第十三話 『不瑕疵の絶剣』
頬の傷が口内にまで達し、呼吸の度にチリチリと痛みを発している。
額、頬、肩、腹部、背中――様々な部位に刻まれた切り傷から滲み出た血液が、ジークの服を赤く染め上げていた。
致命傷はなく、また手足にも大きなダメージはない。
しかし、決して無事な状態とは言えない有様だった。
「はぁ……ふぅ」
目に入りそうになる血を拭い、ジークが乱れた呼吸を整える。
細められた双眸には、無表情の『癒やしの使徒』が映っていた。
「…………」
全身に傷を負っているジークに対し、ミリアは無傷だった。
鎧は自身の血で濡れ、髪も赤く染まっている。
しかし、その体には一切の傷がない。
ジークが与えた傷の尽くが、跡形もなく再生してしまっていた。
「――――」
佇むミリアに向け、ジークは脈絡なく剣を振るった。
両者の間には、五メートル以上の距離がある。
だが、ジークの«絶剣»の前に、その程度の距離は何の意味も持たない。
一秒未満の内に、強大な斬撃はミリアに到達した。
――が。
斬撃が、ミリアに当たることはなかった。
ジークが行動するよりも速く、ミリアが動いていたからだ。
どれだけ速く強力な一撃でも、どこに来るか分かっていれば、躱すことは難しくない。
「……!」
斬撃が粉砕した建物に一瞥すらすることなく、ミリアがジークの間合いに滑り込む。
もう片方の腕で、再度«絶剣»を放とうとしていたジークは、容易く距離を詰められたことに目を剥いた。
ミリアの刃が横薙ぎに振られ、ジークの腹部から血が噴き出す。
「……おっと」
咄嗟に«絶剣»を放つのを中止し、回避行動を取ったジークは、腹部が斬り裂かれるのを寸でのところで逃れた。
刃は内臓には届かず、薄皮を裂いただけだ。
ボタボタと、腹部の傷から血が零れ落ちる。
「……こんだけ斬られたのは、いつぶりだろうな」
ジーク・フェルゼンは《剣匠》だ。
世界最高峰の剣士として認められて以降、その身に傷を付けたのは僅か数名しかいない。
まして、これだけの傷を付けられたのは、人生でも数度しかないだろう。
「……私もこれだけ斬られたのは、初めて。死ぬかと思った」
「じゃあ、死ねよ……」
言葉とは裏腹に健在のミリアに、ジークが皮肉げに言葉を返す。
「絶対に嫌。死にたくない」
「あっそう」
拒絶するミリアに、溜息を吐いた。
「……残念。貴方が使う絶心流の技は、もう見切った。奥義を使っても、私を殺すことは出来ない」
これまでの戦いで、ジークは絶心流のあらゆる技を使った。
初歩の技から、奥義に至るまでのすべての技をだ。
《分析剣》と呼ばれ、二番隊の騎士隊長を務めていたミリアですら、それらの攻撃を初見で防ぐことはできなかった。
首を落とされ、両断され、胴体を二つに分けられ、内臓を抉られ、幾度も辺り一面に血と臓物をぶちまけている。
通常の勝負ならば、とうの昔にジークの勝利で終わっているだろう。
だが、相手は『癒やしの使徒』。
死にたくないという渇望が、ジークが齎す、あらゆる死を無効化していた。
「……そうらしいな」
彼女の言葉通り、今では奥義たる«絶剣»ですら、ミリアを仕留めることは出来なくなっている。
相手の攻撃を受け、見切る分析能力。
死すら無効化する、異常な治癒能力。
これら二つの能力を合わせ、ミリアの刃は圧倒的な実力差のあるジークにすら届いていた。
「厄介極まりねぇな、お前のそれ」
だからこそ、おもしれぇ。
この状況にあっても、ジークの顔から獰猛な笑みは消えていない。
愉快そうに、ニヤニヤと笑っている。
(死を目前にして、どうして笑っていられる……?)
