第九話 『喰蛇の顎』
龍種ですら飲み込めそうな程の巨大な首を中心に、それよりやや小さな首が十本くっついた巨大な蛇。ガラス片のように鋭い紫色の鱗が全身を覆っており、体をくねらせる度に光を反射して輝いている。
巨大な蛇の片目は大きく抉れており、更に体の至る所に無数の切り傷が刻まれている。一部、鱗が剥がれて下の肉が露出している場所もある。尋常では無いほどの量の傷だが、それらは塞がりかけていた。
「《剣匠》ジークが付けたという傷か……」
災害指定個体《喰蛇》。
昔は《ベルグランデ・アングイス》と呼ばれていたこの巨大な蛇は、数年周期で姿を現し、村や町、山や森などを荒らし回って甚大な被害を撒き散らす、まさに災害に指定されるに相応しい化け物だ。
複数の首を持つ巨大な蛇で、首を斬り落とされても即座に回復し、あらゆるものに喰らい付くという。
つい数年前に王都付近に出没し、絶心流の《剣匠》ジーク・フェルゼンとその弟子達によって撃退されている。それ以降、《喰蛇》の姿は確認されていない。
「それが、どうしてここにッ!!」
次の瞬間、中央の巨大な頭からギィィィッ! と耳を劈く様な不快な咆哮が発せられる。風圧の伴う声量に生徒達が足を竦ませ、ガラスを引っ掻くかのような音に耳を塞がせる。
獲物が動けないのを確認したのか、巨大な首が後ろへと下がり、代わりに十の頭が動いた。
「奥義――«断水»ッ!!」
上から降ってくる頭に対して、最初に対応したのはスイゲツだった。菱型の水の壁が彼を中心にして展開され、後ろに控える生徒達を守る。
《喰蛇》の頭が壁に触れた瞬間、グシャリと音を立てて触れた部分が砕け散った。血が撒き散らされ、地面に落下する。
「皆さん、逃げてくださ――!!」
そう叫びかけたスイゲツの上を通過して、《喰蛇》の頭が二つ、生徒達へ喰らいつこうと牙を剥き出しにする。
それを目にして、俺は動いていた。
悲鳴を上げる生徒達と一本の頭の間へと割り込み、正面から頭を両断する。覆っている鱗に触れた瞬間、『鳴哭』の«絶離»が発動した。なんらかの魔力を纏っているらしい。
刃が魔力を纏った紫色の鱗を斬り裂き、その下の肉を断つ。
俺が頭の一つを斬っている内に、もう片方の頭はヤシロとテレスが対応していた。ヤシロが眼球を斬り付けて動きを止め、テレスが風の太刀で頭を斬り落としている。
「おら、早く逃げろ!」
俺達の後ろでは、恐慌状態になっている生徒達をレックスが纏め、《喰蛇》から距離を取らせていた。
ナイスだレックス。
そう思ったのもつかの間、スイゲツの展開していた水の壁が複数の頭からの突進によって消滅した。
気付けば水の壁によって砕けた頭や、俺達が斬った頭が完全に再生している。
スイゲツが舌打ちし、俺達の所まで下がってくる。
「私の持ちうる最大の防御術でも、あの蛇を長く抑える事は出来ないみたいです。ウルグ君、ヤシロさん、テレスさん、私がここで奴を抑えます。貴方達は生徒達をお願いします」
「無茶だ! あれは《剣匠》をして倒しきれなかった化け物です。貴方一人で抑えきれる相手ではない!」
スイゲツの提案にテレスが反論する。
スイゲツは初っ端に流心流の奥義の一つを使っている。だが、《喰蛇》はそれを容易く突破してきている。とてもではないが、彼一人で抑えられるとは思えない。
「ですが――ッ!」
スイゲツが反論しようとした時だ。
《喰蛇》の頭が六本同時に動き始めた。
全てが全く別々の動きをし、大地を抉るようにして這ってくる。
俺、スイゲツ、ヤシロ、テレスの全員が即座に動いていた。
突っ込んできた首を刃で受け流し、通り過ぎて行った所を横から斬り落とした。伸縮する首が地面に落ち、ビチビチと動き回っている。
スイゲツが二本同時に斬り落とし、テレスとヤシロも一本ずつ対処していた。
「クソッ!!」
だが、一つ対処しきれなかった頭が合った。
俺達の頭上を通過し、逃げていく生徒達へ喰らいついていく。
が。
「オラッ!!」
蛇の突進を、レックスが盾で受け流した。
ようやく板に付いてきた流心流の技を使い、首の方向を大きく逸らしている。
「フッ――!」
