第ニ話 『もう一度剣を』
この世界に転生してから、三年が経過した。
最初の頃は頻繁に眠くなっていたが、最近になってようやく普通に行動することができるようになった。
今では、家の中を歩いて回ることもできる。
自由に行動できるようになってからやったのは、文字を覚えるということだ。
家族が使う言葉は日本語だが、使用されている文字は見たことのないものだった。
とりあえず、何をするにも文字が読めなければ始まらない。
両親が読み聞かせてくれる絵本や、家の中にある本を利用して、この世界の文字を勉強した。
この世界の文字は、前の世界で言うところのローマ字に近かった。
文字数は多く、中には変則的な組み合わせ方があったりしたが、一度覚えてしまえば後は簡単だった。
勉強を始めて、ほんの数ヶ月で家にあるほとんどの本は読めるようになった。
赤ん坊は最も物覚えが良い時期だと聞いたことがあるが、本当だったらしいな。
前世からでは考えられないほどの物覚えの良さだ。
これほど物覚えが良ければ、もっと幸せに暮らせたかもしれない。
……もう、考えても仕方のないことだが。
文字を覚えてからは、隙を見ては本を読んで過ごしている。
できれば物覚えが良いうちに知識を身に付けたかったからだ。
絵本を除いて、家にある本の大半はドッセルの書斎にある。
背の低さのせいで高い所にある本に手が出せないのが歯痒いが、仕方ない。
手が届く範囲の本は、
・歴史について
・魔術について
大きく、この二つのジャンルに分けられた。
どの本にも、平然と剣や魔術といった単語が出てくるため、読んでいて苦痛は覚えなかった。
前世で言う、ライトノベルを読んでいるような感覚だ。
俺が一番興味を持って読んだのは、当然魔術に関しての本だった。
本の内容を要約すると、こうなる。
この世界の人間の体内には『魔力』が存在している。
魔力とは、血液のように全身を循環するエネルギーのことを指す。
その魔力をコントロールし、外へ放出することを『魔術』と呼ぶようだ。
魔術には、
・属性魔術
・無属性魔術
・召喚魔術
・亜人魔術
の四種類が存在している。
まず『属性魔術』。
炎、水、雷、土、風。この五種類の魔術のことを属性魔術という。
ちなみに、属性魔術はこの世界で最もポピュラーな魔術とされている。
以前、ドッセルが俺に使って見せたのは、《旋風》という風属性の魔術だ。
そして『無属性魔術』。
これは属性魔法のどれにも属さない魔術のことを指す。
最も有名なのが、《魔力武装》という体を強化する魔術だ。
次点で、《結界魔術》だろうか。
種類が少なく、身体強化などの有名どころ以外はほとんど使用されていない。
そもそも知られている魔術も少ないようだ。ドッセルの本にも、無属性魔術については書かれていない。
理由としては、単純に属性魔法の方が強力だからだ。
次に『召喚魔術』。
これは名前の通り、指定した物や生物を呼び寄せる魔術だ。
発動するには『魔法陣』を作る必要があるが、作成には膨大な魔力が必要らしい。
まず個人での使用は不可能で、効率もあまり良くないため、現在ではほとんど使われていないらしい。
最後に『亜人魔術』。
これは人間以外の種族が使う魔術のことを指す。
どうやら、この世界には人間の他にも、いくつかの種族が存在するらしい。
よく名前が出てくるのは、妖精種、土妖精種、人狼種などの種族だ。
これらを総じて、『亜人種』と呼んでいるようだ。
亜人魔術は、人間には伝わっておらず、亜人のみが使用できる魔術のことを指している。
この世界にある魔術の種類に関してはこんな所だろうか。
また、魔術にはそれぞれレベルがあり、強さや使用の難易度によって下級、中級、上級、超級と分かれている。
中級が使えて一人前、上級が使えれば凄腕とされる。
超級が使えれば、歴史に名前が残るらしい。
体内の魔力量に関しては人によって違うらしいが、訓練次第である程度量を増やすことができるようだ。
しかし、どの魔術が使えるかは生まれ持っての才能で決まってしまうらしい。
中には属性魔術がまったく使えない者、無属性魔術がまったく使えない者、魔術自体が使えない者もいるらしい。
特に属性魔術は、どの属性が使えるかは完全に才能に依存している。
たいていの人は一属性か二属性しか魔術を使うことができない。多くて三属性くらいだ。
また、使用できる魔術の中でも得手不得手は出てしまう。だがこちらは、才能だけではなく、努力で何とかなるようだ。
魔術の才能に関しては血筋などが大きく影響してくるらしく、貴族なんかは優秀な魔術師同士でしか子供を作らないなんてこともあるんだとか。
以上のことを、本を読むことで学んだ。
この世界には本当に魔術がある。そう考えて、非常にワクワクしたものだ。
早速、自分にはどんな魔術が使えるかを試したりもしてみた。
