第七話 『気になるのは少しだけ』
学園にやってきて、二週間が経過した。
貴族に嫌味を言われたりすること以外は、特に問題なく日々が経過している。
レックスとの修行は、結局あれから毎日行っている。
男性に対して苦手意識を持っているかもしれないヤシロが心配だったが、思った以上に二人は打ち解けていた。
ダジャレが好きなヤシロに対して、
「打撲で死んだ僕」
とかいうよく分からないギャグを言って、二人で爆笑したりしている所がよく見られる。
二人のギャグセンスに関しては全く理解できないが、仲良くしてくれているのは嬉しい。
逆に仲良くなり過ぎてちょっと複雑だけど。
修行の内容に関しては、準備運動し、体を温めるためにランニングしてから一緒に素振りし、各自で型の練習を行い、時々お互いにフォームのチェックをし、修行場で模擬戦を行う。
とレックスだけでなく、俺とヤシロもちゃんとした修行になるように考えている。
技量的にはやはりレックスが何歩か俺達に遅れを取っているが、それでも欠点を指摘したり、自分とは違うスタイルの人と戦うのは成長に繋がる。
今の所はかなり順調と言えるだろう。
正しい筋トレとストレッチを始めたからか、レックスの筋肉が良い感じに育ってきた気がするしな。
―
「上腕二頭筋のこの膨らみ……良い感じじゃね?」
夜になると、レックスはよくこんな事を聞いてくる。
レックスはやや露出好きの気があるみたいだ。
部屋に帰るとまず上半身を露出するのだ。風呂に入った後はパンツだけで過ごしている事も多い。
備え付けられている全身鏡の前でポージングを取ったりして、俺にも筋肉の感想を聞いてくる。
ちょっとむさ苦しい。
「筋肉以外の話題はないのか」
「えー。筋肉以外なぁ……。あそうだ。ウルグ、『黒鬼傭兵団』って知ってるか?」
「あぁ、知ってるよ」
傭兵。
人に雇われて魔物や盗賊を狩ったり、護衛の任務を請け負ったりする者達の事を差す。
こう聞くと、冒険者と何が違うのかと思うだろう。
冒険者は冒険者ギルドが仕事を斡旋するのに対して、傭兵は依頼主から直接仕事を受け取るという違いがある。
冒険者ギルドが斡旋する仕事には、人々に危害を加える物、犯罪に関わる物などは含まれない。ギルドが依頼内容を吟味し、そういった物を弾いているからだ。
対して傭兵は依頼人から直接話を聞く。それはつまり、依頼の内容が犯罪に関わっていたとしても、その傭兵次第で依頼を受けられるという事だ。
どころか、傭兵の仕事の多くはそういった汚れ仕事が多い。その為、必然的に傭兵には犯罪者が多い。
要するに、冒険者では受けられない裏の仕事を請け負うのが、傭兵という訳だ。
『黒鬼傭兵団』はそんな傭兵が集まった集団だ。殺人や麻薬売買などを行った事で、現在指名手配されている。
そういえば、迷宮都市で戦った二人の冒険者が、確か自分達はその傭兵団の仲間だ、と騒いでいた覚えがある。あいつら、結局何だったんだろう。
「確か、元Aランク冒険者がリーダーっていう噂のやつだろ?」
「そうそう。最近、王都のすぐ近くで活発に活動してるらしくて、結構な数の騎士が動いてるらしいぜ。物騒だなぁ」
「っていっても、王都の中には入ってこれないんだろ? その騎士が見張ってるしさ」
王都を囲む城壁と、周囲を回る騎士達。
いかに高名な傭兵団だとしても、突破できるとは思えない。
だが、レックスはパンツ一丁のまま「いや」と首を振った。
「それがどうも、傭兵団と一部の貴族が繋がってるって噂が出てるんだよ。騎士団が探しても傭兵団が見つからないのは、貴族が協力してるからじゃないか、みたいなさ。それに最近は王都の中でも何人か行方不明者が出てるらしい。もしかしたら、王都の中に入り込んでるのかも知れないぜ」
