第四話 『はじめてのたたかい』
数日が経過した。
あれから、アリネア達の態度は一変した。
俺に対する興味が失せたらしく、最低限しか関わりがなくなった。
ドッセルから「私の部屋に入るな」と言われてしまったせいで、日課の読書ができなくなってしまった。
アリネアも俺に関する家事を最低限しかしなくなり、今は自分でやっている。
俺に属性魔術の適性がなかったせいで、両親の関係も悪くなってしまった。
「貴方が大した魔術師じゃなかったから、属性魔術が遺伝しなかった」だとか、「お前は本当は浮気していたんじゃないか」と、二人が言い争っているのを何度も見かけるようになった。
それから、実子の俺が駄目と分かってすぐに、二人は今まで放置していたセシルを構いだした。
甲斐甲斐しく看病したり、病気について調べたり、素晴らしい手のひら返しだ。
セシルはそんな二人を心底軽蔑しているみたいだがな。
だから今、家庭の雰囲気は最悪だ。
まあ、最初から分かっていたことだ。
二人は俺を見てなかった。俺の風属性魔術の才能にしか興味がなかったんだ。
だから才能がないと分かると、途端に興味を失って、捨てる。
……分かっていたんだ、最初から。
まあいい。
二人はセシルに何か言われたのか、最低限の面倒は見てくれる。
それでいいじゃないか。前世でも、そうだった。放り出されないだけマシだ。
注目されなくなったということは、いろいろと動きやすくなったということだしな。そんなに悲観することはない。
セシルは俺を見てくれるし、それだけでも前世を考えれば贅沢なことだ。
地形、歴史、魔術、剣術、生きていく上で必要な知識はすでに身に付けた。最近読んでいたのは創作系のお伽話だから、本が読めなくても問題はない。
部屋の片付けだって、前世では自分でやっていたしな。特に苦痛はない。
だから、何も気にする必要はないのだ。
それよりも、今気にするべきなのは自分の今後だ。
あれから、ずっと自分の今後についてを考えていた。
その中で、いくつか思いついたものがある。
一つは、剣術道場に入る、もしくは名のある剣士に弟子入りすること。
強くなるには、自分より腕の立つ人に教えてもらうことも重要だ。
その人のノウハウが手に入るし、仮に教え方が下手でも、観察していれば技を盗むことができる。
しかし、今の俺では道場に入るのは難しいかもしれないとセシルに言われた。
道場で稽古を付けてもらうにしても、誰かに弟子入りするにしても、金が必要になってくる。さらに、道場によっては身分だとか、コネがなければ追い返されてしまうこともあるらしい。
ドッセル達が協力してくれるなら可能性はあるが、今の俺だけでは道場入りは少し難しいだろう。
二つ目に思いついたのは、魔術学園に入ることだ。
セシルの話によると、王立ウルキアス魔術学園では魔術だけでなく、様々な流派の剣術も教えているみたいだ。
一つの流派に入って専念するのもいいが、いろいろな流派を学ぶのも魅力的に思える。
道場なんかに入ったら、いろいろなしがらみで、他の流派の剣術を学べない……なんてこともありそうだ。
いろいろな流派を学べるのもいいし、魔術への対処法、魔物への戦い方も勉強できるという話だ。
使い道が少ないとされる無属性魔術も、学園では盛んに研究が行われているとも聞いた。
《魔力武装》以外の無属性魔術を教わることができたら、戦い方に幅を出せそうだ。
と、いろいろ考えた末に、俺はひとまず魔術学園への入学を考えてみることにした。
学園で自分に見合った剣術を学んでから、その流派の道場に入るのも手だろう。
《剣聖》がこの学園を出ているというのも、入学を目指そうと思った理由の一つだ。
「……問題は入学金だな」
学園と言うだけあって、やはり入学するのにはお金がいる。それも、かなりの高額だ。
道場に入るのにもそうだが、何をするにも金は必要になってくる。
しかし、俺から興味を失った両親が払ってくれるとは到底思えない。
セシルの金銭事情は知らないが、彼女に金をせびるのも違うだろう。
どうにかして、自分でお金を集めなくてはいけないな。
魔術学園に入学が可能となるのは十二歳からと決められている。
俺は今六歳だから、入学まであと六年。その間に、どうにかして入学金を稼がなくては。
入学の条件が十二歳以上だから、それ以降でも入学は可能だ。
