第五話 『邂逅』
白い肌に青い血管を浮かび上がらせた四足歩行の化け物が、地面を高速で這いながら接近してくる。体の作りは人間と同じだが、その化け物には眼球が存在していない。まるで何かにえぐられたように、二つの空洞があるだけだ。
Dランクの魔物《哀人》。
のっぺりとした顔を狂ったように振り回しながら接近してくる姿には思わず恐怖を感じてしまう。
目の前にまで近付いてきたかと思うと、爪の生えた腕が俺に向かって伸びてきた。《哀人》の体はゴムの様に伸縮が可能で、主に腕を伸ばして攻撃を仕掛けてくる。油断していると想定外の攻撃を喰らってしまうことがあるので、注意しなければならない。
ゴムの様な体は打撃に強く、拳闘士や打撃系の武器で戦う者とは相性が悪い。
が、
「――フッ!」
剣での攻撃にはめっぽう弱いので、俺は問題なく倒すことが出来る。
短く息を吐き、伸びてきた腕を斬り下ろす。金切り声で苦痛の声を上げる《哀人》に肉薄し、一刀で頭を落とす。《哀人》はしばらく痙攣した後、動かなくなった。
「にしても、この迷宮は悪趣味だな」
《哀人》の討伐証明部位である爪を剥ぎ取りながら、思わずそう呟いた。
迷子の幼女と出会った翌日、俺は新しい迷宮に来ていた。
ここはDランク迷宮《目無しの巣窟》の二階層。
ここは突破する事が出来れば、駆け出し冒険者から脱却出来ると言われている迷宮だ。罠などは無いが、出てくる魔物はEランク迷宮よりも強く、更に数も多い。半人前の冒険者の多くがこの迷宮で死亡している。
《目無しの巣窟》。
嫌な名前だ。
出てくる魔物は迷宮の名を体で表している。この迷宮の魔物は、まるで何かに抉り取られたかのように眼球が存在していないのだ。その上、最下層に出てくる迷宮主の名は《百目百足》。百の目を持つ巨大な百足だ。出てくる魔物に目が無いのに、迷宮主にだけ目があるという所がまた趣味が悪い。
《哀人》の爪を剥ぎ取り終わった頃になって、新しい魔物が近づいてきた。一匹の《哀人》とニ匹の《目無し狗》だ。
《目無し狗》はEランクの魔物だ。名前の通りの目の無い狗。《黒犬》と同じくらいの強さしか無い。
腕を伸ばしてくる《哀人》の攻撃を躱し、首を一閃。飛んで行く首に視線を向けず、すぐさま次の攻撃へ移る。《目無し狗》は単純に飛び掛ってきた所をニ匹同時に横薙ぎの攻撃で仕留めた。
「――ッ!」
魔物を全滅させ、俺が気を抜こうとした瞬間、背後から気配を感じ«魔力武装»を全開にして前に跳躍した。すぐさま振り返り、剣を構える。
さっきまで俺がいた所に、赤い錆が浮いた斧が振り下ろされていた。その事に少し背筋を冷やしつつ、奇襲を仕掛けてきた奴の顔を拝む。
「Cランクか」
Cランク魔物《影斧》。
薄暗い《目無しの巣窟》の影に潜むような、どす黒い肌の鬼。顔は黒い布で覆われている。しかし、眼球がある部分には布に穴が開いており、空洞が覗いていた。
その手に握られた斧で油断した冒険者を狙って頭を砕く、この迷宮で最も多くの死者を出している魔物だ。
身長は百六十センチ程で、そこまで大きい訳ではない。だが相手に気付かれないようにする静かな動きや、斧による攻撃は甘く見る事が出来ない。
「ギイィィ!」
掠れた声で叫ぶと、《影斧》が動き始めた。
今までの緩慢な魔物達とは違う、素早い動きだ。床を蹴りつけ、俺に向けて直線上に突っ込んでくる。
その速度を見て、今の間合いでは躱すのは不可能だと悟り、受け止める体勢へ移る。斜め上から落ちてくる赤茶色の斧が、構えた『鳴哭』にぶつかって火花を散らす。
柄を通して手に伝わってくる衝撃は、今まで戦ってきたどの魔物の攻撃よりも強い。
追撃してくる《影斧》の攻撃を躱し、いなし、弾き、《影斧》の動きを観察していく。
動きはそれなりに速い。斧は大振りだが、それ故に攻撃力は高い。
周囲に魔物がいないか警戒しつつ、《影斧》の動きを観察し続け、そして、
「今ッ!」
横薙ぎに振るわれた斧を、右に移動して躱し、体勢を崩した《影斧》を斬り付けた。肩から脇腹に掛けて刃が肉を裂く。だが致命傷にはなりえない。《影斧》は苦痛の声を漏らしながらも、再度斧を振ってきた。
今ので《影斧》を殺さなかったのは、一つ試したい事が合ったからだ。