受け流された首に対して、レックスの脇から飛び出してきたベルスが連続して剣技を叩き込み、頭に大きな穴を穿つ。
その傷口にレックスが片手剣を振り下ろし、生徒達を襲撃した頭は完全に動きを止めた。
「でかしたぞレックス!」
向こうでガッツポーズをして見せるレックスに、俺達もガッツポーズを返した。
レックス達が首を対処している間に、生徒達は見えない所まで逃げていった。流石に《喰蛇》でも追い切れないだろう。
ベルスは剣を振って血を払うと、俺を見て何かを呟いた後、逃げていった生徒の後を追っていった。
「先生! あっちにはレックスやベルスがいます! あいつらが人を呼んできている間に、俺達も時間を稼ぎつつ逃げましょう!」
「防御に徹しながら、ジワジワ後退すれば大丈夫だと思います!」
俺達の提案にスイゲツは苦い表情を見せる。
「絶対に無茶をしないでくださいね……。あくまで時間稼ぎ、攻撃を防ぎながら距離を取っていくだけですよ」
スイゲツの言葉に頷いた瞬間、「来るぞ!」とテレスが鋭い声を上げた。
完全に回復した六本の頭が、再び地を這う。
俺達は後ろに飛び退いてそれを回避した。
「シッ!」
「«風刃»!」
追撃してくる蛇へヤシロが影を纏ったナイフを放ち、テレスが風の刃をばら撒いて動きを止める。
この非常時だ。ヤシロが人狼種だという事を隠している余裕はない。
テレスの«風刃»の一つが、後ろに控える巨大な首へ飛んで行く。それを、他の首が弾いて防いだ。
「見たか、ウルグ」
「あぁ。あの首を庇ったな。恐らくはあのデカイのが本体なんだろう。他のは傷付いてもすぐに治ってるが、あいつだけ前の戦いの傷が残ってる。どうにかしてあいつにダメージを与えられれば、逃げられる隙が作れるかもしれない」
今の所、《喰蛇》の首は六本しか動いていない。残りの四本は本体を守っているのだろう。
どうにかして六本の首を突破して、本体を叩ければ――。
「先生、テレス! 俺とヤシロが突っ込んでくる首に対処する! だからその間に魔術を使ってあの本体を叩いてくれないか!」
俺の叫びに躊躇うスイゲツ。
彼が口を開くよりも先に、
「――任せろ」
テレスがその一言を発し、後ろへ下がった。
たった一言だが、テレスの言葉には「あいつなら大丈夫だ」と安心できる力が込められていた。
「……分かりました! ですが、無茶はしないでください!」
テレスを見て、苦渋の決断という風にスイゲツが了承した。
スイゲツとはまだ一年以下の付き合いしか無いというのに、真剣に俺達を心配してくれている。良い先生だと、改めて実感した。
「頼めるか、ヤシロ」
ヤシロには何の許可も取らずに作戦を決めてしまった。
俺の言葉に対してヤシロは「言うまでもないですよね?」と言いたげに小さく微笑む。
そして俺の隣に並ぶ。
「ウルグ様はこの命に変えても守ります」
「……そうならないように、頑張ろうぜ」
そして、再び《喰蛇》が動き始めた。
本体を四本の首で固め、残りの六本で同時攻撃を仕掛けてくる。
真っ直ぐ突っ込んでくる首、うねりながら接近してくる首、六本が同時にバラバラに動いている。
六本全てが、前に出てきた俺とヤシロを狙っている。
こいつの鱗にはどうやら気配を遮断する魔術のような物が掛かっているらしい。さっきから魔力での探知にほぼ引っかからない。
最初に地面から出てきた時に直前まで誰も気付かなかったのは恐らくそのせいだろう。
だが、動きは速いが、見切れないことはない。
ヤシロが先行し、近付いてきた首の内の二本の眼球を抉り、牽制する。
動きが鈍ったその二本の首を俺が落とし、切断面から鮮血を吹き出して地に沈む首を尻目に、即座に次の首への対処へ移った。
「ウルグ様、上です!」
首の内の一本が、体を大きくしならせて鞭のように上から落ちてきた。
横へ飛び退くと、ズドンと音を立てて首が地面に叩き付けられる。
「やあぁ!」
上からヤシロが斬り付け、首を斬り落とした。
首は残り三つ。
この段階になって、俺の中にある疑問が渦巻き始めていた。
今、俺達が戦っているのはSランク、災害指定個体だ。
首の一つひとつが巨大で、動きも速く、その上再生までしてくる。確かに強いが、これが『災害』と呼ばれるほどだろうか?
