第九話 『王獣の骸』
王立ウルキアス魔術学園。
一年生が経験する最後の行事は、複数グループでパーティを組み、教師同伴の元、魔物を狩りに出掛ける事だ。
これはこの学園が毎年行い続けている行事で、学園が作られた当初からあるらしい。
昔は強い魔物が出没する所へ行き、毎年何人も死者を出していたが、この数十年で貴族が安全性を重視するように学園に訴えかけ、結果低ランクの魔物しか出没しない場所を利用する事になった。
向かうのは、低ランクの魔物しか出没しない山。
『魔神戦争』の折、《四英雄》によって討伐された《王獣》、またの名を《コロナ・コルナ》と呼ばれる、現在で言うSランク、災害指定個体に当たる巨大な魔物を倒した結果、その死骸から木々が生まれ、森が生まれたとされている。
その為、この山は『王獣の骸』と呼ばれている。
今日、俺達はここへ登る。
―
『王獣の骸』を登る時、三つのグループがひとつのパーティになり、二人の教師同伴の元、山へ登る。
登山グループには同じグループのヤシロはもちろん、近いグループだったレックスとテレスと一緒になることが出来た。
牽引の教師は『流心流』の授業で教わっているスイゲツと、魔術方面の授業をしているメローナという人だ。
「平民だと思って軽んじていたが……数日前の手合わせ、そこそこに充実していた。認識を少し……改め……た、ぞ」
俺達は今、『王獣の骸』の麓にいる。現在はグループで纏まり、教師の準備が整うのを待っている状態だ。
出発前、いつも通りの面子で四人固まっている時だった。
同じグループのベルスがレックスに近付いて来たかと思うと、そっぽを向いたままそんな事を言ってきた。
ぽかんとする俺達に顔を赤くすると、
「お前に模擬戦で負かされた借り、いずれ返させてもらうからな!」
と叫んで離れていってしまった。
「最初のは……俺に言ったんだよな……?」
「そのようだな。以前、ベルスという男は平民を見下す性根の腐った貴族の見本といった風だとウルグに聞いたが、対戦相手を労いに来るとは中々どうして面白い奴じゃないか」
「前はあんな風じゃ無かったんだよ……」
「やっぱり、何か悪い物でも食べたんでしょうか」
あそこまで人が変わると、逆に心配になるな。
賢人祭での態度といい、今の態度といい、何かしらベルスの考えを変えるような出来事が起こったのかもしれない。
不気味ではあるが、まあ悪いことではないだろう。
「はい、さっさと静かになってくださぁーい」
そうこうしている内に教師の準備が整ったらしい。
目がチカチカするようなピンク色の髪を肩の長さで揃え、前髪をパッツンにした二十代前半の女性が間延びした口調で俺達のグループに声を掛けた。
俺達を牽引する教師の一人、メローナだ。その隣にはスイゲツもいる。
「今日はただの遠足ではなく、集団で魔物を討伐する事を経験する場なのでぇ、あんまり面倒な事は起こさないでくださいねぇ。わたし、面倒事は嫌いなんでぇ」
「我々の指示を十分に聞き、真剣に活動してくださいね」
メローナの言い分にスイゲツが苦笑しながらそう付け加えた。
それから登山に関する説明があり、終了後、登山グループごとに決められたメニューを歩き始めた。
集団の輪を乱さぬように、木々の間にある整備された道を歩いている。斜度はそこまでキツくなく、鍛えていなくてもある程度は登れるだろう。
この山は登山者が多い為、それなりに道が整備されている。山登りをしながら魔物と戦う、と聞いて辟易といった生徒がそれなりにいたが、この調子じゃだいぶ温い登山になりそうだな。
「んーっ。やっぱ山は良いですね。森もそうですが、自然が多い所は空気が美味しいです」
「そうかぁ? そんなにかわんねーと思うけどな。つか、そんなに山が好きなら定期的に登山すれば良くない?」
「そうしたいのは山々なんですが……ぷはっ」
「山だけになっ! ははははは」
生徒を率いて歩いている教師達に聞こえないように、息を殺して笑い出すヤシロとレックスに、俺とテレスは取り残される。
