第一話 『ウルグ様の一日』
ウルグ様の朝は早い。
窓から朝日が差し込む時間帯には既に目を覚まし、部屋の換気と着替えを終わらせている。
私がウルグ様の部屋へ行くと、いつも窓が全開に開けられており、新鮮な空気が部屋の中を満たしている。この換気が終わるまで、私はウルグ様の部屋へ入る事は許されない。
ウルグ様はいい匂いがするから、換気なんてしなくても良いのに。以前に換気する前に部屋に入った時は、ふんわりと甘い匂いがしていた。何の匂いかは分からないけど、とてもいい匂いだ。
まあでも、それだけ、ウルグ様はしっかりしているのだ。
その後、私達は一階で食事を摂る。
私達が下に降りると、もう朝食は出来上がっている。宿を経営しているおじさんが、パンとスープを用意してくれているのだ。
おじさんは非常に目付きが鋭く、どこかウルグ様に似ている。だからか、おじさんはウルグ様や私に対して何も言わない。私が人狼種だという事が広まり、他の客が騒いだときはその客の方を追い出してくれていた。良い人だ。
ウルグ様は出された朝食に加え、店で買ってきた野菜や果物も食べている。
私も、ウルグ様と同じメニューで食事を取っている。バランスの良い食事を摂れば、体臭も臭くならないと聞いたし。
ウルグ様は朝食をタップリ摂ると、顔を洗いに行く。
以前はたまにしか顔を洗わなかったが、ウルグ様に合わせて私もするようにしている。歯を磨き、顔を水で洗い流すと眠気が飛んで、意識がハッキリするのだ。
それからウルグ様は自室に戻り、しばらくの間、読書をしたり、何かを紙に書いたりしている。
ウルグ様は古本屋からよく本を買ってきて、それを読んでいる。どうして本を読むのかと聞いたら、
「本を読むことで、色々な事を学ぶ事が出来るんだよ。その学んだ事は、いつかどこかで役に立つかもしれない」
と言っていた。
それを見習って、私も本を読むようになった。
ウルグ様は剣に関する本や、魔物に関する本、伝説の英雄の本など、様々な本を読む。
ただ、集中はあまり続かないようで、間に何回か休憩を挟んでいる。様子を見たところ、あまり読書は得意ではないみたいだ。それでも新しい知識を身に付けようとするのは、凄い事だと思う。
流石ウルグ様です。
読書を終えると、ウルグ様は宿から出て、更に迷宮都市からも出る。
外へ出ると、体の色々な所を捻ったり、伸ばしたりしている。怪我をしない為の準備体操らしい。私も真似している。 それが終わると、ウルグ様は迷宮都市の周りを走り始める。走り慣れているのか、ウルグ様の足はとても速い。
それから迷宮都市内へ戻り、訓練施設へと入る。
ウルグ様は愛剣である『鳴哭』を握り、いつも最初に素振りを始める。
真っ直ぐ振り下ろしたり、手首を捻りながら振り下ろしたり、素振りにしてもウルグ様は色々なやり方を知っている。私も教えてもらい、一緒にやっている。
「――」
素振りをする時のウルグ様は一言も話さない。
小さく息を吐きながら、ただ剣を振ることだけに集中しているのだ。その姿は鬼気迫っていて、それでいて美しく、そしてどこか寂しそうに見える。
その刃筋は驚く程綺麗で、まるで素振りのお手本を見ているよう。今までで何千、何万と素振りを繰り返していたのが分かる。
素振りを終えた後、ウルグ様は流心流の型の動きや、«幻剣»と呼ばれる剣技の練習を行う。
素早く構えを取ったり、ゆっくりと構えを取って自分の動きを見返したりと、常に改善できる部分が無いかを探している様だ。
この時のウルグ様は「違う、こうじゃない」「もっと滑らかに」「もっと強く」と小さく呟いていて、ほんの少しだけ怖い。
これが終わると、ウルグ様は一度宿に戻り、汗を拭いて魔術服に着替える。それから向かうのは流心流道場。
《剣匠》シスイ様から流心流剣技の稽古を受けに行くのだ。
ウルグ様が道場の中へ入ると、胴着を着て掃除を行っている門下生達が頭を下げてくる。最初の頃は胡乱げな視線を私達に向けていた彼らだが、今は少し分かってきたようで、ウルグ様にちゃんと挨拶をしている。
