第十話 『拒絶と脅迫』
気付けば、海の中に居た。
相当深くに潜っているのか、水圧で頭が潰れそうに痛い。体も動かせず、上へ向かって泳ぐ事も出来ない。
やがて呼吸が苦しくなってくる。あまりの苦しさに口を開いてしまい、そこから大量の海水が流れ込んできた。それにより、残っていた肺の中の空気も根こそぎ吐き出してしまう
酸素の欠乏により、徐々に視界が薄れてくる。息苦しさが眠気に変わり、深い闇の中に落ちていく。
深海へと落ちていく俺を、遠くから誰かが悲しそうな表情で見ている様な気がした。
―
「……ぁ?」
「良かった……」
目を開けると、潤んだ紫紺の瞳が俺の顔を覗きこんでいた。
一瞬誰か分からなかったが、フードを被っていたからヤシロだと分かった。
さっきまでのは夢で、どうやら俺は生きていたらしい。
俺はベッドに寝かせられており、周囲を見れば他にも幾つかのベッドが並んでいて、その上には怪我人が寝かせられている。
どこかの病院だろうか。
「……ここはギルドの医務室です」
俺の考えている事が分かったのか、ヤシロがそう教えてくれた。確か、いつも通っている訓練施設の中にあるんだったな。俺はそこに運び込まれてきたようだ。
それから、ヤシロがあの後何があったのかを教えてくれた。
俺が気を失ってすぐに、他の冒険者が救助にやってきたらしい。助けにきてくれのは何と、レオル達のパーティだったようだ。
《目無しの巣窟》だけではなく、《骨人迷宮》など他の迷宮でも魔物の大量発生が同時に発生しており、ギルドが都市内にいた全ての冒険者に緊急で『強制依頼』を発令し、迷宮から魔物が溢れる前に討伐を行ったらしい。
レオル達は何人かの冒険者と共に《骨人迷宮》の魔物を討伐した後、《目無しの巣窟》にやってきて、魔物に襲われそうになっていた俺達を助けてくれたようだ。
助けてくれた礼を後で言っておかなければならないな。
そして俺はここに運び込まれ、治療魔術師によって傷を治して貰って、ベッドで寝ていた。
迷宮から助けだされてから既に半日近くが経過しているようだ。
その際に、着ていた魔術服は捨てられてしまったらしい。大きく破れていて魔力も失われていたようだった仕方ないな。今は怪我人用のゆったりとした服を着せられている。
「魔物はどうなったんだ?」
「取り敢えずは収まったようです。冒険者の他にも『流心流』の道場の人達が討伐に参加してくれたお陰で、あれから数時間で迷宮内に溢れた魔物はほぼ退治され、沈静化しました。今は迷宮の様子を監視しながら、原因を探っている所です」
魔物の大量発生が、他の迷宮でも起こっていたなんてな。死者、怪我人も何人か出てしまっているようだ。
過去にこんな事が起きた例はない筈だ。
「冒険者の人達は魔神の復活の前触れだって騒いでました」
「魔神か。どうだろうな」
魔神の封印と同時に迷宮が現れた事から、魔神と迷宮に関係があるのはほぼ間違いないが、迷宮の詳しい原理とかは殆ど解明されていないからな。定期的に魔物の大量発生が起こるように出来ているのかもしれないし、本当に魔神が復活しようとしているのかもしれない。どちらにしろ分かんないけどな。
「ヤシロはあれからずっとここにいたのか?」
違ったら恥ずかしいな、と思いながら聞いてみると、ヤシロは顔を翳らせながら頷いた。
五時間近く、気絶していた俺を診ていてくれたのか。
「そうか、ありがとな」
「ウルグさんが謝る必要は全然無いですよ……。私が油断したせいで、ウルグさんに怪我をさせてしまったんですから」
「あの時、俺も《百目百足》が死んでると思ってたし、気付けなくても仕方ない。虫の生命力を舐めてたな。というか、俺は最初からズタボロだったし。まぁ、お互い大きな怪我が無くて良かった」
そう言って俺はベッドから降りて、下にあった靴を履く。それから大きく伸びをして凝った体をほぐした。痛みはない。やはり完全に癒えている。俺も治療魔術が使えればなぁ。