貴族なんかは、十二歳になっても入学せず、学園でいい成績を収められる実力を身に付けてから入学する者もいるらしい。
だけど、俺は時間を無駄にしたくない。剣聖選抜までの時間は限られている。
そう、セシルに相談したところ、
「難しい相談ね……。入学するだけのお金を、ウルグの歳で稼ぐのはさすがに難しいわ。大人でも、難しいくらいなの。できるとしたら、冒険者……くらいだけど」
厳しい表情で、そう言っていた。
冒険者――迷宮に潜ったり、魔物や盗賊と戦う傭兵のような存在だ。
危険は多いが、依頼をこなすことができれば手っ取り早くお金を稼げる職業とされている。
心配してくれるセシルには悪いが、この話を聞いて、俺の今後の方針は定まった。
冒険者になって、金を稼ごう。
当然、そこには危険が伴う。今のままでは金を稼ぐどころか、魔物に殺されるのがオチだろう。
だから、最近はより一層、修業の時間を増やした。
本を読めなくなった分は、セシルから外の世界のことについて聞いて勉強している。
スケジュールとしては、朝と夜にセシルから話を聞き、昼に修業を行う、という感じだ。
―
今後の方針を定めて、さらに数日が経った。
今日も、セシルに勉強をお願いして、話を聞いている。
「剣士の種類は、大きく分けて二つあるわ。まず、魔術を使わない、もしくは無属性魔術だけを使って戦う、普通の剣士。もう一つは、属性魔術を使って戦う魔術剣士。ウルグの場合は前者……前の方ね」
今は、剣士の種類についてを教わっていた。
前者をわざわざ分かりやすく説明してくれるセシル。優しい。
説明も分かりやすく、簡単だ。
これがベッドの上でセシルに抱きしめられて、匂いを嗅がれながらでなければ、何も言うことはないのだが。
「普通の剣士より、魔術を使える分、魔術剣士の方が強いんじゃないですか?」
剣士はわざわざ接近して戦わなければならないが、魔術剣士は遠距離攻撃ができる。
その分、リーチとしては魔術剣士の方が有利なはずだ。
「たしかに魔術剣士は魔術を使えるから、普通の剣士よりも、戦いの中で取れる行動は多いわ。けど、魔術と剣技を両立しなきゃいけないから大変よ?」
完全に両立できる魔術剣士は、そうはいないらしい。
たしかに、どちらか一方でも習得するのが難しいのに、両立させるのはさらに困難だろう。
……今代の《剣聖》は、それを両立させた魔術剣士らしいけどな。
「それに普通の剣士でも魔術剣士より強い人はたくさんいるわ」
「そうなんですか?」
「ええ。『魔神戦争』で活躍した英雄もそうだし、何代か前の《剣聖》も属性魔術が使えなかったはずよ」
無属性しか使えなくても、結果を出して認められている人はいる。
やり方次第で、俺でも十分に戦えるはずだ。
「ウルグならそこいらの魔術剣士なんてチョチョイのチョイで倒せるようになるわっ」
そう言って、セシルが強く抱きしめてくる。
駄目だ、このまま放置しておくと、話が脱線する。
「剣士の他にはどんな戦い方をする人がいるんですか?」
慌てて、次の疑問を振った。
「んー、そうね。魔術師に、自分の拳で戦う拳闘士、斧や槍を使う人もいるわね。戦い方は、本当にいろんな種類があるわ。剣士や魔術師でも、流派や使う魔術によって戦い方は全然違うしね」
「なるほど……」
剣聖選抜に出られるのは剣士だけだから、他の戦法を取る者とは当たらない。
しかし、いろいろな武器での戦い方を学んでおいて損はないだろう。
知った分だけ、こっちの戦い方の幅が広がるしな。
「それにしても、ウルグは本当に賢いわね……」
後ろから、セシルに頭を撫でられる。
「……そうですか?」
「ええ。こんなに賢い子なんて、世界中探しても一人もいないわ!」
それはさすがに言いすぎだと思う。
「賢くて格好良くて可愛い! ウルグは最強だわ! ウルグなら、魔術師も拳闘士も余裕よ! 指先でチョンよ!」
だってこんなに可愛いんだからー、とセシルは俺を抱きかかえたままベッドに倒れ込み、体を弄ってくる。セシルと俺の体重でベッドが軋む。
「ちょ、姉様! 話の途中なのに」
「話は終わりー! こっからは私のお楽しみの時間よ! うはー良い匂い! 脇腹! 脇腹むにむにさせろ!」
セシルが暴走し、俺の脇腹を強烈にもみ始める。
何がむにむにだ! やめ、ちょ、やめろ!
