第九話 『犇めく百目』
殺到する魔物達に飲み込まれぬよう、«魔纏»で強化した『鳴哭』をわざと大振りに振る。その攻撃は大雑把で、一撃で殺しきれない魔物も出てくるが、それでも近寄らせなければいい。
剣を振る。
《目無し狗》の首を斬り落とし、《哀人》の腕を斬り飛ばし、《影斧》の胴を斬り開く。
「ぐぁあ」
攻撃を抜けてきた魔物の攻撃が徐々に体に当たり始める。
《目無し狗》の牙が肩に食い込み、《哀人》の腕が胴を殴り、《影斧》の斧が額を切る。
一撃一撃は大したダメージではない。だがそれらが蓄積し、疲労と合わさって俺の心に『絶望』として染み込んでくる。
本当にこの数を倒せるのか、と。
「ふ、ざけるなァ!」
こんな所で死んでたまるか。
絶望を振り落とすかのように叫び、床を踏み鳴らす。諦めかけた自分への怒りの衝動を、そのまま剣を握る腕に込めて魔物を吹き飛ばす。
が、そんな俺を嘲笑うかのように魔物達は剣を越え、俺の体に攻撃を入れる。
「ッ」
腕を斬り落とした《哀人》が、腕の断面を伸ばして俺の頭を殴り付けてきた。鈍い衝動が走り、体の態勢が崩れかける。仰け反った体を支え直し、デタラメに剣を振る。前を見ずに振った剣は、目の前に迫っていた魔物の体を斬り裂いた。
死んでたまるか。
最強になるんだ。
《剣聖》になるんだ。
こんな所で。
叫びとは裏腹に、徐々に意識が遠のき始める。唇を噛んで意識を保とうとしても、目蓋が眼球を覆い隠していく。この感覚を知っている。
死だ。
「ぉ、ごぉ」
《影斧》の斧が頭を狙ってきて、剣で防ぐ。その瞬間、《哀人》の腕が腹をぶん殴ってきた。唾液を口から吹き出し、歯を食いしばりながら《影斧》と《哀人》を斬る。
が、魔物は次々と溢れてきている。
「うぁ」
目の前に迫ってくる魔物がいやにスローモーションに見えた。
ゆっくり動いてきているのに、俺の体は動かない。
意識が落ちていく。
完全に落ちる瞬間、体内の魔力がギュルリと変な動きをしたような気がした。
―
深海の中で溺れて、藻掻いているような。
―
「ぁ」
意識が飛んでいた。
視界が定まらず、体に力が入らない。
下を見ると、魔物の死骸が大量に転がっていた。意識を失う前よりもその数は増えており、更に死骸の殆どが体を大きく欠損して死んでいた。断面は恐ろしいほど綺麗で、そこから溢れ出た血液がどす黒く迷宮の床を染めている。
意識に空白がある。俺が意識を失う前はまだ多くの魔物が目の前にいたはずだ。それが気を失い、気付けば全滅している。誰かが助けてくれたのかと思ったが、周りに人の気配はない。それに俺の体には大量の血液が付着している。魔物の血だ。白い蒸気となって消えていく血は、さっきよりも付着している量は多い。
「俺が、やったのか」
数十を越える魔物を、俺一人で。
クソ、頭が痛い。
取り敢えず、今の内に迷宮の外へ出るか。これだけの量を倒したのだから、迷宮内の魔物もそれなりに減っているだろう。今なら外へ出られるかもしれない。
そう思い、俺は赤黒くてらてらと光る床を爪先立ちで進む。付いても蒸発すると分かっていても、やはり血が体に付くのは気持ちの良い物じゃない。
「そういえば、あいつらは逃げられただろうか」
階段への距離もそう遠くなかったし、大半の魔物は俺が引きつけていたからヤシロならあの冒険者を連れて逃げられただろう。今頃、他の冒険者を呼んできている頃かもしれない。
俺があれだけの魔物を殺したと知ったら、驚くだろうか、
正直に言って、注目されるのは嫌いではない。どれだけ頑張っても、前世では陰口ばかり叩かれて、俺を評価してくれる人はいなかったからだ。
まあ、注目されるとあのCランク冒険者、セルドールとジーナスみたいな連中に絡まれるから面倒でもあるんだが。ああいうのが絡んでこなくて、他の人に「スゴイスゴイ」とチヤホヤされるのは、密かに夢だったりする。
何となく昔を思い出して感傷的な気分で迷宮を歩いていた時だった。
「……ん?」
気のせいだろうか、床が振動している気がする。
