第十五話 『剣匠シスイ』
現在、この世界に存在する剣の流派の多くは、流派の開祖が大きな成果を収めた所から始まっている。
大抵は『魔神戦争』の時だ。
防御とカウンターの剣技、流心流の初代は攻め込んできた魔物達から王都を守り、当時の王から流心流の流派を立ち上げる支援を受けている。
流派の中で、当代最強と認められた者の事を《剣匠》と呼ぶ。
これは以前購入した『剣匠と剣技、そして伝説』に載っていた情報の一部だ。
代々、流心流の《剣匠》はシスイと名乗ってる。
初代シスイが«魔力武装»だけで流心流の剣技を編み出し、二代目シスイはそれを水属性魔術を使って再現した。
初代は歴代最高のカウンターの使い手、二代目は歴代最高の防御技と使い手として、世界にその名を轟かせている。
今代――二十五代目シスイは水属性と剣技で二代目の技を再現し、二代目の再臨と呼ばれている。
《流水剣》のシスイの名で畏怖された剣士が、今目の前にいる。
―
「シスイ……さんですか」
「ああ、シスイさんだ」
突然のカミングアウトに驚愕を顔に浮かべる俺とヤシロ。
辛うじて名乗りに対して反応すると、シスイはゆったりとした笑みを浮かべながら頷いた。
「!」
彼女が《剣匠》だと認識して始めて、俺はその腰に一本の剣が下げられていることに気が付いた。
つい一瞬前まで、視界に入っているにも関わらず、俺はその剣の存在に気が付いて居なかったのだ。
俺は彼女に対して、印象に残りにくい、気配の薄い女性だと感じた。
違う。
彼女は敢えて気配を消していたのだ。
修行の為にごく僅かに«魔力武装»し、周囲に注意を払っていた俺の認識の外にいた。
その事実を理解し、俺は小さく息を飲む。
改めてシスイを意識して見ても、前に戦ったレオルや魔物の様な威圧感の様な物は微塵も感じられない。
しかし、一切の隙も見つからない。三百六十度、どの方向から剣を振ったとしても彼女に触れることすら出来ないだろう。
圧倒的な実力者。
絶対的な実力者。
俺が将来越えなければならない壁が今眼の前に居る。
その事に全身の血が騒ぐ。
「まるで飢えた獣の様な眼だね。いい剣気だ。ゾクゾクするよ」
いつの間にか考えていることが表情に出ていたらしい。
彼女に対して剣気を放っていた事に気付き、俺はすぐさまそれを抑えた。
シスイは俺に剣気向けられても眉一つ動かすこと無く、全てを受け流していた。その超然とした様に、俺は思わず喉を鳴らした。
「……すいません」
「気にしないでいいよ。それよりも、もう一度礼を言わせて欲しい。不肖の弟子を助けてくれてありがとう」
「いえ……。でも驚きました。まさかシスイさんが直接礼を言いに来るなんて」
「私の流派に属している人間を助けてもらったんだからね。礼を言いに来るのは当然の事だよ」
笑ってそう言ってのけるシスイに、「俺はシスイ様の直弟子という訳ではないんですけどね……」とレナルドが苦笑しながら言う。
そういえば、レナルドが縮こまって座っていたのは、自分の流派の《剣匠》が隣に居たからか。その辺りの事をもっと気に留めていれば、シスイが名乗った時にあそこまで驚かなくても良かっただろう。
自分の観察眼の弱さを実感させられる。
「それから、私はもう一つ、二人に頭を下げなければならない事があるんだ」
シスイは俺とヤシロに交互に視線を向けると、
「セルドールが迷惑を掛けたね。弟子の管理が行き届いて居なくて、本当に申し訳ない。二人には頭が上がらないよ」
そう言って頭を下げた。
そういえば、セルドールは流心流の道場に入っていたんだったな。サボりまくって破門寸前だったらしいが。
謝罪するシスイに対して、ヤシロが何かを言いたそうに口を開きかける。途中でそれを止め、チラリと俺に視線を向けてきた。「私が喋ってもいいですか?」という確認だろう。律儀だな。別に確認なんて取らなくてもいいのに。
頷いて見せると、ようやくシスイが喋り始めた。
「シスイさんが悪い訳ではありません。悪いのはあの二人です。ですから、私に頭を下げるのはやめてください。もうあの二人と関わる事は無いと思いますし――もう水に流しましょう」
「水に流す。いい言葉だね」
シスイはそう言って頭を上げた。
「だけど、それだけで済ますのでは私の気が晴れないんだ。ウルグ君とヤシロちゃん、何かあったら私に言って欲しい。私に出来ることなら何でも協力するよ」
彼女の言葉に、俺は「ん?」とあることを思いつく。
「何でも……と言いましたね」
「うん。私に出来る事だったら、何でもするよ」
