第十三話 『深紫の手触り』
「……へぇ、じゃあ魔神戦争でも操られなかった人狼種もいるんだな」
「はい。牙の一族っていう部族です。牙の一族は人狼種の中でも特に戦いに長けていて、だからこそ魔神の襲撃をいち早く察知し、逃げられたと言われています。その牙の一族が人間と協力し、操られていると説得してくれたお陰で、人狼種は虐殺されずに差別だけで済んでいるんですよ」
「凄い部族だったんだな。人狼種の中だと英雄みたいな感じなのか?」
「そうですね……。部族を率いて戦った、ヴォルフガングという当時の族長が英雄として語り継がれています。恐ろしく強い人だったそうですね」
「ふぅん。……その牙の一族っていうのはまだ残っているのか?」
「つい……最近までは」
「最近?」
「ええ……。魔神戦争後、人狼種全体に人間からの差別を避けるために山に住処を変えるという意見が出ていたそうです。ですが、牙の一族はそれを無視し、それまでの村で生活を続けました。その村をアペーレの村というのですが、つい数日までそこに住んでいた人達が全滅したそうです」
「ぜ……全滅」
アペーレの村。
全滅。
この話をどこかで聞いた様な気がする。
「何でも村が深い霧に包まれている間に、村人がお互いに殺し合ったとか。危ない薬を吸っておかしくなったとか、獣の血が暴走したとか、色々と言われていますが……あまり信じたくはないですね」
「そうか……すまないな。仲間が……っていう話だし、辛いだろ?」
「いえ、牙の一族とは殆ど関わりがありませんでしたし、私達影の一族を最も嫌っていたのが牙の一族と聞いていますから。ウルグ様は気にしないでください」
そう言って、ヤシロはニッコリと笑った。
現在、俺達はいつも使っている宿の部屋にいる。影の盟い後、ヤシロが荷物を持って宿まで着いてきたのだ。
ヤシロ曰く「影は常に主と共にある」らしい。
取り敢えず隣の部屋を取らせ、そこで寝泊まりしてもらう事にした。若干不服そうだったが、いきなり同じ部屋にするのは息が詰まるし、なによりこの部屋は一人部屋なので二人で使うと狭くなってしまうのだ。ヤシロはそれでも良いと言ってきそうな気がしたが、俺が良くないので隣の部屋に行かせた。
そしてしばらく話す内に、ヤシロの年齢が分かった。
ヤシロは十一歳だった。十歳の俺よりも一つ年上だ。
これをいうと、ヤシロは俺の方が年上だと思っていたようで、かなり驚いていた。俺も驚いた。幼いとは分かっていたが、まさかたった十一歳だったとは。やはりこの世界の女性の精神年齢の発達は異様だな。
女性と話すのは苦手だが、テレスの様な年下や小さな子供なら相手に出来る。これからはヤシロは親戚の女の子ぐらいの感覚で接しよう。それなら普通に話せる気がする。
ヤシロをベッドに座らせ、俺は部屋にあった椅子に腰掛け、向い合って話をしている。
「そういえばだけど、影の盟いってするとヤシロが強くなれるって言ってたよな。どんな風に強くなったんだ? 外見には特に変化はないんだが」
「そうですね。«影»の魔術の威力が上達し、更に主の近くにいる時には魔力の量が増える様になっています。これは主を守る為のパワーアップです」
「なるほどな」
ヤシロは俺と二人きりの時は、フードを取る。
説明している間、耳が得意気にピンとそそり立っている。やはり、感情の変化によって耳の形も変化するのだろうか。
「あ……あまり耳を見ないで貰えませんか」
耳を見ている事に気付いたようで、ヤシロは顔を赤くした。耳も恥じ入るようにフニャッとしている。
それを見て、俺はヤシロの狼の部分に興味をもった。
ヤシロは生まれつき悪いと言っていたが、人狼種は耳や鼻などの器官が人間よりも発達している。
「ヤシロ、ちょっとこっちに来てくれ」
「? はい」
ヤシロを目の前にまで連れてきて、その姿を観察する。
まず耳はそのまま狼の物だ。髪と同じ色をした、深紫の狼耳。先端がツンと尖っており、感情によってピコピコと動きを見せる。ただ、前世での知識によると、本物の狼の耳は先端に丸みを帯びていて、ヤシロの様に先端が尖っている事は殆ど無いそうだ。他の人狼種の耳はどうなっているのだろう。
そして鼻。
これは人間と変わらない。ヤシロの鼻は他の人狼種には劣るが、それでも人の匂いを嗅ぎ分ける事ができるようだ。前の幼女の時も、この鼻を使って親の所まで連れて行ってくれた。
口。
これも違いは見られない。犬歯が若干、普通の人間よりも尖っている事くらいだろうか。歳相応に小さい。
取り敢えず、パッと見て耳以外に人間と変わっている部分は無さそうだ。見えない所、筋力とか視力とかも人間より優れているらしいが。
