第十二話 『その名は――』
レックス・アルバートはウルグと『黒鬼傭兵団』が戦っている場面を旧ホールの陰から覗いていた。
複数人からの攻撃を危なげなく躱していくウルグの動きを見ながら、どう動くべきかを考えていた。
考えが思いつくよりも先に、ウルグの背後にそびえ立っていた土の壁が砕け散った。。壁の向こうから悠々と姿を表したのは、黒茶色の髪の男だ。
「アイヴァン・ストレイシーツ……!」
その男の顔を見て、思わずその名が口から零れた。
昔、アイヴァン・スレインシーツという冒険者がいた。
彼は三十代半ばでAランク冒険者にまで上り詰める程の実力を持っていたが、その反面で仕事の姿勢に大きな問題を持っていた。
依頼をこなす為にはどんな手段も使い、仲間をも容易く切り捨てた。
そのスタンス故に、彼と行動を供にした冒険者は何人も死んでいった。地毛が黒髪に近い事からも、徐々に彼に近付く人物はいなくなっていく。当時、彼が所属していた大きなパーティからも追放されたという。
自身を追放したパーティに強い恨みを抱いたアイヴァンは、パーティメンバー達に復讐を実行した。依頼で外に出た者に不意打ちを仕掛け、何人も殺した。
最終的にパーティリーダだった同じAランク冒険者と直接刃を交え、アイヴァンは敗北した。大きな傷を負ったものの、彼はその場から逃走し、姿をくらました。
アイヴァンは指名手配されたものの、結局見つける事は出来なかったという。
それから数年後。
『黒鬼傭兵団』を名乗る法を犯す犯罪集団が現れる。
傭兵団の目撃者曰く、黒尽くめの集団のリーダーの容姿は指名手配されているアイヴァン・ストレイシーツに酷似していたという。
それがレックスの知る『黒鬼傭兵団』の情報だ。
「土属性魔術と理真流の剣術を使うっていう相当やべぇ魔術剣士だった筈だよな……。何でそんなんが居るんだよ」
髪を握られたヤシロが力無くアイヴァンの腕からぶら下がっている。
自分では全く勝てないヤシロがボロボロになっているのにも驚いたし、何より驚いたのは、彼女の頭から生える二つの狼耳だった。
深紫の髪の中から、ちょこんと覗く狼の耳。それはどう見ても人狼種の物だ。
思い返せば、ヤシロはいつも帽子を被っていた。その下を見たことは一度もない。修行の最中でさえ、ヤシロは帽子を脱ぐことをしなかった。
頑なに帽子を脱がなかったのは彼女が耳を隠していたと考えれば納得できる。
「……だけど、そんな事は今はどうでもいい」
ヤシロは戦闘不能の状況で、戦えるのはウルグ一人だけ。まして相手は元Aランク冒険者の犯罪者に、騎士達を翻弄する『黒鬼傭兵団』のメンバー達だ。
ここでレックスが助太刀に入ったとしても、勝ち目があるとは思えない。
だとすれば自分に出来ることは何か。
(悪い、すぐ戻るから!)
ウルグとヤシロに心の中でそう誓い、レックスは彼らに背を向けて走り始めた。向かうのは校舎だ。恐らく中にはまだ教員が残っている筈。彼らに助けを求めウルグ達を助けて貰うのだ。
薄暗い道をレックスは懸命に走る。
何度も躓きそうになりながら、それでも全速力で校舎の方向へ。
「ッ!」
それに反応できたのは、間違いなく日頃の修行の成果だろう。
ヒュン、と音がした。
全身に走る悪寒に従って、即座に盾を構え、音の方向へ向ける。直後、カコンと音がして、何かが盾にぶつかって地面へ落ちた。
地面に落ちたのは一本の矢だった。
「見張りがいたって事かよ……!」」
レックスの行く手を阻むように、黒尽くめの男が二名姿を表した。二人の手には武器が握られており、どう見ても自分を狙っている。
ウルグ達と戦っている奴しかいないと考えていたが、連中は目撃者が出ないように見張りを立てておいたのだ。
ジリジリと近付いてくる黒尽くめの二人の殺気に、全身から汗が吹き出す。痛いほどに心臓の鼓動が早まり、過呼吸になりそうなくらいに息が荒い。
やるしかない。
レックスは武器を構え、黒尽くめの男達と相対する。
ここで諦める事は即ちウルグとヤシロを見捨てるという事だ。友人を見捨てる事など、レックスには出来なかった。
震える足を必死に抑え、二人に向かって突貫を仕掛けようとした時だった。
「なっ!?」
不意に強い風が吹いた。
それは黒尽くめの男達を飲み込み、空高くへと舞い上げる。空中へと巻き上げられた男達は悲鳴を上げ、やがて錐揉み状に落下してきた。
地面に落ちた二人は意識を失い、地面に転がっている。
「何が」
突然起きた出来事に思考が付いていかず、呆然とするレックスの前にその風を起こした主が姿を表した。
そこにいたの、数日前レックスにウルグと話がしたいと頼み込んできた者だった。
急に現れたことに驚きながらも、レックスはその人物に縋るしかなかった。
「ウルグ達を助けてやってくれ!」
―
ヤシロを人質に取られた後の戦いは一方的だった。
攻撃が出来ない俺に、あらゆる方向から魔術が飛んでくる。それに対して出来ることは«魔力武装»を利用して、魔術を抵抗することだけだった。