«魔力武装»の強度を高め、«魔纏»で剣に大きな魔力を纏わせる。刀身に魔力が集まり、心なしか剣から威圧が放たれる。
「ギィ!」
《影斧》がそれに気圧されたかのように声を出し、焦っているかのように大振りで上段から斧を振り下ろしてきた。
俺はそれに合わせ、最速全力で剣を振った。
ヒュンという風切り音。
刃は斧を粉々に砕き、持ち主の《影斧》もバラバラに吹き飛ばした。
後ろに飛んで血肉を回避しつつ、試したかった事が出来て満足した。
単純な力押しが通じるかどうかを試したかったのだ。取り敢えずはC級にも通じる攻撃力がある事が分かった。
魔力に物を言わせた力押しでは強くはなれないけどな。相手を観察し、分析し、理解し、見切り、そして倒さなければ強くなることは出来ないのだ。
これで今の俺でも、Cランクの魔物を倒せる事が判明した。
まあ同じCランクの魔物でも、強さや危険さは変わってくる。《影斧》を倒せたからと言って、他のCランクも倒せると思うのは早計だ。
それに魔物の強さはBランクからが本番だ。Bランク以上の魔物は個人では倒すのが困難な力を持つ個体ばかりだ。Aランクを倒すのには何十人と人がいると聞いたし、『災害指定個体』と呼ばれるSランクは単体で小さな国を滅ぼす程の実力と言われている。
だからCランクを倒せたからといって思い上がるのは正しくない。俺の目的を達成するには、対人戦の方が重要だしな。
気を緩めず、常に警戒して行動しよう。
その後、三階層にまで降りて魔物を何匹か狩り、迷宮の外へ出た。
―
「おら、テメェぶつかっといて何だその顔はよォ!」
「顔はァ、元々なんだけどォ」
迷宮の入口へ来ると、聞いた事のある声で男が叫んでいた。溜息を吐きつつ外へ出ると、案の定、C級冒険者のあの二人だった。その傍らにはフードの少女もいる。
壁の陰から、彼らのやり取りを眺める事にした。
二人の前には、身長が百九十センチ近い男が立っていた。
黒を基調とした、白い十字架の刺繍が幾つもしてある神父服を身に纏った、針金のように細い男だ。ギョロリとした今にも飛び出しそうな眼球に、口から覗いている歯並びのいい真っ白な歯、手足が異様に長く、どことなく虫の様な印象を覚える。
驚いた事に、神父服の男は俺と同じ黒髪だった。髪はおかっぱくらいの長さだが、ハサミで適当に切ったかの様に長さがバラバラで不格好になってしまっている。
自分に絡んでくる二人をギョロリとした眼球で見ているその表情からは感情が読み取れない。まるで虫の顔を見ているような感覚だ。
「おら、ちゃんと謝れよ。俺達はCランクの冒険者だぜ? この辺じゃぁ、それなりに顔も通ってる。そんな俺達に目を付けられたら、てめえは終わりだぜ」
「Cランクの意味は分かんだろ? なぁ、街に住みにくくなるのは辛いとは思わねぇか? 」
やたらCランクを強調するなぁ。
フードの少女が「もうやめましょうよ」と二人を静止しようとしたが、男達は「うるせぇこの畜生が! テメエは黙ってやがれ!」と彼女を突き飛ばし、神父服の男に再度絡んでいく。
「あんまり騒ぎは起こしたくないなァ。見逃してよォ」
神父服の男はその長い右手でざんばらに切られた頭を掻きながら、妙に間延びした口調で二人にそう言った。その態度に二人は「なめてんのかぁ?」と今にも殴りかかりそうな苛立ちの表情を浮かべる。それを見ても神父服の男は表情を動かさず、どこかきょとんとした表情を浮かべるだけだ。
「はぁ」
溜息を吐き、俺は壁の陰から出た。四人が俺に気付き、視線を向けてくる。
その辺にした方がいい、そう言おうとして神父服の男の隣に立った瞬間、
「――!?」
全身に鳥肌が立った。
なんだこれは。何だこいつは。
近付いた瞬間に、神父服の男から形容できない何かが滲み出ているのを感じ、喉が干上がった様に言葉が出なくなった。威圧感とも違う、嫌な感じ。恐怖とは違う、根源的な嫌悪感。
何だ、こいつは。
ズキン、と額に痛みが走った。まるでこの男に警鐘を鳴らしているかのように、ズキズキと短い間隔で鈍い痛みを発し始める。
「てめぇ、黒髪のガキじゃねぇか。何だァ? 黒髪のお仲間さんを助けに来たってか」
男の声によって、俺は我に返った。
Cランクの男達や、フードの少女はこの男からは何も感じていないようだ。何で何も感じていない? 俺がおかしいだけなのか?
