第一話 『欠けた記憶』
――欠けた記憶を、夢で見ていた。
確か、小学四年生くらいの時だっただろうか。
その日は土曜日で、授業参観だった。
科目は国語で、先生が出したお題に沿った文章を書いて、発表するという内容だった。
お題は『両親への手紙』。
周りの皆が、緊張した面持ちで発表していく。
大体が『いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう』『家族のためにお仕事をしてくれてありがとう』とか、そんな内容だった。
発表するクラスメイトの親が、少し恥ずかしそうに、それでも嬉しそうな表情で、自分の子供の発表を聞いていたっけ。
そんな中で、俺の親は当然のように来なかった。
母親はそもそも家庭にいなかったし、父親は俺に興味がなかったからな。
土曜日に授業参観があると伝えた時に、「仕事で疲れてるんだ。休日くらい休ませろ」と父親は言った。
グシャリと授業参観案内の紙を丸めて、ゴミ箱に捨てたのが妙に記憶に残っている。
俺は、来ていない親に向けて、周りと似たようなことを書いた。
お仕事頑張ってくれてありがとう。僕も家事を手伝うから、これからも頑張ってください、と。
授業参観に親が来ないのには慣れていた。
けど、どうしても、自分にない物を周りに見せつけられているようで、幼心に悔しかった。
授業参観が終わって、生徒も解散になった。
生徒のほとんどは、親の車に乗って帰っていった。
帰り道で、ファミレスでお昼ごはん食べよう、なんて声も聞こえてきた。
俺に迎えはなかったから、一人で帰った。
パラパラと雪が降っていて、肌寒い日だったような気がする。
歩いていると、街中に行方不明者を探す放送が流れた。
何でも、近所の高校の生徒が一人、行方不明になったらしい。
名前はなんて言っていたか。
あまつ……という言葉が、名前の頭に付いていたような気がする。
自分が行方不明になったら、父親は探してくれるだろうか。
そんなことを考えて、すぐに苦笑する。
世間体を気にして、警察に通報くらいはするかもしれない。
けど、心配はしてくれないだろう。
きっと、手間を掛けさせやがって、と怒るに違いない。
「…………」
どうしてか、家に帰りたくなかった。
特に何も考えず、家とは違う方向へブラブラと歩く。
気付けば家とは真逆の場所に来ていた。
来たことのない、小さな公園が見えた。
何かに導かれるかのように、フラフラと公園の中に入る。
キィキィと、ブランコが揺れる音がした。
風も吹いていないのに、どうして。
そう思って、ブランコの方を向いて――。
「――――」
粉雪が降る、冬の寒い日だった。
俺は、そこで。
――■■■に出会ったんだ。
―
王都とは真逆の、ガヤガヤとした雑多な雰囲気の町並み。
道行く人のほとんどが武器や鎧を身に着けており、そうでない人物もガッシリとした体付きの者が多い。 怒鳴るように道行く人に声を掛けをする露店の店主や、居並ぶ物々しい店の数々。
遠くに見える『冒険者ギルド』と銘打たれた、大きな建物。
――俺達は、数年ぶりに『迷宮都市レーデンス』に訪れていた。
「前に来た時から大分経ったけど、こっちは変わってないな」
露店の位置や種類には少しばかり変化があるが、主要な店構えは変わっていないように見える。
この空気感が、妙に懐かしい。
「あの村を出て、最初に来たのがここだったっけ。冒険者デビューしたのもここだし、本格的な流派を習ったのもここが最初だな」
この世界に来て、踏み出した最初の一歩がここだ。
そう思うと、妙に感慨深い。
「ヤシロと会えたのも、迷宮都市に来てからだな」
「はいっ。ウルグ様が迷宮で助けてくれた時のことや、私のために啖呵を切ってくれた時のことは、今でも昨日のことのように思い出せます」
フードの下で耳をピコピコと動かしながら、頬に手を当てながら目を瞑るヤシロ。
迷宮都市に来ていなければ、ヤシロと出会うこともなかったと考えると、ここに来て良かったと心から思う。
もちろん、キョウとメイ、シスイさん達に会えたのも幸運だった。
自己嫌悪に塗れていた俺が、少しだけ自分を許せたのは、彼女達と出会えたからだからな。
「馬車で数日過ごすのは結構キツかったけど、懐かしい気持ちに浸れただけでも来て良かったな」
「はい、そうですね! 私はウルグ様の側に居られたので、馬車生活も楽しかったですが!」
ヤシロの言葉に苦笑しつつ、
「ただ、まだやらないといけないことがあるからな」
ここに来た用事を片付けるために、雑踏の中に踏み出した。
王都を出発したのは、ほんの数日前のことだ。
使徒の襲撃によって休校になったタイミングを利用し、俺はヤシロと二人で迷宮都市にやってきた。
テレスは他の用事があるため、着いてきていない。
メイとキョウも、王都に残って使徒襲撃の傷を癒やしている。
よって、ここに来たのは俺とヤシロだけだ。
「ウルグ様、ウルグ様。この先から凄く良い匂いがします」
