第六話 『誰が貴方を嫌っても』
レグルスとの戦いで消費した魔力を回復するため、数時間の睡眠を取った後、残していくヤシロ達へ遺書を執筆。
魔術服と鳴哭を装備し、出発の準備を終えた。
テレスの死の報せが届いたのは明日の夕方。どのタイミングでテレスがやられたのは分からない。
なればこそ、今日の内にアルナード領へ向かわなければならない。
「…………」
執筆した遺書を机の見やすい所へ置いておく。
《鎧兎》が現れるような危険な場所に、ヤシロを連れて行く訳にはいかない。メイやキョウ、エステラもそうだ。
だから俺は一人でテレスを助けに行く。
日は沈み、空は夜の闇に覆われていた。月は雲によって覆い隠され、外は暗い。
アルナード領の場所は以前テレスに聞いていたし、以前購入した大陸の地図を確認して王都からの行き方も頭に入れた。
アルナード領を正規の道で行こうと思えばそれなりの時間が掛かるが、«魔力武装»した俺が最短距離を走っていけば、数時間の内に到着する事が出来る筈だ。
テレスを殺したという《鎧兎》の知識は頭の中にある。俺ならば、奴にダメージを与えられるだろう。
なるほど、確かに《鎧兎》を相手にするならば、俺が最適なのかもしれない。
出発の準備を終え、俺は領寮の外に出る。
重い体を叱咤し、暗い夜道を歩いて学園の出口を目指す。
いつテレスの身に危険が及ぶか分からない。
急がなければ。
死への恐怖はある。だがもう迷いはない。
俺の命なんかでテレスを助けられるのなら、そんなに良い事はない。お釣りが来るぐらいだ。
だから、これで良いんだ。
そう自分に言い聞かせ、学園の出口のすぐ近くに来た時だった。
「こんな遅くに、どこへ行くつもりですか」
闇夜に溶けこむようにして、深紫の髪を持つ少女が出口の手前で待っていた。
ヤシロは魔術服を身に纏い、獲物の短刀を装備した姿で俺に立ち塞がる。
「……ちょっと外に散歩に行くんだよ」
「では、私もお伴します」
俺の言い訳にヤシロはサラリと言葉を返してくる。
完全に嘘だと見破られていた。
「テレスさんに……何かあったのですか」
「…………」
あれだけ錯乱して、テレスについて尋ねたのだ。
ヤシロに何かあると思われても仕方がないだろう。
どう切り抜けるか、思考を巡らす。
「別に、テレスに何かあった訳じゃ」
「ウルグ様の顔を見ていれば分かります。ウルグ様が行かなければならない程の事がテレス様に起こるのでしょう? 何故、私に声を掛けてくださらないのですか」
浅はかな言い訳は、静かだが怒りのこもった言葉に容易く切り捨てられた。
以前、迷宮でテレスに張られた時と少し似ている。
以前叩かれた頬へ、無意識に指が伸びていた。
「うまく説明出来ないけど……テレスの身が危ないんだ。だから早く助けに行かないといけない」
「でしたら、私も!」
「危険なんだよ。ヤシロが考えてるよりもずっと! もしかしたらお前が死ぬかもしれない。……だから俺が一人で行くんだ」
「尚更、ウルグ様を一人で行かせる訳にはいきません!!」
ヤシロが見せる、怒りの表情。
それまで彼女が怒りを露わにするときは、大抵が誰かが俺を侮蔑した時だった。
その怒りが今、俺へ向けられていた。
退こうとしないヤシロに、焦燥感が胸を蝕んでいく。
今こうしている間にも、テレスが危険に晒されているかもしれないのだ。
足止めを喰らっている暇なんて無いのに。
だからといって、ヤシロを放置していく訳にはいかない。
何がどうあっても、ヤシロを連れて行くのは論外だからだ。
どうにかして、彼女を言いくるめなくてはならない。
危険なんだ。
もうお前が傷付くのは見たくないんだよ。
頼むから、一人で行かせてくれよ。
「……俺が弱いせいでお前を危険に晒し、レックスが死んだ。だからもう、大切な人が傷付くのは見たくないんだよッ!!」
だから、ヤシロを突き放す。
これから行く先にはSランクの魔物がいるんだ。
そんな所に、お前を連れて行く訳にはいかない。
俺が行けば、それで解決するんだから。
「あれから俺は強くなった。今の俺にはレグルスに勝てる程の力がある! ヤシロよりもずっと強い! お前が付いて来たって邪魔なだけだ! 足手纏なんだよ! 俺が一人で行った方が安全なんだ。……だから、早くそこをどけ」
「……それでも私は、ウルグ様を一人で行かせる訳にはいきません」
僅かな沈黙の後、それでもヤシロは折れなかった。
立ち塞がったまま動かず、その紫紺の眼光でより意思を強固な物にしてしまったのだと悟る。
「なんで……!」
「私がウルグ様と一緒に行きたいからです。行って、貴方と一緒に戦いからです」
ここ数ヶ月、ヤシロを戦わせないようにしてきた。
修行も、討伐も全部だ。
不満は見せても、ヤシロは俺の言葉に従っていた。
それがどうして、今になってッ!!
