第十八話 『明鏡止水には遠く 中編』
中学生の頃の話だ。
俺は剣道で行き詰っていた。どれだけ練習しても伸びず、他の部員達にも勝てなくなった。
俺は誰よりも真剣に、誰よりも一生懸命練習していた。だけど、伸びなかった。
苦しかった。
先の見えぬ水の底で、ひたすらに前に進もうと足掻いているような、そんな感覚。
一時期、レギュラーからも外された。
だから、俺は知っている。
伸びないことを苦しさを。
結果が出ない辛さを。
――強く、なりたい。
―
シスイとの稽古の合間、俺は他の門下生達の修行を見学させて貰っていた。
ヤシロはお手洗いに行っている。
『流心の間』の他に、門下生達が修行する為の場所が幾つかある。今、俺はその一つの『冷水の間』に来ていていた。
『冷水の間』では、大勢の門下生達がペアを組み、お互いに技の稽古を行っている。その中にはメイとキョウの姿もあった。
こうして見ていると、やる気のある門下生とそうでない門下生が居るのが分かる。
自発的にではなく、親にこの道場に入れられる子も結構いるそうなので、恐らくその辺りがやる気の無いグループだろう。王都の方でも貴族の子が道場に入れられる事が多々あるそうだし、あちらでもダラダラと剣を学ぶ子が多いと、昔王都の方で剣を教えていたシスイから聞いた。
「…………」
やる気の無い奴もそれなりに居るが、やる気がある奴も多い。
特にメイとキョウは他とは比べ物にならない集中力で、お互いに技を掛け合っている。流石に何年も流心流を学んでいるだけあって、最近始めたばかりの俺やヤシロとは剣技の滑らかさが違う。見習いたい物だ。
「よし、次の稽古に移るぞ!」
稽古をまとめているらしき男性が、よく通る声で号令を出した。
ペアを組んでいた門下生達があらかじめ決められているのであろう陣形に移り始める。
確か、これはパーティでの行動を想定した動きをする稽古だったか。
「おい!」
陣形が出来上がっていく中で、一人だけドカドカとそこから離れ、入口に向かって歩き始めた。
キョウだ。
男性がそれを止めようと近付くが、「やる気の無い人達がいる中で稽古したくありません」と言ってそれを振り払い、『冷水の間』から出て行ってしまった。
苦い顔をする男性や、他の門下生達にメイが青い顔をしながらペコペコと頭を下げる。皆そのメイの様子に笑って「気にしてないよ」と反応するが、キョウが出て行った時の反応からするに、皆結構苛ついているだろうな。
それから皆は稽古を続行していく。
俺は出て行ったキョウが気になって、彼女を追いかけて『冷水の間』から出た。
方向からして、キョウが行ったのは恐らく、道場の裏の庭だろう。俺も大分この道場の構造に詳しくなったな。
裏庭へ行くと、案の定キョウがいた。
俺は気配を消して、柱の後ろからキョウの様子を伺う。
「……」
彼女は剣を振っていた。それも、鬼気迫る表情で。
全身から滝のように汗を流し、一振り一振りに全身全霊を込めている様に、懸命に剣を振っていた。
素振り、剣技の型、それらを一切の雑念を捨て、ただひたすらに剣を振るキョウの姿は美しかった。思わず、背後から近寄ってきたシスイに気付かないくらい見入ってしまうくらいに。
「態度は悪いが、キョウはいつも一生懸命なんだよ。あれで、人一倍努力をしている」
「……シスイさん」
忍び寄ってきたシスイは俺の肩に手を置き、頭に顎を乗せてきた。
背中に当たる胸の感触にセシルを思い出してしまう。やめろ。
「メイとキョウは、まあ特別な事情で私に引き取られた姉妹なんだ。私が剣に生きてきた身だから、二人に女の子らしい事は何も教えられなくてね。私に出来たのは剣を教える事だけだった」
「…………」
「やりたいことは沢山あっただろうに、二人は素直に剣を覚えてくれている。教えてくれてありがとうだなんて、感謝された事もあるくらいなんだよ。教えてみて分かったが、あの二人には才能があった。メイには私と同じ、防御の技の才能が。キョウには初代様の様な、カウンターの技の才能がね」
「メイは見てないから分からないですが、確かにキョウのカウンター技術は凄いですね。前の模擬戦で喰らいそうになりました」