灯台下暗しという奴か。
確かに貴族に匿われ、王都の中に隠れていては逆に見つからないかもしれない。
「にしても詳しいな。『黒鬼傭兵団』に何かあるのか?」
「いや、全く関わりはないけどさ。将来王都を警備する騎士を目指してるんだから、王都の情勢みたいなのは知っておかないといけないかなって思ってさ」
随分と勉強熱心なんだな。
付き合ってみて分かったが、レックスは口だけじゃなくて本気で騎士を目指しているようだ。
授業でも騎士関連の科目を取っているし、暇な時間があれば図書館で騎士についての本を読んでいることもある。
俺達の修行に付いてこられるのも、本当に騎士になりたいからなのだろう。
「っても、ここでの生活態度を見てると、貴族連中はあんまり守りたくなくなるよなぁ。お前、絡まれすぎだろ。特にあのベルスとかいうのに」
初日に目を付けられてから、会うたびにベルスが嫌みったらしく絡んでくる。レックスがいる時にもやってきて嫌味を言ってくるので、どうやら名前を覚えていたらしい。
「まあ……黒髪だしさ。絡まれるのは仕方ないだろうって諦めてるよ。ああいう外面だけで人間を評価する奴は相手にしないのが一番だ」
「そうなんだけどよぉ。何もしてないのに、お前があそこまで言われるを黙ってみてるこっちもストレスたまるぜ。何回かぶん殴ってやろうかと思ったくらいだ」
「ヤシロと同じ事言ってるな」
二人には迷惑を掛けてしまっている。
俺が馬鹿にされるだけなら良いんだが、こいつらにまで被害が及ぶのは避けたいな。
今の所、どうしたらいいかはさっぱり分かっていないのだが。
「あ、そうだ。ヤシロちゃんだよ。お前、あんな可愛い子とどうやって知り合ったんだ? 見た所兄妹って感じでもないし、どうなんだ?」
「どうやって、って言われてもな……」
ヤシロに関しては説明出来ない部分が多い。
二人は仲良くなっていたとはいえ、流石に人狼種という事は言えていないのだ。
どうにかして人狼種の部分は隠して、だいぶ省略して出会いを説明してみた。
矛盾が出ないように、明日にでもヤシロと話を合わせておこう。
「くぅぅ」
説明を終えると、レックスは何故か悔しそうな顔をしていた。
「そんなドラマティックな出会いしてたら、そりゃそうなるわな。俺がヤシロちゃんでもお前に惚れてるよ」
「気持ち悪いことを言うなよ。てか、別にヤシロは俺に惚れてる訳じゃねえよ。一緒にいる仲間って感じだし」
自意識過剰じゃあるまいし、ヤシロが俺の事を好きなんて考えられない。
どちらかというと、それこそ兄妹みたいな雰囲気だしな。
「はぁ……」
「何だよ」
「あのさぁ……。気付いてるかどうか知らないけど、ヤシロちゃんって男子からの評価かなり高いんだぞ? 髪の色がどうの、とかふざけた事を抜かす奴もいるけど、ヤシロちゃんかなり可愛いし、しぐさが犬っぽいとかいって、狙ってる奴もそれなりにいるんだ。お前がそんなんじゃ、誰かに持ってかれちまうぞ」
「持ってかれるってそんな、物みたいに」
仮にヤシロが他の男子から告白されたとして、どうするかはヤシロの自由だ。俺がどうこう言う筋合いは無い……と思う。
ヤシロが誰かを好きになったって言うんなら、素直に応援してやるのが仲間ってもんじゃないだろうか。
俺の感情はおいておいて。
「はん、まぁヤシロちゃんを見てると、そんな事は起き無さそうだけどな」
「…………」
「ちくしょう、妬ましいぜ全く。もう寝る! 俺には筋肉があるから寂しくない! おやすみ!」