立ち止まって確かめてみると、気のせいではなかった。確かに床が振動している。地震だろうかと考えたが、それにしては変な揺れ方だ。まるで何かが下から上がってきている様な――。
「――ッ!」
その思考に至った瞬間、俺は前へ走っていた。
振動は激しさを増し、やがてそれは現れた。
さっきまで俺が立っていた所に、二本の黒い牙のような物が突き出した。次いでピンク色の触覚と赤い顔が突き出し、そして床を突き破って胴体が這い出してきた。
「《百目百足》……」
細長いピンク色の触覚をチョロチョロとうねらせ、二対の黒い牙の生えた赤くテカった顔を持ち上げる、巨大な百足。赤黒く硬質な光を放つ胴体には両端に肌色の足が大量に生えている。顔と胴体を合わせると、人を優に見下ろせる程の巨大な百足だ。
だが、この魔物の特徴は体の大きさだけではない。
《百目百足》の顔、胴体、腹部、至る所に大量の眼球が犇めいており、血走ったそれらが湿った音を立てながらそれぞれ別の方向を向いている。
《目無しの巣窟》の迷宮主。
数日前に倒された筈の魔物だ。あと数日間は復活しないと聞いていた。それに迷宮主は最下層からは出てこない。それが何故、一階層にまで上がってきているんだ。
戦慄し、その巨体を前に立ち尽くしていると、《百目百足》の全ての眼球が一斉にこちらを向いた。次の瞬間、鎌首をもたげたかと思うと、俺へ向かって高速で突っ込んできた。
「チィ!」
«魔力武装»と«魔纏»を発動し、正面から迎え撃った。二対の牙が俺を捕らえるよりも先に、上段からの一撃をお見舞いする。一刀両断するつもりでの、全力の一振り。
刃が《百目百足》の頭に突き刺さり、そして二つに斬り裂いた。
「――うぉお!?」
だが、その巨体は動きを止めなかった。大型自動車程もある頭に激突され、俺の体は後方へと吹き飛ばされる。壁に勢い良くぶつかり、意識が一瞬飛んだ。しばらく呼吸が出来ないほどの激痛を背中と頭が発する。
激痛に吐瀉物がせり上がってくるが、それを強引に飲み込んで立ち上がる。
«魔力武装»が無ければ、確実に即死していただろう。
「ッ……はぁはぁ……う」
呼吸をする度に、胸の辺りが痛む。上手く呼吸が出来ない。《百目百足》がぶつかった時に肋骨ら辺の骨が折れたのかもしれない。背中の方の骨も痛い。だが動けない程ではない。
痛みに顔を顰めながらも、頭を両断した《百目百足》に視線を向ける。視線の先には、二つに割れた筈の頭が再生しかけている百足の姿があった。
やはり、一撃で殺す事は出来なかったか。
《百目百足》の固有能力に、再生能力というものが存在している。全身に張り付いている眼球には大量の魔力が含まれており、それを使用する事で傷を負った体を再生させるのだ。
《百目百足》の最もオーソドックスな討伐の仕方は、あの眼球をメインに攻撃して回復出来ないようにしながら、同時に本体にも攻撃を与え、魔力切れを起こして止めを刺す方法だ。
しかし、この討伐の仕方は当然個人で出来るような物ではない。
迷宮主は通常の魔物とは戦闘能力が桁違いだ。《百目百足》はCランクの迷宮主で、迷宮主の中ではその戦闘力は低い方ではある。だが、個人で対応できる程迷宮主は甘くない。
幸いと言っていいのか、《百目百足》は攻撃力や防御力が強い迷宮主ではない。俺でも回避出来るし、攻撃を加える事が出来る。少しの間は《百目百足》と戦う事が出来るかもしれない。
体の再生と同時に胴体の眼球が閉じられていく。
そこで、ある事に気が付いた。
閉じられた眼球の数は十。頭を両断するという致命傷を負わせたと言っても、その閉じられた数があまりに多すぎるのだ。頭を斬り落としたとしても、閉じる眼球の数は四つくらいと聞いている。
「……そうか」
『鳴哭』の«魔術刻印»の中には«絶離»という、魔力を直接斬り、消滅させる事が出来る物がある。《百目百足》が普通よりも多くの魔力を消費しているのは«絶離»の能力ではないだろうか。肉体を斬り裂いたと同時に、体内にあった魔力も消滅させた事で、たった一撃で眼球を十も消費させた。
《百目百足》の能力と、この«絶離»は相性が良い。
迷宮主と遭遇するという最悪の状況ではあるが、光明が見えた気がする。