その様子が、ミリアには理解できなかった。
「なぁ。使徒ってのは、どいつもこいつも、オレに勝てるくらい強ぇのか?」
そう尋ねるジークの声色は、世間話をするかのような気軽さだ。
追い詰められていることへの恐怖は、微塵も感じられない。
「……貴方に勝てるのなんて、ほとんどいない。殺すだけなら、数人は可能だろうけど」
「ほとんどってことは、いるんだな。そいつは素晴らしい。胸が踊るね」
「あんな狂った連中とは関わるだけ無駄。それに貴方じゃ、絶対に『平等』には勝てない」
「へぇ……」
『平等』という言葉を記憶し、機会があれば戦おうとジークは決意する。
勝てないなどと言われて、そのままにしておける訳がない。
「それに、貴方はここで死ぬ。他の使徒に出会うことは、ない」
地面を蹴り、ミリアが走り出した。
あらゆる絶心流の技にも即座に対応し得る、一切の隙のないフォームだ。
「じゃあ、戦い方を変えてみるとしようか」
ミリアがジークの間合いに入ろうとした、僅か数瞬前。
「――«死の風»」
「!?」
唐突に、ミリアの脳が警鐘を鳴らした。
『このままでは、死ぬ』と。
死への恐怖に、ミリアの体が硬直する。
ミリアが硬直した次の瞬間には、ミリアの首は宙を舞っていた。
「……さて、13」
噴水のように血を噴き出しながら、首を失った胴体が地面に倒れる。
ドチャッと水気のある音を鳴らしながら、生首が地面に落ちた。
その場に、首を失った死体が作り出される。
だが、それも一瞬。
「――――」
切断面が黒く炎上したかと思うと、ミリアの首が再生した。
地面を転がっていたミリアの首は黒く燃え、跡形もなく消滅する。
「まだ……手を残して……ッ」
「絶心流の《剣匠》だから、絶心流しか使えないとでも思ったのか? 甘ぇよ」
ミリアの動きを止めたのは、絶心流の技ではなかった。
相手に死を錯覚させるほどの殺気を叩き込む、弾震流の技だった。
敵即斬の絶心流では、技として名前の付けられていない技術でもある。
「不死のバケモンを殺す手段ってのは、いくつかある」
「!」
トトン、と奇妙なステップを踏みながら、ジークが間合いを詰めてきた。
またもや、弾震流の技術だ。
死から立ち直ったばかりのミリアは対応しきれず、死角からの一撃に首を刈り取られた。
「――っ」
ミリアの首が地面へ落ちるよりも速く、
「一つ、首を潰す」
ジークの剣がミリアの首を細切れにした。
一切の容赦なく、原型が分からなくなるほどに首がズタズタに裂かれる。
「――っ」
黒炎とともに、ミリアの首が再生する。
細切れとなった首の残骸は、瞬く間に炎上し、灰も残さず消滅した。
「この……ッ!?」
即座に反撃に移ろうとするが、ミリアの視界からジークが忽然と姿を消していた。
「どこに――ッ!?」
「«足切りの型»」
両足を地面に残したまま、ミリアの体がぐらりと傾ぐ。
視線を下に向ければ、平伏するような態勢で、ジークが屈んでいた。
「それは、理真流の……ッ!」
「二つ、心臓を潰す」
無防備なミリアの心臓を、ジークの刃が貫いた。
「かふ……」
刃が正確無比に心臓を穿ち、ミリアの背から突き出る。
「三つ、体をバラバラにする」
剣閃が煌めき、ミリアの体がサイコロ状に切り分けられた。
四角い肉塊がドチャドチャと連続して地面に落下し、間髪入れずにどす黒く炎上した。
僅か数秒で、バラバラにされたミリアの体は完全に元通りになっている。
着ていた服も同様だ。
「これだけやっても駄目か」
「――«涙の刃»」
呆れたように剣についた血を払うジークに向かって、唐突に出現した魔力の柱が噴出した。
詠唱破棄によって行使された、水属性の上級魔術だ。
使う技を絶心流から他の流派へ変えたジークは厄介極まる。
一度距離を取って、分析し直した方が効率的だ。
そうしたミリアの判断によって放たれた強力な魔術だったが、
「«曲水»」
ジークが剣を振った瞬間、«涙の刃»が反転した。
それは、二代目シスイが編み出したと言われる、流心流のカウンター技だ。
ミリアは僅かに瞠目し、即座に«涙の刃»に対処した。