そう言ったきり、レックスは布団に潜ってしまった。
ヤシロが男子に人気、か。
人に好かれるのは良いことだ。嫌われないに越したことはない。
うん、良いことだ。
―
朝、早めに起きてレックスとヤシロと三人で修行して、汗を拭いて着替えてから授業へ向かう。
毎日のルーチンワークだ。
着替えてから男子寮と女子寮の別れ道の所でヤシロと待ち合わせ、三人で校舎へと向かう。
レックスは俺達とは別の授業を多く取っているので、途中で別れる事も多い。
今日もレックスと別れ、俺とヤシロは『剣の基本』の授業が行われる自由訓練場に向かっていた。
今日は確か、模擬戦を行う日だったと思う。
基本が出来ている者は模擬戦だけ行えば成績が付けてもらえるのだ。
前世ならペア組みに困る所だが、ヤシロがいるから安心だな。
……ヤシロは、俺がいなくてもペアを組める人がいそうだが。
「そんなに私をじっと見て、どうかしましたか?」
いつの間にかヤシロを凝視していたらしい。
……昨日レックスに言われた事を案外気にしているみたいだ。
ヤシロが誰とつるんでも、俺がどうこういう筋合いは無いってのに。
「いや、ヤシロは今、友達とかどうなってるのかな、と思って」
「友達、ですか? そうですね。レックスさんとは楽しく話せますし、寮でも何人かお話出来る人は見つけましたよ」
「へぇ……。ちなみに男子とかで仲良い人とかいる?」
「男子、ですか? そうですね……。レックスさん以外は特にこれと言って仲が良いって人はいませんよ」
「そうか……」
どうして少し安心しているのだろう。
「でも、最近は良く知らない男の人に声を掛けられたりはしますね。遊びにいかないかと誘われた事もあります。全部断っていますけどね」
「…………」
レックスの言っていた事は本当っぽいな。
やっぱり、ヤシロは俺なんかとは違ってコミュ力が高い。
「あ」
ヤシロが何かに気付いたかのように声を出すと、ニヘラぁと笑みを浮かべた。頭に乗っている帽子がピクリと動いて見えた。
「もしかしてウルグ様、私の事が心配なんですか?」
「……仲間だし、交友関係がどうか位は気になるだろ」
「ふへへ。大丈夫ですよ。知らない人に着いて行ったりしませんから。私はウルグ様の影ですからね」
ヤシロのコミュ力の高さに感心していただけだ。
他意はない。
そう弁解しようとして、後ろから声を掛けられた。
「朝から嫌な物をみてしまったな。いい加減、その汚らわしい髪を染めたらどうだ?」
振り返れば、そこにいたのは見慣れた貴族達がいた。
ベルスとその取り巻き達だ。
「この髪の色に誇りを持ってるんで、染めるつもりはないな」
「せっかくのベルス様の忠告に何たる無礼。これだから平民は」
「ベルス様に無礼だとか、これだから平民は、とかそっちから絡んできてるだけじゃねえか。俺はお前らと関わりたくないんだよ。行くぞ、ヤシロ」
相手にする時間が無駄だ。
彼らに背を向け、目的地である自由訓練場に早足で向かう。ヤシロもすぐに追い付いてきて、不機嫌そうな表情で隣を歩いている。
「話の途中で背を向けるなんて、まともな教育を受けてきたとは思えないな」
無視しているというのに、ベルス達はしつこく絡んでくる。
面倒だ。
取り巻き達も一緒になってグチグチと嫌味を言ってきて、そろそろどうにかしなければならないと思った時だ。
「あのさ、君達そういうのはやめた方がいいんじゃないかなぁ」
囁くようなハスキーな声が、貴族達の嫌味を止めた。
声のした方へ視線を向けると、スラリと背の高い青年が立っていた。