『鳴哭』とリュックサックは別室に置かれているようなので、ヤシロに案内して貰った。体に疲労感が残っているが、歩けない程ではない。今すぐベッドで寝たい気分ではあるが。
「そういえば、明日以降でいいからギルドに来て欲しいって職員の人に伝言を頼まれました。私も来るように呼ばれています。多分、魔物の大量発生についての情報提供と、後は特別報酬金でも貰えるんじゃないでしょうか」
「特別報酬金?」
「緊急依頼に参加した冒険者にはそこまで量は多くないですが、報酬が貰えるんですよ」
「あぁ、なるほど」
「ウルグさんは他の人よりも多く貰えると思いますよ。なんせ、《目無しの巣窟》の魔物の半分近くをウルグさんが一人で討伐して、その後迷宮主も倒してしまっていますからね。他にも多くの冒険者を助けてますし、ウルグさんに礼を言いたいって言ってきた人もいるそうですよ」
魔物の大半を俺が倒した、か。壁に追い詰められた時、俺は気を失ってしまったが、意識が戻った時に魔物は全滅していた。あれは本当に俺がやった事なんだろうか?
「魔物の方はとにかく、《百目百足》はヤシロが助けてくれなかったら倒せなかったよ。というか、ヤシロが戻ってきてくれなかったら倒す所か挽き肉になって死んでた……。いや、戻ってきてくれてありがとう」
今更だが、あの瞬間俺は確実に死んだと思った。突進の速度に反応できず、回避も防御も間に合わなかったからな。
改めて考えても背筋がゾッとする。
「私はウルグさんに二度も助けて貰ってますから、礼なんて言わないでください」
「いや、一回目はたまたま通りかかっただけだしな。つうか、お前を囮にして逃げたあいつら、マジで最低じゃないか? 冒険者ギルドに報告したら退会させられるかもしれないぞ」
「…………」
あの二人の話を振ると、ヤシロは顔を伏せて黙ってしまった。
その表情を見て、俺はしまったと顔を顰める。仲間に裏切られ、あと一歩で死ぬ所だったのだ。それを軽々しく振るのはデリカシーが無さ過ぎる。
「……悪い」
謝ると、ヤシロは小さく笑って首を振った。
「大丈夫です。あ、この部屋にウルグさんの荷物が置いてありますよ」
「ああ、ありがとう」
「あの……ウルグさん」
「ん、何だ?」
「……いえ。やっぱりなんでもありません」
「?」
ヤシロのよく分からない反応に首を傾げるが、彼女は何でもないですと笑って誤魔化してきた。気になるがしつこいのもあれなので、追求しないことにしよう。
その後、『鳴哭』とリュックサックを回収し、俺はヤシロと別れて宿へ戻った。
気絶していたからなのか、体の疲労は全く取れていないし、取り敢えずシャワーを浴びて寝たかった。
―
翌日、俺は冒険者ギルドへ来ていた。
受付嬢に声を掛けると、カウンターの奥にあった部屋に連れて行かれ、昨日の事について話を聞かれた。
三階層にいたら四階層へ続く階段から魔物が大量に溢れ出てきたこと、上へあがる途中で何人か冒険者を助けた事、その過程で壁際に追い詰められ必死で戦ったこと、《百目百足》をヤシロと戦った事。
受付嬢は俺の言ったことをメモし、時折質問をしてきた。
気を失ったら魔物が全滅していた事は、自分でも状況が把握できていないので黙っておいた。
「大体の事情は分かりました。説明ありがとうございます。それにしても、たった二人で《百目百足》を倒したんですね……。いや、疑ってる訳じゃないんですけどね、うん、何というか、あはは」
全て話し終えると、受付嬢は「他の冒険者の話と一致してますし、《百目百足》の死骸も確認できましたし、もう笑うしかないですねぇ」とケラケラ笑った。
…………段々いい加減になってないか、この人。
「そういえば、ヤシロさんから聞いたかもしれませんが、何人か冒険者の方がウルグさんに会って礼を言いたいと、貴方が気絶している間にギルドに来ていましたよ。今度ウルグさんの都合がいい時にでも、その人達と会って貰ってもいいですか?」
