第十二話 『弱さが刻む代償』
明るい光に目を焼かれて、ゆっくりと目を開く。
ぼんやりした視界で上を見上げると、黒い瞳が自分を覗き込んでいた。
「……よかった」
声を震わせてそう呟くと、黒い瞳からぽたぽたと液体を流す。それが頬に落ちてきて、温かかった。
「ウルグ様……」
「よかった……よかった」
そう言ってウルグは、学園内にある医療施設のベッドで寝転がっているヤシロに両腕を回し、抱きしめながら子供のように泣きじゃくった。
はっきりしない意識の中で、主が泣いていることをヤシロは胸を痛め、その黒い髪を優しく撫でた。
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王都ウルキアス魔術学園が一年生に対して毎年行う、王獣の屍に対しての登山。
出没する魔物の種類、数など念入りに下調べを行い、その上で腕の立つ教師を二名付けて、安全な布陣を取って行われるこの行事は、ここ数年の間一人の死者も出していなかった。
しかし、今年度の登山では二名の死者が出てしまった。
生徒に同伴した教師の一人、メローナ・パトリアス。
そして、生徒のレックス・アルバート。
突如姿を現した災害指定個体《喰蛇》によって、休憩中だった登山グループが襲撃された。
その場にいた教師と生徒が協力して戦闘の出来ない生徒を逃した後、《喰蛇》との死闘を繰り広げ、その結果討伐に成功している。
しかし、戦った者は全員が傷を負い、戦いに参加した生徒の一人が死亡している。
現場に駆け付けた騎士によって怪我人は医療施設に運び込まれ、《喰蛇》の屍は調査されれる事となった。
《喰蛇》の討伐に貢献したものには褒賞金などが支払われるらしい。
以上が、病室で目を覚ましたヤシロが聞かされた話だった。
ウルグはあれから気を失うように眠ってしまい、彼をベッドで寝かせている内にテレスティアが部屋にやってきた。
そこでヤシロは《喰蛇》との戦闘の顛末をしり、捕食された自分を皆が死に物狂いで救出してくれたという事を理解した。
その過程で、レックスが死んだということも。
「ここで目を覚ましてから、ウルグはずっとお前を看病していた。……まだ疲れが抜けきっていないのだろうな」
そう言って、テレスティアは眠るウルグの髪を撫でる。
瞑った目からは涙が溢れており、ヤシロはそれを指で拭った。
「助けてくださって……ありがとうございます」
「気にするな。私達はある意味では敵だが、私はそれ以上に味方だとも思っているよ」
少し冗談めかしたテレスティアの言葉に、ヤシロは思わず頬を緩める。
ある意味では敵だが、それ以上に仲間。
面白い言い方だ。
「そうですね。はい、仲間です」
「だから、私の事は気にしなくて良い。それよりも、ウルグだ。……ヤシロが喰われた後のウルグは、見るに耐えない程に錯乱していた。わざと《喰蛇》の攻撃を躱さずに喰われようとして、お前と同じ所に行こうとしたんだ。そこでレックスがウルグを叱責して、立ち直らせた。錯乱したウルグを助けたのは、レックスだった」
「……そうですか」
テレスティアはもう一度ウルグの頭を撫でると、椅子から立ち上がった。
「私はまだ、色々とやらなくてはならない事がある。付きっきりでウルグの看病をしたいのだがな……。病み上がりのお前に頼むのは変かもしれないか……ウルグを頼む。今のウルグは、自責の念で潰れそうになっているから……。ヤシロが慰めてやってくれ」
そう言って、彼女は部屋から出て行った。
残されたヤシロは、一人ウルグを見守る。
紫紺の瞳から、ポロポロと雫が溢れる。
「……ごめんなさい。ありがとう」
その言葉を向けた人物に、思いが届くことは無い。
永劫に。
―
ヤシロが目を覚ましてから、一日が経過した。
《喰蛇》の牙で斬り落とされた腕は若干の違和感が残るものの、完全に繋がっている。
救出されてすぐにテレスティアが治癒魔法でくっつけてくれたお陰で、後遺症は残らずに済んだと医師に聞かされた。
ウルグ達と共に自分を救ってくれた教師のスイゲツは、傷を回復させ、ヤシロ達よりも少し遅れて退院するようだ。
一度礼を言いに行ったが、退院したらもう一度会いに行かなくてはならない。
それから、ウルグとヤシロは退院し、寮へと戻った。
女子寮で新しい服に着替え、心配してくれた友人のミーナに無事を説明して、寮の外へ出る。
外にはテレスティアが待っており、二人でウルグを迎えに行くことになった。
寮へ行くときのウルグの足取りはかなり不安定で、無事に戻ってこれるか心配だからだ。
「だいぶ……落ち込んでいるようでした」