倒し切る事は無理でも、弱らせた所を逃走すれば逃げ切れるのではないだろうか。
「…………」
俺を追って迷宮から這い出してくる可能性もある。だが今の状況とはさっきと違い、俺一人で潜り抜けられる状況じゃない。
そう心の中で言い訳し、俺は走りだしていた。階段の場所は分からないが、この場に留まっている訳にはいかない。
走りだした俺に合わせ、《百目百足》も動き始めていた。肌色の足を忙しなく動かし、地響きを起こしながら俺の方へ向かってくる。その速度にこのままでは追いつかれると悟った俺は立ち止まり、《百目百足》が追いつくタイミングを待つ。
頭を伸ばし、その二対の牙を突き出してくるタイミングを狙い、俺は《百目百足》の体の上へ飛び乗った。
牙は空振り、迷宮の壁に激突する。その衝撃に振り落とされそうになりながらも耐え切った。
頭の上にあった眼球に『鳴哭』を深く突き刺し、刺さった状態のまま走りだす。『鳴哭』が《百目百足》の赤黒い体を斬り裂いていく。
胴体の終わりまで『鳴哭』を引きずった後、体から剣を抜き取り、そこから飛び降りながら、《百目百足》の尻尾を斬り落とす。
「うぉ!?」
痛みに悶え、切断した尾が地面をのたうち回る。巨大な足の一本が俺へと振り下ろされた。咄嗟に『鳴哭』を構えてガードするが、受け流せずに後方へ吹っ飛ばされた。今度は宙で『鳴哭』を地面に突き刺して勢いを止め、壁に激突する事は無かった。
「攻撃はとにかく、ガードが下手すぎるな……。外へ出たら攻撃の受け流し方を特訓した方が良さそうだ」
衝撃をモロに受けた腕が痺れている。骨折こそしなかったが、痛めたのか動かすと痛みを感じる。
攻撃の仕方ばかりを特訓していたせいで、相手の攻撃を防ぐ手段をおざなりにしていた。今までの敵は攻撃だけで倒せていたが、格上を相手にすれば防御態勢も当然取らなければならない。
次の修行内容を頭の中で設定するが、今はそれどころではないと意識を目の前の《百目百足》へ移す。
体につけた傷は跡形もなく治って入るが、眼球はさっきの倍以上閉じられている。今の攻撃でかなりの魔力量を消費させられたらしい。それでもまだ眼球は半分以上残っており、今だ血走った目でこちらを捉えている。
さっきの移動速度から、こいつに背を向けて逃げるのは得策ではない。ダメージを与え、動きが鈍っている間に移動する事にしよう。
「――――シィ」
《百目百足》が小さく牙を震わせたかと思うと、開いている眼球が幾つか、何もしていないにも関わらず閉じられた。何だ、と思う間もなく、目の前に《百目百足》の顔が迫っていた。
「な――ぁ」
さっきまでと動きが違いすぎる。閉じた眼球の分、動きを加速させたとでも言うのだろうか。しかし、そんな情報は調べた時には存在しなかった。
だが、現に動きが加速して――。
「うぐぅぅああああッ!!」
その時に動けたのは奇跡の様な物だった。横へ倒れこむかのような勢いで飛び、自ら壁にぶち当たって強引に回避出来た。しかし、完全には躱し切れず、《百目百足》の牙が掠って脇腹の肉を抉っていった。
魔術服が破れ、夥しい量の血が傷口から溢れ出てきている。皮が破れ、引き裂かれた肉からドクドクと血が流れる。
あまりの痛みに叫び声を上げる。
「いいぃがぁあ!!」
痛みに喘ぐ俺を《百目百足》は待ってくれなかった。再度眼球を消費して加速し、突進を仕掛けてくる。
今度は予備知識があったため、動きに反応する事は出来た。俺を貫こうと突き出された牙を『鳴哭』で斬り付ける。刃は牙を斬り落とし、その先の肉も大きく傷付ける。
しかし《百目百足》は止まらない。
それを予測していた俺は後ろに下がろうとするが、脇腹が痛んで動きが鈍った。結果、折れた牙で腹部を強打され、後ろに吹っ飛ぶ。地面を何度も回転して、ようやく動きが止まる。
「う、ぶ……おぇえええ」
激痛に吐き気が込み上げる。
今度の嘔吐感は堪え切れず、口から溢れ出てくる。今日食べた物が根こそぎ吐出され、それらは赤黒く染まっていた。
「ち、血ィ……」
まるで漫画の一場面の様に、口から血を吐いた。
内臓を傷付けてしまったのか?
