第六話 『月下の二人』
学園に入学してから八ヶ月が経過した。
賢人祭の後、一年の前期が終了し、長期休暇が入った後に後期が始まり、授業も再開した。
前世の学校と同じ感じだ。
選択した授業はほぼ前期と同じだ。ただ、レックスやテレスと合わせられる物は合わせた。
グループごとで授業時間や教師が変わる物は、合わせようが無かったのだが。
前期で選択するかどうか悩んだ『弾震流』だが、結局後期でも選択しなかった。
というのも、スイゲツやエレナ、アルレイドといった剣術の教師に『ヤシロはとにかく、ウルグに「弾震流」は向いていない』と言われたからだ。
弾震流は剣術という側面もあるが、リズムを取ったり、舞うような体捌きを覚えたりと、他の剣術にない独特な動きが多い。
小さな頃からダンスを習っている貴族には比較的習いやすい剣術だが、ダンスとは無縁で、しかもリズム感覚があまり良くない俺には『弾震流』を覚えるのは相当難しいようだ。
そこで苦戦するよりは、弾震流と直接戦ってどんな剣術を使ってくるのかを把握するにとどめて、他の剣術を習った方が良い。
教師陣から軒並み「リズム感覚がない」「ダンスが下手そう」などと言われたのはショックだったが、まあ実際リズム感覚はないしダンスも下手なので、彼らの忠告に従う事にした。
剣に関してや、反射神経に関してはこの世界に来て強化されているが、前世でてんで駄目だった『センス』とかそういう部分は苦手なままなので、確かに踊りに重点を置いている弾震流は向いていないだろうな。
そういう訳で、後期の剣術系授業は前期と同じく、『流心流』『絶心流』『理真流』を選択している。
あれから修行の進捗具合を言うと、まず『流心流』では三段の技を一つ習得した。三段の修行よりも、実戦の修行を優先しているため、三段の技の練習はあまり進んではいないが、一つを使いこなせるまでにはなった。
対魔術師に有効な技なので、今後使う機会はありそうだ。
次に『絶心流』。
『流心流』よりも遅く始めたのに、今ではこちらの方が多く技を覚えられている。
まだまだ三段には届かないものの、三段の技も少しずつ習得してきている。エレナ曰く、このまま順調に行けば、そう何年も掛からずに三段になれるのではないかという話だ。
実戦にも大きく役立ちそうな技も一つ、使いこなせるようになったしな。
「三段になったら、このあたしの弟子と正式に認めてやるぜ」とエレナは言っていた。弟子はとにかく、修行を始めてから一年足らずで二段にまで上がれたのは、今代《剣匠》を除いて、エレナは知らないらしい。
三段にいつ届くか分からない流心流よりも、やはり俺は絶心流の方が向いているようだな。
最後に『理真流』。
こちらは他の流派よりも難しく、型を覚えるのも一苦労だ。
それでも修行を始めてから八ヶ月で、ようやく初段を取得する事が出来た。一応、これまで剣を振ってきたという経験があるからな。
それが無かったら、一年以上は掛かっただろう。
流心流と絶心流のどちらもそつなつこなすヤシロだが、理真流とはあまり相性がよくないらしく、初段を取るのが若干俺よりも遅れてしまった。
俺もそうだが、待つよりも自分から攻めた方が性に合っているな。
今年の『理真流』を受けている生徒の中では、初段を取るのが一番早かったということで、俺達はアルレイドにご飯を奢って貰える事になった。
―
俺達がアルレイドに連れて来られたのは、海が近いために魚料理が多い王都の中で、肉料理をメインに商売をしている酒場だった。
«火石»を使用した飾り気のない電灯が照らす店内は活気に溢れており、沢山ある席もほとんどが埋まっていた。
ウェイトレスが慌ただしく料理を運び、酔った冒険者が大声で武勇伝を語っている。
宿場街の近くにあるためか、貴族の姿は無く、店内にいるのは冒険者や平民ばかりだ。この粗雑な雰囲気は『迷宮都市』を思い出す。
「あー。今日は俺の奢りだ。まぁ好きなだけ食っていいぞ。ただし俺の財布がやせ細って餓死しない程度で、だ」
俺とヤシロの向かいに座った男が、指で摘んだ財布を宙でぷらぷらさせながらそう言う。
身に付けているのはシワの多い白衣で、濃い茶色の髪は手入れをしていないのが分かる程にボサボサとしている。顎には薄っすらと髭が生えており、顔立ちは整っているもののどこかくたびれた印象を受けてしまう。