隣を見れば、ヤシロが屋台に目を輝かせ先を見つめていた。
「ちょっと早いけど、昼食も兼ねて食べてくか」
「はいっ!」
よだれを垂らさんばかりの表情に苦笑して、二人で食べ歩きしていく。
「……く、黒髪」
「何か、王都の方で噂になってるガキじゃねえか?」
道行く者達が、チラチラと俺に視線を向けてくる。
フードを被っている俺はともかく、俺は黒髪黒目を出したままで来ているからな。
前に来たところだから良いと思ったが、やっぱ何年も離れていればこうなるか。
「ぐるるる」
「ヤシロ、構わなくていい」
「……うう」
「ほら、こっち向け。口にタレが付いているぞ」
イラつくヤシロを宥め、口元に付いた汚れを拭ってやる。
嬉しそうに顔をほころばせるヤシロに癒やされつつ、悪意を持ってぶつかってこようとする連中を軽く躱す。
躱されてたたらを踏む男を一瞥して、すぐに先へ進んだ。
「しかし、こちらは呑気ですね。王都が使徒に襲撃された報せは、届いているはずなのに」
「直接襲撃されたわけじゃないのと、やっぱり迷宮が近くにあるのが大きいんだろうな。ちょっとやそっとの騒ぎじゃ、ここの人達は騒がないんだろ」
そんな話をしながら、目的地へ向かう。
目的地は、『バドルフ武具店』だ。
セシルの過去を知っている、バドルフに会うため、俺達は迷宮都市にやってきた。
『キミィ、あのセシルの知り合い?』
『うん、知ってるよォ? 殺されて当然のゴミ屑女だったからねェ!!』
『浄化の使徒』と名乗った、メトゥス・エルフェードラとかいう男の言葉だ。
セシルを知っていなければ、こんな言葉は出てこない。
こいつの他にいた、二人の使徒も、セシルのことを知っているような口ぶりだった。
セシルとあいつらの関係。
セシルの過去。
俺は、それを知りたい。
「着きましたよ、ウルグ様!」
そうして、俺達は目的地であるバドルフ武具店に到着した。
―
「ええええ!? ウルグ君とヤシロちゃん!? わあああ、すっごい大きくなったね!」
店に入ってすぐ、俺達を見て一人の女性が大騒ぎし始めた。
短い赤髪が特徴の、二十代後半くらいの女性だ。
「久しぶりですね、クリスさん」
クリス・クライスタル。
数年前に俺達が迷宮で助けた、冒険者の女性だ。
この店の店主である、バドルフの孫娘でもある。
「なになに、すごい背伸びたね! ウルグ君かなり体出来上がってるし!」
「その通りです! ここ数年でウルグ様はますます逞しくなって、腹筋とか凄いんです!」
「なにそれ見たい! というか、ヤシロちゃんもめちゃくちゃ可愛くなってるじゃん! お姉さんびっくりだよ!」
ハイテンションで跳ねるクリスに、王都の魔術学園に通っていることを話す。
その間、クリスは冒険者業は控え、バドルフの手伝いとしてこの店を切り盛りしていたようだ。
「おい、クリス! やかましいぞ、騒ぐな!」
店の奥から、白髪の老人が姿を現した。
バドルフ・クライスタル。
今日、俺達が会いに来た人物だ。
数年ぶりに会ったが、冒険者をやっていたというだけあって、未だにその体は引き締まっている。
「お前達は……」
俺達に気付き、バドルフは何かを察したかのように息を吐いた。
「お久しぶりです、バドルフさん」
「ああ。お前らも元気そうで何よりだ」
そう頷いた後、
「おい、クリス。俺はこの二人と話がある。代わりに店番を任せる」
「ええー! 私、もっとこの子達と話したい!」
「良いから引っ込め。後からでも話せるだろう」
バドルフに案内されて、俺達は個室にやってきた。
「まだ、『鳴哭』は持っているか?」
「はい」
椅子に腰掛けてから、背中に刺してある『鳴哭』をバドルフに見せる。
小さく鼻を鳴らした後、バドルフは静かに問いかけてきた。
「……ここに来たのは、セシルのことか?」
「はい。どうしても、姉様の過去を知りたいんです」
前にバドルフと会った時、セシルに口止めされているからと、教えてもらえなかった。
「少し前に、王都が使徒に襲撃されたと聞いた。このタイミングで来たということは……セシルについて、何か知ったのか?」
「使徒と、少しだけ話しました」
「…………」
「詳しい話は聞けませんでしたが、何か姉様のことを知っている様子だったんです」
考え込むように、バドルフは目を瞑る。
「お願いします。姉様について、バドルフさんが知ってることを教えてください。姉様のことを、知りたいんです」
「……分かった。使徒と接触したということは、遅かれ早かれ知ることになるだろうからな。ここで隠すより、伝えた方が良いだろう」
「教えてくださるんですか?」
「ああ。だが言っておくが、俺は詳しいことはあまり知らん。俺が見て聞いた情報と、セシルやコントラの奴から聞いた断片的な情報しか持っていない。それでも良いなら話そう」
それから、
「ウルグ君も、もう気付いているかもしれないが」
バドルフは低い声で言った。
「――セシルは使徒だ」