それで分かったことがある。
――どうやら俺は、一切の属性魔術が使えないらしい。
―
「ウルグ、ご飯よ」
「はーい」
アリネアに呼ばれ、リビングへ行く。
リビングでは、アリネアが食卓に料理を運んでいた。
食卓の上には、オレンジ色に輝く石が設置されている。
これは《魔石》というらしい。
魔力を封じ込めて作った石で、この世界ではこれが電化製品の代わりに使われている。
明かりだけでなく、料理や風呂に使う湯を沸かすのもこの《魔石》だ。
この世界では科学がない代わりに、それを補う形で魔術が使われている。
意外と、生活に不便はない。
「それじゃあ頂くとするか」
ドッセルの言葉で、食事が始まった。
「……姉様は?」
姉であるセシルが、まだ来ていない。
「お姉ちゃんは今、体調があまり良くないの」
「ウルグは気にせず食べなさい」
最近、セシルはよく体調を崩している。
何か、重い病気に掛かってしまっているのかもしれない。
しかし……両親はあまり、セシルを気にしていないようだ。
「…………」
この三年間で、このヴィザール家の事情が何となく見えてきた。
ドッセルとアリネアが、よく得意気に語ってくれたからな。
ヴィザール家は、それなりに歴史のある家のようだ。
五百年前にあった『魔神戦争』と呼ばれる大きな戦争で、当時のヴィザール家当主が風属性の魔術で功績をあげたらしい。その功績で、貴族になったようだ。
アリネアがしきりに「ヴィザール家の子供は代々、風属性の魔術を使用して優秀な魔術師になるのよ」と語ってくるのは、これが理由らしい。
と言っても、現在は没落してしまっている。
家計も、並みの平民よりほんの少しお金があるという程度だ。
ぶっちゃけ平民と何も変わらない。
だが、アリネアやドッセルを見ていると、いまだに五百年前のことに強いこだわりをもっているようだ。
ドッセルもそれほど優秀な魔術師というわけでもなさそうなのにな。
二人は、再びヴィザール家を貴族にしたいようだ。
しかし、自分達には大した才能はない。だから子供を産んで、その子供の力で貴族になろうとしている。
……そう簡単にことが運ぶとは思えないけどな。
それはともかく。どうやら、二人はこれまで子供に恵まれなかったらしい。
そこで養子を取った。それが、セシルというわけだ。
姉は、かなり優秀な風属性の魔術師らしい。だから二人は、わざわざ女であるセシルを孤児院から引き取ってきた。
しかし、セシルを引き取ってからしばらく経って、俺が生まれてしまった。
両親がセシルに関心を示さないのは、やはり自分で産んだ子供の方が可愛いから……なのだろうか。
セシルが体調を崩してからは、関心のなさが顕著になったように思う。
正直、前世の自分を思い出して気分が悪い。養子とはいえ、自分達で引き取ってきたのだから、ちゃんと面倒を見て欲しいな。
「ウルグ。今度、風属性の魔術を教えてやろう」
食事中、ドッセルがそんなことを言ってきた。
それが良いわ、とアリネアがしきりに頷いている。
「私達の子だ。お前なら、セシルを越える魔術師になれる」
「…………」
期待に満ちた視線が突き刺さる。
二人が俺ばかりを構うのは、俺が風属性の魔術師になると信じて疑っていないというのもあるだろう。
だが、俺には風属性魔術は使えない。
それどころか、属性魔術自体に適性がないのだ。
何度、属性魔術を使おうとしても、俺には使用することができなかった。
二人の期待の視線を避けるように、俺は食事を終えた。
―
食後、自分の部屋にこっそり持ってきた魔術の本を読みながら、俺は魔術を発動しようと試みる。
「ふぅ……」
魔術を使用するにはまず、体内に流れる魔力を感じなければならない。
前世では体内に魔力なんてものが流れていなかったため、コツを掴むのに苦労した。
魔力はジンワリと温かい。温かいそれを、手のひらに集中させる。
それから、手を前に向けた。
本に書いてある通りに、下級魔法の《火灯》の詠唱を行う。
「闇を祓う聖なる炎よ、我を照らし導き給え――《火灯》」
手のひらに集中した魔力が、魔法名を唱えると同時に外へ放出されるのを感じた。
だが。
「……やっぱり駄目か」
ただ魔力が放出されただけで、魔術が発動することはなかった。
何回か同じ炎属性の魔術を試したり、他の属性の魔術も試してみたが、結局一度も成功していない。
自身に才能のない魔術を使用すると、このような現象が起こるらしい。要するに、俺に属性魔法の才能はないということだ。
人間の魔力はおよそ六歳ぐらいの頃に安定する。
それまでは、魔術の得手不得手はよく分からないらしい。現段階で俺が魔術を使えないのは、それが原因だと信じたいな……。
六歳頃になると、どの属性魔術が使えるかを調べる検査が行われる。
検査で俺に風属性魔術の才能がないと知ったら、両親はどんなリアクションをするだろうか。