目付きは鋭いものの、そこに覇気はなく、眠気をこらえているようにも見える。
王立ウルキアス魔術学園の『理真流』教師、アルレイド・ディオールだ。
大陸最大の学園で教鞭をふるえる程だから、並の人間ではないはずなのだが、ボサボサの髪や覇気のない態度、丸まった猫背などから、どうしても彼が強いようには見えない。
実際にアルレイドと手合わせしたことはないし、彼が剣を振っている姿も殆ど見たことが無いため、その実力を推し量る事は出来ない。
「それにしても、ちょっと意外でした。先生が私達に料理を奢ってくれるなんて」
涎をたらさんばかりにメニューを見入り、「さ、財布……」とアルレイドに冷や汗をかかせたヤシロが、ウェイトレスに注文を終えた後にそう言った。
俺もヤシロと同意見だ。
アルレイドは普段から生徒と接する時は気だるげな雰囲気を出していて、関わりたくないのかと思っていた。
「俺は褒めて育てる教師なんでな。とりわけ優秀なお前達にこうして奢ってやることで、より頑張るように仕向けているという訳だ。……教え子から優秀な奴が出ると、まぁ後々プラスになるからな」
ボソリと最後に付け加えたのが恐らくは本音なのだろうが、それでも意外というイメージは拭い切れない。
授業でも気怠げながらも的確な指示を出している所から、結構良い先生なのかもしれない。
と、そこで俺は前から聞きたかったことを聞いてみた。
「先生って理真流の何段ですか? 教師をしているから、四段ですか?」
「いや、四段じゃねぇよ?」
「……じゃあ、三段ですか?」
「三段でもねぇし、それ以下でもねぇ」
「もしかして、五段?」
「んなわきゃねーだろ。俺が五段だったら今頃理真流の道場でふんぞり返ってるさ」
全ての段を否定され、ますます疑問が増える。
段位持ちでも無いのに、学園で教師をする事が出来るのだろうか。
追及しようか悩んでいる内に、ウェイトレスが肉料理を運んできた。
白い皿に乗せられた、分厚い牛肉のステーキが湯気を立てている。唾液があふれるような肉の匂いに当てられて、俺とヤシロは喉を鳴らした。
そんな俺達の様子にアルレイドが笑い、
「ここの肉はすげーうめぇからな。教師をする前から何度か通ってるんだ。ここは酒もうめぇんだが、まぁお前らには早いな」
アルレイドの言葉を聞いているのか、早速ヤシロがステーキをバクバクと食べている。ナイフで切り、フォークで口へ運ぶスタイルは前世と同じだな。
肉は特製の甘辛いタレが掛けられている。歯ごたえはしっかりとしているが、固すぎず、簡単に噛み切る事が出来る。肉汁がジワリと口の中に広がって、熱さに息を吹き出した。
「はふぅ」
ステーキを食べているヤシロが、頬を手で抑えて幸せそうな吐息を漏らす。ヤシロは美味しそうに食べるなぁ。
アルレイドもヤシロの様子に苦笑している。
「にしても、今年は去年にもまして化け物みたいな生徒が入ってきたな。毎年、何人かは『天才』とか『神童』って呼ばれる奴はいるんだが」
レグルスや、前のトーナメントでレグルスと戦っていたウィーネは入学当初から天才と呼ばれていたらしい。
実際、彼らの実力はずば抜けている。
学生の身分で騎士や一流の冒険者と渡り合えるというのは、思っていた以上に凄い事のようだ。
当たり前のように接しているが、テレスやヤシロは化け物クラスの天才と言える。俺らに及ばないレックスの実力だって決して低いものではなく、むしろ彼の歳であれだけ出来れば良い方だという。
「ウルグとヤシロ。取り敢えずお前ら二人は剣術だけで言ったらマジで化け物だよ。まだ二十にも達してないガキが、三段の剣士やBランク冒険者以上の実力を持ってるってんだからな。これは誇っていいと思うぜ」
「私はとにかく、ウルグ様は凄いお方ですからね」
「だが、ウルグの方は悪名の方が大きいみたいだな。『黒鬼傭兵団』を退けたって話だが、だいぶ尾ひれがついちまってる。ヤシロの方は……」
そこでアルレイドはチラリとヤシロの頭を見た。いや、頭に乗っている帽子を見た。
ビクリとヤシロが強張らせたのが分かる。
「男どもにモテモテらしいな。だからか、あんまり強いって話は聞かねぇ」
アルレイドの言葉にヤシロが体から力を抜いた。
バレているのか……?