あと、独自の魔術と身体能力がある代わりに、人狼種は属性魔術が使えないらしい。過去に一人だけ、さっき言っていた人狼種の英雄ヴォルフガングだけは魔術が使えたらしいが。
「……耳、ちょっと触ってもいいか?」
「……はい」
頭を突き出してくるヤシロの耳にゆっくりと手を伸ばす。
触ってみると、髪の毛とは手触りが違う。動物の毛のようにもさっとしていて、少し固さがある。
「んっ」
「わ、悪い」
少し力を入れすぎてしまったのか、耳がビクッと動き、ヤシロが変な声を漏らす。
慌てて手を離して謝ると、ヤシロは大丈夫ですと顔を赤くしながら笑った。
それにしても、中々良い手触りだった。前の世界では犬の耳ぐらいしか触ったことがないが、あれと少し似ていて、ぼーっとしながら触っていると気持ちよさそうだ。
髪と混ざって同じ色をしているのに、毛の質が違うっていうのは面白いな。
「なぁ、ヤシロ。もしかしてだけど、尻尾とか付いてたりするか?」
「な、なんでそれを」
何となく聞いてみると、ヤシロの反応からして、尻尾も付いているらしい。
尻尾と言えば、狼で言うと全力で走った時の方向舵やブレーキ機能、後は感情表現の役目があると聞いたことがある。人狼種には人間の足があるから、尻尾は必要ないと思うのだが、どうして付いているんだろうな。人狼種の起源が分からないから何とも言えないが。
「ちょっと見せて貰ってもいいか?」
「っ……はい」
ヤシロは俺に背を向け、ズボンを少し下げた。
そこで俺は、尻尾は尾骶骨の辺りに付いているのだから、尻尾を見せろっていうのはお尻を出せと言っているのと似たような事ではないかと思い当たり、慌てて止めようとしたが、それよりも早くヤシロは尻尾を出してしまった。
ズボンから、深紫色の尻尾が出ている。想像しているよりも小さい。耳と同じように、時折パタパタと動いている。
「ちょ……ちょっと触ってもいいか?」
「……はい」
ゆっくりと、慎重に手を伸ばす。
尻尾の手触りは耳の手触りによく似ているが、耳よりもふっさりとしていて更に気持ちが良い。何というか、モフモフしていて暖かい。冬にこの尻尾を首に巻いたら最高だろうな。
と、想像しながらモッサモッサと触っていると、
「あ、あのっ。も……もういいですか……?」
ヤシロが上擦った声でそう言ってきたので、俺はまた触りすぎたと慌てて手を離した。
ヤシロはそそくさと尻尾をズボンの中に閉まった。
「そ、それ、ズボンの中に入れて窮屈じゃないのか?」
「ちょ、ちょっと窮屈ですが……。別に、大丈夫です」
「そうか……」
見た所によると、耳も尻尾もある程度は動かせるらしい。俺の耳は動かせないし、尻尾も無いから、動かしている感覚はどんな風なのか興味が湧くな。
「あ、あの……」
ヤシロは顔を赤くしたまま、躊躇いがちに口を開いた。
「影の盟いをした時点で、私は……命令されれば、貴方の為に動きます。ですが、出来れば、えっちぃことは……その、もう少し待って貰う事は出来ないでしょうか」
「え、えっちぃことって……」
「性的交渉の事……です」
「い、いやそれは流石に分かるよ」
「え、あ、そうですね。……その、も、もう少し、お互いに大きくなってから……そういう事はするべきだと、私は思います」
「…………ああ。俺はヤシロにそういう事を強制するつもりは無いよ。命令したら言うことを聞く……って言ってるけど、出来れば俺はヤシロに対して仲間という形で接していきたいと思ってる」
「仲間……」
「不安か?」
「いえ、違います。ただ、私はウルグ様の影です。ですので、ウルグ様の為に動きたいです」
「まあ、それはヤシロの自由だから、あれこれ言ったりしないよ」
しばらく沈黙が続き、お互いに視線を逸らして黙り込む。
そこで俺は、さっきからずっと気になっていた事を聞いて良い物か、悩み始めた。これを、しかも女性に直接言うのはちょっと失礼過ぎる気がする。だが、これから仲間として行動していくにあたって、ずっとこの問題を抱えたままで居る訳にはいかないだろう。
俺は意を決して、ヤシロにそれを尋ねる事にした。
「この宿は風呂付きなんだけどさ、ヤシロは今まで風呂とかがある宿に泊まってた?」
「お風呂ですか? いえ、お風呂になんて滅多に入ってませんね。お金を節約しなければならなかったので……。濡らしたタオルで拭いていました」
「へ、へえ。まあ、この宿にはお風呂があるから、ゆっくり入りなね」
「? はい」
…………。
俺が何を言いたいかと言うとだ。体臭の事だ。
この世界の人間は日本人よりも体臭が強い人が多い。風呂にしっかりと入る文化が無いことと、食べる物が野菜よりも肉がメインなのが大きな原因だと思う。
