第九話 『認められるということ』
最近、今までにもまして嫌がらせを受けるようになった。
今まで絡んで来ていた貴族だけでなく、素行の悪そうな平民からも喧嘩を売られるようになったのだ。
それは同学年の生徒だったり、違う学年の生徒だったりする。
ヤシロとレックスと校舎を歩いている時だった。
通り過ぎて行く素行の悪そうな生徒が、露骨に肩をぶつけようとこちらに近付いてくるのだ。回避すると露骨に舌打ちをされる。
こちらが何かを言う前に、他の生徒に紛れて消えていく。
それで何だったんだあいつと、とまた廊下を歩こうとすると、似たような格好の生徒がすれ違いざまにボソッと「気持ちワリィ」などと呟いて来るのだ。
こちらがガンを付けたと言い掛かりを受けて、唐突に胸ぐらを掴まれそうになった事もあった。
その時は偶然通り掛かったヴィレムが間に入ってきて助けてくれたが。
あれから何度もヴィレムには助けて貰っている。
彼に話を聞いた所、貴族の連中が俺をどうにかしようという話を耳にしたらしく、あの時俺に注意してくれたらしい。
俺がいない時にヤシロにも不良が絡もうとしたらしいが、その時もヴィレムが間に入ってくれたんだとか。
彼には感謝しなければならないな。
こう何度も絡まれると、流石に偶然では無いという事が分かってくる。
誰かが悪意を持って俺を学園から追い出そうとしているのだろう。
ヤシロとレックスが青筋を立てて「次に来たら捕まえて話を聞こう」と提案して来た頃には、露骨に絡んでくる者は居なくなり、今度は間接的な嫌がらせが増えてきた。
俺に関する落書きが寮にあったりだとか、ドアの隙間から不幸の手紙みたいなのが入れられたりだとか、そういう嫌がらせが増えてきた。
今度は犯人が分からないので、捕まえて事情を聞くことも出来ない。
前世でこういう嫌がらせを受けたことは多々あるが、まさか異世界に来てまでこんな風に絡まれるとは思ってなかった。
一度、俺が絡まれている時にベルスが遠巻きにこちらを見ていた時があった。もしかしたら、模擬戦で俺に負けた事を根に持って、嫌がらせをして来ているのかもしれない。
あいつやその取り巻きが直接絡んでくる事は無くなってきているのは、俺の復讐を恐れているからだろうか。
本当に面倒な事を巻き込まれた。
俺が傷付くのはまだいいんだ。
絡まれたり、陰口を叩かれたり、嫌がらせを受けたりするのが嫌じゃないという訳じゃない。
だけどこれは慣れているし、俺が傷付く分には我慢できるんだ。テレスからの言葉もあるし、無関係な他人の発言なら耐えられる。
でもそれ以上に、ヤシロやレックスに迷惑が掛かるのが辛いんだ。
二人とも、俺なんかと一緒にいてくれる良い奴だ。
その二人に迷惑を掛けるのが本当に申し訳なくて。
このまま迷惑をかけ続けていたら、見捨てられてしまうのではないかと考えると、それが本当に怖かった。
―
俺が絡まれる事で、ヤシロやレックスにも影響が出始めていた。
授業の合間に廊下をヤシロと移動している時だった。
向こうから歩いてくる複数の女子達に、ヤシロが話し掛けた。
寮の知り合いらしい。
ヤシロに話し掛けられた女子達は顔を見合わせた後、チラリと俺に視線を向けると、よそよそしい態度で曖昧にヤシロに返事をするとそそくさと立ち去って行ってしまった。
「ヤシロ、」
「……さ、ウルグ様。行きましょう。次の授業に遅れてしまいますよ」
「……あぁ」
少し無理した風に笑うヤシロを見て、胸が締め付けられた。
ヤシロは寮で話せる子が出来た事を、何度も嬉しそうに話してくれた。それが俺のせいで壊れたかと思うと、罪悪感で苦しくなる。
前世でもそうだった。
俺は何も悪いことはしてないのに、目を付けられて、馬鹿にされて、陰口を叩かれて、嫌がらせをされて。
その日の放課後、俺はヤシロと別れて図書館へ行った。何か為になる本が無いかを探す為だ。
何冊かの本を借りて、図書館からヤシロとの待ち合わせ場所へ行った時だった。
