第六話 『レオル・ハイケーン』
レオル・ハイケーンには特に秀でた所が存在しなかった。
小さな村の三男として生を受けた彼だが、物覚えは悪く、運動神経もさほど良くなかった。長男は頭が良く、次男は力持ちだった。両親や周りの人達は事ある毎に二人とレオルを比べ、「お前は本当に駄目だな」と罵ってくる。
そんな両親や周りに嫌気が差した彼は、村を出て生計を立てる為に冒険者となった。
当然、才能の無い彼はとてつもない苦難を味わうことになる。荷物の持ち運びをするには力が足りず、ペット探しでは動物を捕まえるには素早さが足りず、商売をするにも学が足りなかった。
それでも彼は諦めなかった。自分に出来ない仕事を次は少しでも出来るようになろうと、必死で努力した。筋肉トレーニングを行い、字を読めるようになるために勉強した。最初は結果が出なかったが、少しずつ色々な事が出来るようになっていった。
ひたむきに頑張る彼に惹かれ、色々な人が寄ってくるようになった。
皆もそれ程優秀な人間では無かったが、それでも全員で協力する事で、一人では出来ない事も出来るようになっていった。
そして、やがてレオル・ハイケーンは自身の唯一の才能に気付く。
努力だ。
彼は努力を続ける事が出来る人間だった。
筋肉を鍛え、体力を付け、ひたすらに剣を振り、«魔力武装»の使い方を覚え、少しずつ強くなっていった。
三十年近くの月日を使い、Bランクの冒険者にもなる事が出来た。
その月日の中で、彼は一つの技術を身に付ける事に成功した。
それを彼はこう呼ぶ。
«幻剣»と。
―
「なぁ、レオル、またあいつが見てるぜ」
冒険者ギルドの訓練施設で、いつも通りパーティで修行をしている時だった。
休憩時間に仲間のアッドブルが、顎で一人の少年を指した。
そこにいるのは、黒目黒髪の異様に目付きの悪い十歳くらいの少年だった。ギルドから貸し出されている剣で素振りをしながら、時折俺達の方を見ている。
「……ああ、そうだな」
「他の連中が不気味がってるぜ。あの坊主には変な噂もあるしな」
あの少年がこちらの姿をチラチラと伺ってくるようになったのはほんの数ヶ月前からだ。最初は誰も気にしていなかったが、レオル達が修行している時には高頻度で現れ、鋭い目付きでこちらを観察してくるため、皆不気味がり始めた。
あの少年に関してはそれなりに噂を聞く。
街なかを大きな荷物を担いで走り回っているだとか、たった一人で《中鬼》を狩ってきて僅かな期間でDランク冒険者になったとか、迷宮でDランク魔物を物ともせずに蹴散らしているとか、そんな感じの噂だ。
その噂をレオルは信じていない。どうせ、あの黒髪を恐れた奴が勝手な事を言っているだけだろう。
「まぁ確かに不気味ではあるな。魔神は未だに恐れられてるし、『使徒』の連中に黒髪がいるとか言う噂もあるから、仲間も余計に怖がってんだろ。だが冒険者たるもの、噂に踊らされてちゃいけねえぜ」
「はいはい、分かった分かった。だが、皆も気にしてるようだし、あの坊主にレオルが一言声を掛けてくれりゃあ、皆も安心するんじゃねえか?」
「……あぁ、そうだな。休憩時間中だし、ちょっと言ってくる」
あの坊主が気になって修行に身が入りませんでした、何て言い訳をされても困るので、レオルは黒髪の少年に声を掛ける事にした。噂に踊らされる訳ではないが、取り敢えず多少は警戒しておく事にしよう。
少年はレオルが近づいて来るのに気付き、剣を振るのを止めた。
「おい、坊主。さっきからチラチラ俺達を見ているようだが、何か用事か?」
取り敢えず、怖がらせないように笑みを浮かべながら声を掛けた。
少年はレオルの問いかけに一瞬の間を開けて、にっこりと笑いながら「いえ、貴方の剣を振る姿がかっこよかったので、つい見てしまって」と答えた。
「お、おお? そ、そうか」
少年の言葉に、レオルは思わず拍子抜けしてしまった。
それから少年の言葉に照れくささを覚え、ポリポリと頭を掻いた。小さい頃は誰にも褒められる事が無かったから、この歳になっても誰かに褒められると嬉しくなってしまう。
いつの間にか後ろで話を聞いていたアッドブル達が、ゲラゲラ笑いながら茶化してきた。もうこの少年を不気味がる事は無いだろうと、レオルは思った。
「ですから、良ければ俺に稽古をつけてもらえませんか?」
「稽古?」
突然の少年の頼みに、困惑する。誰かに稽古を頼まれた事など初めてだ。
どう答えるべきか悩んでいると、仲間が「いいじゃねえか、やってやれよレオル!」と笑いながら言ってくる。
しばらくどうしようか悩んだが、褒められて嬉しかったのが合ったので、レオルは稽古を付けてあげる事にした。
―
お互いにギルドから借りた木刀を持ち、向かい合う。
少年は魔術服を着ているようなので、よほど強く打たなければ大きな怪我はしないだろう。もし何か合っても、治療魔術が使えるピララギに頼めば大丈夫だ。
もう日が暮れかかっており、訓練場内にはレオル達しかいない。仲間達が面白がって自分達を見ている事に若干の恥ずかしさを感じながら、レオルは少年に「かかって来い」と言った。