まあ俺の鼻もこっちに適応しているから、そこまで強く不快に感じたりはしないのだが。
タップリと汗をかいても、濡れたタオルで拭く事しか居ない人が多い。ある程度金が無ければ、風呂に入る事は贅沢になるからだ。
そのせいか、冒険者には汗臭い人が結構いる。
…………ヤシロが汗臭いとか、そういうあれじゃないなけどな。うん。
しばらくして、ヤシロが小さく「あっ」と声を漏らした。体をプルプルと震わせ、尻尾を見せた時以上に顔を赤らめて、
「も、もしかして、私、臭いですか?」
と聞いてきた。
どう答えを返したら良いのか、咄嗟には思いつかず、
「いや、臭いって言うか、ほんのちょっとだけ……その……獣臭い」
「けもっ!?」
涙目になるヤシロに向かって、俺は必死にフォローした。
「い、いや、多分、あまり風呂に入っていないことが大きな原因だと思うんだ! 濡れタオルで拭くだけじゃなくて、湯船に浸かるだけで大きく変わると思う! 湯船の中に十分くらい浸かっていれば、ちょうどいい具合に汗もかくし! あと、食べる物も少し変えた方が良いと思う! お肉だけじゃなくて、野菜と果物もバランスよく取れば、その、大丈夫になるさ!」
「けもの……けものくさい……けもの……」
「聞いてない……」
落ち込んだヤシロが立ち直るまでに一時間近く必要になった。
もうちょっとデリカシーについて、学んだ方が良いと身に沁みて思いました。まる。
―
「…………」
「悪かったって……」
「別に怒ってないです。ただウルグ様は私の事を獣臭いって思ってたって事が分かっただけです」
「い……いやそうじゃなくて」
低い声でそう言うヤシロに対して、思いつく限りのフォローを入れた。
多少ヤシロが落ち着いてきた所で、この空気を誤魔化す為に、俺はヤシロにこれからの話をする事にした。
「……それで、これからの事なんだが。大きな目標として、俺は入学が可能になる年齢、十二歳になったら王立ウルキアス魔術学園に入学したいと思っている。あと二年だ。その為には入学金が必要になる。他の人は十二歳になってすぐ入学するんじゃなくて、一・二年後に入学するらしいけど、俺はすぐに入学したい。早く色々な事を学びたいからな」
「ウルグ様が魔術学園に入るというなら、私も学園に入ります」
「入るって言っても、入学金は安くないからな。金を稼がなければならない。二人分ってなったら、かなりの金額だ」
「最悪でも私が稼いだお金でウルグ様だけでも入学できるようにします」
「……うーん、まあ俺が入学するのに必要な金額は半分以上溜まってるから、大丈夫だとは思うんだけどな」
ヤシロと話をして、これから金を稼ぐ手段を探していく。
やはり一番手っ取り早いのは冒険者だ。
二人で依頼や迷宮を攻略し、地道に稼いで行かなければならないという結論になった。Cランクだからそれなりに稼げるだろう。
「それで、俺はこの二年間をただ金を稼ぐ為に費やす気はない。俺は……。
俺は――最強の剣士に、《剣聖》になりたい。そのためにも二年の間に強くなりたいんだ。だからヤシロ、依頼や迷宮攻略の後なんかに、ギルドの訓練場で俺と模擬戦をしたりして、一緒に稽古をしてくれないか?」
「はい、勿論です」
ヤシロはどことなく、陶然とした表情を浮かべながらそう頷いた。《剣聖》になりたいという夢を語っても、茶化したり馬鹿にしてきたりはしてこない。
人狼種……というか、ヤシロはその辺の冒険者よりも遥かに強い。だから彼女との模擬戦は確実に俺の力になるだろう。
「ですが、私と稽古するよりも、どこかの流派の道場に通った方が良いのではないですか?」
「……道場なあ」
道場には前世でのトラウマがあって、あまり良い感情はない。
どこかの流派の剣技を学びたいとは考えているが……。
「道場に入ると金がいるし、なりより自由な時間が無くなるからな……。この街にある『流心流』の道場も、入ると修行の為に色々と拘束されるらしいし。そうなると金が集めにくい」
「確かに……そうですね。セルドールも『流心流』の道場に通っていたそうですが、上下関係なんかの厳しさについてよく愚痴っていました。かなりさぼってて、破門になりかかっていたそうですが」
「……取り敢えず、金に余裕が出来てからなら入れそうな気もするけどな」
ヤシロと話し、大まかな今後の予定について詰めていく。
その中で、やはり流派を学ぶのは大きなプラスになるという話が出た。勿論、流派に入らなくても強い人間は多い。我流で剣の道を切り進み、Sランク冒険者になった人間もいるようだ。だが、それでも学んでいるのといないとでは、剣技の範囲が変わってくる。
どうするべきかと悩んでいたが、数日後、思わぬ所で流心流を学べる事になる。