閑話 『明鏡止水へ至る決意』
使徒の襲撃によって、ウルキアス魔術学園は一旦休校となった。
通っていた学生の多くは実家に帰り、それ以外は学園の寮で過ごしている。
学園に普段の活気はなく、静まり返っていた。
そんな中、キョウは学園の自由修練場にいた。
休校のため授業はないが、寮や自由訓練場などの施設は、学生に開放されている。
実家に帰れない生徒のことを配慮しての措置だろう。
「…………」
キョウは隅に立ち、修練場の中央を固唾を呑んで見守っていた。
修練場の中央には、二人の影がある。
一人は流心流四段の位を持つ、スイゲツという教師だ。
少し癖のある水色の髪が特徴的や、優男といった風貌をしている。
そしてもう一人は、黒髪の少年、ウルグだ。
斬り付けるような目付きで、スイゲツを見ている。
両者が手に持っているのは木刀だ。
向かい合っていた二人は、やがて合図もなく動き出した。
流れるような動作で、二人は斬り結ぶ。
ウルグがスイゲツに頼み、模擬戦を行ってもらっているのだ。
「はぁぁぁぁッ!」
「ふ――ッ!」
果敢に攻め立てるウルグに、それを受け流すスイゲツ。
一進一退の攻防。
だが、次第に戦況は変わっていく。
「!」
ウルグが押し始めたのだ。
スイゲツの守りは非常に強固で、ウルグの攻撃は入らない。
受け流され、スイゲツは時折カウンターを返していた。
だが、次第にスイゲツがカウンターを返さなくなった。
否、返せなくなった。
果敢に攻め立てるウルグが、それを許さないのだ。
「……先輩」
ウルグは、明らかに以前よりも強くなっていた。
何が変わったのかと聞かれれば、キョウは上手く答えられない。
強いて言うならば、届くようになった……だろうか。
以前よりも、剣が相手に届くようになっている。
技術が向上したのもあるだろう。
だがそれ以上に、ウルグの心境に大きな変化があったように見えた。
「彼はまた、強くなったのだな」
いつの間にか、キョウの隣に少年が立っていた。
色艶の良い深緑色の髪に、スラリとした細身が特徴的な少年だ。
服装や佇まいの上品さから、貴族であることが分かる。
「貴方は……」
「失礼。ベルス・ベルセポナという。彼の同級生だ」
ベルス……どこかで聞いたことがあるような気がする。
「……一年生のキョウです」
ハッキリとは思い出せず、キョウはやや警戒した表情でベルスを見た。
貴族といえば、ああだこうだと理由を付けて、ウルグを馬鹿にする連中だからだ。
「そう固くならなくても良い。別に彼を貶めようと思って、ここにいるわけではないからね。彼が模擬戦をやると聞いて、気になってきたんだ」
「……そうなんですか」
「意外かな?」
ベルスの問いに、キョウは躊躇いがちに頷いた。
この学園に来てから、キョウは何度もウルグが不当に貶められるのを見てきた。
そのほとんどが、貴族によるものだった。
「……皆、先輩の容姿だけで悪口を言いますから」
「確かに、私もそうだった」
ウルグとスイゲツの戦いを見ながら、ベルスは遠くを見るような表情で言った。
「私は最初、彼を見下していた。黒髪黒目で、素性も知れない。その癖、《剣聖》になるなどと大口を叩く。私達が休んでいる間も、汗と泥に塗れながら、ずっと棒を振り続けている。なんて無様で身の程を知らない奴なんだ……と私は思った。何度も彼を嘲笑ったよ」
その言葉にキョウが反発しなかったのは、ベルスの口調に自嘲と憧憬が含まれていることに気付いたからだ。
「それでも、彼は折れなかった。髪の色も、目の色も、自分を馬鹿にする連中も、知ったことかと言わんばかりに、剣を振り続けた。そして、彼はそれに見合った結果を出した。災害指定の魔物を二匹も討伐し、学園最強とまで言われていたレグルス先輩も倒してみせた」
「ベルス先輩も……先輩に憧れているんですね」
ベルスの気持ちが、キョウには分かった。
だって、迷宮都市でウルグが励ましてくれた時からずっと、キョウもウルグに憧れ続けてきたからだ。
「憧れ……か。ああ、そうかもしれないな」
ベルスはふっと笑い、頷いた。
「格好良い、と思ったんだ。私が身分や立場を誇っている間に、彼は自分の力で結果を勝ち取って見せた。その姿に、私は憧れた」
そう言ってからすぐに、ベルスは「すまない」とキョウに頭を下げてきた。
「いきなりこんな話をしてすまなかったね。君と彼がよく一緒にいるのを見ていたから、思わず話しかけてしまった」
「いいえ。私も一緒ですから。先輩はいつも必死に頑張っていて、とても格好良いと思います。私も先輩に近付きたいってずっと思っていますから」
謝罪するベルスに、キョウが微笑んだ。
「――参りました」
それからすぐに、勝負が付いた。
勝ったのは、ウルグだった。
絶心流の鋭い一撃で、スイゲツの持つ木刀を弾き飛ばしてみせたのだ。
喉元に刃を突き付けられ、スイゲツは己の敗北を認めた。
「――――」
その結果を見ていたキョウとベルスは、互いに顔を見合わせて息を呑んだ。
スイゲツは流心流の四段を修めた、凄腕の剣士だ。
反応速度と防御術は卓越した練度を誇る。
スイゲツが奥義を使っていないとはいえ、勝利するのは並大抵のことではない。
「ああ……やっぱり、格好いいな」
嬉しそうに、そして悔しそうにそう呟くと、ベルスは訓練場の入り口に向かって歩き出した。