想像するだけでも胃が痛くなってくる。
「はぁ……」
せっかく異世界に来たというのに、魔術の才能がない。
情けなくて、泣きそうになってくる。
誰もが一度は憧れる魔術が実在する世界に来たというのに、結局俺はまた何もできないのか。
唯一使えるようになったのは、魔力で体を覆い、身体能力を上昇させる無属性の魔術のみ。
かなり地味だ。使用できる時間もとても短い。
「……俺はどこにいっても、こうなのか」
魔術が重視される世界で、魔術が使えない。
致命的だ。
こんなんじゃ、前世と同じで誰にも認めてもらえない。
両親も、きっと俺に失望するだろう。
「…………」
これまでは、情報収集に必死だった。
だから何も考えずに済んだが、あらかたの情報収集が済んだ今、自分について考えなければならない。
何の才能もない、自分について。
「……っ」
俺は理由もなく、自分の部屋から出た。
薄暗い廊下をフラフラと歩き回る。
家族は皆眠りについており、家は静かだった。
その静けさが前世での一人で過ごした家の中を思い出させる。
誰も俺のことを見てくれない、静かな空間。この上なく孤独で、惨めだった。
両親が眠っている寝室を静かに通りすぎ、俺は書斎へ向かった。特に読みたい本があったわけじゃない。何となく、入っただけだった。
中に入り、灯りを点けた。
眩しさに目を細めながら、静かに椅子に腰掛ける。
前世は孤独だった。だけど、少しだけ充実していたような気がするんだ。
何のお陰で、俺は充実していたのだろう。
本をパラパラと読むが、思い出せない。
ため息を吐き、部屋を出ようとした時だった。
「――あ」
ふと壁を見上げ、ある物が目に入った。
視線の先にあったのは、古びた短剣だ。
この部屋に来る度にいつもチラリと視線を向けていた、見慣れた短剣。
それが壁に飾られていた。
「――っ」
小さく呟きを漏らして、フラフラと短剣へ近寄る。
背伸びしても手が届かないため、椅子の上に乗って短剣を手に取る。
竹刀や木刀とは違う、ずっしりとした重みが手に伝わってきた。
剣なんて、もう長いこと触ってないな。
毎日欠かさずにやっていた素振りもしていない。
「――――」
短剣を正眼に構えて、俺はゆっくりと剣を振り上げた。そして素早く振り下ろす。筋力が足りないせいで軸がぶれ、上手く振ることができなかった。
それでも、酷く懐かしかった。剣を振るという感覚が。
「どうして、忘れていたんだ」
剣を……竹刀を振るという感覚を。
何もできなかった俺が、唯一人並み以上にできたこと。
「俺は……」
死ぬ直前に、何を思った。
何を思い残した?
「最強に……」
――最強になれていたら、俺は誰かに認められたのだろうか。
「……ッ」
前に読んだことのある一冊の本を、本棚から抜き出した。
『四英雄物語』という、四人の英雄が魔神と戦う物語だ。
五百年前に起きた『魔神戦争』で実際に活躍した四英雄について詳しく書かれている。つまり実話だ。
その中には属性魔術を使わずに戦った剣士がいた。無属性魔術と剣だけを使い、魔神と戦った英雄が。
「……無属性、だけで」
それから俺は剣士に関する書籍を貪るように漁った。
四英雄、剣聖、剣匠。
剣士に関するワードを、必死になって目に入れる。
どれくらい読んでいただろうか。
小さく息を吐き、本をしまう。
そして、ドッセルの短剣を持ったまま、自分の部屋へと戻った。
「――ふっ」
自分の部屋で、もう一度短剣を握り、素振りをしてみる。
短剣の重さに体が振り回され、まともに振ることすら叶わない。
「――――」
それから俺は、唯一使える魔術を発動した。
体に魔力を纏う、《魔力武装》という無属性魔術だ。
瞬間、全身にはち切れそうなほどの力が漲った。
手に持っていた短剣の重さが消える。
俺はもう一度、素振りをしてみた。
軽々と剣は持ち上がった。柄が短いせいで、竹刀のような素振りをすることはできないが。
「――あぁ」
何もないわけじゃ、なかった。
あったんだ、俺にも。
一つだけ。たった一つだけ。
「――剣が」
今、俺が使える魔術は《魔力武装》だけだ。
最初はたったそれだけしかないと思った。
だけど違う。
これが、これだけあれば、俺は剣を振ることができるんだ。
物語に出てきた、あの英雄のように。
「……最強」
この世界にはいくつかの剣術の流派が存在している。
魔術師と同じくらい、剣士もいる。
そんな数ある剣士の中で、最も強い者はこう呼ばれる。
――《剣聖》と。
「最強になれば、俺は」
誰かに認めてもらえるかもしれない。
前世で俺は、最強になれなかった。
誰にも認めてもらえなかった。
だから――。
「――今度こそ、剣で最強になってやる」
俺が《剣聖》になる。
そして、誰かに認めてもらうんだ。
剣で最強になると、そう決めた。
きっと、たくさんのことができるよりも、一つのことを極めた方が偉いから。