ヤシロとヴィレムが、何かを話していた。
どちらも難しい顔をし、ヴィレムがヤシロに何かを熱心に話していた。
俺はそこへ行けず、しばらく別の場所で時間を潰してから待ち合わせ場所に戻った。
その時にはヴィレムは居なくなっており、ヤシロは一人だった。
ヤシロはどこか暗い表情をしており、俺に対してヴィレムと話していた事は言わなかった。
その時、このままではヤシロがどこかへ行ってしまうのではないかという不安に襲われた。
今のままじゃ駄目だ。
認められないと。
夜、寮での事だ。
レックスが風呂へ行ってからしばらくして、俺はトイレをしに部屋の外へ出た。
その時に聞いてしまったのだ。
「おい……お前、あの黒髪の奴といるのってやばいんじゃないか? 大分やばい奴って聞くぞ。貴族連中達からも目を付けられてるらしいしよ。つるんでるお前まで何か嫌がらせされたりするんじゃないか?」
そんな事を、寮の先輩がレックスに話しているのを。
廊下の角から覗く俺に気付かず、先輩はレックスの身を案じる事を言っていた。俺を悪く言っている訳ではない。ただ、レックスを心配して言っているだけなのだろう。
レックスは難しい顔をしていたが、
「いやっ、あいつはそんな悪い奴じゃないですよ。黒髪だし、目付き悪いから勘違いされやすいんだと思います。今の所は特に何もされてなから、大丈夫っす。心配してくれてありがとうございます」
そう答えた。
「……そうか。まああんまり危ない様だったら、気を付けとけよ。貴族の連中、気に食わない奴にはえげつない手を使うからな」
「こえーっすね。ははは」
「笑い事じゃねえんだぞ」と先輩がレックスを注意し、それで話は終わった。
部屋に戻り、ベッドに転がっていると、しばらくしてからレックスは帰ってきた。
「ふぅ、ただいま。風呂っていいな。一日の疲れが汗と一緒に流れていくようだぜ」
さっきの話なんて無かったかのような、いつもと変わらない態度だ。
その後、特に変わった会話はなく、適当に話してから寝た。
結局、レックスは先輩の忠告を受けても、俺への態度を変えなかった。
本当に良い奴だと思う。
だからこそ、迷惑を掛けたくなかった。
貴族や不良に目を付けられるのは、俺が認められていないからだ。
俺がレグルスやヴィレムの様に多くの人に認められていれば、貴族も不良も手出だし出来ないだろう。
認められなければ。
ヤシロにもレックスにも、迷惑が掛かる。
認められないと。
――もっと強くならないと。
―
その日から、修行の時間を増やした。
ヤシロ達との修行とは別に、自分一人でも剣を振るようになった。
認められるには、実績が必要だ。絶心流や理真流などの段を取るのは立派な実績にもなるし、強さの指針にもなる。
型の練習を更に追加した。
絶心流は初段を取れたが、まだ理真流は取れていない。
理真流の初段獲得を目下の目標にし、相手の動きを予測するという事を必死に学んだ。
図書館で理真流の本を借りてきて、読み漁ったりもした。
学園の敷地は広大で、それ故にあまり人が立ち寄らないという場所も出てくる。
夜、敷地の隅にある誰にも使われていないスペースへ行き、一人で修行した。自由訓練場は夜になると立ち入れなくなってしまうからだ。
だがそれも長くは続かず、途中でヤシロとレックスにバレて、結局三人で修行する事になった。
二人にだってやりたい事はあるだろうに、どうして俺に付き合ってくれるのだろう。
修行を続ける過程でふと、認められる事とは何なのか、という事が頭に浮かんだ。
最強になれば認められる。《剣聖》になれば、皆に認められる。
そう考えていままでやって来た。俺が認められていないのは、まだ最強から程遠いせいだ。
俺には剣しかないから、剣で最強になって認められるしか無いと。
認められるという事は、最強という事とイコールなのだろうか。
絶対的に強ければ、誰かから認められて、信頼されるのだろうか。
考えてみても、答えは出なかった。
