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嫌われ剣士の異世界転生記  作者: 夜之兎/羽咲うさぎ
第三章 翡翠の鳴哭
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閑話 『その出会いは憂鬱』

「襲撃して来たのは二匹の《岩石龍アースドラゴン》です。冒険者が不用意に手を出したため、その冒険者を追ってここまで追いかけてきているみたいで」

「今、《岩石龍》はどうなっている?」

「兵と居合わせた冒険者が協力して対峙しております。Aランク冒険者の方が指揮を取り、一匹は追い詰めているそうですが、もう一匹が別方向から攻撃を仕掛けてきています。そちらが手薄になってしまっていて……」


 額にじっとりと汗を浮かべて現状を報告する兵の一人の前で椅子に腰掛けているのは、十歳程の子供だ。肩下まで伸びた癖のある金髪、子供とは思えないような強い意思が伺える蒼碧の瞳を持ち、動きやすそうだが品のある服装をしている。

 彼女の名はテレスティア・メヴィウス・アルナード。アルナード公爵家現当主、タイレス・メヴィウス・アルナードの娘だ。

 彼女は兵の言葉に碧い瞳を伏せ、顎に手をやって僅かに思案すると、


「状況は理解した。ではそちらの《岩石龍》は私が相手しよう」


 そう言って椅子の傍らに置いてあった碧い刀身を持つ剣を手にすると、勢い良く立ち上がった。

 テレスティアの様子に兵士は別の意味で汗を浮かべ、まだ十歳の彼女をAランクに指定される龍種の相手をさせる訳にはいかないと必死に止めようとするが、


「父タイレスが不在の今、私にはこの領地を守らねばならぬ義務がある。領民が龍種に蹂躙されている間、自分は安全な場所に隠れているというような行いは出来ない」


 兵士の制止を斬り捨て、テレスティアは龍種の討伐へ動く。

 そしてこの龍種討伐こそが、彼女が《アルナードの神童》《メヴィウスの再来》と呼ばれるようになる切っ掛けとなった。



 アルナード公爵家。


 かつて世界を覆い尽くそうと魔の手を伸ばした伝説の魔神を封印した《四英雄》の一人、メヴィウス・アルナードから大きく発展した貴族だ。

 ウルキアス各地に領地を持ち、貴族の中でも最上位の地位を持っている。


 《四英雄》メヴィウスの使っていたという剣術を『メヴィウス流剣術』として引継ぎ、アルナードの血を継ぐ者だけがその剣術を知る事が出来るという。


 そんなアルナード家当主、タイレス・メヴィウス・アルナードの元にテレスティアは生を受けた。

 テレスティアが生まれてから数年の間、彼女には母と兄がいた。母は気高くて品があり、他人の為に必死で動ける人間だった。兄はアルナード公爵家次期当主として、それに足る実力と器を持つ人物だった。

 その二人を尊敬し、テレスティアは母の教えである『他人を助ける事は自分を助けることだ』という言葉を信じて生きてきた。


 しかし、悲劇は起こる。

 王都の外へ出ている時に、《鎧兎》、もしくは《アルマトゥーラ・クニークルス》と呼ばれる災害指定個体の魔物に襲われたのだ。兵士は為す術なく喰われ、それは母も兄も例外ではなかった。

 母は死に、兄は大きな傷を負う事になる。


 そして、妻を失い、兄が動けなくなった日から、タイレスは変わってしまった。

 テレスティアを兄の代わりとし、今まで彼が受けてきた稽古をテレスティアにもし始めた。自由な時間などほぼなく、テレスティアは毎日稽古を受けさせられることになる。


 彼女にとって一番辛かったのは、タイレスから直接指導されるメヴィウス流剣術の時間だっただろう。木刀で強く殴り付けられ、テレスティアに向かって兄の方が優秀だったと何度も怒鳴りつけたのだ。

