第十五話 『死傷Ⅱ』
王都城壁前――騎士達の目の前では、激闘が繰り広げられていた。
『オォオ――――』
城壁に匹敵するほどの巨体を持つ《蟲龍》の腹部を、岩で構成された柱が突き上げる。
比較的柔らかな部位に攻撃を受け、《蟲龍》の足が止まる。
「――ヌンッ!!」
硬直した《蟲龍》の横っ面を、雷で構成された鎚が激しく殴打した。
激突の瞬間、空を染め上げるほどの極光が瞬き、戦場を白く染め上げる。
光が収まった時、大きく仰け反った《蟲龍》が地面へ倒れ込むのを、城壁付近で待機していた騎士達は目撃した。
「なんて威力……!」
魔術師の頂点に立つ、バベッジ。
剣士の頂点に立つ、アルデバラン。
その規格外の実力が、災害指定個体という規格外を追い詰めつつあった。
『――――』
百足に類似した足で、苛立ちを表現するかのように地面を踏み鳴らしながら、《蟲龍》が咆哮する。
暴風の如き風圧と、雨のような唾液を飛沫となって吹き荒れた。
象牙のような爪が生えた五指を広げ、自身を脅かす小さな襲撃者に向かって振り下ろすも、その一切が当たらない。
最強の剣士に、大きなだけの雑な攻撃が当たるはずもない。
――二人と一匹の規格外な戦いは、そう遠くない内に決着するだろう。
だが、魔物は《蟲龍》だけではない。
彼らの戦いに巻き込まれ、かなりの数の魔物が潰れたが、それでもまだ残りはいる。
むしろ、戦いから逃れようと、今まで以上の勢いで魔物が城壁に向かってきていた。
三番隊騎士と魔術師団が、その対処に当たっている。
「クッソ、ワラワラ湧いて来やがって……!」
虫型の魔物の猛撃を、傷を癒やして戦線に復帰したシュルトが蹴散らす。
だが、潰しても潰してもキリがない。
一匹一匹は弱くても、百匹以上が同時に襲って来るのではどうしようもない。
「……ッ!」
悪寒を感じ、姿勢を低くした瞬間、シュルトの頭上を風が通り抜けていった。
否、風ではない。
全身に風を纏った、三メートルほどの蜻蛉だ。
「チッ、Bランクじゃねえか」
弱い魔物の中に、時折高ランクの個体が混ざり込んでいる。
疲弊したところを狙って現れる虫に、シュルトは作為的なものを感じ始めていた。
「ぎゃああッ」
騎士達から悲鳴が上がる。
虫の群れから、突如としてAランクの個体が三匹飛び出してきたのだ。
対処しきれず、体勢を崩した騎士を虫達が貪り食っている。
「クソがァ……!」
対処しようとするも、シュルトを狙って先ほどの蜻蛉が三匹に数を増やし、襲い掛かってくる。
蜻蛉達の突進を躱し、受け流し、弾きながら、思わず舌打ちする。
「いかせねぇ……ってか」
そうしている間にも、高ランクの虫達は騎士を襲っている。
疲弊しきっている彼らでは、対処し切れない。
このままでは、奥の魔術師達にも被害が及んでしまう。
(どうする……どうすれば)
状況を打開する策が思い付かず、シュルトが歯噛みした時だった。
「――――!」
どこからか飛んできた斬撃が、騎士を襲う虫達を吹き飛ばした。
それは連続し、瞬く間に戦場を埋め尽くしていた虫を駆逐していく。
そして、開けた道から、一人の人間が姿を現した。
その人物を見て、シュルトが目を見開く。
「アンタは――」
―
―
視界の先で、地に伏したエステラが見えた。
包帯の上からでも分かるほどの凶相を浮かべ、スペクルムがエステラを見下ろしている。
トドメを差すつもりなのだろうと、直感的に分かった。
「……させねぇ」
助けてみせる。
何があろうと、絶対に。
全身から、どす黒い魔力が噴出する。
その奔流に体のコントロールを持っていかれそうになるのを堪え、鎧のように身に纏う。
力の使い方は、何となく分かった。
「さぁ、ともに痛みを享受しよ?」
ドロテアから放たれた何かが、体に纏わりついて来る。
繋がった相手へ、自分の経験した痛みの記憶が追体験させる、凶悪な祝福。
「【終焉に抗う刃】」
それを、体から溢れ出す魔力を以って、両断した。
「は――?」
