第五話 『俺が死ねば』
ヤシロの言葉に、脳が付いていかない。
聞こえているのに、脳が理解を拒んでいる。
ズキズキと額が痛みを発している。
「誰が、死んだって?」
「テレスさん……です」
「おい……ヤシロ。詰まらないギャグはやめろよ。洒落にならないから」
「少し前から、アルナード領が魔物の襲撃を受けていたそうです。テレスさんは領に戻り、駆け付けた騎士団や領地に居合わせた冒険者と協力して魔物の撃退に務めたそうですが……。その最中に災害指定個体《鎧兎》に襲われて……っ!」
そこまで言って、ヤシロの紫紺の瞳から透明な雫が溢れる。今にも倒れてしまいそうな程に、彼女の体は震えていた。
洒落や冗談でヤシロにこんな演技が出来るとは到底思えなかった。
なんだよ、これ。
これは、現実か?
現実と想像の境界が曖昧になり、自分が今しっかりと立っているかどうかすら分からなくなる。足が地面を踏んでいる感触がない。俺は息をしているのだろうか。俺は今、どこにいる?
テレスが死んだ?
どうして。それは今、ヤシロが説明したじゃないか。《鎧兎》に殺されたのだと。なんでだ。なんで殺されたんだ。どうしてだ。おかしい。おかしいこんなのおかしいじゃないか。普通じゃない。在り得ない。現実の出来事じゃない。嘘だ。本当で合って良い訳が無い。じゃあなんでヤシロは泣いてるんだ。嘘なのにどうして。嘘じゃないから? 本当だから?
「あぁ」
テレスが死んだから?
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
気付けば叫んでいた。
立っていられなくなって、地面に倒れこんで慟哭する。
瞳から際限なく涙が溢れ、泣きじゃくる子供のように感情を制御出来なかった。
やがて声が出なくなり、体の力が抜けて、俺の意識は途切れた。
―
テレスの死について、断片的に話を聞いた。
アルナード領に魔物の大群が押し寄せ、テレスはそれによって領地に帰った。
外へ派遣される三番騎士隊が駆け付け、魔物を粗方片付けた段階になって、災害指定個体《鎧兎》の襲撃を受け、テレスティアは死亡。
テレスの死体は原型を止めない程にグチャグチャになっていたらしい。
ひと目に触れられないように処理され、テレスの葬式は行われた。
「は――」
いつの間にか俺は墓の前に立っていた。隣には花束を腕に抱いたヤシロがいる。
目の前の墓石へ視線を向ける。
よく磨かれた白い墓石には、見知った名前が刻み込まれていた。
『テレスティア・メヴィウス・アルナード』と。
―
「ひ、ぁ――!」
意識が連続して途切れ、再び覚醒し、それを自覚するのと同時に体がバランスを失い、俺は顔面から地面に叩き付けられた。
顔をぶつけた鈍痛と、ザラザラとした冷たく固い床の感触に、曖昧だった意識が元の形を取り戻していく。
うつ伏せに地面に倒れたまま、今がどこで、一体いつなのかを考える。
周囲の様子からしてここは学園で、日が空に昇っている事から今が昼だという事を理解する。
だが、どうして自分がここに倒れているのか、という部分には繋がって来なかった。
「大丈夫ですか!?」
聞き覚えのある声に、倒れている体を起こしてその方向へ視線を向ける。
不安そうな表情をしたヤシロが、悲鳴のような声を上げてこちらに駆け寄って来る所だった。
酷く狼狽した様子で俺の体へ手を伸ばし、全身を弄ってくる。
「だいじょうぶ、大丈夫だから」
「大丈夫って、とてもそうは見えません! さっき、レグルスさんとの戦いで、体内の魔力が凄くおかしな動きをしていました。一度、検査を受けに行った方が良いですよ!」
「は……? さっき?」
ヤシロの発言に、落ち着きかけていた頭が再び混乱に落とされる。
レグルスとの戦いは、もう何日も前の話だった筈だ。どうしてヤシロは、今更そんな事を気にしているんだ?