「……だったら、俺に稽古を付けてくれませんか? 流心流の技を覚えたいんです」
「なるほどね」と緩い口調で頷き、シスイは「いいよ」と何でも無いように頷いた。
「だけど、私はね、全く筋の無い人には直接剣を教えないようにしているんだ。才能も無いのに、短い人生を剣に割かせたら悪いからね。だから私に剣を教えて欲しかったら、一度流心流の道場に来て私と手合わせして貰えるかな?」
シスイはゆったりとした口調のままそう言った。
緩そうな顔をして、以外と辛辣な事を言う人だ。
才能の有無か。そんなもの、一度手合わせをしたくらいで分かるのかね。努力をすれば、才能がある人間よりも強くなれる可能性があるというのに。
「ヤシロちゃんはどうする? 私に力になれる事なら、何でもするよ」
シスイの問いかけに対して、ヤシロは「私にも流心流を教えて下さい」と答えた。
ヤシロならそう言うと思ったよ。
結果、俺達はそのまま流心流の道場へ向かうことになった。
レナルドはパーティメンバーと合流すると言って、その場で別れた。
―
流心流の道場はギルド区にあるため、ギルドからさほど遠くはない。徒歩十分未満くらいで着くことが出来る。
俺達はシスイに案内されながら、道場へ向かって歩いて行く。その道中で俺とヤシロは通り過ぎる冒険者や商人達にチラチラと視線を向けられる。
面白いことに流心流の《剣匠》という立場なのに、シスイは誰からも視線を向けられない。恐らくは意図的に他人の視界に入らない様に存在感をなくしているのだろう。
気配の消し方をシスイに聞いてみると、
「流心流では『川に流れる水の如くあれ』って教えているからね。穏やかでかつ自然体でいる事が重要なんだよ。自然体で入れば自然と気配を消せるようになるのさ」
だそうだ。
川に流れる水の如くあれ、か。
面白いことを言うな。確かに興奮していれば、その分だけ注意力が散漫になり、隙が生まれてしまう。その点に置いて、一瞬の攻撃に対応する流心流にはその隙は命取りになってしまうのだろう。
「だけどまあ、この教えが全てではないと私は思うよ。
流心流は非常に静かな流派で、感情を表に出さないことを良しとしてきた。
確かに過去の教え的にはそれでいいのかも知れないが、正直に言って私の性には合って無くてね。戦闘時には確かに平常心でいる事が大切だが、強くなるためには荒々しい向上心が必要だと思うのだよ。ちょうど、ウルグ君みたいなね」
「過去の流心流の教えに背くような考え方で大丈夫なんですか?」
「いいんだよ。何故なら、私は先代に勝って二十五代目になったのだからね。当代最強の私の考え方だ。間違っている訳がない」
めちゃくちゃな事を言っているように聞こえるが、その言葉には確かな説得力が合った。そして、俺もシスイの考え方には賛成だ。戦う時には焦らず、いつもの様に戦う事が大切だが、強くなる為には強い感情が必要だと思う。
「お、ウルグとヤシロちゃんじゃねえか」
途中、レオルのパーティとすれ違った。
俺とヤシロに挨拶してくるパーティメンバー達。
レオル以外はシスイの存在に気付いてすら居なかった。
レオルはシスイに気付いて少し驚いていたが、すぐにパーティと共に去っていった。
「レオルさんは気付いていましたね」
「あぁ」
隣を歩くヤシロが小声で話し掛けてきた。
ヤシロも«影»を使って意図的に存在を薄くする事が出来る。意図的に出来るという事は、それだけ自分の気配に気を配っているという事だ。それに加えて人狼種の聴力と嗅覚がある。ヤシロの気配察知能力は常人を遥かに凌ぐものがある。
その彼女を全く警戒させなかったシスイの実力は相当の物だろう。越えなければならない壁の高さに思わず戦慄してしまう。
「今の彼、強いね」
俺達を先導するシスイが、ポツリとそう漏らす。
並みの冒険者では彼女の気配に気付く事すら出来ないだろう。それに気付けたレオルは、やはり流石のBランク冒険者というべきだろう。
最近、今まで以上の勢いで依頼をこなしていると聞くし、レオルもいつかAランク冒険者に届くのではないだろうか。
「そういえば気になったのだけれど」
「何ですか?」
「ウルグ君とヤシロちゃんって、兄妹ではないよね。一緒に行動してるけれど、もしかして二人は恋人なのかな」
「ち、違います!」
唐突なシスイの問に、ヤシロが素っ頓狂な声を上げる。
「ウルグ様と、恋人なんて、その。まだ早過ぎます。だめです。おかしいです」
「ふむ。ウルグ様、なんて呼んでいるからね。そういうプレイなのかと」