「お前は、俺の影なんだろ!? 主従関係を結んだんじゃなかったのかよッ! だったら大人しく俺の言う事を聞け! 前に言ってたじゃないか! 俺が選ぶ道なら、お前は付いて来るって! 俺がお前を置いていくって決めたんだぞ!」
主従関係を盾にしたのは、初めてだった。
焦燥感にかられた結果とは言え、立場を利用して命令したという事実に、胸を掻き毟りたくなるような嫌悪感を覚える。
それでも、それがヤシロの為ならば。
だが、ヤシロは首を縦には振らなかった。
「はい、私はウルグ様が望む道ならば、どこまでも付いていきます。ですから……ウルグ様が自ら望まない道を選んだ時に、それを止めるのが私の役目です。そんな辛そうな表情をした貴方を、行かせる訳には行きません」
「っ」
心の内を暴かれた。
死への恐怖を、薄情で、無様で、みっもない感情を見透かされた。
感じたことのない焦燥感に頭が真っ白になる。
取り繕っていた物が剥がれ、思いの丈を叫んだ。
「……もうお前が戦う必要は無いんだよ! 俺が一人で戦う! その為に強くなった! その為に最強を目指した! だからもう、ヤシロは俺の為に戦わなくていいんだよ! テレスは俺が助ける! 俺が死ねばテレスが助かるんだ! それで良いだろうが! 俺みたいな奴が一人死ねば、誰も傷付かなくて済むんだよ! だったら、それでいいだろうがッ!!」
俺の叫びが終わり、校庭を沈黙が包む。
もう、行かせてくれよ。
いいじゃないか。
どうしてどいてくれないんだよ。
「……そうですか」
やがて、ヤシロは噛み締めるようにそう相槌を打った。
紫紺の瞳を閉じて、小さく息を吐く。
「ッ」
ヒュンと音を立てて、ヤシロが何かを投擲してきた。
咄嗟に受け取ると、飛んできたそれは模擬戦用の木刀だった。
ヤシロは服から自分用の小さな木刀を取り出し、それを俺に向けて構える。
そして瞳に業火のような怒気を宿らせて、静かに言ってのけた。
「少し、喧嘩をしましょうか」
―
どうして、分かってくれないんだ。
月のない夜に俺達は、暗闇の中で木刀を手に向かい合っている。
ここで争うことに意味などないと言っても、ヤシロは聞き入れてくれない。
学園から出たければ自分を倒して見せろと気炎を吐いて、鋭い剣気を放っている。
こんな所で立ち止まっている暇は無いのに。
テレスが危ないのに。
どうして分かってくれないんだよ。
「証明します。
今のウルグ様なんかより、私の方がずっと強いんだって」
木刀を構え、ヤシロが宣言する。
背を向けて逃げられるほど、人狼種の身体能力は甘くない。
どうあっても、ここでヤシロを打ち倒していく他に無いらしい。
最後の別れがこんな形になるのは辛い。
だが、テレスを助けるため、ヤシロを危険に晒さない為には仕方がない事なんだ。
だから。
「邪魔をするなら、お前を倒していく」
戦う事を決めて、ヤシロに木刀を向けた。
ここしばらくの間、ヤシロが剣を握っている姿は見ていない。
つまり、今の彼女にはブランクがある事になる。
多少だが弱体化している筈だ。
レグルスに勝てたんだ。
ヤシロに負ける筈は無い。
俺は強くなった。
守るために、強くなったんだ。
ヤシロが動くよりも先に、こちらから攻める。反撃の暇も与えずに打ち倒して気絶させる。
戦法を決め、実行しようと足を動かした時だった。
「!」
フッとヤシロの姿が闇夜に消えた。
僅かに時間を置いて、ヤシロが影を纏ったのだという事を悟る。
そしてその僅かな時間は、ヤシロの接近を許すには十分過ぎた。