それにウルグ様は軽く返事をし、『流心の間』へ向かう。
「やぁ、お早う」
『流心の間』では既にシスイ様が待っていた。
軽く挨拶を交わし、すぐに稽古に入る。ウルグ様はついさっきまであれだけの運動をしたというのに、まるで疲れがない。人狼種は人間よりも身体能力も上で、体力も多いのだが、ウルグ様は人狼種並の体力を持っている。
流石ウルグ様です。
「違うな、魔術がぶつかる瞬間、魔力でそれを滑らせるんだ。要領は«滑水»と変わらない」
今日は«流水»という、魔術をも受け流す事が出来る剣技を習っている。
シスイ様が水属性魔術を放ち、それを受け流して«流水»の練習をしているのだ。
ウルグ様は魔術を刃の上で滑らせるという事がうまく出来ないようで、かなり苦戦している。私は既に«流水»は習得しているので、違う剣技の練習中だ。
ウルグ様よりも先に習得してしまうなんて、影失格かもしれない。ごめんなさい、ウルグ様。
でも、ちょっと羨ましそうに見てくるウルグ様は可愛いです。あの鋭い目付きがちょっと緩くなっている所が特に。
「こら、集中を解くな」
と、そんな事を考えていたらシスイ様に怒られてしまった。
私は気を取り直して、型の練習に集中した。
その後、ウルグ様と私はシスイ様の模擬戦を行った。
二対一。
ウルグ様とタイミングを合わせ、微妙な時間差を開けながら攻撃を行うが、シスイ様には通用しない。魔術で水を生み出し、私達の攻撃を同時に受け流してしまう。
聞いた話によれば、シスイ様は四方八方、全ての方向からの攻撃を同時に受け流す事が可能だとか。恐ろしいお方です。
「はっはっは! そんな程度かい」
シスイ様は意地悪な笑みを浮かべながら私達を散々弄び、私達は当然のように負けました。
ウルグ様は「ぐぬぬ」と悔しそうな表情を浮かべ、いつかリベンジしてやると自分に誓っています。ウルグ様の凛々しい表情が、こうして歪むのが私は好きみたいです。可愛いです。
こうして、シスイ様との稽古は終わり、ウルグ様は再び訓練施設へと向かいます。
そこでは道場で習った事の復習と、模擬戦です。
「なぁ、ヤシロ。どうしても魔術を魔力で滑らすっていうのがうまく出来ないんだが、どうやってやってるんだ?」
ウルグ様は熱心に私に色々と聞いてきます。
«流水»のコツは、魔術が刃にぶつかった瞬間、魔力をその魔術と同化させる事だと私は思う。そうする事によって反発する事なく、魔術は刃の上を通って後ろへ滑っていく。
ウルグ様は魔力を魔術と同化する、という感覚が分からないみたいだ。
結局、ウルグ様は«流水»を習得する事は出来ませんでした。私の教え方が下手なせいです。
はぁ……。
シスイ様は一から十まで教えず、『自分で考えさせる』という所がある。ちゃんと教えてくれれば、ウルグ様ならすぐに«流水»が出来るようになると思うのだけど……。
その後の模擬戦で、私は久しぶりにウルグ様に勝ってしまいました。
―
昼食を取った後は、冒険者業だ、
王立ウルキアス魔術学園に入学し、学んで行く為のお金を集めなければならない。既に金貨が十一枚まで集まってきている。
Cランク冒険者になったお陰で、報酬の高い依頼が多くなった。そのお陰で、凄い速度でお金が集まっている。一番凄いのは、ウルグ様のお金のやりくりだ。私も一応算術は齧っているが、銅貨とか銀貨が沢山あると訳が分からなくなる。なのにウルグ様は全く混乱することなく、手慣れた様子でお金を数えている。
流石ウルグ様です。
その日、ウルグ様が受けたのはCランクの依頼だ。
迷宮都市近隣の森に《豚鬼》の群れが現れたらしい。その討伐依頼だ。それに合わせて、その森で討伐出来る他の魔物に関する依頼も受注していた。
流石ウルグ様です。
その森へは«魔力武装»を使ったまま、走って行く。
ウルグ様は長い間、高速で走り続けても全く疲労の色を見せない。午前にあれだけ修行をしたというのに、ウルグ様の体力は底なし沼のようです。
「《豚鬼》かぁ……。豚。なあ、ヤシロ、《豚鬼》って喰えるのか?」
