第二十話 『旅立ち』
『流心の間』。
俺はそこで『鳴哭』を、シスイは木刀を構え、向かい合っていた。
間の中には俺達二人しかおらず、外でヤシロ達がその様子を見ている。
『流心の間』は凍り付いたように静まり返っていた。
木刀を構えたシスイから、まるで喉元に刃を突き付けられたかのようなプレッシャーを感じながらも、萎縮することなく俺はそれを受け流した。
言葉は無かった。
ただ、お互い同時に動き始めていた。
«魔力武装»で強化した肉体での全力疾走で、シスイとの間合いを詰めていく。
「――ッ!」
だがシスイは簡単には近寄らせてくれない。
彼女の周囲に水の球が浮かんだかと思うと、それらが高速で放たれる。
無詠唱で打ち出されている、水属性魔術«水球»。
初級でありながら、シスイが使うそれは中級と言われても納得してしまえる程の速度と威力を兼ね備えている。
俺はそれらを回避する事無く、剣で受け流していく。
«滑水»の上位技で、魔術を受け流す為に編み出された剣技――«流水»。
剣に魔力を流し、攻撃を食らう瞬間にその流れを調整する事によって、«滑水»で受け切れない強力な攻撃や、魔術すらも受け流す事が可能になる。
魔力を操るのは得意だから、簡単に習得できると思っていたが、思った以上に難しかった。それでも今はある程度使いこなせる。
受け流された«水球»は『流心の間』の床や壁にぶつかり、弾け飛ぶ。
この道場はシスイが魔術をぶっ放しても壊れないよう、かなり頑丈に作られている様だ。訓練施設にある壁と同じだな。
「ふ」
曲がること無く最短距離を突っ走る俺に、シスイは一瞬だけ唇を綻ばした。それはすぐに消え、彼女の表情にはゾッとするような冷たさが戻ってくる。
そして«水球»が消えた。
「!?」
次に飛んできたのは、一種類の魔術では無かった。
中級魔術«水槍»«水弾»«水刃»など、複数の魔術が連続して飛来する。
«水槍»を受け流すが、想像以上の威力があり、剣が持って行かれそうになった。こんなのを連続して受け流すのは不可能だ。
受け流すだけでなく、魔術を斬り、回避もする事にした。
俺が魔術の対応に追われている間、シスイは中級魔術を放つのをやめ、詠唱をし始めた。
「世界を流れる祝いの水よ、世界の生を祝福し、混沌を洗い流し、魔を斬り裂く一振りの刃となりて、我が前に立ち塞がる全てを消し飛ばし給え――«涙の刃»」
「嘘だろ……!」
俺が全ての魔術をくぐり抜け、シスイの間合いに入り込む直前に、詠唱が終了した。
水属性上級魔術«涙の刃»。
シスイの人差しに一滴の水が浮かび上がり、彼女はそのまま俺を指さした。
その瞬間、その指先からレーザーと言っても差し支えない程の太さの刃が俺に向かって放たれた。
回避は無理だ。
受け流すにも、範囲が広すぎる。
直撃を避けるために部屋の隅へ跳ぶが、魔術の範囲が広すぎて躱し切ることが出来ない。
「おおおおおおおおおおおおおおォォォォォォぉ!!」
持てる魔術を«魔力武装»と«魔纏»に注ぎ込み、«流水»の構えを取る。
直後、爆発するかのような衝撃を周囲に撒き散らし、『鳴哭』に水の魔術が激突した。
«絶離»と«流水»によって、«涙の刃»の威力を分散する。
「クソッ!」
あまりの威力に受け流せず、俺は後方へ勢い良く吹き飛ばされた。
「チィィィ!!」
即座に受け身を取り、壁にぶつかるよりも先に体勢を立て直す。そしてそこから再び全力でダッシュを始めた。
バドルフから貰った魔術服のお陰で、体にダメージは殆ど無い。
シスイが魔術を使い始めるよりも先に、間合いにまで踏み込んだ。
「――ラァ!!」
«幻剣»を使用しながらの一振り。
それがシスイに直撃するよりも早く、彼女の目の前に水の障壁が作り出される。剣が当たった瞬間、まるで«流水»を使われているかのように、剣が受け流される感覚。シスイの使う、流心流に取り込まれている水属性魔術だろう。
――だが。
それが魔術であれば、俺の『鳴哭』の«絶離»が有効だ。受け流されるのを堪え、俺はその障壁を斬り裂いた。