また始まったか。
「前から思っていたが、この二人のは何なのだ? ……とても可笑しそうに笑っているのだが、その、私には少し理解できない」
「ダジャレって奴だ。安心しろ。俺もよく分かんないから」
爆笑する二人をテレスがやや不気味そうな目で見ている。まあダジャレが理解できないと何をやってるのか全然分かんないよな。
多少知っているが、俺も殆ど分からん。
前世でお笑い番組とか見せたら、こいつら笑い死ぬんじゃないだろうか。
俺はああいう番組を一切見なかったからよく分からないが、多分こいつら二人のギャグセンスがおかしいのだろう。
「良かった。高頻度でこの二人がよく分からないことを言って大笑いしているから、私の笑いのツボがおかしいのかと思ったぞ……。ウルグが仲間で良かった」
「……お、おい」
笑っている二人を尻目に、テレスがスススっと接近してくる。
肩が僅かに触れた。
「この登山が終わったら、また長期休みだな。その、良かったら二人でどこか――」
「私はウルグ様の影なのでどこか行くなら三人になりますね」
「俺だけ仲間外れにゃさせねぇぜ。行くんなら俺も連れてけ!」
テレスの言葉を遮って、笑っていた二人が話に入ってきた。
ヤシロは俺とレックスの間にするりと入り込み、レックスは俺の腰に手を回してくる。
ヤシロはとにかくレックスはやめろ離れろ。
「お前らは普段毎日一緒に稽古をしているのだから、たまには私とウルグの二人だけになってもいいだろう!」
「私とウルグ様は一心同体だから、テレスさんはお気になさらないでください」
「ぐぬぬぬぬ」
「くぅぅ。長期休暇の予定なんて母さんに会いに行く、くらいしか無いのにてめぇって野郎は羨ましいぞこら」
「別に母さんに会いに行って来れば良いだろう。母さんとイチャイチャしてろよ」
「あぁ? おめぇとイチャイチャするぞこら」
そんなあまり頭の良くないやり取りをして、『王獣の骸』を登っていく。
魔物の死骸から生まれた山だが、これと言って他の山との違いはない。昔は巨大な骨が合ったらしいが、今はもう見えなくなってしまっているしな。
「それにしても、魔物出ないですね」
「あぁ。途中で何匹かは遭遇するって聞いてたが、この感じだと何事もなく頂上についちゃうかもしれないな」
スイゲツは強い魔物は出ないが、山頂を目指して登っている内に何度かは出会うだろうと言っていた。
この登山の目的は集団行動、そして集団での魔物の討伐だ。魔物が出てこなければ目標を達成出来ない。
他の生徒も魔物が出てこないことを不思議がって、やや緊張が薄れてきているようだ。
俺は常に周囲に魔力を巡らせているし、テレスやヤシロも警戒を怠っていない。レックスは多分何もしてないな。
その警戒網に引っ掛からないということは、この周囲には魔物がいないということだろう。
「……おかしいですね。例年通りなら、ここまでで三回以上は魔物に襲われている筈なのですが」
「はぁぁ。まぁー、わたしは登るのが辛いんでぇ、このまま何事も無い方がいいんですけどね。はぁ、しんどい」
スイゲツ達もこの状況は予想外の様だ。
メローナの適当さにスイゲツは苦笑しながらも、彼も«魔力武装»で感覚を強化して周囲を探っている。
「ん…………」
「どうかしたか、テレス?」
「いや……気のせいだろう。何でもない」
「ん?」
テレスの様子に違和感を覚えながら、少し浮足立った様子で俺達は山を登っていく。
魔物が出ないせいで、当然生徒達の緊張は薄れ、徐々に全員の口数が増えていく。
「はぁぁ。なんでわたしが山なんかを」
メローナは普段体を動かしていないからか、この距離を登っただけでだいぶしんどそうにしていた。
それだけなら良いのだが、徐々に苛ついてきて、スイゲツに愚痴を漏らし始めている。
その内、私語をしている生徒にも当たりだした。
「……あのメローナという教師は、最近になって没落した貴族の次女でな。没落する前はかなり好き勝手振舞っていたらしい。魔術の腕は確かなようでコネを使って教師になったそうだが、まだ貴族気分が抜けきっていないらしい」
