第三話 『最低の気分』
ただ暗いだけの話は書かないよ!
カーテンから朝日が差し込み、俺は目を覚ます。
意識が覚醒し、痛む頬が嫌でも昨日あった事を俺に思い出させる。
最低の気分だった。
あれからテレスとは一言も話さずに別れた。
あんなに怒ったテレスを見たのは初めてだ。
これまでの付き合いで、テレスが本気で俺に怒ったことなど一度もない。
「……謝らないと」
なんて謝ったらいいのか分からないまま、俺はそう呟く。
分からない。
もう何も分からない。
嫌な気分が胸に絡みついて、吐き気がした。
時計を見ると、いつもより一時間以上も遅い時間だった。
これでは朝の修行が出来ない。
何をしているんだ、俺は。
顔を洗い、着替えて朝食を食べ終わる頃には、ヤシロ達との待ち合わせ時間が近くなっていた。
今日から二年生が始まる。
説明会を聞きに行き、選択する授業を決めなければならない。
そこでテレスに昨日の事をどうにか謝ろう。
寮では新しく入ってきた一年生が、先輩の寮生達と話をしていた。
俺が通り掛かった瞬間、彼らの視線がこちらへ向く。
一年生は驚きを、その他は冷たい視線を向けてくる。その両方が今は酷く鬱陶しかった。
外へ出ても、新入生達から視線を向けられる。
睨むと、すぐに目を逸らして去っていく。
待ち合わせ場所へ行くと、もうヤシロがいた。
「おはようございます、ウルグ様」
「おはよう。テレスは?」
「やっぱり……聞いてないんですね。テレスさんなら昨日、用事が出来たってアルナード領に向かったそうですよ」
テレスがアルナード領に?
そんな話は当然ながら聞いていない。
俺が怒らせたせいで、領地に帰った……?
いや……そうじゃないと信じたい。
何か用事があって、自分の領地に戻ったのだと思う。
俺には黙って。
「昨日の夜に、テレスさんが寮に言いに来たんです。あと……ウルグ様に『帰ってきたらちゃんと話そう』って伝えて欲しいって」
良かった。
本当に何か用事があって、領地に戻ったらしい。
俺に愛想を尽かした訳では無かったのだ。
「テレスさんと、何かあったんですか?」
「……ちょっとな」
曖昧に答えると、ヤシロは少し悲しそうな顔をした。
「テレスさんは来ないので、二人で説明会行きましょっか」
「……あぁ」
その表情を消して、ヤシロは明るくそう言った。
―
説明会は一時間ちょっとで終了した。
内容は二年生で行われる授業や行事、新入生に対する接し方などだ
その後、自分達が選択する授業を決めておくように言われ、解散となった。
昼食を取るのと、選択する授業を決めるため、俺達は喫茶店に来ていた。
テレスがいつ帰ってくるかは分からないが、取り敢えずおおまかに選択する授業は決めておいた方が良いだろう。
「そういえば、メイちゃんとキョウちゃんが寮に来ましたよ」
「おぉ、どうだった?」
「二人とも強くなってましたね。背丈も少し大きくなって。私、あんまり身長伸びてないんですが……」
そんな話をしながら、俺達は取る授業を決めていく。
選択したのは、必修系の授業と、『流心流』『絶心流』『理真流』、それからヤシロが以前から取りたがっていた『礼儀作法』に、俺が興味のあった『魔物学』だ。
テレスと話して、また変更があるかもしれないが、大体はこんな感じだろう。
「…………」
いつも通り、ヤシロと話せている。
だがどこかぎこちなくて、違和感がある。
原因は俺だ。
俺がぎこちなくさせているのだ。
「そういえば、理真流の型の方はどうですか? 出来れば来年には二段を取りたいですからね。今日はこれから時間がありますし、一緒に練習しませんか?」
「……型自体はもう、覚えてる。ただ、魔力なしで完璧にこなすのは難しい」
「でしたら、魔力を使わない練習を」
「この後は、メイ達と模擬戦をする事になってるんだ。だから……その、ヤシロはミーナとかと」
「っ」
がたんと音を立てて、ヤシロが立ち上がる。
周囲の視線が、こちらに集まる。
ヤシロは立ち上がり、肩を震わせ、
「ウルグ様は、何も! 全部、私の……」
「ヤシロ……?」
ヤシロの言葉は要領を得ず、何が言いたいのか分からなかった。
だが、その泣きそうな顔を見て、俺は彼女を傷付けてしまったのだという事に気付く。
「……すいません。失礼します」
そう言って、ヤシロは去っていった。
取り残され、何も言えずにただその背中を見送る。
「……最低だ」
でも、どうしたらいいんだよ。
―
「あれ……ヤシロさんとは一緒じゃないんですか?」
メイ達とは自由訓練場で会った。
一人で来た俺を見て、二人とも意外そうな顔をする。
「あぁ、ちょっとな」
重い気分を隠して、曖昧な言葉を返す。
「お兄さん、大丈夫ですか? なんだか、凄く疲れた顔してますよ」
「あぁ……大丈夫だ」
「前に会った時も少し暗い表情してましたし、やっぱり何か有ったんですか?」
隠していていたのに、あっさりと見抜かれる。
俺の隠し方が下手なのか、二人が上手なのか。
「まぁ……話したくないのならいいですけど。でも、相談してくれれば、話くらいは聞きますからね?」
「無理しちゃだめですよー?」
「あぁ、ありがとう」
しばらく話し、俺達は目的である模擬戦を行う事にした。
最初の相手はキョウだ。
興奮しているのか、キョウの顔はやや上気している。
俺も二人がどのくらい強くなったのかに興味がある。
刻印を発動させた自由訓練場の前で、お互いに向かい合う。