あぁ、駄目だ痛み思考が纏まらない。
魔術服を破り、それをひも状にして脇腹をキツく縛る。縛った時に意識が飛びそうな程の痛みに襲われたが我慢する。
まだ魔力は残っている。
まだ、戦える。
震える足で立ち上がり、剣を握る手に力を込める。
「っぅ」
牙を再生させ、《百目百足》は頭を鞭の様にしならせて俺に向かって振った。迫り来る頭をしゃがんで回避するが、風圧によって地面を転がされる。
「おぇ」
口から鉄の味が混じった胃液を吐き出しながら、俺はよろよろと起き上がる。
「――ぁ」
《百目百足》の頭が目の前にまで迫ってきていた。
回避はもう間に合わない。
「せ……しる。てれす」
対処しきれないその速度に、俺は挽き肉になる事を覚悟した。
―
目を瞑った直後、横から何かに体を抱きかかえられた。ふわりと宙に浮く感覚がする。目を開けると、俺は誰かに抱きかかえられ、《百目百足》の上を飛んでいた。
獲物に回避された百足は、その勢いのまま再び迷宮の壁へ突っ込んだ。
「間に合ったっ!!」
「お、お前」
地面に着地され、初めて俺の体を抱きかかえていた人物を見る。そこにいたのは深紫の髪を汗で濡らし、息を切らしているヤシロの姿があった。
「……どうして、ここに? 外に逃げたんじゃなかった……のか?」
「一度外に出て、すぐに戻ってきました。ここに来るまでに魔物に襲われて時間がかかってしまいましたが……間に合って、良かった」
そう言って、ヤシロは安堵しているように大きく息を吐く。
その様に呆気に取られ、言葉を失った俺だったが、背後の壁を崩れる音を聞いて我に返った。
俺はヤシロの腕から下ろして貰い、荒い息を吐きながら何とか立つ。
「自分で歩けるんですか?」
「……どちらにしろ、抱きかかえられたままじゃ何も出来ない……だろ」
「そう、ですが」
「あれから……何とか魔物を凌いだんだが、途中であいつが床を突き破って……ぐ……出てきたやがったんだ」
「あれは、迷宮主、ですよね?」
「ああ。だが……あいつは、普通じゃない。ここまで上がってきてる事も、そうだし、さっき魔力が含まれているあの眼球を消費して、……ぅぐ。う、動きをブーストさせやがった。何をしてくるか分からないぞ」
崩れた壁から頭を取り出し、小さく振って瓦礫を振り落とす《百目百足》。壁にぶつかった衝撃でダメージを喰らったのか、眼球を更に幾つか閉じている。あと半分とちょっとといった所だろうか。
「あれだけの数の眼球を、一人で?」
小刀を取り出して構えながら、ヤシロが静かに聞いてきた。俺も『鳴哭』を構えながら頷くと、ヤシロは「やっぱり……」とどこか陶然とした雰囲気でそう呟く。
どうした、と聞くよりも先に、
「来ます!」
とヤシロが叫んだ。
直後、さっきと同じように眼球を消費して動きをブーストして《百目百足》が頭から突っ込んできた。今度は見えているため、対応は可能だ。
「ぁああああああああ!!」
ヤシロはさっきと同じように上へ跳ぶのに対し、俺はギリギリまで《百目百足》を引きつけ、当たる寸前に横へ跳び、そこから頭へ向かって『鳴哭』を振り下ろした。
全力を込めた、半ばヤケクソの一撃。
衝撃で『鳴哭』が手から飛んでいきそうになるのを堪え、剣を振り切る。
体内の魔力を振り絞った、«魔力武装»と«魔纏»に物を言わせた一撃。《影斧》を力技で倒した時の倍以上の魔力を込めている。
傷口から血が吹き出し、その痛みに俺は絶叫した。
首が飛び、《百目百足》は床へ無様に倒れこむ。
「ぃ、今だぁ! 攻撃してくれ!」
俺がそう叫ぶまでもなく、ヤシロは既に動いていた。まだ開かれている眼球を、その小刀で順に潰していく。俺は地面へ倒れ込み、藻掻く体へ『鳴哭』で追撃を加えた。動き回る足が邪魔なため、何本か一気に切断し、無防備に晒された腹部へ横薙ぎに剣を振るう。
腹は他の部位よりも圧倒的に柔らかく、まるで豆腐に刃を入れるような感触だ。切り口から緑色の液が吹き出して顔にべっとりと付着する。口に入ったのが苦い。ねっとりとしたその液体に嘔吐感がこみ上げているが耐え、ひたすらに腹部をメッタ斬りにする。
「ぐぇ」