 それから彼女は剣を嫌いになっていく。


 そんな彼女が自ら剣を振る様になったのは、ある少年との出会いだった――――。



「オォォ――――ッ!!」


 叩き付けるような咆哮が吹き荒れる。質量を持った声量に周囲にいた兵士達が身体のバランスを崩して吹き飛ばさていく。

 全身を殻のように覆うどす黒い岩石で兵士達の攻撃を弾き返し、その圧倒的な質量を以って兵士達を薙ぎ倒す。ゴツゴツとした鉄の歯が生え並ぶ口を大きく開き、そこへ魔力を集中させて巨大な岩石を創りだし、勢い良く発射する。

 並みの攻撃を無効化する防御力と、敵を薙ぎ倒す破壊力を持ち合わせたAランクに分類される龍種《岩石龍》。


 中級魔術を連続してぶつけても、その足を僅かに止める程の効果しか無いのだ。 岩の鎧を突破できる威力の攻撃を持たない兵士達では、防御網を突破されるのも時間の問題だろう。


「確かに強力な魔物ではあるが、倒せない事は無いな。十分の間、時間を稼いで欲しい。そうすれば、私はあの龍種を倒せる」


 だからこそ、唐突に姿を現し、何とも無いようにそう呟いたテレスティアに、兵士達は半ば怒りを込めた視線を向けていた。

 幾ら公爵家の娘とはいえ、この戦場に出てくるのは馬鹿としか言い様がない。だが、強い意思を見せる碧眼の双眸と、凛とした彼女の風格から、それは戯言と切り捨てる事を兵士達に躊躇わせた。