色素の薄い灰色の髪と紫の瞳を持つ、線の細い体と物憂げな表情からどこか儚げな印象を覚える驚くほどに整った顔の青年だった。
「貴族だとか平民だとか確かに違いはあるけどさ、その違いをひけらかして相手を馬鹿にするっていうのは、ちょっと違うんじゃないかな。見ていてあまり、気分の良いものじゃないよ」
囁くような口調でありながら、その青年の声は不思議と耳に入ってくる。聞いていて心地の良い声色だ。
彼の顔を見て、ベルスとその取り巻き達が固まっている。
「ヴィレム先輩!」
青年の顔を見たヤシロが驚いた表情を浮かべた。青年もヤシロに対して「やぁ」と手を上げている。
「僕はヴィレム・ファーディナンドって言うんだ。よろしくね」
「寮の友達から紹介されて、何度か話した事があるんです。凄い魔術師の人なんですよ」
「あはは、僕如きが凄い魔術師なんて、他の魔術師の申し訳が立たないよ」
二人はどこか親しげだ。
そういえば、前にヤシロの口からヴィレムの名前を聞いたことがあるような気がするな。
ヴィレムは「それで」とベルス達に視線を向ける。
ベルス達はヴィレムを見て苦々しい表情を浮かべ、「失礼します」と足早に去って行ってしまった。
「はぁ、嫌われちゃったかな。別に僕は喧嘩とかがしたい訳じゃ、ないんだけどね」
「ヴィレム……先輩でしたっけ。助かりました。ありがとうございます」
ベルス達の背中を見て、片手で頭を抑えながら溜息を吐くヴィレムに礼を言っておく。この先輩が出てこなかったら、まだベルスにグチグチと嫌味を言われていただろう。
「あぁ、君がウルグ君か」
俺の事をあらかじめ知っていたかのように頷くヴィレム。
「あはは、礼には及ばないよ。後輩のゴタゴタを仲裁するのも、先輩の役目だしね。って言っても、同級生のレグルス君ほど役には立ってないけどさ」
「じゃあ、またね」と手を挙げると、ヴィレムは去っていった。
その身のこなしは軽やかだ。魔術師と言っていたが、身体能力はそれなりに高いのではないだろうか。
「凄い魔術師って言ってたけど、あの人ってどれくらい凄いんだ?」
「確かヴィレム先輩は炎を上級、風と雷を中級まで使い熟せるそうですよ。無属性魔術の«魔力武装»も使えるそうです。それから冒険者もやっていて、今年になってBランクまで上がったんだそうです」
三属性の魔術と、無属性魔術まで使えるのか。確かに今まで見てきた魔術師の中ではかなり凄い方かもしれない。シスイも上級魔術は使えるが、それにしても水属性しか使えなかったしな。
身のこなしが軽そうなのは、冒険者として魔物と戦っているからなのだろう。
「そんだけ凄い人なら、ベルス達も退くか」
「それもあると思いますが、多分あの人達が引いたのはヴィレム先輩が貴族だからだと思います」
実力があって、容姿も整っていて、その上貴族か。
随分ハイスペックな先輩だ。
ヤシロはあの人と仲が良さそうだったが、どれくらい話したことがあるのだろう。
少しだけ気になった。
―
自由訓練場に着くと、既に何人かの生徒が動きやすい格好をして授業が始まるのを待っていた。
生徒の中にはベルスもいる。中に入ってきた俺達を見て、恨めしそうな視線を向けてきている。
ベルス達だけでなく、他の生徒もチラリとこちらに視線を向けてくる。その中に一つやけに鋭い物が混じっていた。
「……! ヤシロ、あれ」
「……はい」
鋭い視線の主を見ると、訓練場の隅に一人の少年が座っていた。
短い灰色の髪に、不機嫌そうに細められた金色の瞳、口からは鋭い八重歯が見えている。褐色の肌に白いシャツとワインレッドのズボンを身に付けた、どちらかというと小柄な少年。そしてその頭には髪と同じ灰色の二つの耳がチョコンと生えていた。