剣気を感じた方向に防御態勢を取り、直後そこへ打ち込まれる。
威力はそれ程高くない。
だが、速過ぎる。
「ブランクどころかむしろ、速くなってッ!」
人狼種の身体能力と絶心流の攻め、そして彼女の姿を捉えにくい夜という事が相まって、反撃に転じられない程の攻撃だった。
こんな所で手こずっている暇は無い。
体内の魔力を暴走させ、身体能力を強引に引き上げる。
この状態ならば、ヤシロの攻めでも見切る事が出来る。
攻撃を回避し、加減をした一撃をヤシロの脳天へ振り下ろす。
「ッ」
空振り。
寸前の所でヤシロは自ら後ろに下がり、俺から間合いをとった。
最初の立ち位置に戻り、お互いに向かい合う。
「終わりに、しましょうか。
奥義――«影の太刀»」
初めて見る技だった。
彼女が手にした木刀を影が包み込む。影が大きく伸びて、短い刃を大剣程にまで大きくしてしまう。
そして肌がひりつく程の剣気を伴って、ヤシロが突っ込んできた。
これがヤシロの最大の技。
これを凌げば後は攻撃を叩き込んで終わりだ。
巨大な影の刃を、木刀で受け止める。
想像以上の威力に、体の骨が軋む。だが、今の俺なら受け止められる。
そう思った瞬間、ヤシロが木刀から右手を離している事に気付いた。
「しまっ――」
懐からもう一本の木刀を抜き取り、影を纏わせる。
対応するよりも早く、俺の頭にヤシロの木刀が吸い込まれた。
―
目を開くと、俺を覗き込む紫紺の瞳が目に入った。
その瞳と向い合って数刻の間を置いて、自分の頭がヤシロの膝の上に乗っているという事に気付いた。
それが示す事実は、つまり。
「負けた、のか。俺は……お前に」
強くなった筈だった。
魔力の暴走まで使用して、全力で打倒していくつもりだった。
なのに、負けた。
「ははっ」
どこまで無様なんだ、俺は。
お前よりも強いと息巻いて、全力で戦ったのにあっさりと敗北した。
ヤシロを連れて行く訳には行かないのに。
「テレスさんの身に何が起こるのか、教えて頂けませんか?」
「……アルナード領が魔物に襲撃される。俺が助けに行かないとテレスが死ぬ。だけど俺が助けにいけば、俺が死ぬ。テレスが死ぬのと俺が死ぬのを天秤に掛けたんだよ。俺が死んだ方が、ずっといい」
隠さなければならない事実を、ボロボロと口にしていた。
自分の中で、ウルグという人間に対して、残っていた何かが完全に途切れたのが分かった。
ヤシロの膝から起き上がり、座ったままでヤシロと向き合う。
彼女は無表情で、何を考えているか分からなかった。
「でも……俺なんかが行った所で、テレスは助からないかもな。メイとキョウに負けて、ヤシロにも負けて、負けて負けて負けて負けて、こんな俺みたいなのが行った所で、死体がひとつ増えるだけかもしれない」
もう、乾いた笑いしか出てこない。
だけどそれでも、行かなくてはならないのだ。
「……俺は、弱いな」
「そうですね」
零れた自虐を、ヤシロが肯定する。
それを聞いて俺は、遂にヤシロにも失望された事を悟った。
ヤシロは、ヤシロだけは俺を持ち上げてくれると、身勝手に考えていた。
だけど当然だ。こんな姿を見せれば、誰だって失望する。
「そうだ。俺は弱くて、情けないんだ。だからもう、良いだろ。行かせてくれよ。早く行かないといけないんだよ」
空っぽになってしまった、スカスカの体を持ち上げて、立ち上がる。
ヤシロに背を向けて、校門から出ていこうとした。
「ウルグ様は弱いです」
背中から、ヤシロの言葉が突き刺さる。
「情けなくて、周りが見えてなくて、頑固で、鈍感な人です」