ドロテアと俺を繋いでいたラインが消滅し、【痛みの記憶】が不発に終わる。
呆気に取られ、ドロテアが目を見開いた。
「なんで、私の祝福が――」
「――退いてろ」
立ち尽くすドロテアを、正面から斬り付ける。
取り出した武器で刃を弾くドロテアだが、『鳴哭』に纏わせた漆黒の魔力までは防ぎ切れず、悲鳴とともに吹き飛んだ。
建物の残骸へ突っ込み、ガラガラと瓦礫が崩れ落ちた。
一瞥すらせず、走る。
地に伏したままピクリとも動かないエステラへ向けて、刃を振り下ろそうとするスペクルムと元へ。
絶対に、殺させてたまるものか。
「スペクルム――ッ!!」
「……!」
狂人の双眸が、こちらに向けられる。
ニヤリと両目を三日月のように細めると、
「ちゃんと、アンタからも色々奪ってやるからさ。焦るなよな。取り敢えず、ここに来るまでで溜め込んだ、これでも喰らっとくと良いぜ」
スペクルムが剣を突き出した。
瞬間、刃先に膨大な量の魔力が収縮された球体となって現れ、直後開放された。
こちらに向かって、超級の魔術にも匹敵するであろう威力の閃光が突き進んでくる。
『鳴哭』を使っても、一度に消滅させきるのは難しい量の魔力だ。
だが、
「――邪魔なんだよッ!!」
――一閃。
漆黒の魔力が、スペクルムの放った閃光を両断した。
刃に触れた部分の魔力が、瞬く間に消滅していく。
スペクルムまでの道が開いた。
「己の魔力を、消滅させただと――」
距離を詰める。
俺の間合いにまで、一気に踏み込んだ。
我に返り、エステラに剣を振り下ろそうとするスペクルムだが、
「――!!」
それよりも速く、俺が斬り込んだ。
ギリギリで受け止めるスペクルムだが、刃が交わった瞬間に、苦悶の表情を浮かべた。
刃を止めず、連続して斬り掛かる。
その度に、スペクルムは全身に膨大な魔力を纏うも、漆黒の魔力がそれを消し飛ばす。
生身の状態でこちらの攻撃を受け止めたスペクルムの腕から、ゴッと骨が砕ける音が響いた。
動きのキレも、速度も、技術も、大したことはない。
せいぜい、Bランクの冒険者程度でしかない。
「がァああッ!? 何なんだ、その力はァ!?」
絶叫とともに、スペクルムがバックステップで後退する。
そして、俺の足元のエステラに視線を向け、嬉しげに叫んだ。
「まーどうでも良いや。取り敢えず、そのお嬢ちゃんを、お前から奪うぜ……!」
黒の魔力から逃れ、再度魔力を放とうとするスペクルム。
相手から『奪う』ことを軸に考えたこの男の行動は、非常に読みやすかった。
「――«天閃剣»」
漆黒の魔力を剣に乗せ、極大の斬撃をスペクルムへ放つ。
荒れ狂う獣の如く、黒い斬撃が地面を抉るのと同時に、硬直したスペクルムの体を飲み込んだ。
「もう誰も、奪わせねえ」
「ぐ、ぁああッ」
背後の建物を砕きながら、スペクルムは遥か後方への吹き飛んでいった。
殺せてはいないだろう。
だが、今はあいつに構っている場合ではない。
「エステラッ!!」
地面に伏したエステラの体からは、今もダクダクと血が溢れ続けている。
肩口から脇腹に至るまでを、深く斬り裂かれていた。
明らかに、死に至る傷。
だが、
「息が、ある……!」
酷く弱いものの、エステラには息があった。
まだ、助けることが出来る……!
服が血で濡れるのを無視して、エステラの体を抱き上げる。
全力で走り、ドロテアに弾き飛ばされたテレスの元へ向かう。
「ウルグ!」
「ウルグ様!」
テレスとヤシロも、俺達の方へ向かってきているところだった。
少し離れたところに、メイを抱えたキョウがいるのが見える。
「テレスッ!! 今すぐエステラに治癒魔術を掛けてくれ!」
「……! 分かった!」
すぐさまエステラを地面に起き、テレスに治癒を掛けてもらう。
みるみるうちに、エステラの傷は治っていく。
「…………」
だが、嫌な感じが拭えない。
エステラがスペクルムに斬られた時の、あの感じ。
あの男が、エステラから大切な何かを奪っていったという感覚が、どうしても忘れられない。
エステラは、本当に助かるのか――?