《百目百足》が抵抗するかの様に、動き剣を振っていた俺を足で殴った。固い足に顔面を殴打され、無様な悲鳴を上げて俺は地面に倒れ込む。歯で口の中を傷つけてしまい、鈍い痛みが広がる。
倒れた俺に向かって、切断した筈の《百目百足》の頭が歯をカチカチと打ち鳴らしながら、飛び掛ってきた。
「ウルグさん!」
「俺に構うなぁぁ! 目を潰せ!」
上手く足に力が入らない。
それでも《魔力武装》で強引に力を入れて起き上がり、血の混じった唾を吐いて頭に立ち向かう。
視界の端にヤシロの姿が映る。足を振り回して暴れる《百目百足》に対して、懐から小型のナイフを何本も取り出し、的確に眼球に投げつけている。投げられたナイフは黒い影の様な物を纏っており、威力が増しているのか眼球に深く突き刺さった。
「ぐ」
ヤシロを気にしている暇は殆ど無かった。
《百目百足》頭は俺を狙い、切断した時に残った僅かな足で地面を移動してくる。
「シィィィ!」
《百目百足》が緑の液体をまき散らしながら叫ぶ。足で迷宮の床を大きく抉り、単調に飛び掛ってきた。
「ぁああああああああああああああ!!」
対する俺は上段に構えた『鳴哭』に、全力の魔力を注ぎ込み、絶叫しながら振り下ろした。
その瞬間、宙で頭が粉々に砕け散り、体液を撒き散らしながら地面に落下した。それが顔面にぶち当たり、空の胃から更に胃液を絞り出す事になる。
「ぁあああ!!」
まだ、眼球は残っていた。俺が今潰した頭が徐々に治っていくのを見て、俺はそれを阻止しようと飛び掛かる。
そして剣技も何もなく、ただデタラメに剣を振り下ろした。
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!
早く死ね、今すぐ死ね、頼むから、死んでくれ。
剣を振る、振る、振る、振る、振る、振る、振る、振る、振る、下ろす、下ろす、下ろす下ろす下ろす。
何度剣を振るっただろう。
気付けば、俺が見える全ての範囲の眼球は閉じられていた。俺が斬った腹部はもはや原型を止めておらず、グズグズに熟れて潰れた果物のような有り様になっている。周囲に拡散した体液は独特の刺激臭を放っているが、ずっと嗅いでいたせいか鼻が麻痺して何も感じない。
一面が緑に染まり、そこいらに肉片が飛び散っている。俺の全身も緑に染まっている。
ヤシロの方を向くと、も小刀を振るのをやめているから、全ての眼球が閉じられたのだろう。
やった。殺した。
勝った。
生き延びた。
「……大丈夫、ですか!」
勝利に引き攣った笑みを浮かべていると、ヤシロが《百目百足》の死骸から飛び降り、スルリと地面に着地した。深紫の髪を乱しながら、俺の方へ深刻そうな顔をして走ってくる。
その姿が何故だかぼやけてきて、見にくい。
呼吸がしづらくて、頭が痛くなってきた。
だから、一瞬だけ反応が遅れてしまった。
コカゲの後ろで倒れていた《百目百足》の体が唐突に起き上がり、足をひっちゃかめっちゃかに動かしながら、ハンマーの様にそのまま殺りそゲに倒れこんでいく。
彼女に注意を呼びかける暇は無く、また彼女も俺同様疲弊していたのか、反応に遅れた。
「ッぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!」
魔力の配分も意識せずに、全力で地面を蹴りつけていた。反射的に動いていた。
両足の骨が粉々に砕け散り、肉が裂けたのを感じる。それを構わずに呆然とする彼女の体へ両腕を絡ませて、そのまま弾丸のような勢いで飛んで行く。ヤシロの体を抱きしめ、自分が下になるように調節すると同時に、地面に落ちた。
地面で擦れ、耐久力が落ちていた魔力服の背部分が破れた。剥き出しになった背中の肉が擦り切れる。しばらく地面を滑り、壁にぶつかってようやく動きを止めた。
「……ウルグ、さん?」
腕の中のヤシロが何か言うが、もう聞こえない。全身に激しい痛みが走る。もう指一本動かせない。
最後の足掻きだったのか、《百目百足》はそれっきり動かなくなった。
だが、まだ終わってないと言わんばかりに、曲がり角から何匹かの魔物がこちらに向かってやってきていた。
だけど、悪い。
もう俺は何も出来ないわ。
そのまま、俺は意識を手放した。