第十三話 『翡翠に哭く』
目の前で起きて出来事が理解できなかった。
視界に移る映像が突飛すぎて、思考が追いついてこない。
地面に倒れて、ピクリとも動かないレックス。
手のひらから雷を出し、ニコニコと笑みを浮かべるヴィレム。
「友達を庇うなんて、レックス君は良い子だね」
ヴィレムが笑う。
庇う?
庇われた?
どうして、レックスは俺を?
「う、あ? レックス?」
意味が分からず、レックスに手を伸ばす。
彼は目を瞑っており、まるで眠っているかのような穏やかな顔をしている。
ただし全く動かない。
「――――」
直後、視界が黄色く光った。
曖昧な思考が吹き飛び、向かってくる攻撃に対して反射的に剣を振る。
『鳴哭』の黒い刃が雷を斬り裂き、魔力を霧散させる。
「呆然とした風だったけれど、やっぱり反応しちゃうか」
やれやれと言った表情を浮かべるヴィレムを見て、俺はようやくレックスが倒れた理由を理解した。
ヴィレムに攻撃されたのだ。
今、俺に撃ったような雷で。
「どうして……?」
「どうして、か。うーん、君が邪魔だったから、かな」
ヘラヘラと笑みを浮かべて、ヴィレムは言う。
「自分で言うのも何だけれど、僕はさ、目標を達成する為だったら、どんな努力でも出来る人間なんだ。継続して、持続して、努力を続けて、最終的に自分の求める結果を得る。そういう人間なんだよ。だから君の『どうして』という質問に対しての正しい答えは『努力の一環だから』かな?」
滔々と語るヴィレムの言葉が、まるで理解出来ない。
後ろでテレスの叫び声と、次いで剣戟の音が響くが、目の前のヴィレムから目を離す事が出来ない。
「ウルグ君、君になら分かって貰える筈だよ。君は確か、《剣聖》を目指しているんだったね? その為に毎日毎日、その剣をブンブンと振り回している訳だ」
「なんで、それを」
「あぁ、君が訓練場でレグルス君と話しているのを聞いていた子がいてね。そこから耳にしたんだよ。いやぁ、《剣聖》の息子に対して《剣聖》になると語るなんて、そう出来る事じゃあないよ。明確な目標を掲げて、それに向かって努力を続けられる人間は多くない。その点において、僕と君は同じだ」
「――――」
「だからこそ、君になら僕の行動を理解して貰える筈だと思うんだ。あのね、ウルグ君、僕はヤシロちゃんに惚れているんだよ。一目惚れと言って良い。小さくて愛くるしい容姿に反して彼女は強く、そしてその瞳の中には影が見える。そのアンバランスさに僕は惚れたんだ。だから僕は彼女を落とす為に努力を続けている」
「――――」
「まぁ、人狼種だとは思わなかったけどね。この際、それでも構わないや。汚らしい耳と尻尾は今までのように隠して貰えば良いし、何なら斬り落とせばいいからね」
何を言ってるんだ、こいつは。
「端的に言おう。全部、僕の仕業なんだよね。君に色んな生徒から嫌がらせをさせていたのは僕だし、『黒鬼傭兵団』に依頼して君達を襲わせたのは僕なんだよ。まさかあのテレスティアさんが妨害してくるなんてね。そこは予想外だったよ。僕がここに出てきたのは、彼らが捕まったら傭兵団と『ファーディナンド家』の繋がりが露見しちゃうからなんだ。それならいっそ、僕が助太刀して目標を達成した方が良いよね」
「お前が……全部」
「その通り。僕がヤシロちゃんを落とす為の努力の結果がこの現状なんだ。僕はさ、欲しくなった物は絶対に手に入れるんだよ。富も名誉も可愛い女の子もね。君に他の生徒をけしかけて嫌がらせをしたのはね、ヤシロちゃんが君に呆れるように仕向けたかったからなんだ。だから親切を装って何回も遠回しに『ウルグ君からは離れたほうが良いよ』って言ったし、最後なんかはストレートに告白したんだけどさ、ヤシロちゃん、全然僕の言うことを聞いてくれないんだよね。ウルグ君と離れようとなんてこれっぽっちも思ってないみたい。だから、僕は強行手段に出たって訳さ」