 当主のタイレスがいない間、指揮は私が取るとテレスティアが宣言しているのだ。それを全く無視するのも問題になってしまう。


 剣での攻撃は役に立たず、魔術も決定打にはならない。水属性魔術が今の所、龍種の動きを止めるのに大きく役立っているが魔術師の魔力切れも近い。

 これ以上は限界だと、兵士長が撤退を指示しようとした時だ。


「――よくやってくれた。これで、勝てる」


 いつの間にかテレスティアが《岩石龍》の前に立っていた。しかも彼女は自身の剣を鞘に収めており、全くの無手でいる。


「テレスティア様ッ!!」


 兵士長が彼女の名を呼び、連れ戻そうと動くよりも早く、龍の顎がテレスティアに喰らい付こうと彼女に迫っていた。

 小さな少女がその牙に容易く食い千切られる。

 その場にいた誰もが、その光景を脳裏に浮かべた。


「――――」


 血飛沫が飛び散る。

 鎧が砕け散り、肉が弾け、骨が断たれ、龍種が地面に落ちた。


「は?」


 誰もが呆けた声を上げた。

 無傷のテレスティアに、死んだのは《岩石龍》の方だった。

 何が分からぬ兵士達の前に戻ってきたテレスティアが小さく息を吐いて呟く。

 「言葉通り、倒してみせたぞ」と。



 テレスティアが龍種を討伐している間に、もう片方の龍種も倒されたようだった。怪我人は出たものの、死亡者は一人も出ていない。

 呆然とする兵士達に後始末の指示を出した後、テレスティアは館へ向かって歩いていた。


「……あの技は時間が掛かり過ぎる。一人でいる時はとてもではないが使えないな」


 龍種を打ち倒した技の未熟さに溜息を吐く。

 あれではあの少年との戦いでは役に立たないな、と心の中で呟いた後、彼の事を思い出して少しだけ笑みを浮かべる。

 斬り付けるような鋭い目付きに、闇夜に溶けてしまうような漆黒の髪。ぶっきらぼうだけど面倒見の良い、寂しがりやの少年。

 剣を振ることが嫌いだった自分に、再び剣を握る勇気をくれた少年。


「――ウルグ」



私は父に連れられて、アルナード家の領地の一つ、別荘のある『オトラ村』という所へ行った。

 そこで出会った一人の男の子が、私の人生を大きく変えた。



 テレスティアが七歳の頃だ。


 領地の視察という事で、テレスティアは父に連れられてある村にやって来ていた。

 オトラ村。

 特にこれと言った物がない小さな村だ。


 村にやって来た彼女を待っていたのは、普段通りに厳しい稽古だった。

 ただし、父は用事があるらしく、剣術の稽古はしばらくお休みになった。

 その為に休憩時間が増え、一人でいられる時間が増えた。

 その間、テレスティア部屋の中に閉じこもり、ぼーっと寝て過ごしていた。特にやりたい事もなく、ただ寝たかった。


 だけどある日、ふと一人で村を歩いてみたいと思った。

 この退屈な日々に、何か新しい発見があるかもしれないと思ったからだ。

 魔術の稽古で使えるようになった«旋風ホワールウィンド»を使って窓から下へ飛び降り、村へと足を踏み出した。


「……何も無いな」


 館を飛び出してから十分。

 人に見つからないようにこそこそと村の中を探索するが、本当に特にこれといった物がない。

 小さな民家が建ち並び、作物を育てる畑が広がり、王都のような賑やかさの欠片もない、のどかな風景が広がっていた。


「新鮮ではあるが……楽しくないな」


 何かこう、あっと驚くような何かを求めて出てきたが、そんな都合の良い物が見つかる訳もなく、ブラブラと村を歩きながら既にテレスティアは館に帰ることを考えていた。

 あてもなく歩いていたせいで、民家から離れて、村の奥に広がる森の手前にまで来ていた。


「……」


 日中だというのに、その森はどこか薄暗く湿った空気を漂わせていた。奥の方を覗き込むと、どこか飲み込まれてしまいそうな錯覚を覚える。

 好奇心と恐怖の間に挟まれたテレスティアはしばらく逡巡した後、恐る恐る森の中に足を踏み入れた。

 中はひんやりとしていて、不気味な雰囲気だ。

 早くも入った事を後悔し、出ていこうか、いや出たら負けたような気がするし……なんて悩んでいた時だ。


「森には入っちゃいけないんだぞー! 悪いやつだー!」

「っ!?」


 不意に後ろから声を掛けられ、テレスティアはビクリと体を震わせる。

 早鐘を打つ心臓を隠すように胸に手を当てながら振り向くと、後ろには二人の少年と一人の少女が立っていた。


 テレスティアが着ているような服とは違う、飾り気の少ない質素な服装の少年達だった。髪の毛もボサボサしており、整えられていない。

 テレスティアに声を掛けてきた少年はどこか意地の悪そうな笑みを浮かべていた。


「……入っちゃいけないというのなら、お前達だって入っているじゃないか」


 その笑みに苛ついたテレスティアは、少し強い口調でそう言い返した。

 その反論が気に食わなかったのか、少年達は苛ついた表情を浮かべる。


「おれ達はいいんだよ! ここは秘密基地だから! だけどお前は駄目だ!」

「そうだそうだ! 勝手に入るな!」


 勝手な理屈を持ちだして憤る三人に呆れ、テレスティアは彼らに背を向けて森を進もうとした。


「待ちなさいよ!」

「痛っ」


 後ろから髪を引っ張られ、痛みに振り返る。

 今まで黙っていた女の子が髪を掴み、こちらを睨み付けてきていた。


「綺麗な髪の色をしてズルいわ! 服だって!」

「な、何を言って」


 テレスティアの外見が気に食わなかったのか、女の子がテレスティアの髪を再び引っ張り始める。それが合図だったかのように、もう一人の男の子も攻撃をしてくるようになった。