唐突に話始めたシスイにそう返すと、彼女は苦笑しながら「君よりも一歳下というだけなのだがね」と言った。
「二人とも、このまま剣を続ければ確実に『シスイ』に届く程の実力になると、私は思っている。メイの方はおっとりとした性格なのだが、キョウは少し真面目で我が強くてね。こうして稽古を抜けだしてしまう事がある」
「周りの人間が自分と同じくらい一生懸命やって無いのが、許せないんでしょうね」
「そうだろうね。あの子にはもう少し、協調性が必要だ」
「…………。彼女の気持ちはよく分かりますよ」
「ふふ、君は少しキョウに似ている所があるからね。あの子よりも、精神的には大分、大人だけど」
「……」
俺達に見られている事に気付かず、キョウはただ剣を振る。
その姿は、いつかの自分に少しだけ被って見えた。
「キョウは今、壁にぶつかっている。今のままでは、あの子は剣をやめてしまうかもしれないね」
「アドバイスとか、してあげなくてもいいんですか?」
「してあげたいとは思うよ。だけど私がアドバイスしてばかりでは、キョウは私に頼り切りになってしまう。自分で壁を越える術を身につけるか――、私以外の目標を見つけれくれるのが彼女の成長に繋がるのだがね」
そう言って、シスイは俺から離れた。
「さて、稽古の続きをしようか」
「……はい」
―
流心流の稽古を始めてから、三ヶ月が経過した。
『剣の基本』、流心流の構え、そして«滑水»を初めてとした流心流の基礎の技。これらを使い熟せる様になる事が、流心流初段になる為の条件だ。
そして、俺とヤシロは三ヶ月で、この条件をクリアした。
「さて。ウルグ君、ヤシロちゃん。君達二人の剣技は既に無段の物ではない」
『流心の間』で、俺達はシスイの話を聞いている。
「今日を以って、君達を流心流初段として認める――と言いたい所なのだがね。その前に一つ、試験を行いたいと思う」
シスイのフェイントに眉を潜めつつ、俺は「試験?」と聞き返す。
「ああ、試験だ。冒険者ギルドにいる友人から聞いたが、都市の付近にcランク魔物の《剣猪の群れが現れたそうでね。《剣猪》を何匹か狩ってきて欲しい。《剣猪》の額に生えている剣は、流心流の技を試すにはピッタリなんだ」
「……」
「そして、その試験には君達の先輩であるメイとキョウが同行する」
そういう事か。
年齢が近い俺達と一緒に行動させ、二人に刺激を与えたいのだろう。
そう簡単に行くとは思わないけどな。
こうして、俺達はメイとキョウとパーティを組んで、《剣猪》を狩りに行くことになったのだった。
その後で、シスイと二人きりで話した。
やはり俺の予想通りに二人に刺激を与えたかったようだ。そんなに期待されても困ると言っておいたが、シスイも理解した上で何かのきっかけになればいい、くらいに思っているようだ。
まあシスイに天才と言わしめる二人の剣技を目の前で見れるから、俺としては文句はないが。
実際、流心流の試験に《剣猪》と戦うという物も存在しているようだ。まあ、初段の物では無いけどな。
シスイ曰く、メイもキョウもCランクの魔物には遅れを取らない程度の実力は持っているようなので、俺としても色々と学べそうだ。
―
迷宮都市からそう離れていない所にある平原に《剣猪》の群れが居るらしい。
俺達は門から都市の外へ出て、《剣猪》の目撃情報があった方向へ歩いて行く。
パーティは俺、ヤシロ、メイ、キョウだ。
「えと、お役に立てるか分かりませんが、よろしくお願いします」
メイは見ている方がほんわかとした気分になるような笑みを浮かべながら俺達に頭を下げた。
肩までで揃えられた浅葱色の髪に、穏やかな表情を浮かべた少女。いつもの胴着姿とは違い、今日は魔術服を装備している。腰には雰囲気にそぐわない、一本の剣が差されている。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
九歳とは思えない程、しっかりとした少女だ。俺やヤシロも他から見れば大概だとは思うけどな。
「……」