もみくちゃにされながら、セシルの腕から脱出しようと足掻いている時だった。
「……セシル、入るぞ」
ドアがノックされ、ドッセルが中に入ってきた。
セシルに抱きかかえられ服が半分脱ぎかかっていた俺を見て、ドッセルは露骨に嫌そうにする。
「……ウルグ、これからセシルを医者に診てもらう。部屋から出て行きなさい」
冷たい口調でそう言い、俺を部屋から出て行くように促す。
セシルが小さく舌打ちしてちょっと怖い。
「じゃ、じゃあ姉様。僕は行きますね」
「続きは夜にしましょうね」
「……はい、話の続きはまた夜に」
はだけた服を直し、俺はドッセルの横を通って部屋を出た。
その時、ドッセルも小さく舌打ちをしてくる。俺は何の反応もせず、自分の部屋に戻った。
「予定よりもだいぶ早く終わっちゃったな」
今はまだ昼前だ。
もう少し話していたかったが、仕方ない。予定を早めて、修業に移るか。
それから修業用の動きやすい服に着替えて、家の外へ出た。
俺が外に出ることに対し、両親は猛烈に反対していたが、今は騒ぎを起こさず、帽子を被って静かにしているのなら、という条件付きで許可が降りている。
これも、セシルのお陰だ。世話になりっぱなしで、申し訳ない。何か、あの人の役に立ちたいな。
本人に言ったら、一緒にいてくれるだけで良い、とか言いそうだけど。
「……ふぅう」
修業を始める前に、庭でストレッチを行う。入念に体をほぐしてから、以前見つけた修業場所に向かってジョギングを開始した。
目的地である森までの道中、のどかな風景を眺めながら自分の住む村のことを考えた。
ここは自然が豊かな村で、田んぼや畑などで作物が作られている。かなりの田舎だ。
地図を読んで知ったが、この世界には驚くことに大きなひし形の大陸が一つしか存在しない。
いや、あるかもしれないが、行く手段がないと言うべきだろうか。
周囲は海で囲まれており、海を進んでいくと『ウルキアス大瀑布』という大きな滝がある。この滝の向こうには何があるのか分かっていないのだ。
そして、この大陸の名前はウルキアス。
大陸の南部にある王都にいる王と、各地の貴族によって統治されているようだ。
俺の住んでいる村は、大陸の東南くらいの位置らしい。
かつて『魔神戦争』で魔神を封印したと言われる《四英雄》の一人の子孫である大貴族、アルナード家の領地の一部とされている。
この村にはアルナード家の別荘の一つがあるらしく、アルナード家の貴族がたまに来ているんだとか。俺は一回も見ていないけどな。
「あ……化物がいるぞ!」
ジョギング中、村の子供に見つかった。
二人の少年と、一人の少女だ。
こちらを指さし、しきりに化物だと騒いでいる。
今は帽子で髪を隠しているが、前に見つかったせいで俺が黒髪だと知られちゃったからな……。
こちらは友好的に接したかったのに、あちらはそう思ってくれなかった。
「村に出てこないでよ!」
「そうだそうだー!」
やーいやーい、と囃し立ててくる子供達。
ずいぶん嫌われたな……。俺は、何もしていないのに。
「ぎゃー! 凄い顔してる!」
「逃げろー! 呪われるぞ!」
「きゃー!」
視線を向けると、三人は悲鳴をあげながら走り去っていった。
……凄い顔って。
ただ、見ただけなんだけどなぁ……。
多分、目付きが悪いのが原因だろう。
前世と比べて、俺の容姿は多少、変わっている。具体的には彫りが深くなり、少し外国人風に見える。だというのに、目付きだけは何も変わらなかった。
自分で言うのもなんだが、人殺しでもしそうな目をしている。
そういえば、高校では『殺人鬼』なんてあだ名で呼ばれていたな……。
「はぁ……」
彼らも、俺が最強の剣士になれば、認めてくれるだろうか。