「や、やめろ!」


 女の子が髪を離したかと思うと、今度は地面の泥をすくって服につけはじめた。交代するように男の子が髪を引っ張り始める。


「やめて!」

「おら、変な髪の色しやがって!」

「綺麗な服見せびらかしてずるいわ!」

「やっちゃえやっちゃえ!」


 痛みに悲鳴を上げるも、少年達は攻撃をやめてくれない。

 途中で魔術を使って抵抗しようとするものの、詠唱を遮られてしまい、それも叶わなかった。

 稽古を通して強くなっていると思っていたのに、実戦ではまるで役に立たない。今の自分はただされるがままで、反撃する事すら敵わない。

 そう思うと悔しくて、惨めで、涙が出てきた。


 その時だ。


 ヒュンと音がして、木の陰から石が飛んできた。

 それは髪を掴んでいた少年に命中する。痛みに驚いて少年が手を離すのと同時に、他の二人にも石が飛んできた。


「痛いよー!」


 そう泣きながら三人はテレスティアを置いて、走り去って行く。

 呆然としているテレスティアの前に、一人の少年が姿を現す。


 同い年くらいの少年だった。

 抜身の刃のような鋭い目付きの、魔神と同じ色の髪を持つ、同い年くらいの少年。手には石が握られており、彼が助けてくれたのが分かる。

 それだというのに、テレスティアは虐められていた恥ずかしさによって、少年に怒鳴ってしまった、筋違いの怒りに少年は静かに「もう黙ってくれ」と言った。

 その重い響きにテレスティアはビクリと体を竦ませる。


「そんな文句を言われるくらいだったら、助けずに見捨てとけば良かったよ」

「な……何だと!」

「だってそうだろ? 助けたらお前にキレられるんだから」

「わ、私は!」

「もういいって。うざいから」


 うざい。

 うざいなどと、テレスティアは今まで言われたことが一度もなかった。

 自分が悪いという自覚と、彼に言われた言葉によってテレスティアの目に涙が浮かぶ。

 思わず泣いてしまうテレスティアに鼻を鳴らし、少年はこちらに背を向けて歩き出した。しかし、何故か途中で足を止め、頭を掻きながら再びこちらに近づいてきた。

 それからテレスティアを泣き止ませようと、たどたどしい口調で話しかけてくる。


 ――黒髪なのはびっくりしたけど、最初に助けてくれたし、優しい人なのかもしれない。


 その少年を見て、そう思った。

 それからテレスティアは少年から離れた後、木の後ろに隠れて彼の行動を伺う。

 土から剣を掘り起こしたかと思うと、少年は剣を振り始めた。


「私は剣が嫌いだ!」



 そんな宣言をして、テレスティアは少年に名前を尋ねる。

 その時の自分はテンションがおかしくなっていたのだと、テレスティアは後でベッドで悶えることになる。


 これが、テレスティアと少年――ウルグとの出会いだ。





 その日からテレスティアは、毎日稽古の合間を縫って、その森に行くようになった。目的は剣を振る少年、ウルグだ。


「また来たのか」


 そう言って呆れた表情を浮かべながらも、どこか嬉しそうなウルグに何故か模擬戦を挑むのが、毎日の日課だった。

 魔術を使うのは、剣を振ることの次に嫌いだった。

 だというのに、ウルグと戦っている間は、魔術を使うのが楽しかったのだ。


 毎回模擬戦に負けると、悔しくて泣きそうになった。でも、ウルグはそんな自分を慰めてくれる。それがなんだか新鮮で、テレスティアは嬉しかった。



 ある日の事だ。

 いつものように模擬戦をしにきたテレスティアとウルグの目の前に、沢山の魔物が現れる。黒くて大きな犬の魔物だ。

 怯えるばかりのテレスティアを、ウルグは勇敢に戦って守ってくれた。剣を振るう姿は格好良くて、世界で一番格好良いのではないかと思った。

 しかし、テレスティアはウルグの足を引っ張り、ウルグに怪我をさせてしまう。


 治癒魔術を習っていて、心から良かったと思った。

 自分の膝に乗せ、ウルグに治癒魔術を掛ける。傷はすぐに言えたが、ウルグは目を覚まさなかった。


「……寂しいよ」

「……ウルグ?」


 目を瞑ったままのウルグが、小さく呟く。

 彼の瞳から、涙が零れ落ちた。


「俺を……見てよ。ここにいるのに」

「――――」


 衝撃だった。

 強くて、一人で何でも出来てしまいそうな、弱い所なんて一つも無さそうなウルグが、こうやって涙をながすなんて。

 その時に、テレスティアは思ったのだ。この少年を守ってあげられるくらいに強くなって、自分がこの少年を守ってあげたい、と。