「これ以上は、やめとけよ。あんまり迷惑を掛けるようなら、ギルドに報告するぞ」
「あーん? 何だとてめぇ」
「おーこら。やんのかてめぇ」
何とか二人に向けてそう言葉を発すると、案の定面倒くさい絡み方をしてきた。取り敢えず、この神父服の男はやばい。挑発はしない方がいい。
どうにかして二人を退かせる事は出来ないかと頭を悩ませていると、
「ギルドに報告が行くと面倒です。もうやめておいた方がいいですよ」
フードの少女も俺に加勢してくれた。昨日はよくわからないうちに帰っちゃったけど、やっぱりいい子だな。
フードの少女は二人と神父服の男の間に立ち、男達を遮った。こちら側からは見えないが、二人の顔をジッと見つめているようだ。
「チッ、萎えた」
男達はそう言うと地面に痰を吐き捨て、フードの少女を突き飛ばして去っていった。地面に倒れたフードの少女はよろよろと立ち上がり、俺達に頭を下げると、男達の背中を追う。
何だってあんな奴らと行動してるんだろうか。
「あァーキミィ、ありがと」
男達がいなくなったのを見届けると、神父服の男が礼を言ってきた。未だにやばい匂いがぷんぷんしているが、礼を言ってくる辺りあいつらよりはまともかもしれない。
黒髪を指で弄りながら、神父服の男はギョロリとした目で俺を見下ろしてくる。全身が細いせいか威圧感こそ感じないが、この目に見られているだけで心臓の鼓動が早まる。額も未だにズキズキと痛みを発している。
「ボクゥ、今は騒ぎ起こす訳にはいかないから良かったよォ。虫の駆除をしなくて助かったァ」
虫の駆除、そう言って神父服の男は大きな眼球を三日月の形に細めた。
その表情に、背筋に冷たい物が走る。
「んー。キミィは虫じゃァないねェ。髪の色も良いしィ」
腰を折り、俺の視線にまで顔を下げる神父服の男。ぬるりとしたその動きは、やはり虫の様な印象を覚える。
俺の黒髪を見て、男は笑う。
「――んゥ?」
が、次の瞬間、男は笑みを消して睨み付けるような表情を浮かべた。
髪を弄っていた手を顎に当て、品定めをするかのように俺の目を覗き込んでくる。無機質な瞳は俺の目を捉えて全く動かない。瞳に飲み込まれるかのような錯覚を覚え、俺は息を呑んだ。
「……キミィ、前にボクゥに会ったこと……ある?」
突飛な男の質問に対して、俺は唾を飲み込んで張り付く様な喉を潤し、震える声で「無いと思います」とだけ返した。
「……ま、そうだよねェ。気のせいだ」
男は納得したように頷くと、折っていた腰を元に戻した。コキコキと首の骨を鳴らすと「ボクゥは用事も済んだし、もう帰る」と俺に背を向けて歩き去っていった。
神父服が遠ざかっていくのを、俺は呆然と眺めるしか無かった。男が消えてからも、しばらくは地面に足が縫い付けられたかのように身動きが取れなかった。
ようやく動ける様になり、その時になって俺は額の痛みが消えている事が気が付く。
「一体……何だったんだ」
―
「最近、何だったんだって言いながら、誰かの背中を見送るのが多い気がするな」
冒険者ギルドに戻り、討伐報酬金を受け取った後、俺は隣の訓練施設へやってきていた。時間に余裕がある日は毎日来ている。実戦で剣を振るのも大切だが、初心を忘れず素振りをする事にも意味がある。自分の剣の振り方を見直せるし、改善してよりより振り方を身に付ける事が出来るからだ。
それに、他の冒険者の動きを盗み見る事も出来るしな。
その日も、俺が目を付けていた冒険者のグループは来ていた。今日もBランクの男の«魔力武装»の使い方を見て、脳に刻み込んでいく。
このBランクの男はもう三十年近くも冒険者をやっているという。剣の才能も魔術の才能も無いと馬鹿にされていたが、地道に剣を振り続け、Bランクにまでなったと、前に誰かが冒険者ギルドであの男の話をしているのを聞いた。
確か、男の名前は名前はレオル・ハイケーンと言うらしいな。