そして、メイの隣で不機嫌そうにしているのが、彼女の妹のキョウだ。
長い浅葱色の髪をポニーテールにし、整ってはいるものの少々キツい表情を浮かべている。メイと同じように魔術服と剣を装備している。
「ほ、ほら、キョウちゃんも挨拶しないと」
「……キョウです。よろしく」
それだけ言って、キョウは再び不機嫌そうに黙り込む。
メイはそんな彼女の様子を慌てた様子で叱りつつ、俺達に頭を下げてくる。何というか、いつも慌てていて少し可哀想だ。
まあ、キョウが不機嫌になる気持ちも分からないではないけどな。元から良い感情を持っていなかった俺達の試験に付き合わされるのだから。シスイの頼みだったら断れないだろうし。
そうして、俺達は微妙な空気になりつつ、平原を進んでいく。
「へぇ……ウルグさんがそんな事を!」
「そうなんです。ウルグ様が魔物をズバッとやっつけて、シュタって!」
「……」
最初は微妙な雰囲気だったが、メイのほんわかした雰囲気と、ヤシロの意外なコミュ力の高さで少し良い感じになった。まあ俺とキョウは黙って歩いているだけなのだが。
というか、本人の前で俺の話をするのはどうなんだ。
「……なあ、お前達って流心流の二段だったよな。二段はどんな技を練習するんだ?」
ずっと黙っているのもあれなので、キョウに話し掛けてみた。
キョウは煩わしそうな表情をすると、
「貴方にお前呼ばわりされる筋合いはありません」
とだけ言って黙った。
つれないな。
メイとヤシロは和気あいあいと会話し、俺とキョウは気まずい沈黙のまま歩く事数分。
ヤシロが会話を打ち切り、警戒を促すように言ってきた。
「来ました! 《剣猪》です!」
ヤシロがそう言ってからすぐに、先方から土煙をあげながら何かが走ってきた。
近付いて来た所を見れば、こちらに向かってきているのは額から剣の様な角を生やした、大きな猪だった。俺達の標的である《剣猪》だ。
「メイ、頼む!」
「はい! «水球»!」
あらかじめ、《剣猪》の対処法は考えてあった。
俺達に狙いを定めて突っ込んでくる《剣猪》達に、メイが詠唱破棄した«水球»を放つ。的確に放たれた水の球が猪達に命中し、動きを鈍らせる。
そこに俺達が突っ込んだ。
額の角にさえ気を付ければ、《剣猪》はそう強い魔物ではない。大抵が群れで現れるため、ランクをCと定められているだけで、厄介さで言えば《影斧》の方が上な位だ。
突き出してくる角を、早速«滑水»で受け流し、隙を付いて首を斬り落とす。
勢い良く倒れこむ《剣猪》を躱し、次の獲物へと斬り掛かっていく。
後方でメイが«水球»で俺達をサポートし、俺とヤシロとキョウの三人で攻撃を仕掛ける。
ヤシロも剣に掠る事無く的確に《剣猪》を仕留めている。
「ハァッ!」
俺にやった技と同じ剣技で、キョウも次々に《剣猪》を仕留めていっている。
突き出される角を受け流しながら、同時に正面から斬り付けることで、攻撃を仕掛けた筈の《剣猪》が斬られているように見えてしまう。
シスイが言っていた通り、返し技は上手いな。
俺もあのノータイムで切り返す技は欲しい。
時間にして、十分も掛からない内に俺達は襲いかかってきた《剣猪》の群れを全て片付けていた。
誰も怪我をすること無く、かなりスムーズに片付ける事が出来たな。
獲物の剥ぎ取りをしようと振り返ると、ヤシロが難しい顔をしていた。
「どうした?」
「いえ……。この《剣猪》達が、まるで何かから逃げている様に見えたもので」
「何かから?」
「何かって言うのは、はっきりとは――ッ!」
ヤシロの言葉を遮って、大音量の咆哮が平原に響き渡った。
地を震わす程の声量。
そして地響きを起こしながら、何かこちらを走ってくる音がする。
その場に居た全員が血相を変えて、咆哮の聞こえた咆哮を向いた。
「……《翼竜》!」
咆哮の主をいち早く視界に収めたキョウが、その名前を叫ぶ。
俺達の視界の先には、こちらへ走ってくる一匹の巨大なドラゴンが居た。
全身が緑と赤の混ざった鱗で覆われ、その背中から二対の翼を生やした巨大なトカゲ。爬虫類に見られる縦線の割れ目を、燃えるような赤い眼球に浮かべている。人を丸呑み出来そうな程の口からは何本もの鋭利な牙が覗いており、チロチロと長い舌が出ている。
