第五話 『金髪少女』
七歳になった。
ドッセル達との関係は相変わらず上手く行っていない。
セシルの病気も一向に治らず、むしろ悪化し始めていた。
家庭の状況は、悪化する一方だ。
どうにかしたいとは考えるが、両親との関係も、セシルの病気も解決方法を見つけられないでいる。
「やーい! 黒髪ぃ!」
「気持ち悪いんだよ!」
外へ出れば、こんなふうに村の子供に馬鹿にされる。
帽子で髪を隠しているが、俺の髪のことを知っている者は少なくない。
子供の親達も、俺を見て露骨に顔をしかめ、俺に関わらないよう子供達に言い聞かせている。
「……恥晒しが!」
「どうしてそんな汚らわしい髪の色をしてるのよ!」
そして、時折ドッセル達にはこんな風に怒鳴られる。
セシルがカバーしてくれるが、それでも抑えが利かない時があるのだ。
黒。この世界で、忌み嫌われている色。
髪も、目も、俺はその黒だ。
まるで、俺という存在自体が、忌み嫌われているみたいだな。
「……俺は、髪を染めた方が良いんでしょうか」
そんなふうに、セシルに聞いたことがある。
俺は、正直に言ってこの黒色を気に入っている。
自分という存在がここにいることの証明のような……そんな気がするのだ。
けれど、こんなふうに嫌われるのなら、染めた方がいいのかもしれない。
「――私は好きよ」
俺の問に、セシルはそう答えた。
「ウルグといったら、黒だもの。ウルグの色を嫌いになるわけがないわ」
嬉しかった。セシルに、そう言ってもらえて。
セシルが好きだと言ってくれた色。
多くの人に、忌み嫌われている色。
どうしたらいいのか、俺には分からなかった。
―
《人食茸》との戦いも、だいぶ昔のことのように思える。
俺はセシルに修業を付けてもらってから、順調に実戦経験を重ねていた。
以前は苦戦した複数体の《人食茸》も、難なく倒せるようになっていた。
視野を広くするなど、実戦での立ち回り方も分かってきた。
『魔物相手の』だから、剣士との戦いではまた違ってくるだろうけどな。
それでも、踏み込み方や体捌きは、ある程度様になってきたと思う。
セシルも強くなったわね、と褒めてくれた。
戦闘に関しては、そこそこ順調と言えるだろう。
運動服に着替え、帽子を被って家の外へ出る。
向かうのは、いつもの森だ。
目的地までジョギングをしながら思う。
我ながら、かなり体力がついてきたと。
家から森まではそこそこの距離がある。
通い始めた頃は、森へ着くまでに息が荒くなっていたものだ。
それが今では、息一つ乱さず、森まで到着することができるようになった。
やはり、継続は力なり、だな。
体の方も、少しずつでき上がってきている。
身長は順調に伸びているし、無駄な脂肪もついていない。
修業の成果に手応えを感じている間に、森に到着した。
見られていないことを確認して、足を踏み入れる。
今日の修業メニューを考えながら、剣を隠した樹の近くまで来た時だった。
「や、やめろ!」
誰もいないはずの森の中に、女の子の声が響いた。
他にも何人かの子供の声が聞こえてくる。
……なんだ?
走るのをやめ、気配を消して音の方へと近付く。
「おら、変な髪の色しやがって!」
「綺麗な服見せびらかしてずるいわ!」
見覚えのある子供が三人いた。
以前から、俺を「化物」と呼んでからかってくる三人組だ。
その三人が、見知らぬ金髪の少女を囲んでいた。
「や、やめて……!」
少年の一人が、嫌がる金髪少女の髪を引っ張っている。
もう一人と少年と少女は、ケラケラと笑いながら金髪少女の服に土を擦り付けていた。
……いわゆる、苛めの現場というやつか。
気分が悪いな。
「……!」
その時、金髪少女の手に魔力が集まっていくのが見えた。
魔術か?