人狼種だ。
耳を隠す事なく、その少年は堂々と曝け出している。
誰とも話す事なく、静かに腰掛けながらこちらに視線を向けていた。俺達が視線を返すと、興味なさげに目を逸らされる。
「出来るだけ、近付かないようにしておこう」
「……はい」
その少年からゆっくりと視線を逸し、関わらないように少し離れた場所へ行った。
今までの『剣の基本』の授業には参加していなかった筈だ。今日が授業の評価を付ける模擬戦の日だから出てきたのだろうか。
急に姿を出した人狼種の少年を警戒している内に『剣の基本』の教師がやって来た。ガタイの良いスキンヘッドの大男だ。
名前はアラン・ゴッサムという。
騎士団に入っていたが、最近になって教師になったらしい。
入ってくるなり、アランは散らばっていた俺達に自分の前に並ぶように大声で指示を出す。その気迫にいつもヘラヘラしている貴族達はビビったように素早く動いている。
「今日は模擬戦をしてもらう。適当にペアを組んで順番に戦え。評価の基準は動き方だから、勝ち負けは気にしなくて良い」
アランの指示によって、生徒達が周りとペアを作って行く。
俺も当然のようにヤシロの組もうとした所へ、一人の生徒が割り込んできた。誰かと思って顔を見ればベルスだった。
嘲笑めいた表情で俺の前に立ち、「私が組んでやろう」と声をかけてきた。
「いや、別にいいよ」
「ふん、遠慮することはないぞ平民」
「平民如きが、せっかくのお誘いを断るなど、無礼にも程があるぞ!」
断ると、またもや取り巻きがやってきて口を挟んでくる。
さっきヴィレム先輩に注意されたのを恨んでいるらしい。
「ウルグ様」
ヤシロの方へ視線を向けると、コクリと頷かれた。
それはベルスとペアを組んでぶっ倒してやれという事だろうか。
「…………」
こうして俺に直接絡んでくるという事は、何かしら自分の腕に自信があるのだろう。貴族だし、財力を利用してどこかの道場で戦い方を学んでいるのかもしれない。ともすれば、戦ってみるのも良いかもしれない。
ヤシロ以外と戦ってみるのも、良いかもしれないな。
結局、俺は誘いに乗った。
当然だな、という顔して去って行くベルス達。凄い自信だな。
ヤシロは「ウルグ様の力を見せてやってください」と乗り気な様だった。ペアも適当に空いていた人と組むらしい。
しばらくして全てのペアが組み終わり、生徒には木刀が渡される。
模擬戦のルールは、相手に一太刀食らわすか、木刀を手から落とさせれば勝ちだ。アランが危険だと判断した場合は、間に入ると言っていた。
「では、一ペアずつ、順番にやってもらおうか」
アランの近くにいるペアが最初に模擬戦を始めた。
二人とも殆ど剣を握ったことが無いのが分かるほど、拙い剣捌きだ。片方が偶然にも攻撃を決め、戦いは終わった。
それから次々に模擬戦が行われていく。剣を握った事が無い者もいれば、剣を習っている事が分かる動きをする者もいる。中には相手を一太刀で片付けてしまうような剣士もいる。
「……おぉ」
その中でも数人、目を見張る動きをする者がいた。特にあの人狼種の少年だ。
相手は«魔力武装»と流心流の剣技を使用する事が出来る貴族だった。剣の捌きもそれほど悪くない。その相手に対して、人狼種の少年は一太刀で決着を付けた。
肩に担ぐように構えていた木刀を、間合いに入ってきた相手に対して億劫そうに振り下ろした。驚いたのはその速度だ。
剣先がブレる程の速度で振り下ろされた木刀に、相手は全く反応する事が出来なかった。脳天に木刀を叩きこまれ、地面に崩れ落ちてしまった。