「お前がッ、レックスを!!」
そういうとヴィレムは両手に魔力を集め始めた。
「だからさ、死んでよウルグ君」
次の瞬間、ヴィレムが目の前にまで迫っていた。
魔力武装で肉体を強化したのだろう。
「お前がぁぁぁぁぁぁ!!」
激情のままに斬り掛かった俺へ、ヴィレムの右手から炎の塊が放たれる。
至近距離の魔術に熱に肌を焼かれながら、即座にそれを斬り捨てる。炎の先へ立つヴィレムを狙って剣を振るが、刃に手ごたえは無い。
炎が消滅すると、視界からヴィレムの姿が消えていた。
「こっちだよ」
声の方へ振り向いた瞬間、全身を貫くような痺れが走った。
それが雷属性魔術だと悟った瞬間に«魔力武装»の出力を限界まで高め、それをレジストする。
体が痺れて思うように動けない。
「ッ!」
ヴィレムへ剣を振るうが、軽やかな身のこなしで躱されてしまう。
それどころか、再び彼の手から炎が吹き出し、俺の体を包み込んだ。
「て……めぇ!!」
「良い魔術服を使ってるんだね。«魔力武装»の魔力量も素晴らしい」
体の痺れにもどかしさを感じながら、一旦ヴィレムから距離を取るために後方へ跳ぶ。
焼かれた肌がチリチリと痛みを発しているが、それ程深刻な物ではない。戦闘に支障は出ないだろう。
「ウルグ君は魔物や剣士に対しては強いけど、魔術師に対しては戦闘経験が無いみたいだね? まあ《剣聖》を目指しているのなら当然かな」
その直後、俺は距離を取ったことが失敗だったと悟る。
ヴィレムは魔術師だ。
詠唱する暇を与えてはいけない。
「僕の噂ぐらいは聞いてるでしょ? 今みたいな接近戦も嫌いじゃ無いけど、やっぱり魔術師としては距離が合ったほうが戦いやすいよね」
ヴィレムの両手に膨大な魔力が集中する。
動き出した時には手遅れだった。
「――その怒りを以って、彼の者に代償を焼き付け給え」
詠唱省略したヴィレムの両手から、紅蓮の炎が吹き出す。
火属性上級魔術«天へ捧ぐ灰燼»。
「クソ、ヴィレムゥゥ!!」
俺に出来たのは、«魔力武装»でガードする事だけだった。
呼吸すら出来ない熱量を持つ炎に全身を焼かれ、気を失う度に痛みで意識を覚醒させられる。
炎で焼かれていたのがどれくらいの時間かは分からない。
気付けば炎は消え去り、目の前にヴィレムが立っていた。
「僕の勝ちみたいだね。君は確かに強いけど、強い魔術師との戦闘には慣れてなかった。君が努力を怠ったから、こうなったんだよ」
「おま……え」
レックスが貫かれてから起きた出来事に、実感が持てない。
全身を痛みが襲っている今でさえ、意識にフィルターが掛かっているかのようにぼんやりとしている。
俺へ手を翳し、ヴィレムが言う。
「最期に教えてあげるね。
この世には二種類の人間が居るんだよ。
奪う人間と――奪われる人間。
君はどっちかな?」
――まぁ、言わずもがなだよね。
最後にヴィレムはそう言って笑い、雷を放った。
黄色い光が迫ってくる。
次いで、視界が黒く染まった。
―
小学校の時の事だ。
剣道クラブでの団体戦が、小さな大会で優勝した事があった。俺も試合に参加していて、皆と一緒に賞状を貰った記憶がある。
剣道を始めてから、優勝という結果を残したのはその時が初めてだった。
一番を取ったという事が嬉しくて、父もこれを見せたら褒めてくれるかな、なんて思った。
だけど結局、父は賞状を見せても「そうか」としか言ってくれなかった。
無表情だった。嬉しいとも、鬱陶しいとも思っていない。『どうでもいい』と思っている表情だった。