その名を《翼竜》。
魔物の中でも圧倒的な強さを誇る龍種の中で、最も弱いとされている。しかし、その強さは侮る事が出来ない。龍種で唯一、Bランクとされているが、その口から吐出される炎は人間を容易く炭にする程の威力が込められている。そして、Bランクの魔物の中でも、上位の危険度を誇っていると言われている。
「さっきの猪達は、こいつから逃げてきたということか」
初めて見る龍種の姿に驚きながらも、俺は冷静に状況を確認する。
よく見れば、この《翼竜》は片翼に傷を負っている。空を飛んでいなかったのは、恐らくこのせいだろう。
撤退する事を考えたが、このまま逃げればこいつは迷宮都市にまで付いてくる。都市で炎を吐かれたりしたら、大きな被害が出るかもしれない。
翼に傷を負った今なら、俺達でもあるいは。
「ここで倒しましょう」
意外な事に、そう言ったのはキョウだった。
ヤシロとメイもキョウの意見に賛成しているようだし、ここで《翼竜》を倒そう。
全員の意思が固まったのも束の間、俺達を標的と認めた《翼竜》の口に炎が集まり始める。水属性魔術を使えるメイの方を向くが、今の彼女ではこのブレスをどうにかすることは出来ないだろうとすぐに思い直す。
「全員散れ!」
そう指示を出した瞬間、《翼竜》の口から圧倒的な熱量を持った炎の塊が放たれる。
この炎は魔力の塊だ。物理攻撃を受け流すだけの«滑水»では対処出来ないし、俺の剣でも斬れるか怪しい。
何方向かに別れ、俺達はブレスを回避した。
炎が地面で弾け、大きな音を立てる。黒い煙が立ち上がった。
煙が晴れるのを待たずに、《翼竜》は動き出す。
四本の脚を使い、地響きを鳴らしながら勢い良く走り始めた。飛行能力ばかりに目が行くが、走行速度も侮れない。
俺達はさっきの猪狩り要領で、《翼竜》に挑んだ。
後方でメイが魔術による支援を行い、俺達三人が攻撃を仕掛ける。メイの魔術では《翼竜》にダメージを与える事が出来ないが、目眩ましにはなだろう。
メイが《翼竜》の顔面に«水球»をぶつけ、怯んだ所を俺達で斬り付ける。
「――っ!」
その身を覆う鱗は、まるで鎧の様な強度を誇る。
ヤシロとキョウは決定的なダメージを与えるには至らず、鱗と少しの肉を斬っただけだった。
«魔力武装»と«魔纏»による強化により、唯一俺の剣が《翼竜》の鱗の下の肉に到達した。太ももの肉を斬り裂くと、《翼竜》は悲鳴を上げて地面に倒れ込む。
「待て、キョウ!」
倒れてすぐに、キョウが前に出た。逸り過ぎだ。
《翼竜》を前にして興奮していて視界が狭くなっているのと、チームワークが取れていないのが原因だろう。
俺の制止も間に合わず、鎧に覆われた腰に生えている長い尾がヒュンと音を立てて動いた。俺もヤシロも、尾が見えていたからすぐには動かなかったのだ。
「――っ、きゃ」
キョウは尾を受け流そうと構えたが、その速度と威力に耐え切れずに吹っ飛んだ。宙に浮き、後方へ飛んで行くキョウに狙いを付け、《翼竜》が動いた。
体を起こし、口を大きく開いてキョウを喰らおうと走る。
「クソッ!」
«魔力武装»をし、地面を勢い良く蹴りつける。
模擬戦でのヤシロの動きを真似て、俺は弾丸の様に《翼竜》に突っ込む。
だが、間に合わない。巨大な口が、キョウに喰らいついた。
「っ」
そう思った瞬間、《翼竜》が滑った。
歯がキョウに食い込むこと無く、その直前に宙でツルリと滑ったのだ。
見れば、メイが魔術を発動させていた。キョウの周りをクルリと囲む、大きな水の球。《翼竜》が喰らいつく瞬間に展開させ、受け流したのだろう。
「――ッラァ!!」
《翼竜》に追いついた俺が、鱗で覆われた背中を裂き、その勢いのまま尻尾も斬り落とした。
地面に落ちた尾がビチビチと動き回る。
「うぉ!?」
その直後、《翼竜》が勢い良く振り返り、俺に喰い付こうとしてきた。後ろに跳んで回避する。
目の前でガチンと音を立てて閉じられた巨大な口に肝を冷やす。
「ギィィイアアアアアァァァ!!」