「プレイってアンタ……」
十歳、十一歳のガキに言う言葉じゃないだろ……。
この人、若干だがセシルに似てるな。喋り方も風貌も違うけど、どこかが似ている。
「い、いや、ウルグ様が、こ……になれと命じられたら、その、あれですけど」
「ヤシロ……いつまで言ってるんだ」
「は、はい! すいません!」
「…………」
「ははは。愛されているようだね」
それから何度かヤシロがシスイにからかわれ、その度に顔を赤くして暴走していた。その様子を見てシスイが面白そうに笑う光景に慣れてきた頃、俺達は流心流道場に到着した。
―
五百年前、初代シスイが『魔神戦争』で手柄を上げ、王に流派の立ち上げを支援して貰った時、ちょうどこの場所に道場が建てられた。何でもここが初代の生まれ育った土地だったらしい。
それから今日までの間、何度か改装は行われたものの、この地に道場は存在し続けている。この道場には数百年もの歴史があるのだ。
王から支援を受けているだけあって、その道場はかなり大きかった。
外から見ただけで屋敷の古さがよく分かる。それでもボロいという印象は受けず、どこか神聖な場所の様に思える。
入口から中へ入ると、胴着姿で掃除をしている者が何人かいた。
シスイが近付くと、掃除をやめて頭を下げて挨拶をしていた。
体育会系によくある大声での物ではなく、静かだが良く響く声での挨拶だ。
シスイがそれに手を上げると、彼らは再び道場の掃除に戻った。
シスイの後をついて、どんどんと道場の奥へ向かって歩いて行く。
途中ですれ違う人は皆、先ほどの様な挨拶をシスイにする。その途中で俺に視線を向けて怪訝そうな表情をする者が居たが、すぐに恥じ入るように表情を消した。
「流心流は相手に自分の考えを悟らせないようにするスタイルを取っている。
私の考えだと強い気持ちが強くなるために重要になるんだけど、冷静さと強い感情の使い分けが難しいよね」
背中のまま、シスイが静かにそう言った。
確かにそうだ。
床は木張りになっており、歩く度に僅かに軋む。
もしかしたら、意図的に軋むように作られているのかもしれない。
さっきから、シスイは全く音を立てずに歩いているのだ。隣のヤシロも音を立てていない。俺も二人を真似して、音を立てないように静かに歩いてみた。最初は上手く行かなかったが、シスイの足捌きを真似している内に出来るようになった。
「ふふ」
俺の足音が聞こえなくなったのに気が付いたのか、シスイが小さく笑い声を漏らした。
見透かされているような気がして、俺は恥ずかしくなった。
そんな俺を励ますかのように、隣のヤシロが「面白いことを思いつきました」と唐突に言ってくる。
「木張りの床で気張る。……ぷ……あはは」
「……………………」
しばらく歩く内に、一際大きな部屋が見えてきた。
どことなく前世でよく通っていた、剣道の道場を思い出させる作りだ。中には何人もの剣士が素振りを行っている。だというのに、部屋の中は驚くほどに静かで、異様な雰囲気を醸し出していた。
部屋の奥には段差があり、そこには座布団が敷かれている。そしてその背には達筆で『流水の如く』と書かれた掛け軸が飾ってあった。
「ここは『流心の間』と言うんだ」
部屋に入る前に、シスイが教えてくれた。
『流心の間』に入る前にシスイが一礼したので、俺達もそれに従って礼をしておいた。
シスイが中に入った瞬間、それまで剣を振っていた人達が動きを止め、一斉にシスイに頭を下げて挨拶をしてくる。その姿はまさに道場に顧問が入ってきた時の剣道部の様だ。
「今から私はこの二人と手合わせを行う。だから練習を続けたい者は他の場所でやって貰えると助かる。手合わせが見たい者は邪魔にならないように端に寄っておいてくれ」
シスイがそう言うと、彼らは少し顔を見合わせた後、部屋の隅へ行って正座を始めた。
まあ自分の師匠が剣を振るのに、それを見ない訳が無いよな。観察するいい機会だ。
「シスイ様! どうしてこの人達と手合わせをするのですか!? 最近、私とは全然してくれないじゃないですか!」
他の者が端へ移動する中、一人の女性がシスイの前にやってきて、荒々しくそう言った。
浅葱色の髪を紐で括った、俺と同じ位の年齢の女の子だ。他の門下生と同じように袴を着ている。
「キョウちゃん! 常に冷静で居ないと駄目って、教えられてるでしょ?」
後ろからもう一人の女の子が走ってきて、シスイに食って掛かった女の子に注意する。