俺は攻めを主眼に置く絶心流の構えを取りながらも、流心流と理真流で学んだ防御の構えを即座に発動させる事が出来るように意識する。
構えとしては、剣道の八相の構えに近い。
俺の剣は攻める事に向いているが、だからといって防御を疎かにしていいわけにはならない。
実際、流心流を習っていなければ防げない攻撃も多く見てきた。
対するキョウが取るのは、やはり流心流の構えだ。
相手の攻撃を受け流してカウンターを放つ事に特化した構え。シスイやスイゲツとの練習で、幾度と無く目にしてきた。
以前のキョウも、これと同じ構えを取っていた。
お互いに向かい合い、動かない。
流心流は防御とカウンターの流派。下手に斬り掛かれば一瞬で斬り捨てられる。
俺はキョウに隙が出来るのを待った。
数分が経過する。
キョウの構えは、全く崩れない。
以前の彼女は、時間が経過すると共に腕が少しずつ下がってきて隙ができていた。
だが今の彼女には一切の隙がない。
数分向かい合っただけで分かる。
どれだけ時間が経過しても、今の彼女の構えは崩れない。
キョウの成長に感動しながら、俺は次の手を考える。
いつまでたっても構えが崩せないのであれば、取れる方法は自分から斬り掛かって構えを崩す事だ。
カウンターが来ることを念頭に置き、構えを崩すために斬り掛かる。
頭の中でそう決め、足を動かした瞬間だった。
「――――」
俺に先んじて、キョウが動いていた。
流心流は、基本的に相手の攻撃を待つ流派だ。
その固定概念が崩され、俺の呼吸が乱れる。
キョウは間合いを詰めてきており、止まっている訳にはいかない。
すぐに呼吸を整え、キョウの攻撃に備える。
間合いの僅か手前、ゾクリと背が粟立つ剣気がキョウから放たれる。
――来る!
そう確信し、迎え撃つために最高速の一撃を放つ。
その瞬間、俺は地面に打ち据えられていた。
「う、ぁ?」
頭に鈍い痛みを感じつつ、俺は自分が地面に倒れていることを自覚する。
そして、理解した。
キョウは自分が間合いに入る前に俺に剣を振らせ、ちょうど自分が間合いに入った瞬間にカウンターを撃ったのだ。
俺はそれをまんまと喰らった。
「あ、あれ……決まった?」
地面に倒れる俺を、キョウは驚いた顔で見ていた。
キョウが自分から攻めてきたことに動揺させられ、フェイントに嵌まり、カウンターを喰らった。
完敗だった。
実戦だったら、俺は頭をかち割られて死んでいる。
「…………」
負けた。
立ち上がり、ようやくその意味を知る。
一年前まで、俺はキョウに負けた事など殆ど無かった。
それが、今負けた。
「……く」
間合い外からのフェイントは、流心流の剣術だろう。
だが、先に自分から動いたあの技は、どちらかと言うと理真流を連想させる。
「ここ一年、何度か他流派の剣士の方と稽古をしたんです。そこで見た技を自分の技に取り込めないかって練習して……。先輩に通用するとは、思ってませんでした」
キョウは喜びと、別の感情が混ざった複雑な声でそう言った。
その感情が、『失望』ではないかと思った瞬間、全身に震えが走る。
「……強くなったな」
「あ、ありがとうございます」
「後で、もう一度戦ってくれ」
「分かりました……」
次に俺はメイと戦った。
―
二人との模擬戦を初めて二時間半近くが経過した。
俺はキョウと三回、メイと二回戦った。
一度も。
俺は一度も、二人に勝つことが出来なかった。
―
「今の先輩は、以前と違ってどこか冷静さを欠いているような気がします。動きや剣技は一年前に比べて速く、重くなってはいますが……」
「お兄さんが斬り掛かってくる時、剣気が強くなるから、動きが分かるんです。前のお兄さんは、えと、そういうのを隠してたような気がします」
二人にそうアドバイスされる。
一年前は逆だったのに。今は俺がアドバイスされている。
二人に追いぬかれた?
あれだけの差があったのに、たった一年で完封されるまでに?
剣気を強めている自覚はない。
以前の俺は、どうやって二人と戦っていた?
思い出せない。
「あの……先輩?」
《喰蛇》の時に使ったあの技は使用してない。
あれは加減が出来ないし、人を殺しかねない。
今の俺は、あれを使わなければ二人に勝てない。
一年で、これほどの差が?
どうして?
シスイの教え方が良かった?
よほど良い戦闘経験を二人が積んだ?
俺の成長を、この二人が凌駕していた?
だから、俺よりも強くなった?
俺の一年は一体、
「あの、先輩!」
「え……ああ」
「大丈夫ですか? その……顔色が悪い、ですよ」
キョウにそう言われて、俺は自分が全身にベッタリと汗をかいていたことに気付いた。
手が小刻みに震えている。
少し、吐き気もする。
俺を心配そうに見つめる二人。
俺はこいつらに負けた。
「ッ」
一瞬、この二人を憎んでしまったこと気付き、俺は愕然とする。
醜く嫉妬して、憎んで。
二人は俺を心配してくれているのに。
「……悪い。ちょっと今日は寮に帰る」
そう言って、俺は震える足で自由訓練場を出た。
―
何をする気も起きない。
ベッドの上で死んだように寝転がっている。
全身を疲労感が包んでいるというのに、目を瞑っても眠る事が出来ない。
脳だけが冴えている。
自分があの二人に負ける場面が脳裏に焼き付いていて、その光景が繰り返し瞼の裏に再生される。
一体、俺は何をしてるんだ。
後輩に負けて、落ち込んで、妬んで、不貞寝して。
こんな自分がどうしようもなく嫌いだ。
負けたショックがあった。
自己嫌悪があった。
最低の気分だった。