俺達でここまで対処出来るならば、前回戦った《剣匠》が倒せなかったとは思えない。
前回の戦いで《喰蛇》は瀕死まで追い込まれ、退けられている。もしかしたら、まだそのダメージが抜けきっていないのだろうか?
「三本、来ます!」
考えを纏めるよりも速く、《喰蛇》が動き出した。
斬り落とした三本の首は《喰蛇》の元に戻り、回復の途中だ。今までの回復速度からして、あまり悠長にしている時間はない。
伸びてきた三本の首全てが、バラバラの動きをしながら三方向からヤシロに襲い掛かった。
一本目が大口を開け、正面からヤシロへ喰らい付く。
深紫の髪を揺らし、ヤシロが横へ回避すると同時に、二本目が顎で地面を削りながら横から突っ込んでくる。
上へ飛び上がって回避したヤシロに、本命の三本目が飛んできた。
ここで、俺はどう動くべきかを悩んだ。
隙だらけの二本を斬るか、ヤシロを助けに行くか。
「大丈夫です!」
そんな俺の逡巡を読み取ったかのように、ヤシロは俺を見ずにそう叫んだ。
ヤシロは首に喰らいつかれる瞬間、巨大な影を纏った小刀を上段から振り下ろす。
それで首が真っ二つに裂け、血を撒き散らして地面に落ちた。
ヤシロはくるりと軽い身のこなしで、地面に着地している。
「ッ」
迷宮都市で戦っていた頃よりも、明らかに判断が鈍くなっている。
ここ半年近く、以前のように神経をすり減らすような戦いは殆どしてこなかった。そのツケが、今ここに出てきている。
ヤシロの実力を一番知っているのは俺なのだから、俺がヤシロを信じてやれなくてどうする。
今は自身の鈍さに歯噛みしている暇はない。
即座に一番近い首を横から斬り落とす。
最後の首が俺に気付き、首をもたげた。
大きな舌をチロチロと覗かせ、縦筋の入った瞳で俺を睥睨する。
「おおおおおォ!!」
動いたのは同時だった。
口を開き、首が突っ込んでくる。
俺は全力で地面を蹴り、斜めから『鳴哭』を振り下ろした。
鋭い手応えが柄越しに伝わり、次いでズドンと地響きがなる。
「後は任せて下さい!」
それと同時に、後ろからスイゲツがそう叫んだ。
ヤシロと頷き合い、後ろへ飛び退く。
次の瞬間、無数の水の刃が《喰蛇》の元へ飛んでいった。
「«水飛沫»」
六本の首が回復しきっていない今、《喰蛇》の本体を守るのは残った四本の首だ。
鋭い動きで水の刃に対応するが、刃に触れた首の肉が大きく穿たれた。
鱗や肉が弾き飛び、本体を守る四本の首が徐々に傷付いていく。
あと少しだ。
そこまで来て、スイゲツの«水飛沫»は弾切れとなった。
しかし、まだ俺達の攻撃は終わっていない。
スイゲツの横で控えているテレスに視線を向けると、握る剣に膨大な魔力を集め、いつでも振り下ろせるように構えていた。
これが通れば、倒せなくとも本体にダメージを与えられる筈だ。
その時、テレスの後ろの方から一人の男がこちらに走ってきているのが見えた。
レックスだ。
どうやら、生徒達を避難させて自分だけ戻ってきたらしい。
生憎だが、お前の役割はないと思うぞ。
そう、戦いから気が逸れ、余裕が生まれて来た時だった。
――ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィ!!