そう信じたい。
「……よし」
気を取り直して、ジョギングを続ける。
ちょうど体が温まってきたくらいで、目的地が見えてきた。
「ふう」
目の前には、森が広がっていた。
村の外れにある、それなりに深い森だ。
森の奥の方で魔物が出没するため、子供は立ち入り禁止となっている。
魔物とは魔力で構成された化物のことを指す。
一説では魔神が創りだしたと言われている。
魔神が封印された後も、魔力が溜まる場所で自然発生しているようだ。
この森の奥の方にも、魔物が生まれる場所がある。
数は少なく、力が弱い個体しか生まれないようだ。それでも、何年に一度かは、この村でも魔物による犠牲者が出ているというから、侮れない。
大人は定期的に討伐隊を組み、魔物を退治しているようだ。
ドッセルも討伐隊の一人らしく、前に魔術を使って魔物を退治したと自慢していたな。
討伐隊での活躍で、ドッセルは村の中では一目置かれているらしい。正直意外だ。
「……相変わらずこの森はジメジメしてて薄暗いな」
誰にも見られていないことを確認して、森の中に足を踏み入れた。
俺の身長が低いからか、木々が鬱蒼と生い茂るこの場所はそれなりに不気味に見える。
当然、人もほとんどいない。
俺がこの場所を修業場所にしているのは、誰にも邪魔されない場所だからな。
時々出没するという、魔物には気を付けないといけないけどな。
森の奥にある、大きな樹の前までやってきた。
樹のウロの中に、手を突っ込む。
中には、大きな布に包まれた剣が仕舞われていた。
森を修業場所にした理由はもう一つある。それは、剣が隠せるからだ。
村には、討伐隊の道具が仕舞われている倉庫がある。その中には、本物の剣が仕舞われていた。
討伐隊の人には悪いのだが、俺はそこから剣を二本拝借している。
木刀ではなく、本物の剣の重さに慣れておきたかったからだ。
俺でも扱える大きさの片手剣だ。どちらもそれほど良い剣ではないが、贅沢は言っていられない。
布を外し、中から一本の剣を取り出す。
柄を握り正眼に構えると、ずっしりとした重さが伝わってきた。木刀や竹刀とは違う、本物の剣の重さだ。
俺が握っているのは直剣の片手剣だ。
片手剣と言っても大人用のため、今の俺にとっては、片手では振りにくい。
だから、両手で握って振ることにしていた。
もともと、剣道で両手で振ることに慣れているから都合が良い。
「よし……!」
《魔力武装》を発動。
その途端、手に握っていた片手剣の重さがほぼ消失する。
少し前に気付いたことだが、《魔力武装》を応用することで、別の魔術を使用できる。
《魔力付与》という、武器に魔力を纏わせることができる魔術だ。
武器を使う者は、そうやって武器を強化しているのだと、セシルから教わった。
魔力の流れやすい武器じゃないと、大して強化できないらしいけどな。
それから、俺は剣に意識を向け、素振りを始めた。
「――フッ!」
剣を振り下ろす。
振りかぶり、振り下ろし、この二つを『一息』で一つの行程として行う。
それを何度も繰り返しながら、より綺麗な素振りができないかを常に考えていく。
無駄なく振りかぶれているか、最速で振り下ろせているか、無駄な筋肉に力は入っていないか。
それと同時に、《魔力武装》を適切な魔力量で使用できているかも意識する。
何も考えずに剣を振るうのではなく、考え、意識して振り下ろす。
ただがむしゃらに剣を振っていても、進歩はないからだ。
――強くなりたい。
強く、強く、強く、強く。
最強に――。
何百回か剣を振り下ろした時だった。
誰かの視線を感じ、勢い良くそちらの方を向く。
「うおっ!?」
視線の先に、巨大なキノコがあった。