同じクラブに所属していたクラスメイトが教室で「優勝したから家族で外食した」なんて話しているのを聞いた時、自分の目からポロポロと液体が溢れて、トイレに逃げた事を何となく覚えている。
俺の方が頑張ったのに。
必死で練習して、褒められたくて努力して、一番良い結果を残したのに。
どうして俺は褒めて貰えないんだ。
外食なんて連れて行ってくれなくても良い。ただ一言「頑張ったな」と褒めてくれるだけで良かったのに。
頭を撫でてくれるだけでも、良かったのに。
俺よりも弱いくせに。
弱いくせに家族に褒められて、弱いくせに友達が沢山居て、弱いくせに楽しそうで、弱いくせに認められて、弱いくせに幸せそうで。
弱いくせに弱いくせに弱いくせに。
小学校に入った時、一度だけ父が頭を撫でてくれた事があった。どういうつもりだったのか、何を思っていたのかは、今だって分からない。
だけど嬉しかった。
頭を撫でてくれるだけで、俺は嬉しかった。
撫でられたことが、父にして貰って一番嬉しかった事だと思う。
頭を撫でる父の手の温かさは今でも覚えている。
それだけで良かったんだ。
そうやって、頭を撫でて欲しかったんだ。
もう一回、頭を撫でて欲しいから、俺はずっと頑張ってたんだ。
あぁ……。
だから、俺は。
あいつらを。
自分の部屋にいた。
ベッドと勉強机と箪笥などの日用品しか無い、ガランとした部屋だ。
灯りも付けず、真っ暗な部屋の中でベッドに腰掛け、ぼんやりと部屋の壁を眺めている。
俺は、何をしてるんだっけ?
部屋から外へ出る。
廊下は真っ暗で、人気が無かった。
寂しい。
父の姿を探して家を彷徨うけど、どこにも居なかった。
自分の部屋に戻って、ベッドに寝転がる。
一人の部屋は静かで、暗くて、寂しい。
こんな思いをしない為に、俺は努力を続けていた筈なのに。
繰り返さない為に、頑張っていた筈なのに。
あれ。
俺は何を、頑張っていたんだっけ?
あれ。
俺は、誰だ?
見上げる天井がグルグルと回転して、やがて原型を失い、深い海になった。
天地が逆転して、俺はベッドから海へと落ちていく。
海面に顔を出そうと藻掻くけど、体が石になっているみたいに、ズンズンと底へと沈んで行ってしまう。
「――――」
誰かの叫び声が聞こえた。
だけど内容が頭に入ってこない。
よく知っている人の筈なのに、誰が叫んでいるのかが分からなかった。
声の方に手を伸ばそうとした時。
誰かが俺の手を引っ張った。
その手は優しく、ゆっくりと、俺を海の底へと連れて行く。
「――おいで」
今度の声ははっきりと聞こえた。
俺の名を呼んでいる人とは、別の人だ。
その声は甘美な響きを持っていて、蜜のように頭に染み込んでいって、俺から抵抗する力を奪った。
――黒い髪を見たような気がした。
―
―
最初に異変に気付いたのは、アイヴァンと刃を交えながらウルグの名を呼んでいたテレスティアだった。
ヴィレムから放たれた雷が地面に跪くウルグの体に突き刺さる、その瞬間。ウルグの体が翡翠に輝いたかと思うと、ヴィレムの雷が霧散した。
その輝きは徐々にウルグの体を蝕んでいき、フッと姿を消した。それに続いて、彼の体の中の魔力が異様なまでに荒れ狂っている。
「……あれ?」
雷が消滅した事に首を傾げるヴィレム。
彼の目の前で、徐ろにウルグが立ち上がった。
「――――」
ヴィレムを見るウルグの瞳は黒かった。まるでインクでめちゃくちゃに塗り潰したかのような黒。その瞳を覗いているだけで、奥の見えない洞窟を覗いているかのような錯覚に陥った。
「うふ」
ウルグの口から最初に漏れたのは、笑みだった。
