閑話 『涓滴岩を穿つ』
朝、目を覚ましてすぐに顔を洗い、動きやすい服装に着替えて庭へ出る。
そこで、真剣を振る。
かつて、師匠には『一本一本に魂を込めろ』と教えられた。
自分を導いてくれた先輩には、『いい加減な百本より、全力の一本で千回素振りしろ』と教えられた。
その教えを守り、キョウは毎朝起きてすぐ、全力の素振りを千本行っている。
剣を振り下ろすたび、汗が滴る。紐で括った浅葱色の髪が、龍の尻尾のように揺れている。
自分より上の段の剣士には『素振りの時には何も考えるな。無心で振れ』と言われた。
敬愛する先輩には『どうすれば良くなるかを常に考えろ』と言われた。
師匠には『自分に合う剣を見つけろ』と言われた。
どちらが正しいのかは分からない。
だが、キョウは先輩、ウルグの教えの方があっていた。
剣を振りながらごちゃごちゃと考えるのではなく、振り下ろす度に自分の理想の一本を思い浮かべ、ただひたすらその域を目指す。
理想とする剣士は二人。
一人はシスイ。
静かで、微塵のぶれもなく、美しい。しかし、その一振りは龍をも断つ威力を秘めている。
もう一人はウルグ。
剣の基本を体現化したかのように正しく、しかしキレがある。そして何より、人を引きつける振りをする。見ているとどこか切なくなる、そんな振りだ。
その二人を目指して、この一年間、剣を振ってきた。
少しずつ、本当に少しずつだが、剣を振る度に理想へ自分が近付いていくのを感じた。
雫が岩に滴り、いつかは穴を穿つように。
「ふぅ」
千本の素振りを終え、キョウが汗を拭う。
今日は、三段への昇段試験の日だ。
―
迷宮都市レーデンス。
多くの猛者達が集まる冒険者の街の東部に存在する第一区画、通称ギルド区の中に流心流剣術の本山とも呼べる道場が建っている。
他の道場が王都付近にあるのに対して、流心流の道場は迷宮都市に存在する。真に流心流を学びたい剣士は、一度はこの道場に訪れるという。
流心流道場、流心の間。
そこに多くの流心流剣士が集まっていた。
間の奥には段差が存在しており、その上に一人の女性が座っていた。
水の様に流れる藍色の髪、静謐な重みを持つ青色の瞳を二十代後半程のその女性は道着姿で段差の上に胡座をかいている。
その女性こそ、当代最強の流心流剣士、二十五代目シスイである。
《流水剣》の二つ名で知られるシスイの視線の先にあるのは、四人の剣士の姿だ。
がたいの良い男剣士と、細長い体の女剣士。そして、浅葱色の髪を持つ、よく似た顔付きの女性が二人、シスイと同じ袴姿で正座をしている。
流心流二段、メイ。
同じく二段、キョウ。
この場にいる四人の剣士は、二段から三段への昇級試験を受ける者達だ。
流心の間に集まった門下生たちは、静かにシスイと四人の姿を見守っている。
「それではこれより、ロッカとカセン、メイとキョウの昇段試験を行う。ロッカとメイ、カセンとキョウで戦ってみせろ。その戦いの中で、三段を名乗るに相応しい実力を身に付けているかを確かめさせて貰う」
「ロッカ、メイ」
名前を呼ばれた二人が立ち上がった。
出て行く前にキョウへにっこりと笑いかけ、グッと拳を握ってみせる。
彼女の様子に微笑むキョウに頷くと、メイは前に出て行った。
メイの相手のロッカは、彼女を見下ろせるほどの大きさを持つ男だ。
がっしりとした体つきで、堂々とした構えをしている。
対してメイは小柄で、線も細い。
「始めッ!」
開始の合図と共に、ロッカがメイへと斬り掛かる。相手の出方をうかがう探りの一撃だ。
メイは難なくそれを防いた。
男はそれで終わらず、連続で斬り掛かっていく。相手にカウンターを出させるための、誘いの攻撃。
ロッカの攻撃に、メイに好意を向ける門下生達が彼女を心配する様な顔を浮かべている。
メイを見るキョウの不安に一切の不安はない。
何故なら、メイが今までどれだけの修行を重ねてきたのかを一番知っているのはキョウだからだ。
どちらかというとメイは人にあわせる性格だが、それでも剣に関して彼女は『自分』を貫いている。
自分に劣らないだけの努力をメイがしていることを、キョウは知っている。
「くっ」
しばらくして、メイの実力を知らない門下生達がざわめきだす。シスイはただ静かに戦いの行方を見守り、四段やそれに近い門下生は無表情だ。
ロッカの猛攻に対して、メイは一切動じなかった。
ロッカの太い腕からの攻撃は通らず、時折メイが出すカウンターが男の体を掠る。
メイは具合を確かめるように握る木刀を見つめてから、男へ視線を向けて微笑んだ。
「次で、決めますね」
余裕の表情のメイの言葉に、男の背筋に冷たい物が走る。
自分より剣を握った年数は短く、その上年下で、更には女性に気圧される。
その事に怒りと焦燥感を覚え、握る剣に力を込め、メイに振り下ろす。
この時点で勝負は決まっていた。
ロッカの剣が滑る感覚があった。
次の瞬間には、首元に木刀が突き付けられていた。
「そこまでだ」
シスイの言葉に、ロッカががっくりと肩を落とす。
完敗だった。
メイは剣技と水属性魔術を併せて使う魔術剣士だ。
男は魔術すら引き出せずに敗北した。
「カセン、キョウ。前に出ろ」
メイが下がり、代わりにキョウが出てくる。
通り過ぎる時に、メイはキョウと手のひらを叩いていった。