分からない。
「今の一年だと、誰が強いですかね?」
表に出しそうになった焦りを取り繕うように、俺はアルレイドに質問する。それに対して彼は顎に手を当てて考える素振りを見せた後、
「まぁ、まずトップがアルナードのお嬢様だろうな。魔術剣士としての腕はまさにピカ一だ。それからお前らを除くと、注目すべきはあと二人って所か。一人はエステラ・ステラリア。ステラリア家の嬢ちゃんだ。風と土と複合魔術を使えるって話だ」
やっぱり、テレスはトップレベルか。
「もう一人は……あの人狼種の坊主だな。本気で戦ってる所は見たことねぇが、模擬戦をしてるのを一度だけ見た。あれも中々の化け物だぜ」
「…………」
「…………」
人狼種という名前が出ると、やはりドキリとしてしまう。
前に『剣の基本』で見かけて以来、校舎で何回かすれ違ったりしている。いつも不機嫌そうにしている少年だ。
「ま、そんな所か。俺としては今挙げた三人と、お前らが戦う所を是非見てみたいね。もう何日かしたらレクリエーションで模擬トーナメントみたいなのがあったよな。その時に戦う姿が見れるのを期待してるぜ」
もう少しすると、一年生だけの行事が連続する。
そこにレクリエーションとして、前期で見たトーナメントのような戦いをする事が決まっている。
他にもいくつかのグループで山に魔物を狩りに行く、遠足のような行事も存在している。
それが終われば再び長期休みだ。
と、そんな事を話している時だった。
「――の村が壊滅していたらしいぜ。なんでも村人はズタズタに斬り裂かれていたんだとよ。魔物の襲撃って話らしいが、あの森には引退した冒険者が何人かいたし、そう簡単にやられるとは思えねえ。直前に村の方へ向かって歩く一人の人影を見たって奴がいるらしくて、『使徒』が動いたんじゃねえかって話だぜ」
「また『使徒』か。最近よく聞くな。マジで魔神が復活するんじゃねえよな」
そんな話をすぐ後ろに座っていた冒険者らしき男達が喋った。
『使徒』という名前が出た時、ピクリと一瞬だけアルレイドの体が反応するのを見た。
「先生?」
アルレイドの雰囲気を不審に思ったヤシロが声を掛けると、彼の体の強張りが弛緩した。
アルレイドは手元の酒を一気に飲み干してウェイトレスにおかわりを頼み、ふぅと息を吐き出した。
「……使徒と何かあったんですか?」
「いや、何もねぇよ。ただ、使徒っていうのはかなーり不吉な単語だから、ちょっと気になっただけだ」
「……使徒って一体なんなんですか?」
使徒にあまり詳しくないヤシロが、アルレイドに尋ねた。
俺もそこまで詳しくはない。
確か、魔神を信仰する連中だったか。
「正確じゃねぇが、魔神が封印されてから数百年が経ってから、『使徒』を名乗る連中が現れたらしい。目的は恐らく、魔神の復活――とかだろうな」
《四英雄》によって作られた結界は、何重にも重なっており、一つ一つが奇跡のような効果を持っていると言われている。
«断界結界»――文字通り世界と世界との繋がり断つ程の結界を、打ち破る手段があるとでも言うのだろうか。
「あいつらが指名手配されるきっかけになったのは《剣聖》の死だ。何代も前だが、その『使徒』と戦った《剣聖》が命を落としている。戦いの余波で街一つ消し飛んだらしいぜ」
「《剣聖》を使徒が殺したって事ですか……?」
何代か前とは言え、当時の最強の剣士が負けている。
衝撃的な話だった。
「あぁ。それから大陸中に連中の情報が行き渡り、指名手配って訳だ。だけどこれといった情報は殆ど掴めてねえ。後は十数年前くらいに、《簒奪剣》って呼ばれていた剣士が、使徒を一人討ち取ったって聞く」
「《簒奪剣》……ですか? 聞いたことないですね」
「あぁ。使徒を討ち取ってから、表に出てこなくなったらしいからな」
こう話を聞くと、ますます『使徒』という存在がわからなくなる。
一体、何なのだろう。