認められたことも無いのに、認められるという事が何なのかを考えても分かる筈が無い。
俺には剣しか無い。
それに俺に愛情を注いでくれた姉も、最強になれと俺に言っていた。
だから剣を振るしか無いんだ。
この手が最強に届くまで。
―
放課後、俺達は自由訓練場で模擬戦を行っていた。
最初にヤシロとレックスが手合わせしてヤシロが勝ち、その次に俺とレックスで戦った。
向かい合うレックスは修行を始めた時よりも構えから無駄が無くなっていた。
半身の姿勢で盾を前に突き出し、片手剣をその後ろに隠して剣の軌道を見えなくしている。ブレイブの構えを再現しているのだ。
「オラァ!!」
間合いに入ると、雄叫びを上げてレックスが盾を突き出してきた。受け止める事はせず、横に跳んで盾を躱す。
レックスはそれで終わらず、避けた先を狙って盾で隠していた片手剣で攻撃してきた。剣で受け流しカウンターで斬り付けるが、引いて戻した盾でガードされてしまう。
最初は一撃も受け止められなかったのに、レックスは既にここまで出来るようになっていた。
それに対して俺は未だに大きく成長出来ていない。
もっと強くならないといけないのに。
焦りは俺から冷静さを奪い、冷静さを欠いた攻撃は加減を失う。
焦燥感に急かされて繰り出した剣が、レックスの盾を激しく打ち付けた。盾を弾き、大きく姿勢を崩したレックスに対して、俺は更に追撃を行う。
いつもなら寸止めで終わらせる所を、
「ウルグ様!」
ヤシロの声を聞いた時、『鳴哭』は既にレックスの肩を斬り裂いていた。
傷口から血が噴出し、痛みに顔をしかめたレックスが地面に強く倒れこんだ。
すぐさま地面の«魔術刻印»が肩の傷を癒していく。十秒も掛からない内に、レックスの傷は消えてなくなった。
しかし、地面に落ちた血は消えない。
「れ……レックス。すまない……俺は、」
「は、気にすんなって。真剣を使った模擬戦なんだから、こういう事も起こるよ。その為の上級治癒魔術の発動してる自由訓練場だろ?」
自分を傷付けた俺をレックスは笑って許してくれた。
今まで、掠り傷程度の怪我はお互いに何度も負っている。だけど相手を斬り付けるなんて真似はしたことが無かった。
冷静さを欠いた剣で、友達を傷付けたという事実が酷く情けなかった。
「お疲れ様。ちょっと力が入りすぎちゃったみたいだね」
レックスの模擬戦を中断し、しばらくの休憩に入った時だった。
黄色の髪をした青年が俺達の元にやってきた。《剣聖》の息子、レグルスだ。
俺達が修行している時に、時たまこうして顔を出す。何度か会っている為、既にレックスとも面識があった。
「最近、よく君達が剣を振っているのを見かけるよ。随分熱心なんだね」
「いやぁ、俺は騎士になるためにもっと強くなりたいですからね。今のうちにちょっとでも強くなっておきたいんですよ」
レックスがそう返すと、レグルスは「騎士! いいねぇ、僕も夢のひとつが騎士なんだよ! 仲間だね!」などと強く食いついていた。
彼の父、アルデバラン・フォン・アークハイドは《剣聖》であると同時に騎士団長でもある。
レグルスは父の後を継ぎたいって感じだろうか。
「レックス君は騎士になりたいから、か。じゃあ、二人はどうして剣を振ってるのかな」
それから、休憩している俺達にもレグルスはそう尋ねてきた。
「……私はウルグ様をお守り出来るくらいに強くなりたいので、修行しています」
「へぇ! こんな可愛い子にそこまで思われるなんて、ウルグ君は幸せ者だね! 彼女を大切にしないと駄目だよ!」
レグルス先輩は結構グイグイ言う人だ。
ヤシロが赤面し、モジモジしている。イケメンに褒められると、やはりヤシロでも嬉しいのだろうか。
「ウルグ君は?」
そう聞かれ、俺は一瞬素直に答えるかどうかを迷った。なんせ、目の前にいるのは《剣聖》の息子なのだ。
それにレックスを傷付けた後にその目標を語るのは、どこか滑稽な気がした。
だけど結局、言うことにした。