その一言一言に、胸が引き裂かれていくような感覚を覚えた。
だけど全部事実で、本当の事だ。
耳を塞いでも逃げられない、本当の俺だ。
「だけど、とっても強い人です。格好良くて、心配りが出来て、誰かの為に動ける優しい人です」
振り返った先のヤシロの顔は包み込むように優しい表情だった。
俺の目を見据える双眸に偽りはなく、本心からそう思っているという事実を突き付けてくる。
理解出来なかった。
どうしてヤシロがそんな事を言うかが、分からなかった。
「俺は、そんな人間じゃない」
「いいえ。誰が何と言おうと、貴方は強くて、格好良くて、優しい人です」
ヤシロは否定を聞き入れなかった。
自分が口にした言葉を心の底から事実だと確信していた。
そんなものは幻想で、ただの思い込みに過ぎないというのに。
「ちが、う、違う、違うッ! 俺は強くなんて無い! 格好良くなんて無い! 自分の事しか考えられない、独りよがりの糞野郎だ!」
唯一の取り柄が剣だった。
その剣ですら、大切な人を守れずに失って、負けて負けて負けて負けて、何の役にも立たない無用の長物だ。この世界で最強の剣士になるなんて、俺みたいなゴミに出来るわけがなかったんだ。
何も出来ない、何も成せない、誰からも軽蔑されて当然の、誰にも認められない、ただ剣を振り回すだけの嫌われ剣士だ。
「俺は、嫌われ者だ。どこへ行っても、何をしても、沢山の人に嫌われる。当然だよ。俺みたいな奴を好いてくれると思う方がおかしいんだ。成果を上げても認められなかった。何をしても、親は俺を褒めてくれなかった。お前だって、見てきている筈だ。寮で俺がどんな目で見られているかを」
好かれようと思うことすらおこがましい程、俺は最低の人間だったんだ。
何も出来ない癖に、自己主張だけはしっかりして、出しゃばって、嫌われて当然だったんだ。
「剣で最強になれなかったから、努力が足りないから、嫌われてるんだと思っていた。だから最強になれば認めてくれるって、自分でそう思い込んでいた」
剣道で一番になれば、父親からもクラスメイトからも認められると思った。
《剣聖》になれば、誰からも認められる筈だって信じていた。
だけど、そうじゃないんだ。
「分かってた……最初から、全部分かってた! そんなのは、ただの言い訳だって! 自分が何をやっても駄目な、嫌われて当然の奴だって分かっていたから、人よりも少し得意な剣を言い訳に使って、ただ楽な方へ逃げているだけだったんだッ!!」
レグルスに勝った時、その場にいた者は俺を恐れた顔で見ていた。学園最強に勝利したのに、誰も俺を認めてなんかいなかった。
最初から分かってたんだ。
剣で最強になったって、俺が認められる事はないんだって。
「俺は……俺が死ぬ程嫌いだ! 俺ですら……自分ですら嫌いになるくらいに、ウルグって奴は最低で最悪の人間なんだよ! 友達が出来たからって調子に乗って、その挙句に庇われて死なせた! それでいざ自分が仲間を庇って死ぬって時になって、心底ブルって死にたくないなんて思ってるんだからなァ!」
レックスに申し訳なかった。
あいつが俺が、こんな糞な人間だという事を知らなかった。
俺なんか、庇われる価値なんてなかったのに。
「弱くて、情けなくて、言い訳して、すぐ楽な方に逃げて、自分の事しか考えられなくて、皆に嫌われて、自分自身にすら反吐が出る程嫌われて……っ! 俺は最低なんだよ。だから、俺が死んでテレスが助かるなら、それでいいじゃねえか! 誰も傷付けずに、ただの嫌われ者が死ぬだけだ! テレスを助けて死ねるんだったら、こんな奴でも少しはマシに終われるだろ!?」