「うふふふふあははぁぁいひひぃいい」
「――――」
狂った様に、心底おかしそうに、ウルグは大声で笑い声を上げる。
異常な様子のウルグにヴィレムは目を見開きながらも、躊躇無く彼の急所を狙って再び雷を放つ。
先程と同じようにウルグの胸に向かって放たれたそれは、今度は彼に触れる前に消滅した。
「……まだ、動けるなんてね」
無造作に振られたのは、彼の瞳と同じように光を放たない漆黒の剣だ。雷が刃に触れた瞬間、斬り裂かれるのではなく、雷の魔力が消滅した。
異様な魔力の消え方に目を見開いたヴィレムは底知れぬ何かを感じ、後ろへ飛び退いた。
「アハハあははぁぁえぇへへへへへっへえへ」
対してウルグは狂ったような嗤うだけだ。
目に一切の光を灯さないまま、心底可笑しいという様に全身を震わせて嗤う。
先程の彼の様子とは一変したその様に、ヴィレムは警戒心を高めた。
「――――«天へ捧ぐ灰燼»」
動かないのを良い事にヴィレムは距離を取ったまま、ウルグを確実に仕留める為に魔術の詠唱を行い、自身の持てる最大威力の魔術を唱えた。
手から溢れ出すのは目が眩む程の紅蓮、鉄をも溶かす圧倒的な熱量だ。魔力から魔術へと姿を変えた瞬間、炎は大きく膨れ上がり、目の前で嗤う狂人を灰燼にするべく、その体を飲み込んだ。
「これなら――――」
そう呟き終わるよりも早く、炎を突き破って黒い影がヴィレムに迫る。手に握られている漆黒の剣には翡翠の光が灯り、それが軌跡を描きながら振り下ろされる。
咄嗟に風属性魔術の防壁を展開するヴィレムだが、翡翠はそれを容易く斬り裂き、彼の肩を斬り裂いた。
「っう」
痛みに顔を顰めながらも、ヴィレムはバックステップで安全な間合いへと退避する。
傷口からはぼたぼたと血が溢れ、左手を持ち上げようとすると灼けるような痛みに襲われた。
「…………」
その傷口は奇妙だった。剣で斬られたというのに、刃で触れた肉が削ぎ落とされたかのような傷になっている。
ヴィレムを斬り付けたウルグは先程までの狂った笑みを止め、地面に視線を向けていた。
彼の動きが全く予測出来ず、最大限の警戒を以ってヴィレムは視線を向ける。
「あぁ――汚い」
ゆっくりと顔を上げたウルグは静かにそう言った。
彼の顔から笑みは消え、別人のような表情を浮かべていた。
「生きている人間は皆醜い。死んでしまえばなぁんにも見えなくなって、スッキリして綺麗だわ」
女のような喋り方だった。
普段のウルグとはまるで違う、妙な艶かしさの含まれた口調。
浮かべている表情も、熱に浮かされる女性の様だ。
「ッ」
接近は一瞬だった。
ユラリと体を揺らしたかと思うと、次の瞬間には目の前に迫ってきていた。
後ろへ跳びながら、ヴィレムは無詠唱で魔術の弾幕を張る。
「汚くて醜くて下劣で卑しくて気持ち悪くて」
魔術の弾幕を全て斬り払い、ブツブツと何かを呟きながらウルグが走る。
まるで地を滑るような、動きが予測出来ない不自然な動きだ。
「うッ」
間合いを詰めたウルグが剣を振る。
翡翠の軌跡を描きながら迫る刃に、ヴィレムは地面を転がって回避した。すぐさま立ち上がり、炎の魔術をウルグへとぶつける。
ウルグが剣を振ると、刃に触れた部分が消滅した。
ヴィレムは彼の後ろへ回り込み、すぐさま次の魔術の詠唱を始める。
ウルグはユラユラと不規則に体を揺らしたかと思うと、
「この世には二種類の人間が居る。
奪う人間と、奪われる人間。
えぇ、その通りね」
首だけを曲げてウルグがヴィレムを振り返る。
「ねぇ」
ウルグが笑みを浮かべる。
それは幼い少女の様に無垢で、それ故にどうしようもなく歪んだ笑みだった。
「――貴方はどっち?」
ヴィレムの手のひらから炎が迸る。