「ああ、いいですよ」
「ありがとうございますー。いやぁ、それにしてもやっぱ黒髪って目立つんですね。殆どの人は貴方の名前を知らなくて、『黒髪の少年』って言ってましたよ。あはははは」
「はは……」
乾いた笑いを返すと、「あそうだ」と受付嬢がポケットから何かの紙を取り出し、手渡してきた。
受け取ると、そこには『Cランク冒険者への昇級』についての事が書かれていた。
「今回、ウルグさんが何人かの冒険者を助けた事や、迷宮鎮圧に大きな貢献をした事がギルドに認められ、C 級冒険者への昇級の話が出ています。ウルグさんが拒否しなければ自動的にCランクに昇給しますが、どうしますか?」
当然、断ったりせず、俺はCランク冒険者へと昇級した。その後、昇級やCランクについての説明を受け、それなりの特別報酬金を受け取って、話は終了した。
「それにしても、ウルグさんってホントに子供なんですか? 亜人とかに外見の成長がすっごい遅い種族とかがあるって聞いたんですけど、もしかしてその種族だったりします?」
部屋から出る際に、受付嬢がそんな事を興味津々といった様子で聞いてきた。
「……その質問、受付嬢としてどうなんですか」
「えー、駄目?」
「駄目っていうか……。俺は普通の人間ですよ」
「えー、ホントに? つまんないの」
「…………」
「てへ☆」
俺は黙ってドアを閉めた。
―
部屋の外へ出ると、ヤシロがいた。
俺が来るのを待っていてらしい。
少し話した結果、冒険者ギルドから出て、どこかの料理屋で昼食を取ろうという事になった。
「でしたら、ウルグさんもCランク冒険者に昇級したんですね」
「『も』? っていう事はヤシロも昇級したのか?」
「はい。私もCランクになりました」
ヤシロはまだDランクだったのか。
正直意外だ。一緒にいるセルドールとジーナスがCランクだから、てっきりヤシロもCかと思っていた。
「あの二人が、自分と同じランクになるのは許さないって言うから、昇級出来るようになってもずっと断ってDランクのままでいたんです」
つくづく最低な奴らだ。
本当に反吐が出る。
「でも、殺され掛けてまで言いつけを守ろうだなんて、いくらなんでも思えませんでした」
「……なぁ、何であいつらなんかと一緒にいるんだ?」
そう尋ねると、ヤシロは自嘲する様に紫紺の瞳を細め、小さく笑みを浮かべた。
「あの二人に、私が人狼種だって事がバレてしまったんです。それで『自分達は顔がきく。俺達がお前が人狼種って事をバラしたらどうなると思う?』って脅してきて……。それが嫌なら自分達のパーティで働けって。報酬金も半分以上持って行かれてしまって」
確かに人狼種には根強い差別が残っている。あの二人が顔がきくかどうかは別にしても、ヤシロが人狼種だという事を吹聴されたら面倒な事になるだろうな。俺が黒髪ってだけで、受注を拒否してくる人もいるぐらいだし。
「確かに、それは従うしかないかもな……」
「実は前に違う場所で人狼種って事がバレことがあって、その時も色々あって。だからこの街から出て行く事も考えましたが、移動するお金も無いし、行く宛もないし、結局一緒なのかなって……。だから、ウルグさんに見られてしまった時は、もう駄目かと思いましたよ」
「あぁ、だからあんなに焦ってたんだな」
不意にヤシロは足を止め、何かを決意したかのような、力強い瞳で俺を見てきた。逡巡を抑えこむかのように深く息を吸うと、大きく口を開いて何かを言おうとして――
「よぉ、探したぜヤシロ」
それを遮るように、後ろから声を掛けられた。
振り返ると、セルドールとジーナスが立っていた。
「いやぁ、無事で良かったな、ヤシロ」
「あぁ、心配したんだぜ」
そう言い、二人はニヤニヤと笑いながら歩み寄ってくる。隣のヤシロが歯を食いしばる音が聞こえてきた。脅されているから、言い返せないのか?
