第十五話 『友達』
目を開いて最初に視界に映ったのは、俺を覗き込んでいたヤシロの顔だった。
ぼんやりとした意識のまましばらくヤシロの顔を見ていると、ヤシロは瞳に涙を浮かべて俺の手を握っていた。
「良かった……っ」
状況が分からなかったが、泣いているヤシロを泣き止ませる為に、その頭を撫でた。
―
学園で俺達を襲撃してきたのは、やはり『黒鬼傭兵団』であったことが騎士団の調査で明らかになった。
今回の件の黒幕は、ヴィレムだった。
ファーディナンド家は『黒鬼傭兵団』と裏で繋がっており、彼らを王都に匿っていたらしい。
匿う代わりに、ファーディナンド家にとって都合の悪い相手を消す仕事を依頼していたようだ。
ファーディナンド家の貴族は『黒鬼傭兵団』との繋がりが露見し、騎士によって捕らえられた。近いうちに処分が下るらしい。
ベルスの仕業かと思っていたが、あいつは全く関係なかった様だ。疑って申し訳ない。
しかし、騎士団が動き出した頃には『黒鬼傭兵団』の残党は王都から姿をけしており、アイヴァン・ストレイシーツも捕まえる事は叶わなかった。
現在騎士団で彼らの行方を追っているそうだが、見つけるのは難しいとの事だ。
俺はというと、あの後駆け付けた教師と騎士達によって保護され、学園の中にある医療施設に運び込まれていた。
ヤシロと一緒に連れて来られたようだが、ヤシロの方が先に目を覚まし、俺が起きるのを待ってくれていたらしい。
俺が寝ている間、テレスが色々と手を回してくれていたようだ。
『黒鬼傭兵団』撃退の成果は全てテレスの物になりそうだったらしいのだが、彼女が断固としてそれを拒否してくれたんだとか。
テレスの話によると、ヴィレムを倒したのは俺らしい。
俺にはヴィレムに止めを刺されそうになる直前の記憶しか、はっきりと残っていない。
ただ、暗く深い海の底で藻掻いているような感覚は何となく覚えている。
前に一度、似たような事があった。
迷宮都市で大量の魔物に襲われ、意識を失った時だ。あの時も溺れているような感覚を味わっていたし、気付けば魔物が全滅していた。
今回の状況も、前のあれによく似ている。
医療施設で魔力の検査を受けたが、特に異常は見られなかった。
強いてあげるなら、俺の魔力量が少しだけ増えていた事だろうか。大した変化ではないので、誤差の範囲といえるが。
俺は一体、どうなってるんだ。
自分の事すらも、よく分からない。
取り敢えず、これが事件の顛末だ。
だけどもう一つ、話しておかなければならない事がある。
レックスの事だ。
―
「……ウルグ様、申し訳ありません。私が足を引っ張ってしまったせいで」
「ヤシロは何も悪くないよ。俺だって一人でアイヴァン達を相手にするのは無理だったと思うしさ」
「ですが……」
「気にすんな。命令だ」
「はい……」
そんなやり取りを挟んで、俺達は部屋から出た。
今向かっているのは、医療施設の中にある個室だ。ヤシロが利用申請を出してくれており、一時間だけ使える事になっている。
レックスは俺を庇って雷に貫かれた。
あの時、あいつはどんな思いで俺を庇ったのだろう。
自分の命を捨てても良いと思うほどに、俺の事を友達だと認めてくれていたのだろうか。
個室のドアに手を掛け、中に入る。
個室は十人の生徒が同時に使用できる大きさだ。長方形の机が会議室の中央に置かれ、十の椅子が並んでいる。ガラス張りの窓があるが、今はカーテンで覆われている。
「――おすっ、元気かウルグ?」
部屋に入るなり、一人の男が声を掛けてきた。
短く切り揃えられた茶髪に、どこか愛嬌のある顔立ち。鍛えられた逞しい体を持つ、十五歳くらいの少年だった。
「あぁ、お陰様でな。――レックス」
レックスは死んでいなかった。
雷がレックスの体を貫いたかと思ったが、実は鎧の一部を貫いていただけで、彼自身は全くの無傷だったのだ。
感電したせいで意識は失っていたものの、あの戦いの最中、レックスはすやすやと眠っていたらしいのだ。
レックスの容態を見に駆けつけたテレスは、傷が全く無くて逆に戸惑ったらしい。
俺とヤシロはレックスの向かいの席に腰掛ける。
「レックス、何で俺を庇ったりしたんだ」
そして俺は最初に一番聞かなければならないことを切り出した。
レックスはその質問にふんと息を吐いて答える。
「お前が友達だからに決まってんだろ」