「来年に『聖剣祭』って祭りが王都で開かれるのを知ってるか? 何年かに一度、《四英雄》の一人が残した聖剣を表に出してあれこれするって祭りがあるんだが、噂じゃかなりの人数の警備が動員されるらしい」
「何でですか?」
「この王都には魔神が入れないように、大きな結界が張られてるらしいんだ。五百年以上も前の話だから弱くなってるみたいだが、その結界に今年、微弱な魔神の反応があったらしい。誤差の範囲内って言えるくらいに微弱だったが、『使徒』のものらしき被害が続出してるって事で、警戒してるんだろうな」
アルレイドは再び運ばれてきた酒で口を潤すと、
「いいか。使徒には出来る限り関わるんじゃねえぞ」
低い声でそう言った。
―
それから俺達は食事を終え、学園へ戻った。
アルレイドとは途中で別れ、ヤシロと二人で寮への道を歩く。
「先生、私が人狼種って事に気付いているんでしょうか」
「……どうだろうな。強そうに見えないが、どうにも得体の知れない所がある。ちょっと注意しておいた方が良いかもしれない」
まぁ、バレていても言いふらすようなやつでは無いと信じたい。
「先生……使徒について何か知ってるんでしょうか」
「……どうかな」
確かに、あの反応の仕方は少し普通じゃなかった。
使徒にも詳しかったし、昔何かあったのかもしれない。
「…………」
空には丸い月が浮かんでおり、夜道を煌々と照らしている。
この世界は菱型の巨大な大陸一つで完結していると聞くが、あの月はどうやって浮いているのだろう。
この綺麗な月にそんな事を思うのは無粋だろうか。
「……ん」
隣を歩いていたヤシロが、ゆっくりと俺の隣にまでやって来て、ピッタリと体をくっつけてきた。
俺の背が伸びたからか、前よりもヤシロが小さく見える。
「……今夜は冷えますから」
密着したまま歩くヤシロが、そんな事を言ってくる。
触れ合っている部分から彼女の体温が伝わってきて温かい。
「こうやって二人っきりでぴったりくっつくのって、結構久しぶりだな」
迷宮都市にいる時はときたまこうやってヤシロがくっついてきていたが、最近ではめっきり無くなった。
ひと目があるのを気にしているのだろう。
「……ウルグ様は、柔らかくなりましたね」
「……そうかな」
「はい」
月の光を頼りに、寮への道を歩く。
静かで、ヤシロと俺だけの空間だった。
「前にも言いましたが……私はウルグ様がどんな道を歩もうと、ウルグ様が望む道であれば、どこまでも付いていきます」
「……ありがとう」
「ですから――」
ウルグがぎゅっと俺の腕を掴んできた。
「ずっと、私を傍にいさせてください」
「……ヤシロ?」
「……最近、ウルグ様がレックスさんやテレスさんばかりと話しているので……その…………」
「…………」
ぽん、とヤシロの頭に手を置く。
「あう」と声を漏らすのを無視して、帽子を少しだけ持ち上げて中に手を入れ、狼耳をクニャクニャと弄る。
「う、うるぐ、さまっ」
耳の柔らかさを堪能した後、ヤシロの頭を久しぶりに撫でた。
気持ちいい手触りは変わらない。
「長期休暇」
「……?」
「模擬トーナメントと、もう一つのイベントが終わったら、長期休暇に入るだろ。だからその時に、二人でどっか旅行でもしてみるか。どこに行くか、とかはまた二人で決めてさ。前みたいに、また二人で同じ部屋を使ったりして。それで、またもふもふさせてくれ」
「ウルグ様……」
「傍にいさせてなんて、俺に聞くまでも無いだろ? むしろ、俺はヤシロが一緒にいてくれてる、みたいな風に思ってるくらいなんだから」
「いてくれてるなんて……そんな。私がウルグ様と一緒にいたいから……」
「俺だってそうだよ。俺も、ヤシロと一緒にいたい。だからさ、ヤシロ。これからも、その。一緒にいよう」
「~~っ! は、はいっ!」
犬の様に嬉しそうな顔をするヤシロを見て、胸が温かくなった。
直後、まるで結婚を申し込むような台詞だったと思い返し、顔が熱くなった。
空には今にも落ちてきそうなほど、丸い満月がひとつ。
月が照らす夜道を、二人で歩いた。