「はい!」
少年は木刀を握り、俺に向かって走りだした。その体を«魔力武装»が包んでいる。
ほぅ、とレオルは内心で感心した。この年齢で«魔力武装»を使えるのはそれなりに凄いことだ。レオルの知り合いは皆二十歳近くで«魔力武装»を習得している。レオル自身も、使えるようになっのは十九の時だ。
とは言え、少年の体を覆っている魔力は極微量だ。大した強化ではない。
「はァ!」
間合いを詰めてきた少年が斬りかかってきた。上段から剣を振り下ろしてくる。それを軽く弾く。
連続して打ち込んでくる少年の剣を観察しながら、レオルはその剣の腕を見定めていく。
剣の速度や威力は、確かにある。この年齢でこれは多分凄いだろう。だが、真っ直ぐ過ぎる。相手を騙すこと無く、ただ単純に剣を振っているだけだ。これではいくら速くても意味が無い。相手の攻撃を受け流す事を得意とする『流心流』の使い手が相手だったら、まるで話にならないだろう。
何度か剣を弾き、レオルは少年の評価を定めた。
それなりに力も速度もあるが、今は大した実力ではないというのがレオルの評価だ。訓練次第では自分以上に伸びるのではないだろうか。
(どうするかな)
稽古を付けてくれと言われたのだから、何かしらのアドバイスをするべきだ。一体どんな事を言ったらいいか、レオルが頭で言葉を考えようとした瞬間だった。
「――ッ!?」
少年の木刀がレオルの頬を掠った。咄嗟に後ろに仰け反ることで回避したが、今の一撃には完全に不意を突かれていた。
(油断しすぎたか?)
「おいおい大丈夫かレオル」と笑う仲間達を無視し、レオルは剣を構え直す。
少年は目を細めてレオルを見ると、再び間合いを詰めてきた。
「うぉ」
速い。
さっきまでの速度が何だったのかというぐらい、少年の動きが速くなった。«魔力武装»の強度もかなり上昇している。
斜め右から振り下ろされる木刀に、レオルの木刀が交差する。手に伝わってくる少年の力の強さに、レオルは思わず自分も«魔力武装»を使用してしまった。
(この、坊主!)
そこからの少年は、怒涛の勢いでレオルを攻めてたてきた。
恐ろしい速度で体を捌き、あらゆる方向から刃が向かってくる。少年に対するアドバイスを考えている暇など無かった。本当に少年なのかと疑う程の剣の腕だ。
(だが!)
レオルは半ば本気を出して、少年の剣を弾いていた。確かに恐ろしく速いし、フェイントも使ってくるが、まだレオルには届かない。これまでの経験という力が、レオルに少年を動きを予測させていた。先を読んでフェイントを見破り、少年の攻撃を確実に弾く。その中で攻める隙を探る。
少年が剣を振った。それなりの速度のある一撃だ。だが、レオルになら対応出来る。そして、対応した上で反撃も可能だ。剣を弾き、カウンターを放とうと構えたレオルだったが、
「うおぉぉぉ!?」
その判断を一瞬で取り下げ、叫びながら全力で後ろに跳ぶ。その次の瞬間、レオルの脇腹が在った場所を木刀が空振った。
寸前まで笑って見ていた仲間達が顔に驚きを貼り付けている。
「お前、何で«幻剣»を」
「……ああ、«幻剣»っていうんですね」
そう呟いた少年に、レオルは今度こそ戦慄した。レオルの台詞にこう返してきたということは、今のは偶然ではなく、少年が意図してやった事だ。
«幻剣»。
それはレオルが編み出した、«魔力武装»の使い方を工夫した剣技だ。
剣を振るっている最中に、«魔力武装»の出力を調整することで、剣速を変更し、相手の不意を突く。それが«幻剣»だ。
説明してみれば何ということ無い、地味な剣技かもしれない。だが、«幻剣»を使うにはかなり高度な«魔力武装»のコントロールが必要となる。剣を振りながら魔力量を調整するのは簡単な事ではない。まして相手の目を欺く程の大幅な加速や減速は生半可な技術では不可能だ。
レオルは長い月日を掛けて、この技術を身に付けた。
それを何故この少年が。
「おおおォォ!」
レオルは自分でもよく分からないまま、少年に斬りかかっていた。もはや相手が少年ということを忘れ、全力で。
«幻剣»を使用し、フェイントを掛けながら少年と剣を交える。お互いに剣を加速させ、減速させ、何度もぶつかり合う。
やはり、長きわたってこの技を使ってきたレオルの方が、少年よりも«幻剣»の使い方は上だった。僅かにぎこちなさの残る少年の剣を、レオルが押し始める。
「ここだ!」
剣を大きく弾かれ、少年は後ろに蹌踉めいた。
その瞬間、レオルは自身の最高の速度と威力を誇る、突きを繰り出す。剣を振るよりも、刃で突く事の方が、レオルには得意なのだ。
――ニィ、と少年が唇を吊り上げるのをレオルは見た。
そして、少年は木刀を肩に担ぐような構えを取りながら、僅かに左へ足を動かした。少年はそれだけで突きの軌道から外れ、代わりに変な態勢で構えられている木刀が軌道に現れる。レオルの突きが少年の木刀の刃を滑った。
(受け流された……!?)