何を当たり前な事を、と言いたげな表情だった。
「お、お前、一歩間違えたら、死んでたかもしれないんだぞ」
「あの時、俺が庇わなかったらお前が死んでたかもしれないだろ。目の前で友達が死にそうになってるんだ。自分の生き死になんて頭にねぇよ。ただ、お前を助ける為だけに動いてた」
「そんな…………」
「お前が無事で良かったよ、ウルグ」
俺は。
何て言ったらいいのか分からなかった。
ただ真っ直ぐに向けられる、レックスからの安堵の視線。
それに対して俺が言えたのは、一言だけだった。
「――――ありがとう」
レックスは「おぅ」と頷き、にっこりと笑みを浮かべた。
「今度、飯でも奢ってくれよな」と茶化すように付け加えて。
「だけど……もう無茶はしないでくれ。お前が死んでたら……俺は」
「……それは保証できない。俺はお前やヤシロちゃんが死にそうだったら、絶対に何度だって助けようとすると思うぜ。それは、ウルグやヤシロちゃんだって同じじゃないか?」
もし、ヤシロやレックスが死にそうになったら。
確かに、俺は自分の命を考えずに二人を助けようとするだろう。
隣に座るヤシロも、無言で頷いていた。
「まぁ、こんな風に死にかける経験なんて滅多にねぇよ。それに俺だって別に死にたい訳じゃないんだからな。ウルグもヤシロちゃんも、あんまり無理するなよな」
「……あぁ……すまない」
レックスの言葉に、自然と涙が出た。
ポロポロと温かいものがこぼれて来て、それを見たレックスが「何泣いてんだよ!」と慌てる。
それがおかしくて、泣きながら俺は笑った。
それからしばらくして、俺達はようやく落ち着いた。
黙っていたヤシロも、恐る恐る会話に参加している。
「とにかく、無事で良かったです、レックスさん」
「あぁ、ヤシロちゃんもな。アイヴァンに捕まってるのを見た時は心臓が飛び出すかと思ったよ」
「……はい」
そう、あの一件でレックスとテレスにはヤシロが人狼種であるという事がバレている。駆け付けた教師や騎士達なんかにも見られてしまっていた。
ヤシロはレックスに人狼種であるという事がバレたのを知り、態度を変えられないかどうか怯えているのだ。
「にしてもヤシロちゃん、人狼種だったのか。全く気付かなかったぜ」
「……っ」
「初めて見たけどよ、人間と全然変わらないんだな。それどころか、何だよあの耳。超可愛いんだけど。あれだろ。尻尾とかも生えてるんだろ? なんだそりゃあ、やべえぜおい。もふもふしてぇ」
そう言って鼻息を荒くするレックスに、ヤシロは不思議そうな表情を浮かべる。
ふぅ、と深く息を吐いて自分を落ち着かせたレックスが、ニカッと笑った。
「俺は別に、ヤシロちゃんが人狼種だろうと妖精種だろうと、なんとも思わねえよ。いや、水くさいじゃねえか、とか、俺だけ仲間外れかよ、とか思ったけどな。こうやって楽しく話せるんなら、亜人だろうか人間だろうが変わんねえよ。友達は友達だ」
「――――」
「だからさ、友達のよしみで今度もふらせてくれねえかな」
わざとらしく鼻息を荒くしたレックスの言葉にヤシロは小さく吹き出し、
「いやです。私をもふっていいのはウルグ様だけですから。
……ありがとう」
「ちぇ、残念だぜ」
そう言って二人で笑みを浮かべた。
温かい光景だった。
前世で俺が求めた物は、もしかしたら――――。
―
その後、俺は一人で学園の校舎にやってきていた。
自習室と呼ばれる、生徒に貸し出される部屋の一つの前に立ち、緊張を抑えながら小さく息を吐く。
ドアをノックしてから、俺は自習室の中へ足を踏み入れた。
「改めて、久しぶりだな、ウルグ」
そうやって少し赤い顔で微笑むのは金髪の少女。
テレスだ。
お互いに少しぎこちない挨拶を交わしながら、席に座ってお互いに向かい合う。
「……取り敢えず、ありがとう、テレス。テレスのお陰で死なずに済んだよ」
「ああ。ウルグが無事で何よりだ」
席に座り、向かいに座るお互いへと視線を向ける。
数年ぶりに見るテレスは少し大人になっていた。あの大人びた口調もどこか板に付いてきている。
再会の感慨を噛み締めるように、俺達は無言で見つめ合う。部屋の中は静寂に包まれているが、それは気まずい物ではなく、どこか落ち着いて、安心する物だ。
「……強くなったな」