「!」
ガラガラと、瓦礫が落ちる音。
全身から血を流したドロテアが、瓦礫から這い出し、よろよろとこちらに歩いてきていた。
「……なんですか、貴方のソレ。どうして、私と繋がってくれないんですか? どうして、どうして、どうして、どぉぉおしてぇえええ!?」
ブルブルと体を小刻みに震わせながら、ドロテアが絶叫する。
酷く歪んだ表情のまま、ドロテアが両手をこちらに向けた。
「繋がって、私を拒まないで、私を、認めてぇえ――ッ!!!!」
あの祝福が噴出し、俺に向かって突き進んでくる。
先ほどと、同じ魔術だ。
もう一度、漆黒の魔力でそれを両断した直後、
「ぁ――」
ガクン、と膝から力が抜けた。
「なんだ……これ」
呆然と震える手を見つめ、思い至る。
体内の魔力が、枯渇しかかっているのだと。
度重なる戦闘に加え、未知の魔術を使ったことによる消耗のツケが、今更になって現れている。
「逃がさない……。貴方が私を受け入れるまで、何度だって繋がってあげます」
膝をついた俺に向けて、ドロテアが手を向けてくる。
「させません……!」
俺を庇うようにヤシロが前に立つが、
「……ここで、己も参加させて貰おうかぁ……」
千切れかけた腕を垂れ下げ、包帯を血で真っ赤に染め上げたスペクルムが姿を現した。
「……ウルグ様は、私が……」
動揺を押し殺し、ヤシロが二人の狂人に立ち向かおうとした時だった。
「――ねえ、いつまでやってるの? 疲れた体を引きずって仕事をこなしてきたっていうのに、まだ遊んでるなんて、僕様に申し訳ないと思わないの?」
「――あーァ。気持ち悪い、どこに行っても、虫はワラワラといるもんだねェ」
戦場の真横にある、まだ無事な建物から、二つの声があがった。
一人は勿忘草色――ほの暗い水色の髪の青年だった。
寝癖なのか所どころ跳ねている髪に、深い隈が刻まれた紺色の瞳。
寝起きのような気怠げな雰囲気を漂わせており、その頭にはアイマスクが掛けられている。服装もパジャマのように緩く簡素な物だ。
もう一人は、黒い神父服を纏った、針金のように細い男だ。
虫のように無機質な眼球に、口から覗く歯並びのよい真っ白な歯、異様に長い手足。
そして、俺と同じ黒い髪。
「あんたは……」
かつて、迷宮都市で出会った、あの不審な男だった。
「んー? あァ、どっかの街であった、虫じゃない子供だねェ」
男も俺を見て、愉快そうに歯を見せて笑う。
「貴様……」
同時に、エステラの治療を終えたテレスも、建物の上を見上げて呆然と呟く。
その視線の先には、水色の髪の青年の姿があった。
「やぁ、テレスティア。君は知らないと思うけど、僕様って、仕事を残すのって嫌いなんだ。後から『やってない』とか言われて、労働を押し付けられたくないからさ。だから、今日は聖剣を壊すついでに――君も殺すことにしたんだ」
心底気怠げに、その青年はテレスに向かってそう言ってのけた。
「お前達は、一体、何なんだ……」
既に、予想はついている。
それでも、そう呟かざるを得なかった。
「見て分からないの? 使徒だよ、使徒。僕様と違って、ちゃんと睡眠取れてるのにその質問って、もしかして君って寝ぼけたままなわけ? なら良いけど、起きててそれなら、もう生きてる意味なくない? 死んだら?」
「睡眠とかァ、起きてるとかァ、ボクゥどうでも良いんだよねェ。早いところ、虫を駆除したいんだよ。駆・除」
使徒が、さらに二人。
「どォやら、極上の喪失をプレゼントできそうだな、坊主」
「より強い痛みで、繋がろ?」
スペクルムとドロテアも、ジリジリと前に踏み出してくる。
「――――」
そこからの展開は、一方的だった。
黒い男の体から、大量の虫型魔物が溢れ出てくる。