「ほう!」
シスイが歓喜の声を上げ、そこで初めて木刀を使用した。
水の魔術を絡ませた木刀で、俺の刃を防御する。
ただ受け止めるのではなく、その威力を拡散し、木刀に掛かる負荷を弱めていた。それに構わず木刀を圧し折ろうと«幻剣»で連撃を放つが、その全てを受け流されてしまう。
以前とは違い、«幻剣»の使い方にもアレンジを加えているが、それでもシスイには通用しない。どれだけ打ち込んでも、その防御を打ち砕ける気がしなかった。
一年以上も彼女の剣を観察し、対抗策を練ってきたのに、それを軽々と越えて行かれている。
こいつは、化け物か。
《剣匠》は皆、このレベルなのか? 《剣聖》は一体、どれ程の――。
「戦いの最中は、雑念を消した方がいい」
「っ!」
ヌルリと攻撃をくぐり抜け、俺の耳元でシスイが囁く。
慌てて後ろへ跳ぶが、シスイは逃がしてくれなかった。
「流心流――«渦水»」
彼女の木刀を中心にし、その周りをクルクルと回転する水が現れる。
俺の間合いに安々と入り込んできたシスイが、木刀で自分から斬り掛かってきた。それを『鳴哭』で受け止めた瞬間――、
「!?」
回転していた水が『鳴哭』に絡みつき、剣先がが激しく震え始めた。その衝撃で手の中から剣が弾き飛び、床へ落ちた。
「勝負――」
「おらぁああああ!!」
手から剣の感覚が消えた瞬間、俺は魔力を纏った拳でシスイに殴りかかっていた。
剣を失っても、まだ戦え――、
グルリと、視界が回転する。
次の瞬間、俺は天井を見上げていた。
「――合ったね」
起き上がろうとした俺に、木刀を突き付けながら、シスイは微笑みながらそう言った。
「……参りました」
―
俺は十一歳になっていた。
シスイから稽古を受け始めて、もう一年以上も経過している。
あと数ヶ月で、王立ウルキアス魔術学園の入学式だ。
その前に学園に行き、入学手続きを行わなければならない。
つまり、そろそろ迷宮都市から出ていかなればならないのだ。
俺とヤシロは結構ギリギリなタイミングで、二段への昇級を認められた。
初段には割りとすぐになれたのだが、二段への昇級はかなり難しかった。
二段になるには«流水»の他にも幾つかの技を習得しなければならないが、«流水»以外の技を覚えるのにかなり時間が掛かったのだ。
一定数以上の技を使えるようになれば二段へは上がれるが、俺は二段へ上がれる最低ギリギリの数しか使える様にはならなかった。ヤシロは俺より使える技が一つ多い。
因みにメイとキョウは二段に上がる時には、俺達の倍以上の技が使えたそうだ。
元々、一年と少しで流心流を身につけようとしていたから、稽古が急ピッチだったっていうのもあるだろう。
だが、もう一年掛けて修行しても、メイ達と同じ数の技が使えるかどうかと聞かれると、正直自信がない。
メイとキョウはまだ三段には上がっていないが、二人とも確実に実力を伸ばしている。
メイは水属性と流心流を合わせた技を、キョウは返し技を中心にしながらもそれ以外の技も意欲的に取り組んでいる。
そして今日はシスイとの最後の稽古の日だ。
明日、俺達はこの迷宮都市から旅立つ。だから最後にシスイが「手加減無し、容赦はあり」で戦ってくれたのだ。
結果はご覧の通り、あっさり負けてしまったけどな。
ヤシロは俺より先にシスイと戦った。シスイが強い魔術を使うよりも前に彼女の間合いに入り込み、しばらく剣を合わせていたが、俺とは違う技で倒されてしまった。ヤシロもかなり強くなっていた筈なのだが、やはりあの女は化け物か。
「最初に稽古を付けてくれと頼まれた時は驚いたが、君達が来てくれたお陰で楽しく過ごせたよ。ウルグ君もヤシロちゃんも素材が良いから、鍛えがいがあった。これから君達がどれくらい強くなるのか、楽しみで仕方ない」
稽古を終えた後、シスイは微笑みながら俺達に語る。