「な、なぁ。テレスは……どうなった?」
訳の分からない状況をどうにか理解するため、言い淀みながらもテレスの話を振る。
当然、ヤシロの口からは無情な現実を突きつけられるだろう。
そう思っていた。
「どうなったって……。テレスさん、ですか? テレスさんなら、まだ領地にいると思いますが……」
「は……?」
ヤシロの発言に違和感しか無い。何かが決定的にズレているように、俺達の話が噛み合っていない。
それはヤシロも同じで、深刻そうな表情で俺を覗きこんでくる。
「本当に……大丈夫ですか? 凄い魔力の動きでしたし……検査を受けた方が」
本当に大丈夫かは、俺が聞きたいくらいだった。
ヤシロの口ぶりは、まるでテレスがまだ生きていて、アルナード領にいると言っているように聞こえる。
何かがおかしい。
「なぁ……ヤシロ。今日って、何日だ?」
傍から見ればただの間抜けにしか見えないような事をヤシロに尋ねる。
いよいよヤバイと判断されたのか、ヤシロが「す、すぐに病院に……」と口走り始めたが、何とか落ち着かせて日にちを答えさせる。
「どうなってるんだ……?」
ヤシロの口から出た日付は、レグルスと戦った日だった。
つまり、テレスの死を聞かされる前なのだ。
「夢、だった?」
そう自問して、俺はすぐに違うとかぶりを振る。
真っ青に震えるヤシロの表情、自分の叫び声、テレスの墓。
今でも鮮明に思い出せるあれが、とても夢だとは思えない。
だが、ヤシロの話を聞く限り、まだテレスは死んでいない。
じゃあ、何か。
俺は未来を見ていたとでも言うのか?
「馬鹿馬鹿しい」
とは言い切れなかった。
ここは前世の常識では考えられない現象が普通に実現する世界だ。魔法が実在する世界で、何故在り得ないと断言できるだろう。
だが、今までに学んだ魔術に未来を見通すものなど存在しない。少なくとも、属性魔術や無属性魔術ではない。
ならば考えられるのは亜人魔術。
人間ではない種族が使いこなす、イレギュラーな魔術。
「ぎ、ぁ」
自分の中で「夢か魔術か」と答えを探している時だった。
額を内側から削られるような、意識を保つのが困難な程の頭痛に襲われる。
三半規管が狂い、内容物が胃からせり上がってくるのを感じ、体を支えていた腕と足が力を失い、再び地面に倒れ込む。
痛みに抗おうと額に手を伸ばそうとした所で、ブツンと何かが切れる音がして、意識が闇へと落とされた。
―
――目を開いた瞬間、体がバラバラになる程の衝撃に襲われた。
「ごぁあああああああッぶっ!?」
その衝撃によって呆気無く体の制御を失い、無様な悲鳴を上げながら後方へと体が吹き飛ばされる。
何本もの樹木をへし折りながらノーバウンドで気が遠く成なる程の距離を移動し、やがて勢いを失って樹木に背中から激突し、ブチッと片目が暗闇に包まれた。
「――っ、――――」
移動を終えた俺を待っていたのは、痛みなどという生易しい物ではなかった。
激痛を超えた死に至る痛みを、脳が受けきれずに痛覚を遮断する。体中の機能が失われ、全身から血液という血液が抜けていく。喉がまともに動かずに、言葉を発する事が出来ない。暗闇に包まれた片目が失明したのだという事を理解する。見える目を動かして体を見れば、右腕が獣に食いちぎられたかのような醜い傷跡を残して肘から消えており、左腕は関節の構造では在り得ない方向に曲がり、履いていた靴の残骸を纏った足はかろうじて原型を留めた肉塊に成り果てていた。
一瞬にして全身の殆どの機能を失ったこの現状に、もはや脳が理解する事を諦めている。
今の俺に分かるのは、逃れようのない死が自分を待っているということだけだ。
「«高位治癒»ッ! «高位治癒»! なんで……なんでだ! 傷が、傷が塞がらないんだ!」
樹にもたれ掛かっている俺の薄れた視界に、見慣れた金髪の少女が入ってくる。 同時に体を温かいものが包むが、すぐに死の冷たさに温度を失っていく。
整った顔をグシャグシャに歪め、テレスが泣き叫ぶ。
「嫌だ、嫌だぁ! 死ぬな! 死なないでくれッ。ウルグぅ……。どうしてこんな……! なんで、お前はそんなに……!」
何かを叫んでいるが、耳の機能が殆どないせいで、うまく言葉が聞き取れない。
彼女の周りに、鎧を着た何人かの騎士が立っており、テレスに何かを叫んでいた。