「一応、食べられるそうですが、魔物の肉は不味いらしいですよ」
「そっかぁ……」
ウルグ様は鶏肉と豚肉が好きみたいです。今度、市場に探しに行こう。
そんな会話をしつつ、森に到着した。
薄暗い森だ。亜人山にもこういう森があって、よくそこで狩りをさせられていた。
魔物の探索は私の仕事だ。
他の人狼種に比べて、私の身体機能には瑕疵がある。だけど、普通の人間よりは私の方は探索機能は上だ。ウルグ様は«魔力武装»で感覚を強化して、常人よりも遥かに高い探索能力を持っていますが。
「ウルグ様、しばらく進んだ先に《豚鬼》の群れです」
「了解」
気配を消し、木々の隙間から《豚鬼》の群れを覗くウルグ様。慎重に数を数えています。
「よし、ヤシロ。俺がここから《豚鬼》に攻撃するから、ヤシロは逃げた個体を狩ってくれ」
「分かりました」
ウルグ様は《豚鬼》の前に姿を表し、『鳴哭』で斬り掛かっていきます。
棍棒を持った《豚鬼》達がウルグ様に殴りかかるが、その攻撃は軽く受け流され、カウンター攻撃を喰らって簡単に倒される。あっと言う間に、ウルグ様は《豚鬼》の数を減らしていきます。
そして中でも賢い個体は、ウルグ様に勝てないと悟り、背を向けて逃走を開始した。そこで私の出番だ。
背後から首へ一太刀、それだけで《豚鬼》はその生命を散らす。
唐突に現れた私に《豚鬼》達は驚くが、ウルグ様を相手にするよりはマシだと思われたようで、私に殴りかかってきた。
棍棒が振り下ろされる瞬間、私は右へ少しだけ移動して棍棒を躱す。空振りして体勢を崩した《豚鬼》の首へ小刀を差し込み、一撃で絶命させた。
今のは流心流の技だ。防御技だけでなく、ちゃんとしたカウンターも習っている。
それからすぐに、《豚鬼》は全滅した。私が四匹の《豚鬼》を倒す間に、ウルグ様が他を倒してしまったのだ。流石です。
その後、私達は適当に他の魔物を狩り、再び走って迷宮都市に戻った。
―
冒険者ギルドから依頼金を受け取る頃には、既に日は沈み掛けてた。時間に余裕があれば、隣の訓練施設に寄っていくのだが、今日は暗いので帰る事になった。
治安があまり良くないこの街では、暗がりで子供が動くには危険だ。ウルグ様なら余裕で返り討ちに出来ると思うのだが、「わざわざ危険を犯したくない」と完全に暗くなる前に宿へ戻る事になっている。
流石ウルグ様だ。
その帰り道。
「おい、お前らがウルグとヤシロか?」
宿までもう少しというところで、三人組の男に声を掛けられました。
セルドールとジーナスを思い出すような、下卑た表情を浮かべた男達。小刀に手を伸ばし、警戒体勢を取ります。
「何の用事ですか」
「いやぁ、なに。お前ら最近儲けてるらしいじゃん。ちょっと俺達にも分け前が欲しいなぁと思ってな」
「……何故、分け前が必要なんだ?」
「黒髪のガキに、くそったれの人狼種だろ? そんな奴らが――ッ」
次の瞬間、男の一人の体が宙に浮いていた。
ウルグ様に殴られ、後方へ吹っ飛んだのだ。仲間がやられた事が理解できず、ぽかんとする二人に、
「俺を馬鹿にする事は、まあいいんだ。慣れてるから。だけど、ヤシロを馬鹿にする事は許さない。ヤシロを何も知らない癖に、侮辱する事は看過出来ない」
ウルグ様の気迫に、残りの二人は「悪かった」と謝り、カタカタと震える。そんな彼らの様子に小さく鼻を鳴らし、「用事はこれだけか?」と低い声で言った。二人は何度もコクコクと頷き、倒れた仲間を引きずって走り去って行く。
見逃すなんて、ウルグ様は寛大です。殺ってしまえばいいのに。
「ヤシロ、大丈夫か?」
「え、あ、はい」
さっきまでの殺気が嘘だったかのように、ウルグ様は笑みを浮かべていた。ウルグ様は笑う事に慣れていないのか、頬が引き攣っていて、あと目付きが人を殺せるくらいに鋭くなっている。可愛い。
「そか。ヤシロ、気にすんなよ」
頷くと、ウルグ様は私の頭にポンと手を置いてきた。それから何度か優しく撫でてくれて、「じゃあ、帰るぞ」と手を離して歩き始める。照れくさそうにするウルグ様に、小さく笑みを浮かべて、私も後を追い掛けた。