自分が目指す夢ぐらいは、胸を張って言いたい。
「俺は……《剣聖》を目指しています」
スッとレグルスの雰囲気が変わった。
相変わらず笑みは浮かべているし、爽やかさは変わらない。だが、何かが変わった。それは伝わってきた。
「どうして、ウルグ君は«剣聖»になりたいんだい?」
「最強の剣士が《剣聖》だからです。俺は最強の剣士になりたい。最強だという事を示す称号が《剣聖》。だから俺は《剣聖》を目指しています」
「最強……か。なるほどね」
そう言って、レグルスは爽やかに笑う。
俺は最強になって、認められたいんだ。
俺には剣しか無いから。
だから剣で誰もが俺も認めざるを得ないくらいに、強くなりたい。
その為に剣を握った。
その為に剣を振った。
その為にここまでやってきた。
なのに。
「だけど、その目的で《剣聖》を目指していては、同じく《剣聖》を目指す僕には絶対に勝てないよ。だから《剣聖》にもなれない」
そう、レグルスは笑った。
爽やかに――――ではない。ヘラヘラもしていない。
全身にのしかかってきて、彼から目が離せなくなるような――――実体を持つかのような重圧な笑みだった。
「さっき僕は騎士を目指していると言ったけどけど、同時に《剣聖》も目指しているんだ。小さな頃から父の背中を見て育ったからね。父のようになりたいと思ってるんだ」
「……何故、俺が《剣聖》になれないと」
正面から強く睨みつけるが、レグルスは動じない。
「《剣聖》っていうのは確かに最強の剣士の称号だ。最も強い剣士がそこに手にする称号、それは間違いない。だけどそれだけでもない。
《剣聖》というのは世界中の人間の支えだ。
魔物、盗賊、災害、そう言った人々の安寧を脅かす存在がある中で、《剣聖》は最強の名の下に全ての人間に安心を与えなければならない。
簡単にいえば、『《剣聖》がいるからきっと大丈夫だ』、そんな風に思われる存在でなければならない。
ただ強いだけじゃ、駄目なんだ。信頼にたる人間にならなければならない。
父は――《剣聖》は僕にそう教えてくれたよ。
僕はそんな存在になれるように、今まで生きてきた。剣を振ってきた。
ウルグ君、君はどうかな」
――君は《剣聖》になるに相応しい人間なのかい?
俺は――俺は。
その言葉に答えられなかった。
かつて、シスイに同じことを尋ねられたことがある。その時に俺は「他人が何て言おうと、俺は《剣聖》を目指すだけだ」と――そう、なんの躊躇いもなく答えた筈だ。
なのに、俺は即答出来なかった。
迷ってしまった。躊躇ってしまった。考えてしまった。
自分に《剣聖》の資格があるのか――と。
《剣聖》になるには誰よりも強くあればいい、とそう考えていた。事実、《剣聖》になるには強くなければならない。
強さこそが資格と、そう思っていた。
レグルスの態度は真摯で、真剣その物だった。
だからこそ俺は、俺を正面から見据える彼の言葉に返答を躊躇ってしまった。
「俺は……俺は――――」
「……ごめん。ちょっと意地悪な質問だったね」
答えられなかった俺に、レグルスは本当に申し訳無さそうな顔をした。
「ウルグ君の目標を否定するつもりなんて、僕にはないんだ。これは本当だよ。レックス君の目標も、ヤシロちゃんの目標も、ウルグ君の目標も――目標は、それらの夢は須らく僕は尊い物だと思う。将来を見据えられる人間はそう多くはないからね。本当に尊くて、尊敬に値するものだと僕は思うよ。
だからこそ、僕はウルグ君にアドバイスしたい。
もう一度、《剣聖》を目指す理由を――剣を振る理由を考えてみて欲しい。
今の君は何かに焦って、大切な物を見失っている気がしたんだ」
僕が言いたいのは、それだけなんだ。
ごめんね。
立ち尽くし、俺はレグルスの顔を見ていることしか出来なかった。
ヤシロとレックスは何も言わなかった。
レグルスは「雰囲気悪くしてごめんね」と謝って、自由訓練場から姿を消した。
俺はただ、彼の背中を視線で追うことしか出来なかった。