「天から舞い降りし祝福のか、きゃあ!」
「何してるのよ!」
金髪少女が詠唱しようとしたようだが、少女に髪を引っ張られ、中断させられてしまった。
、手のひらに集まっていた魔力も霧散してしまっている。
「……あれは」
今の詠唱は知っている。
以前、ドッセルが使っていた《旋風》の詠唱だ。
見たところ、あの金髪少女は俺や三人組と同年代くらいだ。
三人は魔術の魔の字も知らないようだが、あの金髪少女は魔術の心得があるらしいな。何かしらの教育を受けているのだろうか。
とはいえ、多勢に無勢。
ああも接近され囲まれてしまえば、魔術が使えてもどうしようもないな。
「…………」
気分が悪い。
子供ながら、悪意を剥き出しにして笑う三人組。
涙目で、助けを求める金髪少女。
シチュエーションは違えど、俺も同じように囲まれた覚えがある。
あの時は、通りかかった誰もが俺を見捨てて行ったが……。
「いたっ!?」
地面に転がっていた小さな石を拾い、少年の後頭部に投擲する。
見事に命中し、少年は悲鳴を上げた。
「どうしたの!? ぎゃっ!?」
「うわあ!」
他の二人にも、小ぶりの石を軽くぶつけた。
痛みに戸惑う三人に、さらに連続して石を投擲する。
三人組は「痛いよー!」と怯えながら泣き叫ぶと、虐めていた金髪少女を突き飛ばして逃げていった。
……ふう。
自分達は散々金髪少女に痛いことをしていたのに、自分が痛い目を見ると泣いて逃げるなんて、ずいぶん勝手だな。
というか、立ち入り禁止の森で何をやってるんだ。
いや……それは俺も同じか。
「え……え?」
金髪少女はぽかんとした表情のまま、尻もちをついている。
彼女のすぐ近くにある樹には、剣が隠してある。このままここにいられると、修業を始められない。
「……大丈夫か?」
仕方ないので、姿を現して声を掛けることにした。
「……っ」
急に出てきた俺を見て、金髪少女がビクンと体を震わせる。
近くで見ても、やっぱり見覚えがないな。
肩くらいまでの癖の強い金髪に、細く整えられた眉毛、宝石を連想させるような碧眼。泥で汚れてはいるものの、肌は透き通るように白く綺麗だ。まるで人形のように整った容姿をしている。
着ている服は白いワンピースだ。汚れているが、どことなく上品な印象を覚える。もしかしたら、高価な布が使われているのかもしれない。
やはり、年齢は俺と同じくらいだ。
こんな子を見かければ忘れるはずがない。最近どこかから村に越してきたのだろうか?
「災難だったな。あいつらはもう追い払ったから、大丈夫だ」
俺は目付きが悪いと評判だから、ファーストコンタクトに失敗すると不審者だと間違われそうだ。
できる限り安心させるように、話しかけた。
「…………」
金髪少女はなぜかムッとした表情を浮かべた。
早速何か失敗したのか……?
話し相手になってくれるセシルとのお陰で、前世と比べると対人スキルはめちゃくちゃマシになったはずなんだが……。
そう不安になっていると、金髪少女の口から思いもよらない言葉が飛び出してきた。
「余計なことをするな! お前が助けてくれなくても、私一人でどうにかできた!」
涙目のまま少女はこちらを睨み付けてくる。
この反応は、想定外だった。
初対面の子供に、ここまで嫌われるとは。
……まあ、よくあることではあるけど。
固まっている俺を、金髪少女は畳み掛けるように責め立てる。
「何でお前みたいな目付きの悪い奴に助けられなければならないのだ!」
こちらを指さし、偉そうに金髪少女が言う。
さすがに、カチンときた。
別に感謝しろ、なんて言うつもりはない。たしかに助けろ、なんて言われていないからな。助けたのは、俺の自己満足だ。
それでも、だ。こんなふうに罵倒される覚えはない。
「だいたい、この村の連中はだな――」
「……うるさいな」
「え?」
「もう黙ってくれ」
今度は、金髪少女がポカンとした表情で固まった。
「悪かったな、勝手に助けて。あのまま髪を引っ張られて泣いてるお前を見捨てていれば良かったよ」
「な……何だと!」
「だってそうだろ? 助けたら、お前に怒鳴られるんだもんな」
「わ、私は!」
「悪かったな、助けて。もう良いから、どこかに行ってくれないか?」
そこにいられては、修業ができないからな。
最強になるために、一日も無駄にはしたくないのだ。
早く修業させてくれ。
「ぶ……無礼だぞ!」
だが、金髪少女は余計にヒートアップした。
こちらを指さし、怒鳴ってくる。
「……うっとうしいな」
「っ……!」
反射的に、ついムキになって言ってしまった。
俺は何をやってるんだ。子供相手に大人気ない……。
ここまで苛立ったのは罵倒されたから、だけではない。
俺が苛められていた時は、誰一人として助けてはくれなかった。だから、自分一人で対処せざるを得なかったのだ。
そんな過去の自分と彼女を重ねあわせ、助けてもらえたのに、助けてくれた相手に怒鳴り散らす彼女が気に食わなかったのだろう。
「……本当に、大人気ない」
そんな風に自嘲していると、
