト、それに懸命に戦った兵や騎士達が優秀だったからだろう。
しかしそれでも犠牲は犠牲だ。最小限であろうとも、軽く受け止める事は許されない。
貴族として、公爵家に名を連ねる人間としての責任感がテレスティアの中にはあった。
「この度は、」
「あァ、言わなくていい」
迅速に駆け付け、アルナード領へ助勢してくれた事に礼を言おうとして、シュルトはそれを途中で遮った。
「俺達はこういう時の為にいる。礼を言うんだったら、兵士や冒険者達に言ってやってくれ。まぁ……死んだ連中には一言なにか言ってくれるとありがたい。嬢ちゃんみたいな美人なら、あいつらも感激するだろうからよ」
「……分かりました」
シュルトという男は口調や態度こそ乱雑だが、その実騎士としての誇りや使命感はしっかりと胸に抱いている。
その事に好感を覚えながら、テレスティアは頷いた。
「それでは……失礼します」
テレスティアも指示を出す側の人間であり、一箇所にとどまり続けている訳にはいかない。
シュルト達に頭を下げ、自身がやるべき事を成しに去っていった。
「最近の貴族の子供ってのは、みんなあァなのかねェ」
「もしそうだったら、ウルキアスの未来は明るいでしょうが、彼女が特別なのでしょうね。そうでなければ神童などとは言われないでしょう」
「違いねェ。あの年齢で無詠唱、詠唱破棄、上級魔術の単独使用が出来て、加えて剣技の腕もずば抜けてる。三段と四段の間くらいの実力はありそうだな。こりゃ、将来が楽しみだ」
「隊長が言うとなんだか気持ち悪いです」
「あァ!?」
漫才のようなやり取りを挟みながら、この二人も自身がなすべき事を迅速にこなしていた。
テキパキと指示を飛ばし、後始末を進めていく。
既に魔物は全滅しており、そこら中に死体が転がっている。
「まァ、何はともあれ、アルデバランの出番がなくて良かったぜ。もうちょいすれば来るだろうが、まァ後始末を押し付けてやろう」
異常事態の為、三番隊が駆け付けたが、不足の事態に備える為、後詰として《剣聖》アルデバラン率いる騎士がこちらに向かってきているのだ。
魔物が片付いた今、彼らの出番は後始末のみになりそうだが。
「にしてもこのアルナード領。少し前にも魔物の襲撃にあってたろ? やっぱ何かあるんじゃねぇかな。英雄の子孫がいる土地だ。封印された魔神様がチクチク嫌がらせしてるとかよォ!」
「いずれ調査の必要がありそうですね。ただちょっと声のボリューム落としてください。兵の人がこっち睨んでますから。少しは空気読んでください」
「あァ!? 俺ほど空気が読める奴はそういねェだろ?!」
「うるさいです耳障りです空気のように透明になってください、どうぞ」
「言い過ぎィ!」
―
テレスティアは騎士や冒険者に労いの言葉を掛けながら、戦場となった場所を回っていた。
タイレスが領民を迅速に避難させた事によって領民からは一切犠牲が出ておらず、また早い段階で魔物を食い止める事が出来た事によって領地にある建築物にはそれ程被害が出ていない。
領地を囲む山の一部から魔物が流れ込んできたが、主な戦場は山の付近だった。魔物が領地を蹂躙するよりも先に陣形を形成出来た為だろう。
父の優秀さを再確認したが、今のテレスティアには複雑な気分だった。
領地にやってきたテレスティアは一番に父へと会いに言ったが、彼はテレスティアにやるべき事を告げた後、最後に学園での行動に付いて口出ししてきたのだ。
それはウルグやヤシロと言った、外聞が悪くなるような生徒と関わるなという事だった。
テレスティアが文句を言う余裕はなく、戦いの処理が終わったら文句を言ってやろうと腹に決めている。
「テレスティア様!」
思い出してむかっ腹を立てていたテレスティアへ、戦闘を終えて休息を取っていた冒険者の一人が声を掛けてきた。
ウェーブの掛かった水色の髪と、女性に見紛うような整った顔を持つ、しなやかな体付きの男性。
今回の戦い以前から何度か顔を合わせた事がある、有名な冒険者だ。
「見事な手腕でした。流石テレスティア殿だ。魔物の大群を蹴散らしていく勇ましいお姿には大変鼓舞されました」
《輝聖剣》の名で知られる、Aランク冒険者、ロイス・ルファールト。
今回の戦いで早期から彼の率いるパーティと共に参戦し、猛威を振るう龍種を仕留めている。
「領を守ろうと力を奮ってくれた兵や、協力してくれた冒険者、駆け付けてくれた騎士達の力合ってのこと。私の力など大した事はありません」
普段とは違った口調に内心で疲れるな、などと思いながら、テレスティアはロイスと何度か言葉を交わして移動する。
彼女が向かう先には、長い金髪を纏めた、四十代前半程の男が険しい表情で兵達と会話している。
背筋が張り詰めた糸のように伸びた姿には威圧感があるが、しかし目は落ち窪んでおり、顔にもくたびれた表情が浮かんでいた。
「父上」
会話が終わるのを見計らい、テレスティアはその男、タイレスへと声を掛けた。
「テレスティアか。上空から現れた魔物を迅速に片付けたようだな。よくやった」
「ありがとうございます。それで……処理が終わりましたら、父上にお話したい事があります」
「あぁ。私からもある。後で部屋に来なさい」