俺の拳ほどもある黄ばんだ眼球で、こちらを睨み付けている。
毒々しいピンク色の傘、プツプツと瘤の生えた白い胴体に、人間の両手部分に生えた二本の青いキノコ、そして両足部分には緑色のキノコが生えており、それで地面を歩行している。
身長は170センチほどだろうか。俺を見下ろすだけの高さはある。
「こいつ……確か」
以前、本で読んだことがある。
この森に発生する魔物の一匹で、《人食茸》とかいう名前だったはずだ。
下級の魔物に分類され、それほど強くはない。
『キイイイイイ!』
どこに声帯があるのか、《人食茸》は眼球をグリグリと動かすと甲高い声で叫び出した。
それから、足のキノコで地面を蹴りつけると、両腕を振り上げながら飛び掛かってくる。
「っ……!」
人と同じ大きさのキノコが突進してくる姿はかなり迫力がある。
思わず叫びながら、咄嗟に《人食茸》の軌道から横に跳んで回避した。
『キイイイ!?』
《人食茸》は勢い余って樹に激突し、大きく仰け反った。
フラフラとよろめいている。
「……よし」
その姿に、俺は冷静さを取り戻した。
《魔力武装》を行うと同時に、手に握っていた片手剣を《人食茸》に向けて構える。
ちょうどいい機会だ。下級の魔物なら、良い実戦経験になるだろう。
『ピギイイイイ!!』
体勢を整えた《人食茸》が、腕を振り回しながら突進してきた。
その気持ち悪い姿に顔を顰めながら、振り回される両腕の動きをよく見る。
単調で、速度もそれほど速くない。
十分に、対処できる。
「――ふッ!!」
右腕が頭上から振り下ろされるタイミングを見計らって、片手剣を勢い良く振り上げた。
刃は簡単に肉を斬り裂き、そのまま腕を斬り落とした。
『ピギャアアア!?』
断面から黄ばんだ汁を撒き散らしながら、《人食茸》は体勢を崩して地面に倒れ込む。
「……きもいな」
どういう体の構造なのか、《人食茸》にも痛覚があるらしい。
両腕を振り回しながら、地面をのたうち回っている。眼球はどちらも零れ落ちてしまうのではないかというぐらいに見開かれ、グリグリと忙しなく回転していた。
かなり、気持ち悪い。
前に読んだ本によると、切断面から噴き出している血……は液体状の魔力らしい。
外気に触れた魔物の血は短時間で蒸発して、跡形もなく消え去ってしまうんだとか。
魔物の体には何かに使える部位があるようで、倒した魔物の使える部位を切り取ってお金にし、その金で生活している人も多いと聞く。
こいつの体も、確か薬になるみたいだ。
『ギイイ……』
観察しているうちに、《人食茸》が立ち直った。唸りながら、ゆっくりと起き上がろうとする。
そろそろ、止めを刺すとするか。
「――ッ」
接近し、剣を振り下ろそうとした時だった。
背中に衝撃が走り、勢い良く吹き飛ばされた。
近くにあった樹に、思い切り激突する。
握っていた剣がすっぽ抜け、飛んでいってしまった。
「く……」
《魔力武装》のお陰で、ほとんどダメージはない。
打ち付けた体と背中が、若干痛むくらいだ。
「……何が」
見れば、先ほどまで俺が立っていた場所に、もう一匹の《人食茸》が立っていた。
「……二匹、いたのか」
止めを刺そうとしていたところを、後ろから殴り付けられたらしい。
……クソ、油断した。
あの一匹に、意識を集中させ過ぎてしまった。そのせいで、周囲の警戒が疎かになっていた。
『ピギイイイ!』
『ギイイイイ!!』
二匹の《人食茸》が、同時に襲いかかってきた。
《魔力武装》して、何とか躱していく。
どちらの動きも緩慢だ。二匹に増えても、落ち着いていれば十分に対処できる。
しかし、さすがに落ちた剣を拾う余裕はなさそうだな。
「よし……!」
向かってきた拳を躱し、カウンター気味にパンチを放つ。