「私は学園に通った事が無いが、噂なら聞いている。君達の実力は恐らく学園でも十分に通用するだろう。だが、過信せず、慢心せず、常に向上心を忘れないで欲しい。戦いの時は冷静に視野を広く、しかし激しい感情も忘れずに。君達はまだ強くなれる。
それと、メイとキョウと仲良くしてくれてありがとう。特にウルグ君はキョウを大きく変えてくれた。あの子が稽古に出るようになったのも、君のお陰だと聞いているよ。本当に、ありがとう。
これで私の稽古は終わりだが、いつでもここに来ると良い。歓迎させて貰うよ」
こうして、シスイとの稽古は幕を閉じた。
「「ありがとうございました!」」
―
『流心の間』から出ると、メイとキョウが近付いて来た。
「お疲れ様でした! お二人共強いですね! ドキドキしました!」
「まあ、シスイ様には勝てなくて当然ですからね」
相変わらずメイは良い子だ。キョウはやっぱり捻くれている。
二人とも胴着姿だが、メイはブレスレットを、キョウはネックレスを身に着けている。今は付けていないが、ヤシロもブレスレットを持っている筈だ。
少し前に、キョウがあのオトガイに模擬戦で勝利したのだ。その時にキョウは態度には現さなかったものの、めちゃくちゃ喜んでいた。
「少しは先輩のお陰です。その……ご褒美とかくれてもいいんですよ?」とか催促してきたので、以前倒した《翼竜》から記念に貰っておいた鱗を、バドルフに頼んでネックレスに加工して貰った。キョウはいたく気に入ったみたいで、稽古の時以外は常に付けているようだ。
ヤシロとメイが羨ましがっていたので、二人にはブレスレットにして渡した。二人にもネックレスとして渡したらキョウが拗そうだったからな。一応、別の物にしておいた。
「えへー、お兄さん、ありがとうございます」
「家宝にします」
と二人とも凄く喜んでくれていたので、まあ良かった。女性に何かを送るのなんて初めてだな。まあ女性というよりはまだまだ女の子って感じだけど。
やっぱりこの世界の女性は早熟すぎる。
因みにだが、メイは俺とヤシロの事を「お兄さん、お姉さん」と呼ぶようになった。前から兄か姉が欲しかったらしい。まあ、シスイはお母さんって感じだからなぁ。
シスイとの稽古も終わったので、今日は明日に備えて色々と準備をしようと思っている。
夕食はまたシスイが奢ってくれるらしい。お酒は絶対に飲まないと自分に誓っていたな。
メイ達としばらく話した後、俺達は知り合いへ挨拶に行くことにした。知り合いと言っても、レオルとか受付嬢とか、そんなに人数は居ないのだが。
冒険者ギルドに行き、まずいつもの受付嬢に挨拶する。
「明日、迷宮都市を立つことにしました。今まで色々とありがとうございました」
「あいあい。シスイに稽古付けてもらったんだし、他所に言ってもトップを取るくらいに頑張ってね。君達が有名になったら、『私、あの人達の知り合いなんだよね!』って自慢するからさ」
「…………」
最初の丁寧な接客はどこへ行ってしまったのだろう。最後まで砕けた人だった。
受付嬢との別れを終えると、今度は以前、迷子になっていた所を助けた幼女、ミノリとその父のおっさんに出会った。どうやらわざわざ俺達に会いに来てくれたらしい。
以前よりも大きくなったミノリにおんぶをねだられ、仕方なく背負う。全く重くないな。
「相変わらずくろーい」
「そりゃそうだ」
「ふふ」
と、こんな感じで微笑ましくやり取りをし、おっさんとミノリと別れた。
それからバドルフ武具店に向かう途中で、レオル達にあった。レオルのパーティはここ一年で続々と力を付けおり、ピララギとアッドブルもBランクの冒険者になっている。
レオルは«幻剣»を更にパワーアップさせており、あれから何度も手合わせしている。実際に戦ってみると分かるが、やはり流心流と«幻剣»は相性が悪い。
シスイレベルならとにかく、俺のレベルでは速度を変幻自在に変える«幻剣»に対応するのはなかなか難しく、何度もレオルに負けている。同じくらい俺も勝っているけどさ。