「先輩に会っていかないんですか?」
「ああ。この後、修練の予定が入っているんだ。……私は意志も体も弱いからね。少しでも彼に近付くために頑張らないと」
そう言い残し、ベルスは訓練場から出ていった。
徐々に小さくなっていく後ろ姿を、キョウはジッと見つめていた。
ベルスの体は、ただ細いだけでなく、引き締まっていた。
体捌きも、そこらの貴族とは比べ物にならない。
それに何より、彼の両手にはたくさんの豆があった。
「弱くなんて、ないじゃないですか」
自分の好きな人が。
ああいう人に好かれていると知って、キョウは少し誇らしい気持ちになった。
―
その後、キョウは少しウルグと話した。
「お疲れ様です、先輩。スイゲツ先生に勝っちゃうなんて、驚きました」
「……ああ」
頷くウルグの表情は、暗い。
「どうかしましたか?」
「キョウ。しばらくの間、色々気を付けておいて欲しい」
「……色々、ですか?」
ウルグは暗い表情のまま、聖剣祭の時に見た奇妙な映像についての話をした。
どうやらそこで、ウルグはキョウの身に不吉なことが起こるのを見たようだ。
「何か起きた時……俺は、キョウを助けられないかもしれない」
「心配されなくても、ちゃんと色々気を付けてます。先輩が変な目で私を見たりしないように、ちゃんと警戒してますし」
「別に……そんなに変な目で見たりしないぞ」
「そんなに……?」
誤魔化すようにウルグは頭を掻き、
「じゃあ……俺はそろそろ行くよ。ちょっと遠出の準備をしないといけないからな。キョウはどうする?」
「私も用事があるので、一旦シスイ様のところへ行こうと思います」
「ん、分かった。じゃあ……夜道とかに気を付けろよ」
「それ、先輩が私を襲うみたいですよ」
それから、ウルグは訓練場を出ていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで、キョウは沈んだ顔で視線を送り続けていた。
「……私も止まっていられない」
―
聖剣祭での出来事を、キョウは夢に見る。
フリューズという騎士が、自分達を殺そうとする場面を。
ドロテアと名乗った使徒の斧で、メイが大怪我をする場面を。
同年代の生徒と比べれば、きっとキョウは強い方だ。
だが、そんなことに意味はない。
悪意を持って襲い掛かってくるのは、強大な魔物や狂った使徒だ。
《剣匠》ですら、負傷させるレベルの相手だ。
端的に言ってしまえば、彼らを相手にするにはキョウは弱過ぎた。
実力不足も甚だしく、同じステージに立つことすら烏滸がましい。
今回の一件で、キョウはようやく理解した。
キョウが学園に来た時、どうしてウルグがあれほどまでに必死になっていたのかを。
大切なモノが奪われる恐怖と、大切なモノを守れない自分の無力さを。
大好きな人の背中が、遠くなっていく悔しさを。
――剣を振り始めたのは、シスイ様への憧れからだった。
――それ以降も続けたのは、剣を振るのが好きだったから。
――挫けそうになった時に立ち上がれたのは、先輩が励ましてくれたから。
そして、今は。
「もう、先輩において行かれたくない」
自分は、彼のことが大好きだから。
「もう、先輩の足手まといになりたくない」
もう弱い自分は嫌だ。
「先輩の力になってあげたい」
いっぱいいっぱいで、懸命に努力し続ける彼を支えたい。
「先輩や姉さん――私の大切な人達を、守れるくらいの力が欲しい」
皆を守ってあげられるくらい、強くなりたい。
だから。
「――私を一から鍛え直してください、シスイ様」
キョウは、シスイに頭を下げながらそう言った。
「キョウ、顔を上げなさい」
「……はい」
神妙な表情で、シスイは言った。
「鍛え直す……か。キョウ。具体的に、どの程度強くなりたいんのかな? キョウの目標を聞かせて欲しい」
シスイの問いに、キョウは即答した。
「――シスイ様よりも、強くなります」
斬り付けるような鋭い目付きだった。
誰かに似た表情を浮かべたまま、キョウは言葉を続けた。
「そして、私が流心流の二十六代目《剣匠》になってみせます」
誰に似たのかな……と一瞬だけ笑みを浮かべ、シスイはすぐに真剣な表情を浮かべた。
「志が高いに越したことはないが、口で言うのは簡単だよ」
ゾワリ、と。
鳥肌が立つような笑みを浮かべて、シスイは言う。
「キョウは確かに才能がある。だけど、それはあくまで『年齢の割には』という話だ。どれだけ努力をしようとも、越えられない壁というものがある。それを理解せずに進もうとする者を、分不相応と言うんだ。キョウは――自分に私を越えられるほどの、分があると思うかい?」
意地悪な表情で、意地悪なことをシスイは問う。
「本当に《剣匠》になれるとでも、思っているのかい?」
その問いに対する、キョウの答えは一つだった。
「思っているんじゃありません。――絶対になるんです」
その言葉に、
「――――」
シスイは何かを思い出すように目を瞑る。
そして、心底嬉しそうな表情を浮かべた。
「大きくなったね、キョウ」
それから、
「いいだろう」
静かに頷き、シスイはもう一度キョウに稽古を付け直すことを承諾した。
―
ずっと、母の、姉の、好きな人の背を追い掛け続けてきた。
彼らに並びたいと、そう思ってきた。
――そんなキョウが初めて、本当の意味で彼らを越えると決意した瞬間だった。