「貴族ってちょっと性格に難があるやつ多いよなぁ。なんつーか、自分は偉いぞー、優遇されて当然だぞーっていう態度が見え透いてる」
「確かにそういう奴もいるかもしれないな。だけどまぁ、皆が皆そういう訳じゃないだろうさ。テレスみたいな良い奴もいるしな」
「あー。そうだな。レグルス先輩も良い人だし」
「ふふっ。またウルグはそうやってさり気なく私を褒めて」
「…………むぅ」
それからしばらく歩いて、俺達は休憩地点に辿り着いた。
―
休憩地点は平地になっており、生徒達は腰をおろして休憩している。
魔物の襲撃が無かったお陰で、殆どの生徒に疲労の色はない。
一番疲れているのは、恐らくメローナだろう。
「……皆さぁん、ちょっと私語が目立ちましたよ。魔物が襲ってこないからってぇ、くちゃくちゃくちゃくちゃ口を動かさないでください」
息を荒くした状態で、座る生徒達に対して間延びした口調で注意を促してくる。
自分は全く警戒もせず、道中延々と愚痴を零していたくせにだ。
彼女の話を聞いている生徒達はやや不快そうに顔を顰めている。
「……それにしても、ここまで魔物が出ないのはおかしいですね」
顎を抑えて、ポツリとスイゲツが呟いた。
俺はこの山に来たことがないからどれくらいの数の魔物が生息しているかは知らないが、スイゲツ達の話を聞くとここまで魔物が出ないのは確かにおかしい。
魔物は人間の気配を感じると近付いて来る。これだけの数の人間が歩いているというのに、ただの一匹も魔物が出てこないのは確かにおかしいのではないだろうか。
「…………ウルグ」
ふと、隣に座っていたテレスが険しい顔付きで話しかけてきた。
「どうした?」
「魔物が一匹も出ない状況……この状況を以前どこかで聞いた事があった気がしていた。それを思い出したぞ」
「どこで聞いたんだ?」
「聞いたというよりは、読んだ、の方が正しいな。……ある縁で、私が魔物を調べている時に、その本の中で見掛けた事があったのだ。確か、あれは」
「ちょっとぉ、あなた達も道中私語多すぎですよぉ?」
テレスとの会話の途中、メローナが大きな声で俺達に向かってそう叫んだ。苛立ちの表情で、フラフラとこちらに近付いてくる。
面倒な奴が来た。
適当にあしらおうと、メローナの方へ向いた時だった。
「――ウルグ様ッ!!」
不意に、ヤシロが切羽詰まった叫びを上げた。
その瞬間――――、
「ふぇ!?」
メローナの足元が隆起し、彼女の姿が消えた。
いや、違う。
何かに、持ち上げられた。
「ひぇ、あああああああああ!?」
紫色の何かが、メローナを腕を加えて宙高く持ち上げていた。
それはブルリと体を震わせると、加えていたメローナの腕を噛み砕いた。
「っぇ、いぁぁああああ!? 痛い痛いいだい痛いいだいぃぃぃぃ!?」
宙で藻掻くメローナの絶叫に、誰も動けない。
やがてその何かはメローナを宙に放り捨てた。
悲鳴を上げて落下するメローナへ、次の瞬間、何かが喰らいついた。
耳を劈くような悲鳴、それが止むと同時に空からぼたぼたと赤い液体と塊が生徒達へ降り注ぐ。
当たった生徒が半狂乱になって叫びだす中、俺達はその何かに釘付けになっていた。
紫色の何か――それは巨大な蛇だった。
隆起した地面から姿を現した蛇は、一匹ではなかった。
次々に地面から、複数の首が姿をあらわす。
「あ……れは」
凍り付いた表情で、テレスが声を漏らす。
地面から首を覗かせた十の蛇。
最初、十匹の蛇が存在しているのかと思った。
しかし、十の首が出てきた直後、今まで以上に大きく地面が隆起し、更に巨大な蛇が姿を表わす。
よく見れば、地面から突き出てきた十の首とその巨大な蛇は一つの胴体に繋がっていた。
「え……Sランク」
呆然とした口調で、スイゲツが呟く。
同じように、テレスもその蛇を見て掠れた声で呟いた。
「災害指定個体……《喰蛇》ッ!」
単体で都を滅ぼしかねない、災害に等しい最高ランクの化け物。
絶望が、俺達を見下ろしていた。