 涙を指で拭い、テレスティアはウルグの頭を優しく撫でる。そうして小さな声で、宣言した。


「お前の傍にいれるくらいに、強くなるから」


 これが、テレスティアが変わる大きなきっかけとなる。

 剣嫌いの彼女が、ウルグと共にあるために剣を握るきっかけに。


 それから数日の間、テレスティアは人生の中で最も幸せな時間を過ごした。

 ウルグの剣の教え方は優しくて、上達していくのがわかった。「うまくなったな」とウルグに褒めてもらえるのが、何よりも嬉しかった。

 頭を撫でてくれるのが、気持よかった。


 だけど、かけがえの無い日々は終わりを告げる。

 領地の視察が終わり、テレスティアは王都へ戻らなければならない。


 別れは告げなかった。

 今度会う時はお前を守れるくらいに強くなるから。

 だから、その時は褒めて欲しい。


 そう思い、テレスティアはウルグと別れた。


「――また」


 会いに行くから。




 自分の人生を変えたと言っても過言では無い少年の事を思い返して、テレスティアは胸が温かくなるような感覚を覚えた。彼の背中を追いかけてきたからこそ、今の自分があるのだ。

 タイレスの稽古にも彼を思えば耐える事が出来た。


 早く、もう一度彼に会いたい。だけどそれは今のテレスティアの立場では叶わぬ願いで、今は自分の義務を果たさなければならない。

 再会できるのは二年後くらいになるだろうか。


 彼との出会いを、テレスティアは思い返す。

 忘れることが無いであろう、宝石のような輝きを持つあの日々を。

 そうしてもう一度だけ、噛み締めるように彼の名を呟いた。


「――ウルグ」



「想い人の名前かなにかかい?」


 彼との再会に焦がれ、感傷に浸るテレスティアの意識は、唐突に問いかけられたその声によって現実に引き戻された。感傷に浸る自分に声を掛けてきたその無粋さに少し眉を顰め、テレスティアは声の主の方へと振り返る。


 そこに居たのは、勿忘草色――ほの暗い水色の髪の青年だった。

 寝癖なのか所どころ跳ねている髪に、深い隈が刻まれた紺色の瞳。寝起きのような気怠げな雰囲気を漂わせており、その頭にはアイマスクが掛けられている。服装もパジャマのように緩く簡素な物だ。

 年齢は十七程度だろうか。子供という程幼くはなく、大人という程歳をとっている訳ではない。青年という言葉がピッタリと当て嵌まる。

 その青年を見たテレスティアは、何故かウルグの事を思い出していた。外見は全く違うし、年齢も離れている。だが内に秘めた陰のような部分がその青年からは滲み出ており、それがウルグを連想させた。


「その年齢で龍種を討伐しちゃうだなんて、とんでもない事だよね」

「……誰だ」

「あぁ、今は君の話をしているから、こちらの事は気にしなくても良いよ」


 そう身勝手な事を言い、青年は大きく欠伸を浮かべる。追及しようと口を開くテレスティアの言葉を遮るように、青年は再び口を回し始める。


「正直に言って、その年齢でその力は尋常じゃないよね。異常と言っても良い。そこまで来るのにどれ程の苦労と努力を重ねてきたかを考えると酷く憂鬱な気分になるよ。だからこそ、君に聞きたいことがあるんだよね。自分が原因ではないのに、自分ではどうしようもない『立場』だとか『義務』とかを押し付けられるってどういう気分? 君の場合で言うと、『アルナードの人間』としての立場と義務を押し付けられて、君はそれに答えようと涙ぐましい努力を続けている訳だよね。それは酷く憂鬱で、怠くて、面倒で、辛くて苦しい物だと思うんだけど、そこの所どうなのかな?」

「…………、自分が原因ではないとしても、与えられているのだから義務は果たすべきだと、私は思う」

「詰まらない受け答えをするもんだね。学園の教本を音読しているみたいな模範的で勤勉で退屈な答えだ。まあ学園に行ったことも、教本を読んだことも無いけどさ」


 ペラペラと口を回す青年にテレスティアは気を悪くし、話していても時間の無駄だと彼を無視して歩き出そうとする。しかし青年はテレスティアを遮るように早足で回りこんできた。


「いやいやいやいや、今会話してるよね? それなのに無視して歩き出そうとするのってちょっとおかしくない? こっちは眠くて怠くて苦しい体を引きずって君の話を聞くためにここまでやって来てるのにさ。その行動はちょっと相手に対する思いやりに欠けた行動じゃないかな?」


