第一話 『異世界転生は突然に』
「―――」
「…………!」
誰かの話し声で目が覚めた。ぼそぼそと、誰かが小声で話しているのが聞こえる。
ベッドのような所で、横になっている感覚がある。
……病院か?
曖昧だった意識が、少しずつ形になっていく。
「……どうして黒髪なのかしら。私の髪の色でも、貴方の髪の色でもないのに……。不気味でしょうがないわ……」
頭上から、ハッキリと声が聞こえてきた。
女性の声だ。
見上げると、青い髪の女性がいた。
三十代後半くらいだろうか。一重のキツイ目つきをした、神経質そうな女性だった。
女性は隣にいる誰かに、不安そうな口調で話し掛けていた。
「……たしかに不気味だな」
次に男性の声がした。
カツラのように厚みのある髪質が特徴的の、赤髪の小太りな中年男性が、女性の隣で俺を見下ろしていた。
「……だが、どうしようもない」
髪と同じ赤く長いヒゲを指で摘みながら、男性は女性の肩に手を置いて安心させるような声を出した。
「でも……」
「……仕方、ないだろう。年齢的にも、体質的にも、この子が産めただけでも奇跡なのだぞ」
「そんなこと言ったって……」
「髪は染めさせればいい」
二人の会話をぼんやりと聞いていたが、ふと我に返る。
この二人は誰だ?
見たところ、医師や看護師ではなさそうだ。
俺は確か、車に轢かれたはずだ。
それがなんで、誰とも分からない二人に見下ろされているんだ?
「……っ」
起き上がろうとして、全身に上手く力が入らないことに気付いた。
全身の感覚はあるのに、痺れているかのように力を入れることができない。
「ぁ……うぁ」
異変があったのは体だけではなかった。
声を出そうとしても、言葉が喉から先へ出てこない。ただうめき声が漏れるだけだった。
まさか、と嫌な予感が胸を過る。
俺はあの事故で、死んでもおかしくないくらいの大怪我を負ったはずだ。
生きているということはあの後病院に運び込まれ、奇跡的に助かったのだろう。
……しかし、あれだけの大怪我を負って、後遺症が残らないわけがない。
体に力が入れられず、声が出せないのは事故の後遺症というわけか。
「う……」
自分の現状を理解した瞬間に、なぜ助けたと医者を罵倒したい気分になった。
体が動かせないのでは、もう剣道をすることはできないだろう。普通の生活だってままならなくなる。
そんなことなら、いっそ死んだ方が良かった。
「うぁあ……ああああ……!!」
不意に目頭が熱くなる。ジワリと熱いものがにじみ出てきて、それが頬を伝って零れ落ち始めた。
喉からはダムが決壊したかのように嗚咽が溢れ出る。
「おっと……。難しい話をし過ぎたかな」
泣いている俺を見て、二人はなぜか笑みを浮かべた。
それから、女性が軽々と俺を持ち上げる。
嘘だろ? 俺の体重は70キロ以上あるんだぞ……?
「よしよし、大丈夫よー」
女性はまるで赤子をあやすような口調でそう言うと、体を揺らしてくる。
隣にいる男もぎこちなく笑みを浮かべ、頭を撫でてきた。
知らない男女が不気味過ぎて、俺はすぐに泣き止んだ。
「……うぁ?」
おい、お前らはいったい誰なんだ。
訳が分からない。
「泣き止んだか。偉いな。良い子だ」
「ふふ、ウルグは強い子ね」
二人ともゾッとするような猫撫で声だ。
馬鹿にされているのかと思ったが、二人の表情から悪意は感じられない。
ウルグ……? 人の名前だろうか?
事故の後遺症で動けなくなったと思ったら、まったく知らない他人にあやされている。
理解を超えた現状に、脳内でクエスチョンマークが乱舞した。
「……ぁ」
次の瞬間、抗い難い強烈な眠気が襲ってきた。
尋常じゃない状況だというのに、意思に反して目蓋が目を覆い隠していく。
眠りに落ちる直前、「おやすみウルグ」という声が聞こえた気がした。
―
あれから一ヶ月が経過した。
自分の身に何が起きたのかは、もう理解できている。
……俺は赤ん坊になっていたのだ。
何を馬鹿な、と自分でも笑い飛ばしたくなるが事実だ。
抱き上げられた時に、ふと鏡が目に入った。そこに、やたらと目付きの悪い黒髪の赤ん坊の姿が映っていたのだ。
信じたくはないが、鏡の中で目を剥く赤ん坊と何度も目が合えば、信じざるを得ない。
……どうやら、俺は前世の記憶を持ったまま生まれ変わったらしい。
最初にこちらを見ていた二人は、どうやら俺の親のようだ。
青い髪の女性の名前はアリネア、赤髪の男性の名前はドッセルということが分かった。
会話から、二人の姓は『ヴィザール』というらしい。
そして、二人に付けられた俺の名前はウルグ。
フルネームにすると、ウルグ・ヴィザール。
結構、格好いい名前だ。
また、両親の他にセシルという姉がいることも分かった。
青い髪の二十歳前後の女性だ。
頻繁に外に出かけているので、まだ数回しか顔を合わせていないが。
ここで、大きな疑問が出てくる。
ウルグやセシルという名前を聞けば分かるが、ここは日本ではない。
家族の容姿を見ても、日本人ではないということが分かる。
だというのに、耳に入ってくる会話は日本語なのだ。
外国人に見られるような独特の訛りなどもない。ペラペラの日本語だ。
俺は今、いったいどこにいるんだ?
家の中にはまったく家電製品が存在しない。
テレビや冷蔵庫はおろか、電球すら付いていない。代わりに赤や青に輝く石が取り付けられた家具のような物が置いてある。
窓から覗いて見た家の外には街や車などは存在せず、草原が広がっていた。遠くには風車や田んぼなどが見える。
電化製品のない家とのどかな風景から、外国の田舎ではないかと当たりをつけた。
しかしそれだと、二人が日本語を喋っている理由が分からない。
ここがどこなのか。
そんな疑問は、ある日唐突に解決されることになる。
ある日、アリネアに庭へ連れて行かれた。
「ウルグ、お父さんの姿をちゃんと見ておくのよ」
庭にはドッセルがいて、こちらを確認すると宙に手をかざした。
何をしているのかとまだ座っていない首を傾けると、唐突にドッセルが何かを叫んだ。
「――《旋風》」
何を言っているんだ、大丈夫かこいつ、と思った瞬間だった。
ドッセルの手のひらが淡く緑色に輝いたかと思うと、その上でクルクルと緑色の風が回転し始めた。
ドッセルが手を振るとその風は手のひらから離れて、土煙をあげながら天へと昇っていく。
「――――」
言葉を失った。
何が起きたのか、理解できなかった。
「ヴィザール家の子供は代々、優秀な風属性の魔術師になるのよ」
空を見上げて呆然とする俺に、アリネアはそう言った。
風属性。魔術師。
ゲームや小説の中でしか聞いたことがない単語。
ファンタジー過ぎて、理解が追いつかない。
しかし、この件のお陰で、ようやく自分がどこにいるのかが分かった。
俺がいるのは外国なんかじゃない。
異世界だ――と。