―
さっきの出来事でも分かるように、ウルグ様はとても私に気を使ってくれている。
自分が侮辱されても反応しないのに、私が何か言われるととても怒るのだ。
ウルグ様は自分に対する評価がとても低い。だから、自分が馬鹿にされても怒らないのだと思う。ウルグ様は素晴らしい人間なのに、どうしてそんな風に思うのだろうか。私がウルグ様を褒めても、「からかうな」と苦笑するだけだ。
私には、ウルグ様の素晴らしさを、ウルグ様に伝えることが出来ない。その事に悔しさを覚えながら、せめて、私はウルグ様が馬鹿にされた時に怒ろうと思った。
宿に帰ってきて、夕食を食べた後は入浴だ。
ウルグ様は体を念入りに洗う。私よりも入浴時間が長い。だからか、湯から上がったウルグ様はとてもいい匂いがする。朝に嗅いだウルグ様の匂いと同じくらいいい匂いだ。
私もウルグ様くらい、いい匂いになりたいな。
寝る時以外は私もウルグ様のそばにいる。
入浴後、ウルグ様は自室で今日の反省をしていた。
自分の反省点を紙に書き、どうしたら改善できるのかを毎日考えているのだ。ウルグ様は十分に強いのに、慢心せずに常に反省できているのは、本当に凄い事だと思う。
反省点を書き終わると、ウルグ様はそれを片付け、大きく伸びをした。それから私の方を向いて、真剣な表情で話し掛けてた。
「……なぁ、ヤシロ」
「どうしましたか?」
「俺と一緒にいるの、辛くないか?」
「……どうしてですか?」
「俺は一日中、剣の修業とか冒険者業とかでさ。朝も早いし、一緒にいて辛くないのかって。あと、会話もあんまり出来ないし」
ウルグ様は会話があまり好きではないようだ。私と行動を共にし始めた当初は、私と会話をしようと必死になってくれていたのだが、私が不甲斐ないせいでうまく会話が続かなかった。
ウルグ様は会話の間の無言を酷く嫌っている。それを埋めようとするけど、私がうまく応えられないのだ。
「盟いをした時に、言いました。私はウルグ様の傍にいたいのです。ウルグ様のために働きたいのです。私は自分の意志でウルグ様の傍にいます。それは今も変わっていません。だから、そんなことは言わないでください」
「そ、そうか……。悪いな」
ウルグ様は顔を赤くし、どこか泣きそうな表情を浮かべた。
どうして、ウルグ様はここまで自分の評価が低いのだろう。昔、何か合ったのだろうか。
分からないけど、ただ言える事は、私にとって、ウルグ様が愛しい人だという事だけだ。
その後、就寝時間になり、私はウルグ様の部屋から出た。
就寝時間と言っても、ウルグ様はしばらく寝ない。部屋の壁が薄いため、少しだけ音が聞こえるのだ。
いつもはゴソゴソとしばらくの間起きている音がするが、今日は違った。ウルグ様は剣を振っているようだ。
「駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ、こんなんじゃ、こんなんじゃ駄目なんだ。もっと強くならないともっと、もっと、もっと。俺はこんなんじゃ――」
ウルグ様は小さく呟きながら、剣を振っていた。連続した風切り音はしないから、どうやら型の練習をしているらしい。恐らくは«流水»の型だろう。
「強く、もっと、足りない足りない足りない、くそっ、どうして。こんな俺じゃ、駄目なんだ。最強にならないと、もっと、もっと強く――!」
「…………ウルグ様」
どうして、貴方はそこまで。
それから、ウルグ様はしばらく剣を振り、その後すぐに眠ってしまった。
剣を振り終えるまでずっと、ウルグ様は何かを苦悩していた。
最強になりたいと、ウルグ様は言っていた。《剣聖》になりたいと。
ウルグ様がひたむきに剣を振るう姿は美しいが、とても脆くて、少し、狂気が混ざっているようにも思える。
どうしたらいいのかは、私には分からない。
だから、私は、
「ウルグ様が目指す場所まで辿り着けるまで、絶対にお供します」
今の私が出来るのは、ウルグ様を支えることだけだ。