「な……な……、何だとぉ」
金髪少女が怒りからか、ブルブルと体を震わせ始めた。
激怒するか……? と身構えた時だった。
「う……うぇ」
「……?」
「えぇ~~ん!!」
金髪少女は、途端に顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。
「お、おい……」
め、面倒くさい……。
まさか、泣かれるとは思わなかった。
三人組に転ばされたのか、彼女の体には至る所に擦り傷がある。服もドロドロだ。
こんな状態の女の子を泣かせたまま放置するのは、さすがに気分が悪い。
……俺も、大人気なかった
「おい……泣くなよ」
「うう……」
金髪少女は一瞬チラッと俺を見て嗚咽を止めた後、再び泣き始めた。
「私だって……頑張ってるもん! う、うう……うっとうしくないもん!」
「あ、ああ……。そうだな、お前は頑張ってるよ。うっとうしくもないから……な、泣き止めよ」
「うううぅぅぅ……うぅ……」
しばらく適当なことを言って慰めていると、少しずつ泣き声のボリュームが小さくなっていった。
二分くらい経った頃に、金髪少女はようやく泣き止んでくれた。
「強く言い過ぎたよ」
「……ゆるさないもん」
「悪かったよ。ただな、お前の言い分も酷かったって自分でも分かるだろ?」
金髪少女は、鼻をすすってうつむく。
「たしかに俺は勝手に助けたけどさ……あんなふうに、怒らなくてもよかっただろ?」
「……うん」
諭すように言うと、金髪少女は素直に頷いた。
いい子だ。
「俺もカチンときて、強く言い返しちゃったからさ。これでおあいこってことにしてくれないか?」
金髪少女はもう一度コクリと頷くと、
「……イジメられてるのを見られて、恥ずかしかった。だから、悪くないのに、怒ってしまって……ごめんなさい」
「ああ、俺も悪かったな」
お互いに謝りあい、一段落ついた。
謝った後に、金髪少女がまた泣き出しそうになり、慌てて慰める。
それにしても、そうか。
苛められているのが恥ずかしかったから、照れ隠しで怒ったんだな……。
そんなことにも、俺は思い至れなかった。
やはり、俺は駄目だな……。
「……」
しばらくして金髪少女が鼻を啜りながら立ち上がった。
思わぬことに時間を取られてしまった。
俺も修業したいし、そろそろ帰ってもらうか。
「そろそろ帰った方がいい。実はこの森、立ち入り禁止なんだよ」
「じゃあお前は……何でここにいるんだ?」
「え、あー……何か声が聞こえたから来てみたんだよ」
「……そうか」
痛いところを突かれたが、何とか誤魔化せた、はず。
金髪少女が、ジッと俺の顔を見てくる。
正面から見つめられ、思わず目を逸らしてしまった。
「なんで逸らすんだ?」
じっと、金髪少女が顔を覗き込んでくる。
やめろ近付くな。
よくよく思い返すと、前世では女どころか男とすら絡んでこなかった。こうやって人と正面から目を合わせると、何かゾワゾワする。
相手は小さな子供だというのに、情けない。
「ほ、ほら……早く行った方がいい」
「……分かった」
顔をそむけながらそう言うと、金髪少女は素直に頷いた。
クルリと背を向け、森の入口の方へ走っていく。
「……はあ」
しばらくその背中を見送り、完全に見えなくなってから大きくため息を吐いた。
修業前だというのに、ドッと疲れた気がする。
「……始めるか」
固まっていても仕方ない。
気を取り直して、修業を始めることにした。
樹のウロから剣を取り出し、俺は《魔力武装》を発動して素振りを行う。
それからやるのは戦う相手を想像しながら剣を振るイメージトレーニングだ。
ボクシングでいうシャドーボクシングみたいなものだな。
イメージするのは五匹の《人食茸》だ。
両腕を振り回しながら同時に襲い掛かってくるキノコ達の攻撃を躱し、すれ違いざまに胴体を切断する。そしてすぐさま次の《人食茸》に飛び掛かって、切り捨てる。
三匹目に斬りかかろうとしたところで、俺は動きを止めた。
――視線を感じる。誰かに、見られている。
「誰だ!」
「うわっ!」
勢い良く、視線の方向へ振り返った。
「お前……」
視線の先には、さっき帰ったはずの金髪少女がいた。
俺が勢い良く振り向いたことに驚いたのか、悲鳴をあげ樹の陰で膝をついてこちらを見ている。
「……何をしてるんだ」
「……お前こそ何をしてるんだ」
「……素振りだよ」
金髪の子はほぅと興味深そうな顔をして頷いた。
それからキッと俺を睨み付けると、
「私は剣が嫌いだ!」
と謎の宣言をしてくる。
ビシッと俺を指さしながらそんなことを言われても、リアクションに困る。
しばらく黙っていると、彼女は樹の陰から出てきて俺に近づいてきた。
「お前、名前は何という」
「……ウルグ」
「私は……テレスだ」
彼女は「覚えておけ!」と叫ぶと、俺に背を向けて、たたたたっと走り去っていった。
「なんで……ちょっと偉そうなんだ」
金髪少女が走り去っていった方向を見て、俺はしばらく固まるのだった。