本体の大きな首が、大音量で絶叫する。
不快な咆哮に耳を抑える。
人狼種の優れた聴力のせいか、ヤシロが苦悶の声を漏らす。
「――これで、どうだ!」
テレスが風を纏った剣を振り下ろし、凄まじい暴風を巻き起こす。
圧倒的な風は、土や小石を高く舞い上げながら、《喰蛇》へと真っ直ぐに進んでいく。
本体を守るのは、スイゲツの攻撃によって瀕死状態の四本のみ――――
その筈だった。
「――は?」
暴風が到達する直前だった。
瀕死だった筈の四本の首の傷が一瞬にして回復した。それにとどまらず、俺とヤシロで斬り落とした六本の首も完全に元通りになっている。
それだけじゃない。
「い、や……これは」
首の数が、増えていた。
十本だった筈の首が、倍の二十本へと増えていた。
二十本の首が、同時に暴風へと飛びかかり、魔力を喰いちぎった。
呆然とする俺達へ、そのまま二十本の首が殺到する。
スイゲツが魔術で壁を作り、一瞬の間を作ってくれる。その隙に、俺とヤシロはスイゲツ達と合流する為に下がろうとするが、首の数本が壁の上を通って俺達へ降り注ぐ。
「くっ」
「ヤシロッ!」
ヤシロの動きが鈍い。
先程の本体の咆哮で、聴力がやられているのか。
回避し切れなかった首の牙が、ヤシロの肩を大きく抉った。
ヤシロへ助太刀しようと前に踏み出した時だ。
「下だァああああ!!」
こちらへ駆け付けていたレックスがそう叫んだ。
直後、俺の足元から蛇の頭が突き出してくる。
ギリギリの所で回避し、横へ飛び退く。
「二十本じゃ、無いッ!」
よく目を凝らせば、《喰蛇》の背中から首が地面に潜っている。出てきた時と同じように、地面を伝ってここまで来たのか。
本体の方へ、視線を向けた一瞬。
スイゲツの張った壁が砕けた。
「しまっ――」
死角から喉の奥まで剥き出しにした首が突っ込んできた。
スイゲツとテレスの叫びが聞こえる。
だが、これは、
「――――っ」
とん、と。
肩を押された。
押された俺は、蛇の軌道から逸れる。
ヤシロだった。
肩からダクダクと血を流し、荒い息を吐いていた。
俺を押したという事は、ヤシロは蛇の軌道に入った訳で。
傷ついた彼女に、それを躱す余裕があるようには見えなかった。
彼女の名を叫び、咄嗟に手を伸ばす。
目が合った。
紫紺の瞳が、俺の目を覗き込む。
俺の手が、彼女の小さな手を掴んだ。
ふんわりとした深紫の髪をやや長めのおかっぱにした、白い肌を林檎の様に赤く染めた少女。
ヤシロは俺の顔を見て、安心したように笑った。
「ヤ」
ブチッと肉がちぎれる音がした。
目の前に、巨大な蛇の顔が合った。
前世で見た蛇とは違って、口の中には刃の様な歯がぎっしりと並んでいて。
それが閉じられていた。
赤く染まっていた。
ヤシロがいない。
だけど、俺は彼女の手を掴んでいる。
手元に目線を落とすと。
俺は小さな腕だけを握っていた。
メリー・クリスマス!!