テレスが魔術で対処しようとしたのを、スペクルムが妨害した。
ヤシロと行動を、ドロテアが鎖鎌を使って阻害する。
二人が動きを止めた瞬間、
「寝てなよ」
青年が手を振った。
瞬間、唐突に空間に複数の剣が現れ、テレスとヤシロに襲いかかった。
受け止めきれず、二人が剣に斬り刻まれる。
そこへ群がろうとする魔物達に、
「あ、あああ!」
叫びとともに、キョウが斬り掛かった。
「邪魔だぜ、お嬢ちゃん」
「きゃあ」
だが、スペクルムが放った斬撃に打たれ、キョウは地面を転がった。
「……くッ!」
テレスが青年に向けて魔術を飛ばすが、
「ねえ、早く諦めてよ。仕事増やさないでくれない?」
まただ。
青年が腕を振ると、前触れもなく巨大な盾が現れた。
テレスの魔術が盾に阻まれ、止められる。
「が、はっ」
その瞬間、虫型の魔物の攻撃を受け、テレスが吹き飛んだ。
「祝ッ! 福ッ! をッ!!」
「うっ」
ドロテアの鎖鎌に斬られ、ヤシロが呻き声をあげて倒れ込む。
瞬く間に、三人がやられてしまった。
「さあ、おやすみの時間だよ」
青年の声とともに、頭上から無数の剣が生み出された。
雨のように、剣が一斉に降り注いでくる。
「……もう一度」
拳を握り締め、立ち上がる。
「【終焉に抗う刃】――ッ!!」
枯渇していた魔力を絞り尽くし、最後の力を振り絞って漆黒の魔力を頭上に放った。
無数の剣は、漆黒に触れた瞬間に跡形もなく消滅していく。
「何なの、その力。聞いてないんだけど?」
青年が眠たげな目蓋をゴリゴリと擦りながら、苛立ったように呟く。
「か……ぁ」
視界が白む。
体内の魔力が完全になくなり、電池が切れた人形のように体から力が抜ける。
「まあ、良いや。君がどういう存在なのかは知らないけど、あいつから聞いてないってことは、殺しても問題ないってことだよね。仮に何か意味がある存在だったんだとしても、何も聞かされていない僕様に責任はないし」
「そこの黒髪君は良いけどォ、倒れてる三匹の害虫は殺さないとねェ」
「さあ、とびっきりの喪失だ。自分の命を失う瞬間を、じっくり、たっぷり、存分に味わってくれ!」
「痛みと祝福と愛を、あげる」
四者四様に身勝手なことを呟き、四人が同時に腕を振った。
青年は複数の刃を生み出し、弾丸のように放った。
男はさらに虫型の魔物を出現させ、俺達に突撃させる。
スペクルムは剣に魔力を生み出し、巨大な斬撃を振り下ろした。
ドロテアは、服から取り出した双剣を、ブーメランのように投擲してきた。
すべての攻撃が、スローモーションに見えた。
ゆっくりと時間が進む中、俺は唇を噛み切って、体を前に動かす。
枯渇した魔力を更に絞り、迫る攻撃から、テレスとヤシロ、キョウを守ろうとして、
「――――?」
ぽすん、と。
その時、俺は誰かにぶつかった。
柔らかく、温かい感触。
ふんわりと、記憶に残っている甘い匂いが漂う。
「――強くなったね、ウルグ君」
心の底へ染み込むような、優しく、涼やかな声音だった。
「!?」
俺達に迫っていた攻撃のすべてが、唐突にあらぬ方向へ逸れた。
それぞれが見当違いの場所に命中し、地面を激しく砕く。
だが、破片の一欠片すら、俺達のところには届かなかった。
「……また、面倒なのが来たね。もしかして仕事を頑張ろうとする僕様への嫌がらせか何かかなあ」
「とんでもない害虫だねェ……」
現れた人物を見て、使徒達が動きを止めた。
「随分と遅くなってしまったが――」
視界の中で、艶やかな藍色の髪が、流水のように揺れる。
身に纏っているのは、白と藍色の袴。
その手に握られているのは、淡く水色に輝く美しい剣だ。
「――どうやら、ギリギリのところで間に合ったらしい」
かつての、師匠。
流心流《剣匠》――シスイが、そこにいた。