「俺達は大事なパーティメンバーだもんなぁ? ギルドから迷宮の調査の依頼が貼りだされててよぉ、今から受けに行こうぜ」
「報酬はあんまり高くねえけど、楽な仕事って他の連中が言ってるからなぁ」
「……二人だけで行ってもらえますか。もう貴方達とは一緒にいたくないです」
ヤシロに代わって何か言い返そうとした時だった。ヤシロは俺を制し、自分で二人にそう言った。
ニヤニヤ笑いを消し、二人は途端に苛立った表情を浮かべた。
「おいおい何だよ。怒ってんのか? あれは不幸な事故だって。ちゃんと心配したんだぜ? なぁ?」
「あぁ。心配したらからこそ、今、ちゃんとお前を探しに来てんだからよ」
「それでも、もう無理です」
「……おい、バラされてぇのか?」
ヤシロが意思を変えないのを見て、セルドールが小声で脅しに掛かった。チラリと俺の方を見て「この餓鬼と仲が良いみたいだがよ、バラされたらどうなっちゃうか、お前が一番分かってんだろ?」と付け加える。
「……この人は私の事を知ってます」
「……へぇ」
セルドールが声のトーンを落とした。ジーナスは何も言わないがヤシロと俺を睨み付けている。
「あぁ、そういう事ね。黒髪と亜人、はぐれもの同士の傷の舐め合いって奴ぅ? いやいや、やめとけって。こんな奴といたら、もっと不幸になっちまうぜ?」
「私は、もう決めたんです」
ヤシロはそう言って一度言葉を切り、正面からセルドールを見据えてハッキリとこう言った。
「――私はウルグさんと一緒に行動します」
その淀みない口調と、強い意思にセルドールとジーナス、そして俺は絶句した。
いや、俺と一緒に行動するって、聞いてないけど。
「……おい、ガキ。いい加減にしやがれ」
セルドールは標的をヤシロから俺に移し、ドスの利いた声を出しながら胸ぐらを掴んできた。その行動に周りの人達が足を止め、こちらに視線を向けてくる。
「鬱陶しいんだよ、てめぇ。傷の舐め合いがしてぇのか? あぁ? 自分のママにでも舐めてもらえやおら」
胸ぐらを掴んだまま、腕をぶんぶん振ってくるせいで呼吸が詰まる。
苦しそうな顔をした俺を見て、ヤシロが「やめてください!」と止めに入ろうとするが、ジーナスが間へ割り込んでヤシロの頬を張った。地面に倒れ込むヤシロに、ジーナスが唾を吐きかける。
その光景を見て、頭に血がのぼるのを感じた。
「ほ……んっとうに、最低だな、てめぇらは」
「うっ」
胸ぐらを掴んでいるセルドールの腕を、潰さない程度に«魔力武装»で握り、無理やり引き剥がす。俺の力に驚いたのか、セルドールが小さく息を呑んだ。
「おい、大丈夫かセルドール。てめぇ、ガキ!」
よろめいたセルドールを見て、ジーナスが激昂し殴りかかってきた。軽く躱し、ジーナスの靴へ唾を吐きかける。それから倒れているヤシロの手を掴み、起き上がらせる。何か言おうとするヤシロを制し、俺は二人の方へ向く。
「どうする? このまま続けるか?」
「なめやがってェ!」
「ぶち殺す!」
二人が武器に手を伸ばしたのを確認し、俺も『鳴哭』を抜こうとした時だった。
「お前たち、何をやってる!」
間に何人かの男達が割り込んできた。どうやら騒ぎを聞きつけて、他の冒険者が仲裁にやってきたらしい。
セルドール達を抑えつけながら、何をしているんだ、と訪ねてきた。
その時、セルドールは抑えていた冒険者の腕を解くと、ニヤリと笑みを浮かべてこう言った。
「約束をしていたんだよ、決闘のな」
断ったらどうなるか、分かっているよな、と言いたげに。