聞きたい事も言いたい事も沢山あったが、最初に口にしたのはその言葉だった。
テレスとアイヴァンの戦いを思い出して、自然と言葉が口から零れた。
テレスの目が見開かれ、次いで何かを堪えるように顔を抑える。それから小さく息を吐いてから、笑みを浮かべた。
「……五年」
「?」
「お前と別れてから大体五年が経った。長かった。ずっと、お前に教えられた事は忘れなかった。毎日剣を振って、どうやったら合理的に剣を振れるかを考え続けてきたよ」
「…………」
それからポツリポツリと、お互いの事を話していく。
離れていた五年間を埋めるように、少しずつ。
「テレスティア・メヴィウス・アルナード。それが、私の本当の名前だ。ずっと貴族だという事をウルグに隠していた。すまない」
「びっくりしたけど、別に気にしてないよ」
アルナード。
そういえば、テレスと出会ったのとアルナードがあの村にやって来たのはほぼ同時期だった。
どうして気付かなかったのだろうか。
「テレスティア……か。綺麗な名前だな」
「ん……。今まで通り、テレスと呼んでくれ。お前の前では、貴族のテレスティアよりも、テレスでいたいんだ」
「分かったよ」
それから俺は、気になっていたことをテレスに聞いた。
それは大切な事ではあるけど、俺からテレスに聞くのは恥ずかしくて憚られる。それでも俺は、テレスに聞かなければならない。
「……ヴィレムに殺されそうになった後。俺は自分が何をしていたかという記憶が無い。ただ、ずっと海の中で溺れているような感覚だけを覚えている」
「…………」
「ただ、もう一つだけ、覚えている事があるんだ」
深く、暗く、冷たい海の底に沈んだ俺を引き上げてくれた人がいる。
温かくて、優しくて、俺の心を満たしてくれるような。
そんな感覚と、ある言葉を覚えている。
「……テレスの声が聞こえたんだ。寂しくて、辛くて、苦しくて、痛くて、寒くて、深海で藻掻く俺へ、テレスが声を掛けてくれたような、そんな気がするんだ」
「…………」
「その……『一緒にいてくれる』って」
それを聞く俺の顔はきっと赤かっただろう。
それと同時に、テレスの顔も赤かった。
「き、気のせい……」
反射的に、テレスが否定しようと口を動かしかけて、途中でそれを止めた。
赤い顔のまま、それでも優しい表情を浮かべて、テレスが言う。
その表情はいつか、俺に「他の奴なんて気にするな」と言ってくれた時のように、温かかった。
「あぁ……言ったよ。ウルグは寂しがり屋、だからな。私が居なかったら、寂しい……だろう?」
最後の方は、不安そうな声色だった。
それに対する俺の答えは、一つしかない。
「あぁ、寂しい」
「――――」
「テレスが居てくれなかったら、俺は寂しい。五年間、お前に会えなくてずっと寂しかった。テレスが俺に言ってくれた言葉は、今でも覚えてる。心の支え、だった」
「ウル、グ」
「だから、頼む。これからは、俺と一緒に居てくれないか」
「――――」
俺も存外、欲張りだったらしい。
ヤシロとレックスに満たされていたのに。
それでも、テレスにも一緒に居て欲しいと、思ってしまった。
「――うん」
その時のテレスの表情は、とろけるようだった。
「ちょ、もたれすぎですっ」
「おわぁ!」
がたん、と音を立てて、扉が開く。
開いた扉から自習室に入ってきたのは、ヤシロとレックスだった。
床に倒れた二人と、視線が合う。
テレスがきょとんとした表情を浮かべ、ヤシロが拗ねたような表情を浮かべ、レックスは何かムカつく笑みを浮かべていた。
「……お前達」
「……確か、ウルグの」
一体何をしてるんだ。
テレスは後で紹介するつもりだったのに、どうして今ここに来てるんだ。
「……テレスさん、ですよね」
「あぁ」
「私は――――」
そこから始まったのは、ヤシロからテレスへの宣戦布告だった。
何をどう競い合っているのかはいまいち分からないが、ヤシロの言葉に通じる物が合ったらしく、テレスはニヤリと不敵な笑みを浮かべてそれに応える。
ヤシロは何かに拗ねているのか、俺に怪我をさせたことを申し訳無さそうにしながらも、俺に何かを言って欲しそうな顔をしていた。
気が抜けるような、日常的で、平穏なやり取り。
ありふれていて、当たり前な時間だった。
だけどそれは俺にとって、かけがえの無いもので。
俺が求めた物が、今目の前にあった。