こんな風に自分を曝け出した事は無かった。
分かっていたからだ。こんな俺を知れば、ヤシロもテレスも離れて行ってしまうって。
だから必死に隠してきた。
それが今、ようやく化けの皮が剥がれた。
ただそれだけだ。
ただ、それだけの話だ。
「――――」
ヤシロはただ沈黙して、俺の叫びを聞いていた。
何を考えているかは分からない。
だけどきっと、その目に映っているのは軽蔑だろう。
もう、行こう。
俺がやるべきことを成しに。
背を向けて、今度こそ歩き出そうとして――。
「貴方は強くて、格好良くて、優しい人です」
ヤシロは始まりと何も変わらない、包み込むような優しい声でそう言った。
「怖い人に絡まれた小さな女の子を庇ってあげられる強い人です。迷宮で魔物に襲われて死にかけている人を、自分の安全も顧みずに助けてあげられる格好良い人です。行き詰まった人や、間違った修業をする人に親身になって一生懸命道を示してあげられる優しい人です」
「それ、は……」
「種族で差別されて、悪い人に利用されていた私を、種族だけで差別するのはおかしいって、そんなの俺が否定してやるって助けてくれた、強くて、格好良くて、優しい人です!!」
今までに、自分がやって来た事を羅列される。
頭が真っ白になる。
言葉が出なかった。
「剣を振っている時のウルグ様は、力強くて格好良くて好きです。でも、剣を握っていない時のウルグ様も、温かくて、優しくて……だから好きです。頑張った時に頭を撫でてくれるウルグ様も、ダジャレを言った時にジト目で見てくるウルグ様も――大好きです」
慈愛に満ちた表情で、ヤシロが言葉を紡ぐ。
好意だった。
盟いを結んでから、今も尚、何も変わらずに俺へ好意を向けていた。
「だから、私はウルグ様に死んで欲しくありません。テレスさんも、ウルグ様を犠牲にして助かりたいとは思わないでしょう」
「なんで……そんな事が分かるんだよ。テレスだって、生きたいに決まってるじゃないかッ」
「そうですね。誰だって、私だって死にたいとは思いません。だけどそれでも、分かるんです。私だけじゃなくて、あの人も貴方が好きだから」
「――――」
ヤシロは頬を染めて、言葉を失った俺へ問を投げかけた。
「ウルグ様は、私の事が好きですか?」
その問への答えはひとつだった。
「好きに、決まってるだろ。笑った顔が可愛くて、いつも心配してくれて、ずっと付き合ってくれて……好きだ」
その答えに、ヤシロは頬を染め、熱の篭った吐息を零す。
それから少し切なそうな表情で、
「テレスさんの事は、好きですか?」
「……好きだ。格好良くて、いろんな事が出来る、凄い奴だ……!」
「レックス君の事は、好きですか?」
「好きだよ……ッ! ちゃんと目標を持って頑張れる凄い奴で、人の為に命を投げ出せる、最高に強い奴だ!」
言い切った俺に、ヤシロが近付いてくる。
ゆっくりと、静かに。
「私達だって、ウルグ様と同じです。私も、テレスさんも、レックス君も、皆貴方の事が大好きです。ウルグ様が私達を大切に思ってくれるのと同じくらいに……貴方の事をとっても大切だって思っています」
だから――。
そう言葉を続けてたヤシロに、俺は抱き締められた。
柔らかいヤシロの体が、その温かさが直に伝わってくる。
「貴方が好きな私達の大好きな――ウルグ様を大切にしてあげてください」
俺なんか、何の価値のない人間だと思った。
死んでも良いんだって、そう思った。