「俺の«幻剣»が使えるんだ。ビッグな男になれよ! お前がビッグになる頃には、俺達はAランクの冒険者になってるからよ!」
そう言い残し、レオル達は去っていった。
彼の年齢になっても、ひたむきに強さを求められるのは、やはり格好いい。俺が尊敬する人の一人だ。
「……何というか、私達に会いに来てくれる人が居るのって、凄く嬉しいですね」
「そうだな。こんな風に見送られたのは初めてで、少し感動したよ」
「私もです」
ヤシロは帽子の上からも分かるくらいに耳を動かし、尻尾もパタパタと振っている。メイと仲良くなった時も、宿で凄く嬉しそうにしていたな。ヤシロが喜んでいると、俺まで嬉しくなる。
それからバドルフ武具店にも寄って挨拶してきた。
バドルフはセシルについて何か知っているようだったが、結局深い所までは教えてくれなかったな。一体、セシルは何をしていたんだろうか。
そういえば、クリスは冒険者と掛け持ちで、武具店でも働くようになったらしい。迷宮がトラウマになってしまった様で、中に入れなくなってしまったそうだ。武具店で働きながら、仕事が無い日は迷宮に入らない仕事を地道にしているようだな。
「何か困ったことがあったら、力になる。達者でな」
「元気でやるんだよん!」
その後、宿に戻って荷物をまとめ、シスイ達と一緒に夕食を食べに行く。
前世では考えられないほど、楽しい時間を過ごすことが出来た。
―
翌日。
荷物をまとめた俺達は、迷宮都市発の王都行きの馬車乗り場の前に居た。
シスイ達が見送りに来てくれている。
「先輩は、学園に行くんですよね」
「そうだよ。入学できるのが十二歳からだからな。もうちょっとで十二歳になるし、入学手続きをするには王都に行かないといけないんだ」
「……分かりました」
キョウ達と、最後の話をする。
メイとヤシロはお互いに手を取り合って泣いていた。本当に仲がいいな。
「二人には教えられる事は全て……教えた訳ではないが、大切な事は教えたつもりだ。それらを生かすも殺すも君達次第だよ。君達の活躍がこちらにも聞こえてくる事を期待している」
「今までありがとうございました。シスイさんに出会えて良かったです」
「そういう湿っぽいのは苦手なんだ。こう、なんだ。パッと別れよう。今生の別れという訳でもあるまいしな。また鍛えて欲しくなったらいつでも来ていい。私は待っているよ」
発車時刻がやってきて、俺達は馬車に乗り込んだ。
窓からキョウ達の姿が見える。キョウはいつも通りクールな表情、メイは号泣、シスイは意外な事にちょっと目を赤くしていた。
馬車が動き出し、キョウ達が手を振る。彼女達の姿が見えなくなる前に、
「先輩!! 来年、楽しみにしていてくださいねー!!」
という、キョウの意味深な叫び声が聞こえた。
来年って、どういう意味だろうか。まさかな。
こうして、俺達は迷宮都市を後にした。
―
馬車が道を走り、徐々に迷宮都市から離れていく。
最初にここに来た時はどうなる事かと思ったが、割と順調に力を付けることが出来た。
ヤシロという仲間も出来たし、シスイから稽古を受ける事も出来た。なかなかに、充実していたな。
もう少しで十二歳だ。
そしたら«剣聖»選抜まであと十年。
あと十年で、俺はシスイレベルの達人達に勝てる力を身につけなければならない。
これから向かうのは、王立ウルキアス魔術学園。
強くなるために必要な事を、学ぶことが出来る場所。同時に俺にとっては嫌な思い出しかない学園という場所でもある。
ずっと一人で、剣を振り続けてきた場所だ。正直、大きな不安がある。
でも。
「ヤシロ、俺について来てくれてありがとう」
今はもう、一人じゃない。
ヤシロは驚いた様な表情を浮かべたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「私はずっと、ウルグ様と一緒です」
「……ああ。よろしくな」
ふんわりとしていて、可愛らしい笑顔。
一瞬胸が高鳴ったのは、これからの事が不安だからなのか、あるいは――。
 