強化された拳が命中し、《人食茸》の一部が爆ぜた。
「素手でも、十分に戦える……!」
最下級の魔物というだけあって、防御力も高くはない。
一撃が効いたことに余裕を取り戻した時だった。
「……っ!」
背後から気配を感じ、咄嗟にその場から飛び退いた。
すぐ後ろで、ブンと空振る音がする。
「三匹目……!?」
背後にいたのは、さらにもう一匹の《人食茸》だった。
それも、他の二匹よりも体が大きい。180センチくらいはあるだろうか。
明らかに強そうだ。レア個体とかかもしれない。
『ピゴオオオオオ!!』
『ギイイイイ!』
『ピギイイ!』
気付けば、囲まれていた。三匹の《人食茸》が、ジリジリと距離を詰めてくる。
……不味い。
どうする……どう対処する。
どうしたらいい……?
《人食茸》はこちらの考えがまとまるのを待ってはくれなかった。
目の前に、大きな《人食茸》が迫る。
その巨大な腕からの一撃が、振り下ろされる直前だった。
「――――」
――ヒュンと風切り音が聞こえた気がした。
「え?」
大きな《人食茸》の動きが止まった。
次いで、傘が、胴体が、腕が、足が。あらゆる部位がサイコロのように切り刻まれ、全身から黄色い汁を撒き散らして地面に落ちていく。
「なにが」
起こっている、と言おうとした時だった。
「ウルグ」
――目の前にセシルが立っていた。
「うわぁ!?」
思わず飛び退いて、地面に倒れこんでしまう。
まったく気配を感じなかった。周囲を警戒していたはずなのに、気付いたらすぐ目の前にセシルが立っていたのだ。
「前に、言ったでしょ。無茶はしないでって」
「……っ」
セシルは今まで見たことがないほど怒っていた。
両手を握りしめ、顔を赤くして俺を睨み付けている。
その時、背後で動きがあった。
残り二匹の《人食茸》がセシルに向かって腕を振り下ろしていたからだ。
「ねえさっ」
セシルの名前を呼ぶ間もなかった。
再び、ヒュンと音がした。
二匹の《人食茸》はさっきの個体と同じように、細切れになっていた。
何をしたのか、まったく分からなかった。セシルは振り返ることすらしなかったのだ。
俺がドッセルに殴られた時のセシルの動き、そして今の魔術。
セシルは優秀な風の魔術師だと聞いていたが、ここまでなんて……。
「ウルグ」
セシルの強さに固まっている俺の名前を、彼女はもう一度呼んだ。
恐る恐る上を向き、セシルの顔を見て俺は言葉を失った。
セシルは泣いていたのだ。
サファイアのような輝きを持つ美しい双眸から、大きな雫を止めどなく零していた。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿ぁ!」
「ねえ……さま」
「無茶しないでって言ったのに! 馬鹿ぁ……!」
言い訳は何も言えなかった。
ただ俺はセシルに謝ることしかできなかった。
それから、セシルは体調を大きく崩してしまった。
俺のせいでだ。
二日間、セシルは寝込んだままになった。
―
「姉様……あの」
二日後、目を覚ましたセシルの横に俺はいた。
ベッドから体を起こしてこちらを見るセシルは、頬を大きく膨らませ、怒りの表情を浮かべている。
「これから私が良いというまで、ウルグは外出禁止です。ずっと家の中にいなさい」
「……はい」
あれだけ心配させたのだ。当然だろう。
二度と森に行ってはいけないと言われても、仕方ない。
「その間、私の部屋で修業しなさい。ウルグが十分に強くなったら、森での修業を認めます」
「……はい。……え? いいんですか?」
憮然とした表情で、セシルは頷いた。
「私が問題ないと思うくらいに強くなれば、あの森の魔物なんて相手にならないわ。……この村じゃ剣の道場もないし、ウルグがまともに修業できるのはあの森くらいだからね……」