あの一方的な言葉になんて文句を付けようかと、テレスティアが考えた時だった。
背後でズドンと重い物が落下したかのような音が響いた。
「――――」
それは唐突だった。
襲撃に気付けたのは十数名。
反応できたのは僅か数名だった。
どこからか姿を現した巨大な影が、大きな腕を一振りした。
それだけで地が抉られ、周囲にいた者達をその爆風で吹き飛ばしている。
土煙を巻き上げながら迫ってくる余波を、テレスティアとタイレスはその場から跳躍して回避、襲撃者の姿を確認した。
「お前、は――!」
巨大な化け物が立っていた。
黒みを帯びた白い表皮を持つ、龍種と肩を並べられる程の巨体。切れ目のような真っ赤な双眸に、人の頭を丸ごと咥えられそうな妙に歯並びの良い口、樹の枝のように長い四本の指を持ち、手の甲からは人の胴程もあるブレードが突き出している。
Sランク、災害指定された最悪の魔物《鎧兎》。
その外貌は実際の兎からは遠くかけ離れており、唯一兎に似ているといえる部分は頭部から突き出た二本の刃の様な耳だけだ。
その赤い目がテレスティアを捉えた瞬間、兎の足元の地面が大きくひび割れた。
その巨体からは想像も出来ないような速度で跳躍、瞬く間にテレスティアの目の前に移動した《鎧兎》が手の甲から生えたブレードを振り下ろす。
「下がれ!」
タイレスが鋭く叫び、腰に差した剣を抜いた。
タイレスが抜刀と同時に斬撃を放った。
《鎧兎》から間合いを取る、テレスティアの横を抜け、斬撃がその巨体にぶつかる。
だが、タイレスもテレスティアも知っている。
この化け物には、こんな攻撃は無意味だと。
「父様――!」
《鎧兎》に触れた瞬間に斬撃が消失、お返しとばかりに腕のブレードが振るわれ、それがタイレスへと迫った。
防御姿勢を取るが、爆発のような一撃には意味をなさす、タイレスが後方へと吹き飛ばされた。
一連の出来事が起こるまで、僅か数秒。
その間にテレスティアの周りにいた兵や冒険者十数名が斬撃の余波に吹き飛ばされ、更に武に長けたタイレスが一撃で戦闘不能に陥った。
悪夢のような状況だ。
「させん――!」
テレスティアに狙いを向けた《鎧兎》へ、音もなく接近したロイスが黄金に輝く剣で《鎧兎》の背中を斬り付けた。
剣が纏っていた黄金の光が、《鎧兎》に触れた瞬間に消失する。
「この魔物に魔術は効かないッ!」
龍種の鱗をも斬り裂くロイスの攻撃は、《鎧兎》の表皮に薄く傷を付けただけだった。
グルリと振り返り、《鎧兎》がロイスへブレードを振る。それを剣で受け止めようとしたロイスは、テレスティアの叫びに咄嗟に横へ飛び退いた。
空振ったブレードが、大地を大きくめくり返す。
「撃て――ッ!!」
ようやく《鎧兎》の存在を認識した騎士達が、陣形を組んで遠距離から魔術を放った。
炎、水、風、雷、他方から迫る無数の魔術に、《鎧兎》は一切の回避行動を取らなかった。
《鎧兎》へ魔術の雨が降り注ぎ、地面へ落ちた魔術が爆風で土煙を巻き上げ、兎の巨体を覆い隠す。
初級、中級魔術が少なくとも三十発近く撃ち込まれた。討伐こそ出来ていないだろうが、相応のダメージを与えているだろう。
魔術を放った騎士達はそう確信し、次の瞬間には驚愕していた。
「なん……だとッ!?」
土煙が晴れ、《鎧兎》の姿が視認出来るようになる。
巨大な兎は魔術を受ける前と何ら変わらず、全くの無傷の状態で地面に屹立していた。
龍種の強靭な鱗ですら、あれだけの魔術を浴びれば全くの無傷では済まないだろう。
それをこの兎は、大量の魔術を浴びてなお、何の痛痒も示していない。
異様な耐久力に驚愕する騎士達を一瞥した後、《鎧兎》の双眸が隙に乗じて距離を取ったテレスティアを捉えた。
《鎧兎》が踏んでいる地面がひび割れ、その巨体が跳躍しようと身を屈めたタイミングで、地面から突き出た岩の壁がその体を挟み込む。
「この魔物の名は《鎧兎》! 生半可な魔術は通用しない! 負傷者と魔術師はすぐに後方へ退避し、接近戦が可能な者は陣形を組め!」
《鎧兎》の動きを遮ったのは、騎士隊副隊長レイネスだった。土魔術で壁を作ると同時に指示を飛ばし、騎士達の混乱を抑えた。
訓練された騎士達は即座に陣形を立て直し、兵士や冒険者達もそれに追随する。
近接戦闘に長けた者が前へ飛び出し、入れ違いに魔術師達が後方へ下がっていく。
タイレスを含めた負傷者もすぐさま後方へと運ばれていった。父の息があることを確認し、テレスティアはそっと胸を撫で下ろす。
だが、安心している暇は無かった。
殆どの者が先の戦いで消耗しており、万全の状態とは言い切れなかった。
災害指定個体を相手にするには、心もとない所の話ではない。
「また、Sランクか」
剣の柄を強く握り締め、テレスティアが呟く。
自分の母を殺し、兄に大きな怪我を負わせた化け物。
体勢を立て直しながら、テレスティアはふと思い出した。
テレスティアが戦った時の《喰蛇》の首の数は五十も無かった。それは《剣匠》が負わせた傷が癒えていなかったからだ。
《剣匠》や過去の報告例などでは、《喰蛇》の倍以上。
つまり、
――百本の首が確認されている。
《鎧兎》はその百本の時の《喰蛇》と同格の魔物。
「冗談じゃないぞ……!」
――絶望的な状況で、《鎧兎》との戦いが幕を開けた。