自身の放った魔術だ、その構造は完全に理解できている。
ミリアの剣は、まるでパンを裂くようにして、上級魔術を両断した。
その直後、
「四つ、傷口を燃やす。面倒だから全部燃えろ」
ミリアの体が、勢い良く炎上した。
それは、死と同時に発生する黒炎ではない。
彼女の矮躯を呑み込み、灼き焦がす紅蓮の炎は、魔術によって作り出されたものだった。
「あああぁああああああああ!?」
火達磨となったミリアが絶叫し、地面に倒れ込む。
魔術で炎を消そうと藻掻くも、身を焦がすそれは大きくなっていくばかりだ。
「属性魔術は苦手でな。炎属性しか使えねぇし、威力の調節もできねぇ。やっぱ魔術なんぞより、剣の方がよっぽど性に合ってるぜ」
自身の放った炎によって焼け死んでいくミリアを睥睨しながら、ジークはうんざりするような口調で呟いた。
「んで、どうだ」
不死の魔物を倒す際、お決まりのように出てくる魔術がある。
それは、炎だ。
斬っても斬っても、傷口から再生してくる魔物の話がある。
そういった魔物に対して有効なのは、傷口を焼いてしまうことだ。
そうすることによって、魔物は再生せず、倒せたという話をジークは耳にしたことがあるのだが――、
「――【終焉からの逃走】」
完全に焼き焦げ、どす黒く炭化していたミリアは、当然のように蘇った。
再生と同時に起き上がり、ジークの喉元に向かって鋭く突きを放つ。
難なく弾くジークだが、その間にミリアは完全に体勢を整え、距離を取っていた。
「……16。こんだけやっても駄目なのかよ」
「――無駄、無意味。私は死なないし、貴方は私を殺せない」
全身を焼かれてなお、ミリアの治癒能力に何ら影響はない。
話に聞いた魔物のように、傷口を焼けば良い――というような、単純な相手ではないらしい。
「後は凍らせるとか、毒をぶっかけるとかあるが……どれもオレじゃ無理だな。まどろっこしいし、却下だ」
「どれも、私には聞かない。言ったはず。私は死なないって」
「愉快な能力だな、本当に。下手すりゃ、以前、仕留め損なった《喰蛇》より厄介なんじゃねえか?」
口にした対処法のすべてを否定され、ジークは苦笑を浮かべる。
脳裏に思い浮かべるのは、災害指定個体の魔物《喰蛇》だ。
ミリアの再生能力は、大量の首を有するあの魔物を連想させる。
「ま、あの蛇はウルグの野郎に持って行かれちまったがな」
ジークがウルグに興味を持つ切っ掛けになったのも、それだ。
仲間と協力したとは言え、年端もいかないガキが《喰蛇》を殺したと聞いた時は驚いたものだ。
「……ウルグ、君に。……流石」
ジークの呟きに、ミリアが僅かに反応した。
「お前、随分とあいつを気にするんだな。黒髪黒目だからとか、そういうつまんねぇ理由か?」
「……違う」
「じゃあ、あいつに惚れてるとか? あいつ、あれで女囲ってるから、射止めるのは難しいと思うぜ?」
「……………………違う」
ジークの軽口に対し、妙に長い間を開けてミリアが否定する。
マジだったか……? と首を傾げるジークに、ミリアは言葉を続けた。
「私は思い出した。……それだけ」
「ああ? なんだそりゃあ」
要領を得ない反応に、聞き返すも、返事はない。
それ以上の説明を、ミリアはするつもりがないらしい。
「まぁ、良い。面倒なしがらみは、ウルグが勝手にどうにかすんだろ」
「…………」
「オレは、オレの楽しみを優先させてもらうぜ」
そして、戦いは再開した。
そこから、両者の攻防はより激化していく。
絶心流だけでなく、ジークは他の流派を絡めた戦術を取った。
彼が使えるのは、何も絶心流だけではない。
《剣匠》になる前、彼にもひたすら強くと、鍛錬にのめり込んだ時期があった。
あらゆる流派の技に触れ、その末に到達したのが絶心流の《剣匠》だっただけのこと。
どの流派においても、実戦で使えるほどの練度がある。
普段使わないのは、絶心流で戦うのが一番てっとり速いという理由があるからだ。
ただの一振りが地を裂き、建物を崩落する。
斬り結ぶ両者に近寄った龍種は、瞬く間にただの肉塊と化した。
剣閃が奔る。
魔術が荒れ狂う。
時間にして、僅か数分。