それがウルグを飲み込み、それに追従する様に雷が地を這い、ウルグを舐める。
風の刃が爆煙が包み込む空間をズタズタに斬り裂く。
「努力だ、僕は今までどんな困難も努力で乗り越えてきた、だから今回だって、僕は君を殺して、ヤシロちゃんを僕の物に――」
「無理ね」
恐怖を打ち消すかのように連続で放った魔術の中から、悠然とウルグが出てきた。
叫ぶヴィレムに対して、ウルグが嘲笑を浮かべる。
「だって、貴方は奪う側の人間じゃないもの。
どっちかなんて、言わずもがなよねぇ?」
「ぐふッ」
手のひらに集中した魔力は放たれず、代わりに右腕が宙を舞う。
次いで、腹部に何かが入り込み、背中からズルリと外へ出た。
「ご、ぽ」
刃が通った部分が無くなるのを感じた。
感覚が消滅し、口から何かが噴き出すのがそれを制御する事は叶わず、糸の切れた操り人形の様に地面へと沈んでいく。
痛みすら感じず、ヴィレムの体を包み込んでいくのは冷たさと静けさだ。
「あぁ……ヤシロちゃんを、」
その言葉を言い切るよりも先に、ヴィレムという自我はこの世から消滅した。
―
「何だよ、ありゃあ」
剣を交えながら、アイヴァンが呆然と呟く。
宮廷魔術師候補として三属性の魔術を使いこなすヴィレムが、動くことすら困難な筈のウルグによって容易く命を刈り取られた。
「ウルグ……」
驚いているのはテレスティアも同じだ。
滑るような動きに、翡翠の魔術。
あんな物は普通ではない。
「あぁぁぁ」
ヴィレムを殺すのと同時に、ウルグが頭を抑えて呻き声を上げ始めた。
体を捩り、痛みに堪えるかのように額を抑えている。
「き、きたな、汚い弱い弱いよわいよわいぃ弱い俺は私は弱い弱い掃除、汚い掃除しなきゃ、でも弱くて弱いよわい」
先程までの女性のような人格は消え、錯乱するかのように頭を掻き毟る。
見えない何かに怯えるかのように剣を振り回している。
「汚いから俺は殺しているのに独りで寂しくて私は《剣聖》になるために掃除してだからぁぁああ、頭を撫でて欲しいんだよぉおおおお!!」
「狂ってやがる……!」
その時、絶叫を迸らせ、翡翠の光を撒き散らしながら、地を這うような低姿勢でウルグがアイヴァン達の方へ突っ込んできた。
アイヴァンへと翡翠の刃が振り下ろされ、アイヴァンは地面を転がってそれを回避する。
「くっそ、てめぇは何だよ!」
「おおれおれは――わたしよぉ?」
ウルグがアイヴァンを標的にしている間に、テレスティアは地面に倒れているレックス達の方へ走る。
ヴィレムがヤシロを巻き込まない位置取りに居たおかげで、ヤシロに怪我はない。だが、ヴィレムに魔術を打ち込まれたレックスはどうなっているか分からない。
「……これは」
レックスに駆け寄ったテレスティアは、彼の容態を見て目を瞑る。
逡巡しながらも治癒魔術を掛けるが、レックスは目を覚まさない。
「ッ!」
その時、テレスティアの後ろで動きがあった。
アイヴァンを標的にしていた筈のウルグが、こちらに向かってきているのだ。
ヤシロ達を巻き込まないように移動すると、ウルグは方向を変えテレスティアを追ってくる。
「俺らより、てめぇの方がよっぽど鬼めいてやがるぜ」
ウルグの攻撃から逃れたアイヴァンはそう捨て台詞を残し、その場から逃走を始めた。地面に倒れている仲間達には目もくれない。
「待て! ッ!」
静止しようとするが、斬り掛かってくるウルグによって身動きが取れない。その間にアイヴァンの背中は小さくなっていき、やがて完全に消え去った。
「ねぇさまぁ、私を独りにしないでよぉおお」
「ウルグ、やめろ!!」
先ほどのヴィレムとの戦いで、ウルグの剣に触れると魔力が消滅させられる事は学んでいる。