《翼竜》が叫び、両翼を勢い良く広げた。
そして、土煙を起こしながら宙に浮き始める。片翼に傷を負っているにも関わらず飛びやがった。このまま空に行かれれば、俺達では対処の仕様が無くなってしまう。
「大丈夫です!!」
黒い影が舞ったかと思うと、ヤシロが宙に浮かびゆく《翼竜》の上に乗った。相変わらず、恐ろしい跳躍力だ。
ヤシロは小刀に影を纏わせると、鋭い気声を発しながら《翼竜》の無傷の方の翼を勢い良く斬り付けた。根本から翼が切断されたことにより、《翼竜》は悲鳴を上げながら地面に激しく落下した。
「くっ」
飛び散る土と衝撃に、一瞬の隙が出来た。
不意に土煙の中から、一本の巨大な何かが俺に向かって飛来した。何かは分からない。ただ、攻撃も回避も間に合わない事だけは悟った。
「ぐぅぅ!」
シスイから習った流心流がここに活きてきた。
咄嗟に«滑水»の構えを取り、ぶつかってきた何かを受け流す。体にかなりの負荷が掛かるのを感じながらも、俺は攻撃を受け流し切った。
そしてその頃には煙が晴れ、俺に向かってきたのが《翼竜》の脚の一本だということを知った。俺を押しつぶそうと、地面に潰れた態勢のままで脚を伸ばしてきたのだ。
見れば、《翼竜》は両方の翼を大きく損壊し、落下の衝撃で体中から血を流していた。俺に斬られた部分からも、未だ激しい勢いで血を流している。
だというのに、その目からはまだ力が消えていない。
「ヤシロ!」
《翼竜》は俺から標的をヤシロに変え、四脚で地面を激しく移動し始めた。
ヤシロの名前を呼び、俺はすぐ様動き出す。
キョウは吹っ飛ばされたまま気絶しており、後方のメイの近くで横になっている。今動けるのは俺だけしか居ない。
そう思い、走りだした直後だった。
グルリと、《翼竜》が首だけを俺の方に向けた。
その口には炎が集まっている。
「な、ぁ」
ヤシロを狙うと見せかけて、《翼竜》は俺を狙っていたのだ。
龍種の知能は高いと聞いていたが、侮っていた。まさか、フェイントを使ってくるなんて。
«魔力武装»を全開にし、俺は出来る限りブレスの範囲内から抜けだそうと走りだす。《翼竜》はそれに合わせて首を動かし、後を追いかけてくる。
不味い。
ヤシロが何かを叫んでいるが、聞こえない。
このままでは。
「――«水槍»!!」
ブレスが放たれる直前、一本の槍が《翼竜》の口内に突っ込んだ。集まっていた炎が槍によって激しく爆発する。
メイだ。
今まで魔術の詠唱をしていたのだろう。最高のタイミングで魔術を使ってくれた。
牙の殆どが吹き飛び、顔を黒焦げにした《翼竜》がそれでもなお、動き出そうとしている。なんて生命力だ。
だが、その動きはかなり鈍くなっている。今がチャンスだろう。
ヤシロとアイコンタクトを取り、俺達は同時に動き始めた。
「がぁああ!!」
ヤシロが叫び声を上げ、影を纏った小刀で《翼竜》に斬り掛かった。
自分の頭をムチの様に使い、《翼竜》はヤシロを迎撃する。ヤシロはすぐさま攻撃をやめ、頭を回避した。
その隙に、俺は《翼竜》の背後に迫ってきていた。頭を振り、隙が生まれた《翼竜》に渾身の一振りをお見舞いする。
刃は鱗を、肉を、骨を斬り裂き、《翼竜》の首を完全に切断した。
重い音を立てて、首が地面に落下する。そして何秒か遅れて、首の無くなった胴体も地面に倒れ込んだ。
「……勝った、か」
想像していた以上に苦戦した。
CランクとBランクとでは、こうも実力が違うというのか。それとも龍種だからか?
何はともあれ、犠牲者を出さずに勝つことが出来てよかった。
キョウは吹っ飛ばされたきり、気絶してしまっているが、大きな怪我はしていない。
怪我は無いかと駆け寄ってくるヤシロを安心させて一段落だ。
―
その後、迷宮都市から人を呼び、《翼竜》の死体を運んで貰った。
龍種の体には色々な使い道がある。
俺達は《翼竜》と討伐報酬に合わせて、その死体の売却金で結構な額を儲けることが出来た。バドルフが色々と手続きを手伝ってくれたお陰だ。
記念として鱗を幾つか貰っておいた。
その後、俺達はシスイにかなり謝られ、初段への昇段を果たしたのだった。