そんな俺を、大切にしても良いのか。
弱い所を沢山見せた。
情けない所を沢山見せた。
それでもヤシロ達は、俺を好きでいてくれるのか。
「俺を、嫌わないでいてくれるのか」
「世界の誰が貴方を嫌っても、私はウルグ様の事を愛しています」
熱い物が、頬を伝う。
言葉に出来ない想いが、胸の中に燻る。
冷えきっていた体が、寒さではない何かに震えていた。
嗚咽する俺の背中を、落ち着くまでヤシロは優しく撫でくれた。
落ち着いた頃に、ヤシロが言った。
「ウルグ様は、何でも自分で背負い込み過ぎなんです。……レックス君を死なせた責任を感じているのは、ウルグ様だけじゃないんですよ」
「え……?」
「私はあの時、食べられた自分を何度も責めました。あそこで私が食べられなかったら、レックス君は死なないで済んだんじゃないかって。全部、私が悪いんだって」
「そんな事は……!」
「私だけじゃありません。テレスさんも、自分の力不足を悔やんでいました。《喰蛇》の動きにもっと対応できていたらって。スイゲツ先生だって、何回もレックス君のお墓に行っているんですよ」
「みんな、が」
「ウルグ様が一人で抱える必要なんて、無いんです。ウルグ様が抱えきれない重荷は私も背負います。それでも駄目なら、テレスさんや、他の人にも支えてもらいましょう」
「――――」
「責任も、後悔も、辛いことも苦しいことも、もう一人で背負わなくて良いんですよ。だってウルグ様は、ひとりじゃないんですから」
鉛のようだった体が軽くなっていく。
絡みついていた嫌な感情が消えていく。
拳を握りしめ、ヤシロに言う。
「俺は……テレスを助けたい」
「はい」
「俺が一人でテレスを助けに行ったら、テレスの代わりに俺が死ぬ」
「はい」
「だから……助けてくれ。弱くて、情けない俺を、助けてくれ」
「――はい!」
二本の足で地を踏みしめ、前を見据える。
もう、恐怖は無かった。
迷いも無かった。
「――やっと話が付きましたか」
後ろから声を掛けて振り返ると、二人の浅葱色の少女が立っていた。
予期せぬ登場に言葉を失う。
「二人とも、どうして……」
「弱っちい先輩を助けるのは有能な後輩の役目ですからね」
俺の呟きに、憎まれ口を叩きながらも、優しい表情でキョウが言う。
「先輩は……本当に苦しかった時に、私を助けてくれた人です。先輩がいてくれたから、今の私があるんですよ。だから今度は、私が先輩を助ける番です」
勝手に自分と重ねて、お節介にキョウへ口出しした事を思い出す。
照れくさそうに頬を染めるキョウの言葉に、涙腺から涙がこぼれ落ちる。
その隣に立つメイが俺の目を覗き込み、
「ヤシロちゃんだけじゃなくて、私やキョウちゃんも、お兄さんの事が好きなんですよ。だからお兄さんが困ってる時には、力になってあげたいんです」
そう言って、ふんわりと微笑んだ。
ヤシロも、テレスも、レックスも、どうして俺なんかと居てくれるのかって思っていた。
どうして俺を信じてくれるのか、分からなかった。
――ともだち、だから……だろ
「レックス……ッ!」
ようやく、分かったよ。
誰からも失望されて当然な人間だと思っていた。
誰からも嫌われて当然な人間だと思い込んでいた。
結局俺は一人なんだって、心のどこかで皆を信じられていなかった。
だけど、もう違う。
俺は弱い。
だけど、支えてくれる人がいる。
俺は俺が嫌いだ。
だけど、俺を好きだと言ってくれる人がいる。
だから行こう。
テレスを助けに。
――ひとりじゃないって、教えてくれた人達と一緒に。