それに対して人狼種は興味なさげに鼻を鳴らすと、背を向けて隅へ戻っていった。
まるで全力を出していない事が分かる動きだ。本気を出せば、どれほどの実力になるのだろうか。人狼種の少年と戦ってみたいという欲求が生まれたが、我慢した。
何人かの模擬戦が終わり、俺の番になった。
ベルスは自信満々といった表情でやってきた。
入学式前にも見たが、確かに戦いに関して、全く素人という訳ではないみたいだな。
向かい合う俺達に、生徒達からの視線が向けられる。
今まで興味なさげに人狼種の少年がこちらに視線を向けているのが分かった。
「始め!」
お互いに間合いを取り、アランの指示によって模擬戦が始まる。
「お前は貴族の私に対して無礼な口を聞き過ぎた。どこの辺境から出てきたのかは知らないが、少し常識を知らなさ過ぎるようだ。この辺りで一つ、私が常識という物を教授してあげようじゃないか」
「御託はいいよ。早くお前の力を見せてくれ」
「ッ……。良いだろう、よく見ておくといい。なにせ、一瞬で終わってしまうのだからな!」
威勢よく叫ぶと、ベルスは体に魔力を纏い、木刀を構えた。
右足を前に、左足を後ろへ置き、肩幅の広さに開く。腰は僅かに落としている。鋒を俺の首元に向けるその構えには見覚えが合った。
過去に《麒麟》という魔物を狩った時にいた、アストロという冒険者の構えによく似ている。
この構えは恐らく『弾震流』だ。
「行くぞ」
まるでリズムを取るかのような独特な足捌きをしながら、ベルスが間合いを詰めてきた。
弾震流の動きを観察している俺が、自分の速度に付いてこれてないと思っているらしい。見下した笑みを浮かべながら、右足で大きく前へ踏み込み、俺の首元へ向けて木刀を勢い良く突き出してきた。
ヒュンと音を立てながら迫ってくる突きは、遅い訳ではないが特に速くもない。躱すことは容易だった。
足捌きで右へ体をずらして突きを回避し、大きく前傾に姿勢を崩したベルスの脳天に上段から木刀を落とした。
「ごがっ!?」
大きく悲鳴を漏らし、ベルスは地面にぶっ倒れる。
流心流の中で最も早く修得する事が出来た剣技、«水脚»だ。
足捌きで相手の剣を躱し、無防備な状態な相手に攻撃するという、シンプルな剣技。この足捌きは剣道に通じる部分が大きく、ある程度の速度ならば«水脚»で簡単に対処する事が出来る。
剣を手から離し、地面に膝をついてベルスは呆然とした表情を浮かべている。
アランが模擬戦の終わりを告げると「ま、まだ私は戦える!」と蹌踉めきながら立ち上がった。
「いや、今ので終わりだ。お前は完璧に一撃喰らっていた。これが実戦ならば即死していただろう」
「馬鹿な……」
信じられないと言った表情で、ベルスがこちらを見てくる。その目には憎悪とも恐怖とも取れる色が見て取れた。
「……くっ」
ベルスは目に涙を浮かべたかと思うと、ふらふらと訓練場の隅に移っていく。ベルスを取り巻き達が必死に慰めていた。
「お見事です、ウルグ様」
「ん、まあな」
それなりに剣を握っているみたいだったが、大した強さではなかった。そこいらの生徒よりは強いのかもしれないが。
負けたあいつを正面から「ざまあみろ」なんて言うつもりはないが、これで少しは絡んでこなくなるといいな。
その後、模擬戦は何もなく終了した。
ヤシロは相手の剣を躱して懐に潜り込み、首元に木刀を突き付けていた。あっという間の勝利。
相変わらず恐ろしい速度だ。
模擬戦が終わり、再びアランの前に集められる。
次の授業で模擬戦に対する評価が出るらしい。
これで今日の授業は終了になった。
訓練場から出る時のベルスの視線が少し気になった。