「……眠いにしては、口がよく回っているな。そんなに眠いのならば家で眠ればいいだろう」


「眠くて頭が回らないからこそ口を回して誤魔化してるんじゃないか。起きているための努力をそんな風に言うのはやめてもらえないかな? まあそれはいいや。なるほど、君としては義務を果たすのは当然だと考えているんだね? 本当に? 君の立場だったら、さっき呟いてた何とか君っていう想い人と結ばれる事は無理じゃないかな? 貴族ってほら、何か色々面倒なんでしょ? 立場のせいで自分のやりたいことが出来ないっていうのはそれだけで死にたいくらいに怠いとは思わない?」


「…………」


 早口で捲し立てる青年の言葉に、テレスティアは言葉に詰まる。貴族という立場が無ければ、ウルグに会いに行きたいと思ったことは幾度とあるからだ。


「ねぇ、今すぐ貴族なんて立場は捨ててさ、自分のやりたい事を自由にやりたいとは思わない? それで君を責める人は居るだろうけれど、君の人生は君だけの物なんだから、それで気に病む必要は無いよ。というよりも、自分のやりたいこともやれない人生なんてさ、死んでしまった方がマシとは思わない? 眠るように死ぬ事ができたら、幸せだと思うんだ。立場も役目も義務も責任も全てをほっぽり出して、怠惰に永遠に惰眠を貪る事が出来るっていうのは、究極の快楽だとは思わない?」


 脳に染みこむような、蕩けるように甘くて仄暗くて魅惑的な言葉だった。退廃的で大敗的な、憂鬱で億劫で面倒で気怠い人生を放り出してしまえたら、どんなに楽だろう――――。

 深い闇へ落ちていくような感覚のテレスティアを正気に戻したのは、懸命に剣を振り続ける少年の姿だった。彼は毎日毎日、自分の目標に向かって剣を振り続けてきた。そんな彼を置いて、自分だけ怠惰に過ごすなんて、自分には出来ない。


「それでも私は、自分のやるべき事は果たすべきだと……そう思う」


 テレスティアの答えに、青年は大きく溜息を吐く。


「はぁ。眠い。怠い。足が棒の様だ。眠気のせいで吐き気がする。頭痛もする。視界がチカチカする。こんな所に赴いたのに、聞けたのは詰まらない勤勉な人間の答えだったよ。はぁ、働き者は嫌いだ。その人間が勤勉なだけなら良いけど、働き者は得てしてその勤勉さを他人にも強要する。独善的で独断的なその思考回路を想像するだけで息をするのも面倒なくらいに億劫な気分になる」


 青年が頭をユラユラと揺らし、テレスティアに向かって手を突き出す。


「そういう働き者はさ――成長する前に殺しておいた方がいいと思うんだよね」


 青年が突き出した手を持ち上げ、そしてゆっくりと振り下ろす。鈍重に下ろされた手は何も為さず、振り下ろした風圧すらもテレスティアには届かない。


「さっきから……一体何なんだお前は。悪ふざけが過ぎるぞ」

「悪ふざけ、悪ふざけ、悪ふざけね。うん、そうだね。その通りだね。与えられた仕事しか熟さないこの僕様(やつがれさま)が、余計に余分に身体を動かすなんて、あり得ない」


 そう一人で呟き、青年は納得した風に頷く。

 何が言いたいのか、何が聞きたいのか、全く理解できない青年の言動に薄ら寒い物を感じながら、テレスティアはどこの誰かをその青年に訪ねようとして、


「テレスティア様ー!」


 後ろから声を掛けられ、振り返った。

 見れば、最初にテレスティアに報告しにきた兵士がこちらに掛けてきていた。

 彼の顔を確認してから、テレスティアが後ろの青年を振り返ると、


「――――」


 そこにはもう誰も居なかった。




 それから気になったテレスティアがその青年の事を探したが、そんな外見の青年は村には存在していなかった。

 ほんの数分の、夢と間違えてしまいそうな程の邂逅。酷く憂鬱で、酷く退廃的な気分にさせられた、ただそれだけの会話だった。

 感傷の余韻を壊す、それだけの会話だった。


 終焉への始まりへと続く、ただその過程にあった、ほんの些細な出来事でしかなかった。 



次章:『赤血の代償』

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