この女の子の髪も浅葱色をしており、髪を肩ほどまでで揃えている。容姿がかなり似ているが、こちらの子の方が若干背が高い。もしかしたら二人は姉妹なのかもしれない。
「ですが、シスイ様は『荒々しい感情』も大切だと仰っていました!」
キョウと呼ばれた女の子は、注意してきた女の子にそう言い返す。
シスイは二人の様子に苦笑しながら、俺達に紹介してくれた。
「こちらの少々荒々しい子はキョウ。こっちの子がメイと言う。姉妹でね、メイが姉でキョウが妹なんだ。二人共私の直弟子なんだが……。キョウは少々行き過ぎてしまってね。もう少し頭を冷ますように言っておいたんだが」
キョウはその言葉にムッとしたような表情を浮かべた後、その視線を俺達に向けてきた。その敵意の篭った視線に、ヤシロが表情を険しくして俺の前に出た。
「何故この道場に? どうして貴方達はシスイ様と手合わせをするのですか?」
丁寧な口調とは裏腹に、刺々しい喋り方だ。
今にも剣を抜きそうな剣呑な雰囲気に、ヤシロが静かに腰に刺してある『暗天』に手を伸ばす。
そんなヤシロの態度が癇に障ったのか、キョウが何かを言おうと口を開いた時だった。
――パン。
手を叩く乾いた音が、『流心の間』に響く。
シスイだ。
「嫉妬、妬み、そういう荒々しい感情は向上心に繋がる。だからむやみに感情を押し殺すのではなく、向上の為に必要な感情は内に残しておけ。確かに私はそう教えたね」
「……はい」
「だけど、私はそうやって誰かに食って掛かることを良しとした覚えは無いよ。キョウ、君は元々、気性が荒い。その事自体がいけないと言っている訳じゃないよ。しかし、私の教えを使って暴れる事を正当化するのは看過出来ないよ。頭を冷やせと、私は言ったね」
静かな口調だった。
しかし、それ故にどうしようもなく冷たい。
キョウはシスイの滔々とした口調に顔を青くしたが、
「し、しかし! シスイ様をそんな得体の知れない者と手合わせをするなど! そこの黒髪と言えば、人狼種と結託しているという噂もありますし、」
彼女の言葉に、ヤシロが怯えたように肩を震わせた。
「噂の真偽はとにかく、火種の無い所に煙は立ちません! 人狼種などと結託しているという噂がある時点で、そこの男は――」
「それは、人狼種を貶していると捉えても良いのか」
ヤシロの肩に手をおいてから、俺はキョウの言葉を遮った。
怪訝そうな表情を浮かべてこちらを向くキョウに、
「『人狼種などと』。そう言ったな。もう一度聞くぞ。それは人狼種を貶していると、そう捉えても良いのか?」
「……っ」
敵意を込めた視線を、キョウにぶつける。目付きの悪さが相まって、今の俺は凶悪な顔をしている事だろう。
キョウは言葉を詰まらせ、後ろへ下がった。
そこにメイがやってきて、キョウの腕を掴んで強引に俺達から離れさせる。
「すいません、悪い子じゃないんです。今はちょっと、シスイ様に構ってもらえなくて嫉妬しているだけで」
「違う、そんなんじゃありません!」
「…………はぁ。まあ、キョウが私を心配してくれているというのは分かったよ。だからといって、褒められた態度じゃないけどね。君の話は後で聞くから、今は黙っていなさい」
呆れた風にそう言われ、キョウは悲しそうな表情を浮かべて項垂れた。俺とヤシロに敵意の篭った視線を残し、彼女はメイと一緒に部屋の隅に行った。
「キョウは才能のある子なんだがね。自分の才能に思い上がっている所がある。そして嫉妬深い所もある。精神的に成長してくれれば、私の後を継がせたいくらいには強くなると思うのだけれどね……。彼女が失礼な事を言って悪かったね」
さて、とシスイは仕切りなおした。
「じゃあ、まずは手合わせだ。これで私が君達に全く筋がないと思ったら、悪いけど稽古を付けることは出来ない。その場合は他の者に稽古を付けてもらうことになるけど、勘弁して欲しい」
「分かりました」
「こちらが礼をする側だというのに、上から物を言って申し訳ないね。こればかりは、どうしても曲げられないんだ」
「大丈夫です」
そう返事すると、シスイは門下生から三本の木刀を受け取った。その内の二本を俺達に渡してくる。
シスイは少し離れた所へ移動し、
「まずはヤシロちゃんから、掛かってきなさい」
「……はい」
ヤシロが返事を返し、木刀を構える。
対するシスイは木刀を手に持ったまま、構えようともしない。
俺に近い実力を持つヤシロと、世界中の剣士の中でも屈指の実力を持つシスイ。
興味深い戦いだ。
《剣匠》の動きをしっかりと目に焼き付けさせて貰おう。