正気に戻るように呼びかけながら、テレスティアはウルグの剣に触れないように回避する。
「うそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつき」
「何が……どうなってるんだ」
こんな暴走状態になる人間を、テレスティアは見たことがない。
纏う翡翠の魔力も、ウルグの現状も異常そのものだ。
「俺より弱いくせに私の方が努力してるのにどうしてわたしを見てくれないの? おれを見てくれよぉ!!」
剣を振り、狂った笑みを浮かべるウルグの瞳から涙が零れ落ちている。
張り裂けそうな声で、ここにはいない人間に向かって、ウルグは想いを叫ぶ。
「俺を認めてくれ――私に期待してくれ――頭を撫でてくれ、俺を愛してくれよォォ父さぁあああああああああああああああああああああああああああん!!」
「――――」
翡翠の光を撒き散らし、ウルグが哭く。
狂気の中から滲み出るそれは、彼が心の中に溜め込んでいた泥のような承認欲求だ。努力を認められず、結果を手に出来ず、手を差し伸べられず、長い間溜め込められた呪いにも似たその想いを、喉が焼け付く程に鳴哭する。
「独りは嫌だ! 寂しいのは嫌だ! 俺を見て! 私をを見ろ! 認めてよォ!!」
「お前は、まだ――」
「俺は認めて欲しくて剣を振ってるのに誰も見てくれない! 独りぼっちは暗くて寂しくて寒いんだよ! 私を見て認めて褒めて欲しいから努力を重ねて来たのに! 」
剣を振り回して泣きじゃくるウルグの姿は、テレスティアに数年前のあの日を思い出させた。
《黒犬》に襲われて意識を失ったウルグは、テレスティアの膝の中で泣いていた。
寂しいと、自分を見てくれと、涙を零していたのだ。
「お前は、まだ」
テレスティアはもう一度、そう呟く。
涙を零しながら剣を振るウルグが、縋るように叫ぶ。
「誰か、俺を見てくれよ――ッ!!」
喉が引き裂けるような絶叫を上げる。
それは前世から望み続けて来た、ウルグの欲求だ。誰からも与えられず、それ故にどうしたら与えられるかも分からず、がむしゃらに努力を重ねて来たウルグの魂からの叫びだ。
それほどまでに他人を切望しても、彼を認め、見てくれる人物はいなかった。
今までは。
「――私は見てるよ」
刹那、ウルグを正面から抱き締める者がいた。
その抱擁に、その言葉に、剣を振るうウルグの動きが止まる。
「あの森で会った時から、私はずっとウルグを見てるよ。お前は私を助けてくれて、剣を教えてくれて、戦い方を教えてくれた。だから、今の私がここにあるんだ。離れている間も、ずっとウルグの背中を追いかけていた。ずっとお前を見ていたんだ」
「――――」
「ウルグも存外欲張りだな。庇ってくれる友人が居て、あーんまでしてくれる女の子がいるというのに、まだ寂しいのか」
「――――」
「だったら――――」
それは慈愛に溢れた言葉だった。
かつて、無償の愛を捧げてくれた彼女を思い出させるような。
呪いを雪ぐ、祝ぎの言葉だった。
「私が一緒にいてやる」
暴れ回っていたウルグの魔力が鎮まった。
光を失っていた瞳に僅かに輝きが戻る。
彼女から伝わってくる鼓動は、抱擁から感じる温かさは確かにウルグへと伝わっていた。
「寂しいなら、いつだってこうやって抱きしめてやる。ずっとお前を見ていた私が、こうやって一緒にいてやる」
握り潰さんばかりに剣を握っていたウルグの手が緩み、音を立てて剣が地面に落ちた。
握る物を失った手が、ゆっくりとテレスティアの背中に回される。
「お前はもう、独りなんかじゃないよ」
テレスティアの腕の中で、彼女の温かさを感じながら、ウルグは意識を失った。