「嫌だよぉ……死なないで」
やがて、残っていた目も闇に覆われていく。
指の先から全身へ、粘り着くような冷たさが絡みついてくる。もはやテレスの言葉を理解する事は出来ず、瞼が落ちていく。
死にたくない。
二度目の死を前にして、俺はどうしようもなく怖かった。
さっかくやり直せたのに、こんな所で死ぬなんて嫌だ。もう二度とテレスともヤシロとも会えない、メイにもキョウにも会えない。今まで積み上げてきた努力が全て無に帰していく。何もかもが失われていく。
怖い。
死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
そう心の中で叫んでも、どうにもならなかった。
死が全てを覆っていく。
こんな所で、死にたくない。
俺は、二度目の死を迎えた。
―
「――様! ウルグ様!」
何度目になるのか――俺はまた目を開いた。
目の前にあるのは、懸命に俺の名を叫ぶヤシロの顔。
意識がある。また、ヤシロと会えた。
「やしろぉ」
爆発した感情を抑えられなくなり、ヤシロの体に抱きつく。ガクガクと体が震え、涙が溢れてくる。
困惑した表情で、ヤシロは固まっている。
「どうしたん、ですか」
「ぅ、おえぇぇ」
胃液がせり上がってくる感覚に、俺はヤシロから離れて嘔吐した。
死ぬのが心底怖くて、何度も吐いた。
前に死ぬ時は、強い後悔と同量の諦観があった。だが今の俺にはやり残した事が多すぎる。それを成せないまま、死ぬのが怖い。
失うのが、怖い。
「ウルグ様!」
ヤシロは吐瀉物が跳ねるのも気にせず、背中を擦ってくれた。せっかく、こんなにいい子と仲良くなれたのに、死ぬなんて嫌だ。
今の体には何の傷もない。
だが先ほど感じた痛みの残滓が残っており、傷を負っていた部分がズキズキと痛む。
夢か、そうではないのか。
それを確かめる術が、一つだけあった。
―
検査を勧めるヤシロを振り切って、俺は図書館へ行った。
そこで騎士に関する文献を探し、本棚から引きずり出す。
吐き気を堪え、震える指でページをめくって、俺は確信した。
確信、してしまった。
「夢じゃ、ない……ッ」
開いたページには騎士団の鎧に刻まれている紋章が記されている。
騎士団は三つの隊で構成されており、隊ごとに鎧の紋章が異なる。
先ほど、俺が夢で見た紋章。
それは俺がまだ、一度も見たことのない三番騎士隊の紋章だった。
「…………」
二つの夢から得た情報と、図書館で調べた騎士の紋章。
そして今日、レグルスから聞いた「騎士団が王都の外へ出て行った」という話。
それらがピースのようにハマり、疑念は確信へと傾いていく。
あれは夢でなく、未来予知の可能性が高い。
もしかしたら、俺が知らないうちに三番騎士隊の紋章を目にしていて、それが夢の中に出てきたのかもしれない。
リアリティのある白昼夢を見ていただけなのかもしれない。
しかし幾らそう考えても、不安は拭えなかった。
未来予知、もしくは予知夢。
本当にそうだとするなら、
このままだとテレスは《鎧兎》に襲われて死ぬ。
そしてそれを助けに行こうとすると、俺が死ぬ。
それから図書館を出て、寮に戻った。
ガクガクと震える体を引きずってシャワーを浴び、部屋に戻ってベッドに潜り込む。
テレスが死ぬか、俺が死ぬか。
この二つを天秤にかけた時、俺は自分で躊躇なく後者を選ぶと思っていた。対象がヤシロであっても、レックスであっても、それは変わらない。胸を張って命を投げ出せると、そう思っていた。
なのに、なんでこんなに怖いんだ。
どうして俺はこんなに震えているんだ。
本当の死を目にして、俺は決断が出来なくなっていた。
アルナード領に行けば、体をズタボロにされて俺は死ぬ。脳裏にへばりついて忘れられない、大きく損壊した自分の体と、死の感触。
恐ろしかった。
「それでも……」
テレスの顔が思い浮かぶ。
セシルと一緒に、俺の心の支えになってくれた。
俺が死にそうな時、助けに駆け付けてくれた。
テレスを助けに行けば、恐らく俺は死ぬ。
「それでも……ッ!」
俺が死ねば、テレスが助かると言うのなら。
「テレスを助けに行く……!」
今章も残り半分くらいですが、暗いだけでは終わらないので、最後まで見ていただけると嬉しいです。