二十代でBランクやAランクにまであがる冒険者がいることを考えると、四十になってようやくBランクになれた彼は才能に恵まれてはいなかったのかもしれない。
だが、Bランクの冒険者はそんなに多くない。Bになるまでに死ぬ冒険者も相当数いる。冒険者を続けていれば必ずなれるという訳ではないのだ。
レオルは才能がないと言われながらも、Bランクにまで上り詰めた。噂でしか話を聞いたことが無い男だが、それが本当ならば尊敬する。俺もこの人の様に努力を続けて、いつか実を付けたい。
「おい、坊主」
そう考えてレオルを見ていると、俺の視線に気が付いたようで話掛けてきた。
短く切り揃えられた赤茶色の髪と同じ色の髭を薄っすらと生やした男だ。体はガッチリとしていて筋肉質だが、その身のこなしはスラリと滑らかだ。体つきと歩き方だけでも、年季というものを感じさせられる。
「さっきからチラチラ俺達の事を見ているようだが、何か用事か?」
レオルは厳つい顔に若干の笑みを浮かべながらそう聞いてきた。
笑ってはいるものの、その裏には警戒心があるのが分かる。この男はだいぶ前から俺の視線に気付いていたようだし、街を駆け回る黒髪の少年の話も恐らく知っているだろう。彼の後ろで、その仲間達も怪訝そうな表情を浮かべて俺の事を見ている。自分達に近づいて来る得体のしれない物を警戒するのは当然の事だ。
「いえ、貴方の剣を振る姿がかっこよかったので、つい見てしまって」
「お、おお? そ、そうか」
そう言うと、レオルは拍子抜けした様な表情を浮かべた。それからポリポリと赤茶の頭を掻き、少し照れくさそうにする。レオルと仲間達から警戒心が少し薄れたのを感じる。
小さく笑いながら、仲間達がレオルを「単純な野郎だなぁ」と茶化している。その姿に、高校の頃の剣道部の事を思い出して少し気分が落ち込む。それを振り払うように、俺は前から言いたかったことを言った。
「ですから、良ければ俺に稽古をつけてもらえませんか?」
「稽古?」
レオルの表情がまた怪訝そうな物になるが、後ろの仲間達は「いいじゃねえか、やってやれよレオル!」と笑っている。レオルは困ったような表情を浮かべたが、やがて「あー……仕方ねえなぁ」と受け入れてくれた。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「そ、そんなに嬉しいか……。そうかそうか」
レオルとの稽古の約束を取り付けることに成功した俺は、素で喜んでしまった。レオルはそんな俺に満更でも無さそうに笑う。
この人の«魔術武装»の技術は、俺が剣を強化する上で確実に役に立つ。修行の様子を見ていればある程度の技術は盗めるが、やはり直接戦って見なければ分からない事がある。それに立ち振舞だけでも分かる。この人は強い。この世界に来て、強くなろうと力を付けてきた。その力がどこまで通じるか、ようやく試すことが出来るのが嬉しくて仕方ない。
「よろしくお願いします」
努力をするには、努力をする才能という物が必要だ。それが無い人間は努力を続ける事は出来ない。数日続けただけで、飽きてやめてしまうだろう。
その点において、俺が確実に持っていて、尚且つ誰にも負けないと言える才能は、努力の才能だ。俺は誰よりも努力してみせる。周りの人間が全員努力をやめたとしても、俺は最後まで努力を続けてやる。
まあ、努力をする事自体はそれほど褒められる行為では無いと思うが。
どれだけ努力を続けたとしても、結果がでなければそれは無意味だ。大切な場面で負けた時、「俺はお前より努力していたんだ」と叫んでも結果は覆らない。
だけど絶対に、努力を実を付ける。
だから俺は努力し続ける。努力して努力して努力して努力して、絶対に勝利してみせる。
だから、レオル・ハイケーン。
お前の力を、お前の努力を、俺に寄越せ。
俺の剣の糧となれ。
俺が最強になるために。