「……だろうな。ヤシロが喰われたのも、レックスが死んだのも、全部自分のせいだと思っているみたいだ」
災害指定個体を相手にしたのだから、むしろあれだけの死者で済んだと喜ぶべきなのかもしれない。
一度喰われたヤシロを救出しているのも、偉業と言って良い程の事なのだ。
「……ヤシロ」
「……?」
「ウルグを助けてくれて、ありがとう」
男子寮への途中、テレスティアがヤシロへ深く頭を下げた。
「あの時、ヤシロがウルグを庇ってくれなければ、恐らく……ウルグは死んでいたと思う。だから……ありがとう」
「私はウルグ様に命を捧げると誓った身ですから、ウルグ様の身代わりになれるなら、本望でした」
「影……だったか」
「はい。私の一族に伝わる、主との契約です。だから、気にしないでください。それにテレスさんだって、同じ状況だったらウルグ様を庇っていたでしょう?」
「あぁ、そうだな。惚れた弱み……とはまた違うか」
「ふふ。……レックスさんにも、お礼、言いに行かなくちゃですね」
「あぁ……。ウルグと、三人で行こう」
そうして会話をしている間に、二人は男子寮へと到着した。
寮の前には何かの人だかりが出来ており、寮生達が円形になって何かを囲んでみている。
「……何をしてるのでしょうか」
「わからない。行ってみよう」
近付くに連れて、罵声のような声が聞こえてくる。
どうやら、誰かが喧嘩をしており、周りに野次馬が集まっている状況らしい。
「お前と絡み出してから、あいつは付き合いが悪くなった。お前があいつに悪い影響を与えてたんだ。『黒鬼傭兵団』との戦いでレックスが怪我をしたのだって、お前が原因だったんだろ!? お前が巻き込んだんだ!」
近付いて覗けば、ウルグと上級生らしき男数名が向かい合っていた。
上級生がウルグを怒鳴りつけ、ウルグは虚ろな表情でそれを聞いている。
「それと聞いたぜ。レックスは、お前を庇って死んだんだってな」
「…………」
「なんとか言えよ!」
無言のウルグに痺れを切らした上級生が、彼の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
少し苦しそうな表情をしたが、ウルグは何も言わない。
「……っ! お前が! レックスを殺したんだ!」
そう言って、上級生がウルグの頬を殴り付けた。
拳が頬骨を打つ鈍い音が響き、ウルグが後ろに勢い良く倒れこむ。
「ウルグ様!」
人混みに割って入り、ヤシロが倒れたウルグに駆け寄る。
彼はぼうっとした表情のまま、殴られた頬を抑えている。
「き……貴様ァ!」
ウルグを殴り付けた上級生に、怒気を剥き出しにしたテレスティアが迫る。
その圧に上級生が悲鳴を上げて仰け反る。
「貴様が……あの場におらず、何も知らない貴様がよくそんな事が言えた物だなッ! あの時、私達に襲いかかって来たのは災害指定個体だ! 貴様らはウルグを責めているが、実際にお前らがあの場にいたとして、何か役に立ったのか!? ウルグは生徒達を逃して《喰蛇》に止めを刺し、レックスも同じように生徒達の為に身を盾にし、討伐に貢献した! 貴様のしている事はウルグへの侮辱だけでなく、懸命に自分に出来ることをこなしたレックス・アルバートの覚悟に泥を塗っていると言う事を知れ!」
暴風に叩き付けられているかのような怒気と、噛み締めるようなその言葉に上級生は何も言い返せない。
怒りを抑えこみ、噛み殺すように言ったテレスティアの「散れ」という言葉に、周囲に集まっていた者達が去っていく。
上級生も渋々と言った表情で去っていった。
「……大丈夫か、ウルグ」
「俺が、殺した」
殴られて倒れたウルグへ視線を向けたテレスティアへ、ウルグがポツリと呟く。
「俺が……レックスを殺したんだ」
黒い瞳からボロボロと涙を零し、頭を指で掻きむしりながらウルグは言葉を続ける。
「俺が弱かったから、ヤシロが喰われた。俺が弱かったから、レックスが死んだ。俺が、俺のせいでレックスが死んだんだ」
「っ……ウルグ、それはッ!」
ふらりとウルグが立ち上がり、覚束ない足取りでテレスティアの隣にまでやってきた。
「だから……俺は強くなるよ。もう……誰も、大切な人を失わないように。弱さは罪だ。だから俺は罰を受けたんだ。弱かったから、奪われたんだ。これからはッ! 俺が最強になって、俺が奪って、俺が大切な人を守るんだッ!!」
その絶叫に、誰も口を開けない。
漆黒の瞳から透明な雫を零し、泡を飛ばしながらウルグのしたその宣言に、誰も言葉を挟めない。
ドロドロと淀みきったその瞳は、どす黒い光を宿していた。