「…………」
道場の真ん中へやって来たキョウへ向けられる視線は、メイの時とは違って刺々しい。
ウルグの言葉によって合同稽古に参加するようになったキョウだが、一度嫌われてしまえばそう簡単に悪感情は払拭されない。
「悪いけど、あんたは三段にはあがれない」
キョウの対戦相手、カセンという女がキョウへ啖呵を切る。
同じ二段の剣士で、以前からキョウに悪意を向けてきている女だ。
何度も嫌味を言われたことがある。
「そうですか」
キョウは静かにそう返すと、決められた位置に立って木刀を構えた。
その言葉にカセンが苛立ちの表情を浮かべたが、一瞬で引っ込めた。
「始めッ!」
戦いが始まった瞬間、キョウの元に水弾が飛来する。
カセンはメイと同じ、水の魔術剣士だ。
距離を取った所から一斉砲撃を行い、キョウに近付く暇を与えない。
キョウは無属性魔術しか使えない剣士だ。
シスイやメイの様に、遠距離攻撃をする事は出来ず、攻撃するには自分の剣を振るしかない。
だから、愚直に素振りを、型を繰り返した。
連続する魔術の中、キョウが走る。
カセンも、魔術でキョウが倒せるとは思っていない。だが、魔術の中を移動すれば隙が生まれる。
そう思っていた。
「!」
接近は一瞬の出来事だった。
まるで絶心流のような勢いを持って、キョウがカセンの間合いへ入り込んでくる。
魔術を容易く斬り捨てて迫ってきたキョウの姿は獣を連想させる。
「ッ!」
水弾を止め、木刀に水を纏わせる。
キョウが鋭く踏み込んだ瞬間を狙って木刀を振る。
剣を振る瞬間、どうしても無防備な瞬間は生まれてしまう。カセンは魔術で動きを鈍らせ、隙を突くというスタイルを取っていた。
だが。
カセンにはキョウの剣が見えなかった。
この一年で万を越える回数、振り続けてきたキョウの剣に隙はなく、またその速度には流心流とは思えないほどのキレがある。
カセンの刃の表面をキョウの刃が撫で、その軌道を逸らす。そしてキョウの刃はそのまま振り抜かれた。
カセンの頬を激しく打ち据えて、彼女を地面に打ち倒す。
呆然と頬を抑えるカセンに向かって刃を向けた所で、シスイから勝負の終わりが告げられた。
侮蔑の視線にも、悪意の言葉にも、キョウは一切の興味がなかった。ただひたすらに強く、理想へ手を伸ばし続けた。
最初から、キョウは自分よりも遥か先を見据えていたということに、その時になってカセンはようやく気付いた。
戦いを終えたメイとキョウは、最初の位置へと戻ってきた。
シスイの前に正座し、彼女の言葉を待つ。
二人へ視線を向け、シスイは静かに言った。
「メイ、キョウ。今日からお前達を流心流三段とする。見事な腕前だった。ロッカ、カセン。お前達も腕は上がっているが、まだ心構えが足りない。四人ともより精進しろ」
シスイの言葉に、ロッカとカセンは肩を落とし、メイとキョウは小さく拳を握った。
その後、しばらくシスイと会話して、二人は流心の間から出た。
ツカツカと早歩きで自分の部屋へ戻り、そして
「やったぁあああああああ!!」
キョウが両手を振り上げ、大声で叫ぶ。
メイも顔をほころばせ、一緒になって喜んだ。
しばらく部屋中で飛び回り、地面をゴロゴロと転がって、疲れ果ててようやく落ち着いた。
荒い息を吐きながら、メイがキョウに笑いかける。
「やったね、キョウちゃん! これでまたお兄さん達に会えるね!」
「……別に先輩に会うために学園に通うわけじゃないし」
頬を赤くするキョウにメイは「うふー」とニヤけ、
「私はお兄さんやヤシロさんに会えるの嬉しいなぁ。お兄さん、強くて格好良いしねー」
「なっ……! く……」
そんなやり取りを重ね、二人は喜びを分かち合った。
口では否定しつつ、キョウの頭に浮かぶのは黒髪の少年の姿。
「やっと、会える」
姉に見えないように、キョウは頬を緩めた。
―
「……この一年間で、強くなったな」
流心の間から出て行った二人の嬉しそうな姿を思い起こしながら、シスイが小さく呟いた。
「はい。最近になって道場に戻ってきましたが、見違えました」
シスイの言葉に、四段の剣士が頷く。
メイは魔術と剣術の両方の技術を磨き、キョウは停滞を打ち破って自身の理想とする剣へと近付きつつある。
まだ粗はあるが、確実に一歩一歩成長している。
「二人とも、自分の目標を見つけたようだからな」
メイとキョウは、シスイに魔術学園に通いたいと言った。シスイは三段が取れたなら、それを許可すると返した。
結果、二人は一年で実力を上げ、三段になってみせた。
二人に影響を与えたであろうウルグという少年と、ヤシロという少女の才能は隔絶していたが、メイとキョウもそれに喰らい付こうと進み続けている。
メイとキョウには親が居ない。
シスイが親代わりとして二人を引き取って数年。
あの二人の成長を見ていると、どうしてか涙腺が緩くなる。
「さて……次代の『シスイ』が誰になるのか。今から楽しみだ」
二人の娘の顔を思い浮かべて、シスイが笑った。
―
そして数カ月後。
メイとキョウは王立ウルキアス魔術学園に入学を果たす。
そしてそこで、約一年ぶりにウルグと再会する事になる。
四章終了。
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