たしかに、そうだけど……。
「それに最強の剣士になりたいなら、あんな最下級の魔物に手こずっていたら話にならないわよ」
「……はい」
返す言葉がない。
「こないだ、貴方があの魔物に負けたのは、目の前の魔物に集中し過ぎて他が疎かになり過ぎていたからよ。実戦になると緊張や恐怖で視野が狭くなってしまうの」
分かったでしょ? とセシルが聞いてくる。
「すぐにできることじゃないけど、実戦中はできる限り冷静に、視野を広く持つことを心がけなさい」
適切な指摘に、頷く。
どうやら、俺は過信し過ぎていたようだ。
反省しなければ。
「あと、修業中はウルグは夜、私と一緒に寝てもらいます」
「……はい。…………あれ?」
待て、それは関係なくないか。
「以上です。文句は許しません」
しかし、セシルは反論を許さず、ピシャリとそう言った。
「……はい」
結局、頷くことしかできなかった。
―
それから、外出はせず、セシルの監視の下、修業を行うことになった。
教えられたのは《魔力武装》の基礎、そして《魔力武装》を使った防御や攻撃の仕方だ。
剣の振り方に関しては、「ウルグの素振りが綺麗過ぎて何を言ったらいいのか分からない」と言われた。
どうやら、問題ないらしい。
数日後。
夜、ベッドでセシルにあることを尋ねた。
「姉様、今の段階での俺はどれくらいの実力なんですか?」
セシルは少し考える素振りを見せた後、
「今だと、同年代の子だったら、まず相手にならないわ。その辺の大人でもウルグが勝つわね。まだ直せる部分はあるとはいえ、ウルグは《魔力武装》をかなり使いこなしている。弱い魔術師にも接近できれば勝てるわ」
そう答えた。
思わぬ良い評価に、頬が綻びそうになるのをこらえる。過信は禁物だ。
「緊張に呑まれず、しっかり相手の動きを見ることができれば、だけどね。それはこれからの訓練次第よ」
「はい」
それから、セシルに将来についての相談をした。
魔術学園に入りたいこと、そのために冒険者になること。
冒険者になりたいという言葉に、やはりセシルはいい顔はしなかった。
しかし、予想していたよりも反対はされず、「だったらもっと強くならなくちゃね」と言われただけだった。
「ウルグが魔術学園に入る日が楽しみだわ。前に聞いたことがあるけどね。あの学園では生徒同士が魔術とか剣技で戦って『最強』を競う行事があるそうよ」
学園トーナメント、みたいな感じだろうか。
元の世界でいう試験とか、運動会とか、そういう感じなのかもしれない。
「ウルグならきっと、学園最強になれるわ」
「…………」
『最強』、か。
俺が目指すのは最強の剣士《剣聖》。
学園最強止まりでは駄目だ。
だけど、学園に入ったら、まず学園最強を目指してみても良いかもしれない。
学園には、俺なんかより圧倒的に強い人がたくさんいるだろうしな。
「学園で優秀な成績を収めると、王様に仕える騎士とか、魔術師とかへのお誘いが来たり、冒険者からパーティに入らないかって誘われたりもするんだって。きっとウルグはあっちこっちから引っ張りだこね」
「だと、いいんですけど」
「駄目! ウルグは私のだから!」
「…………」
それから一ヶ月後、俺はセシルから外出の許可をもらった。
実際に試してないから分からないが、素手でも《人食茸》に勝てるとセシルは言っていた。
セシルは何度も何度も「本当はもう外に出したくないけど、ウルグの将来を考えてあえて外に出すの。だから無茶はしないで」と言った。
心配を掛けないためにも、もっと強くならなければ。
……そういえば、結局なんでセシルが俺を助けに来れたのかは聞けずじまいだったな。