風の刃が肌を斬り裂き、炎の球が肉を焦がし、雷が全身を走る。俺を甚振るように、何度も何度も魔術がぶつけられた。
魔力も徐々に減ってきて、体力もなくなっていく。最初に喰らったダメージが重く、段々と体が鉛の様に重くなってくる。
「ごはっ」
拳程もある岩が背中にぶつかって砕け散った。雷が目の前で弾け、意識が飛びそうになる。
口から血が溢れ、痛みに足がガクガクと震え出す。
「お前も運がねぇな。あんな貴族に目を付けられなきゃ、こんな目に合うことは無かっただろうに」
「き、ぞく……」
こいつらを俺にけしかけたのは、やはりあいつか。
ベルス・ベルセポナ。あいつが、ヤシロを。
「ヤシロォ……」
額が切れて血が溢れ、片目に流れて視界が赤く染まる。
ヤシロの名を呼び、手を伸ばすが、届くことはない。
「恨むんなら、俺達に依頼してきた貴族を恨みな。
もしくは、自分の弱さを恨むんだな」
どうしたらこの場から抜け出せるか、必死に頭を回転させる。
そこで俺はあることを思い出した。
「俺は、セルドールと、ジーナスの知り合いだ」
かつて『黒鬼傭兵団』の名を口にしていたあの二人の名前を出した。あいつらの言っていた事が本当なら、どうにかなるかもしれない。
その名前を聞いた時、男の表情が変わった。
「セルドールとジーナスね。懐かしい名前だ。あいつらの知り合いか。なら、余計に殺しておかなきゃな」
男の腕から岩が発射され、俺の腹にぶち当たる。
呼吸が止まり、熱いものが喉をせり上がってくる。
「あいつらは俺らから金を盗んで逃げやがったゴミ屑野郎共だからな。いずれ俺の手でグチャグチャにしようと思ってた所だ。知り合いって言ったか? 今、あいつらはどこにいやがる」
畜生。
あの二人、本当に役に立たねえ……。
万事休すか。
「チッ、喋りやがらねえか。まあ良い。今は依頼をこなすが優先だ。てめぇを十分に甚振ってから殺せとのご命令だからな。もう十分に痛め付けただろう」
男は自分の後ろに控えていた仲間にヤシロを投げ渡すと、腰から剣を抜いて近付いて来た。
近付いて来た所を斬り付けてやろうと思ったが、もう体に力が入らなかった。カクンと膝から崩れ落ちる。剣が手から零れ落ちた。
「ちくしょう……!」
「ハッ、凄え目付きだ。
だが言った筈だぜ。恨むなら弱い自分を恨めとな。
弱い者は何も成せない、何も守れない。強者に抗えず、蹂躙されるだけだ。
弱さは罪じゃない。弱さはそれ自体がもう罰なんだよ。
強さが全てだ。
その点において――お前は弱い」
「よわ、い」
「そう、お前は弱い。だからこうなる。
お前が強ければ、人狼種のガキを俺が捕まえるよりも早く、助太刀に入れていた筈だぜ」
男は目の前にまでやって来ていた。
「かつて、俺は弱かったせいで全てを失った。それで強さが全てだと知ったんだよ。
だから、自分の手で殺す相手にはいつも教えてやってんのさ、てめぇの弱さって奴をな」
男が剣を構えた。
「最期にもう一度教えてやる。
お前は――――」
「――――」
「――弱ぇ」
剣が。
振り。
下ろ、
されて――。
―
走馬灯は走らなかった。
刹那、俺が見たものは無数に走る緑の軌跡だった。
その一つが剣を振り下ろしていた男へとぶつかり、彼を後方へと押し下げる。
「何だこれは!!」
男が声を漏らす次の瞬間、緑色の光が爆発した。それは魔力で作られた暴風へと姿を変え、俺達を囲んでいた黒尽くめ達を吹き飛ばす。
ヤシロを捕まえていた黒尽くめ達にも風が襲い掛かり、彼らが吹き飛ばされまいと構えると同時に、どこからか現れたレックスが雄叫びを上げ、そこへ突っ込んでいった。
そちらに視線が行ったのは一瞬だけだった。
それよりも。
俺は目の前に視線が釘付けになっていた。
足音がした。
それはゆっくりと俺の横を通り、そして男と俺との間へと入ってきた。
男はやってきた人物を見て、額に汗を浮かべている。
間に入ってきたのは、碧く光る片手剣を手にした一人の女性だった。
全身から激しい魔力を迸らせ、近付く者全てを斬り裂いてしまいそうな剣気を噴出させ、俺の前に立っていた。
目の前に敵が居るというのに、その女性は徐ろにこちらへ振り返る。その立ち姿には一切の隙がなく、正面にいる男も手が出せないようだった。
その女性を俺は知っていた。
肩を伝って背中まで流れる癖の強い金髪、細く整えられた眉毛に、宝石を連想させるような碧眼。着ているのは貴族らしく装飾された服だ。私服というよりは、執務服という言葉が合っている。肌は透き通るように白く綺麗で、まるで人形のように整った容姿をしていた。
空から地を照らす青白い月光を背に浴びて、彼女は凛とした表情で地面に倒れている俺へ視線を向ける。
その女性を俺は知っていた。
その女性の名は――。
「――助けに来たぞ、ウルグ」
月光に金髪を輝かせた、テレスがそこにいた。