そうレオルが理解した時には遅かった。体勢を崩したレオルに向けて、少年は剣を持ち上げるように振り下ろす。レオルの頭上から、剣が振ってくる。
「ふ……ざける」
「!?」
レオルは突きの状態ののまま、前へ倒れこむような体勢を取っている。それを利用して、レオルはそのまま少年の顔面へと頭から飛び込んだ。
「な!」
«魔力武装»を纏った、全力の頭突き。それは剣がレオルにぶつかるよりも速く少年の顔面にめり込み、その勢いで少年を後方へぶっ飛ばした。
それから、自身も勢い良く地面に顔面からのめり込んだ。
―
「ほ、本当に悪かった!」
その後、レオルは少年へと全力で頭を下げていた。手加減なしで斬りかかった事と、全力で頭突きをお見舞いした事をだ。少年が咄嗟に«魔力武装»の出力を上げていなければ、少年の顔がグチャグチャに潰れていた可能性もあった。«魔力武装»を使っていない状態ならば、頭が破裂している程の威力だ。
「だ、大丈夫です……。稽古ですし、こういう事もありますよ」
ピララギに治療魔術を使って貰った少年は、顔を引き攣らせながらそう言った。レオルが頭を下げる度に、ビクッと体を震わせているのを見て、レオルは「トラウマにしちまったか……」と内心で呟く。
「いや、君、すっごい強いね」
ピララギが少年の頭にポンと手を乗せながら、そう言った。
顔を上げたレオルと、アッドブル達もそれに頷く。
この少年の実力はBランク冒険者に届いている。全体的な動きを見ればレオルより多少劣っているが、それでも«幻剣»を使用していた所や、レオルの突きを見切っていた所を見ると、戦場で戦っていればレオルが負けていた可能性もある。
(この年齢でこの実力か……。俺には無かった、才能って奴なのか?)
少年に嫉妬している自分に気付き、レオルは思わず苦笑した。こんな風に嫉妬したのは久しぶりだ。最近はBランクに上がって、満足していたからか、嫉妬する事はあまりなかった。
「なぁ、坊主。どうして«幻剣»が使えたんだ?」
「……レオルさんがその、«幻剣»を使う所を見て、自分で練習してたんですよ」
「練習って……。お前がここに来てから、まだ一年も経ってないよな?」
「そうですね。まだ数ヶ月くらいです」
たった数ヶ月で、«幻剣»をあそこまで使いこなすなんて。
もう笑うしかない。仲間達も驚きというよりは、もはや呆れたような表情を浮かべている。
「じゃあ、最後の突きだ。あれは完全に決まったと思ったんだが、どうして対応できたんだ?」
「これもさっきのと一緒で、見てたんですよ。レオルさんはいつもここぞという時には突きを使っていたので、あの時も突きを使ってくるんじゃないかって構えてたんです」
修行を見られているのは知っていた。
だが、まさかここまで見切られていたなんて。
この少年の恐ろしい所は、速度でも力でもない。観察力だ。相手を執拗に観察し、そして模倣し、自分の力にしてしまう。
この少年は一体、ここからどれ程までに成長するのだろうか。
レオルはこの少年の行き着く先が気になった。思わず、自分のパーティに勧誘してしまうぐらいに。
「誘っていただけたのは嬉しいのですが、俺にはパーティでの行動は向いていません。だから、すいません。お断りさせてもらいます」
「……そうか。じゃあ少年、名前を教えてくれないか?」
そうレオルが頼むと、少年は答えてくれた。
「ウルグ……です。ただの、ウルグ」
「そうか、ウルグ。また何か合ったら声を掛けてくれ。相手するからよ」
「ありがとうございます」
そう言って、少年――ウルグは去っていった。
訓練場に残ったレオルは、その背中を見て「どっちが稽古を付けられたか分かんねえな」と呟く。
「お前ら」
そして、レオルは残った仲間達に声を掛ける。
自分の中に燃えたぎる感情のままに。
「一から鍛え直すぞ」
レオルの言葉に反発する者は一人もいなかった。
その日から、ギルドの訓練場で遅くまであるパーティが激しく修行をする様になったという。