その間に刃が交わった回数は、百をゆうに超える。
剣戟の最中、ジークの刃はミリアを四度殺した。
「――――」
そして四度目以降、ジークの刃の一切がミリアに届かなくなった。
絶心流であろうと、他の流派であろうと、ミリアの目はジーク本人を分析する。
癖を見抜き、呼吸を掴み、戦いはミリアへと傾いていく。
「――――」
「ぐ……ッ」
ミリアの魔術が炸裂し、ジークの体を凄まじい勢いで吹き飛ばした。
ぶつけられた水弾の威力と、落下の衝撃にジークが苦痛の呻きを漏らす。
砕けた床の破片が肉を抉り、背中がズタズタに裂けていた。
「お、らァ――ッ!!」
ジークは痛みに動きを鈍らせることなく、剣で地面の破片を巻き上げた。
礫がミリアに降り注ぎ、その間隙を縫って、ジークは持っていた双剣の一つを投擲した。
ヒュンと音を立て、弾丸のように剣がミリアを襲うが、
「視えてる」
「――――」
カン、と鈍い音とともに、剣は斬り落とされた。
同時に放たれた水弾が、ジークの手からもう一本の剣も弾き飛ばしていく。
剣は持ち主の手の届かぬ位置に落ち、沈黙した。
「ジーク・フェルゼン。確かに、強かった。でも、それだけ」
「――――」
「……ねぇ、どんな気分? すべての技を見切られて、ここまで追い詰められて」
「――――」
「為す術無く、私に殺される。怖い? 怖いでしょう? 貴方はもうすぐ、死ぬの」
死の恐怖を刷り込むように、ミリアがジークに刃を向ける。
「……ッ」
俯き、ジークは肩を震わせる。
その様子に、ミリアは冷酷に嗤う。
「……誰だって、死の恐怖からは逃れられない」
「ク……」
そう、ミリアが断言した直後だ。
「貴方だって、それは――」
「クははは、ははははははははははッ!!」
ジークの哄笑が、響き渡った。
全身から血を流しながら、ジークは心底愉快そうに笑う。
「……何が可笑しいの」
「ははッ!! 可笑しいに決まってるだろ? こんだけ面白い奴と戦えるんだ、ここで笑わなきゃ、オレは何のために剣をやってきたんだって話だろうが!!」
滴り落ちる血を拭い、ジークが起き上がる。
「オレぁ、シスイやアルデバランみてぇに、剣を握るのにグダグタ理由は付けねぇ。面白いから剣を握る――ただそれだけだ」
「何……それ」
「死ぬのが怖いって? 馬鹿言うんじゃねえよ。斬って、斬られて――オレは斬り合いながら、笑って死ぬのさ。そこに怖いも何もねぇ。オレがそいつよりも弱かったってだけのことだろうぜ」
狂っている。
理解できない。
この男は、何を言っている?
不理解を顔に浮かべるミリアを置き去りにして、ジークは背中に差してあった最後の一本を抜いた。
――それは、白い剣だった。
まるで骨で出来ているかのように、ゴツゴツとした質素な剣だ。
太くなく、細くもなく、長くもなく、短くもない。
柄に巻かれた白い布以外に、これと言った特徴はなかった。
だが、その剣から滲み出る死臭は尋常ではなかった。
確認するまでもなく、ミリアは理解した。
ジークが握っているその剣の名を。
――名剣『肉斬骨断』。
ジークが所有していると言われる、他の名剣に並ぶ至上の一振り。
その白い刃は、極上の切れ味を持つと言われている。
しかし。
「武器を変えようと、無駄」
『肉斬骨断』を構えたジークを見て、ミリアはそう断じた。
彼の動きは、既に見切っている。
二刀流が一刀流になろうと、剣が名剣に変わろうと、それは変わらない。
今度こそトドメを刺そうと、ミリアはジークに斬り掛かり、
「――«絶剣»」
想定外の速度の一撃に、両断されていた。
「な……」
先ほどまでのジークとは、比べ物にならない速度と威力。
想定していた間合いよりも遥かに遠く、その斬撃は遥かに速かった。
(そんな。さっきよりも、速くなって……)
傷を負い、ジークのパフォーマンスは低下しているはず。
だというのに、その動きはむしろ加速していた。
「この剣を使っておもしれぇ戦いが出来るのは、今まででほんの数人だけだった。誇っていいぜ、ミリア・スペレッセ」
再生し、斬りかかるミリアだが、またしてもジークに斬り捨てられる。
双剣を使っていた時よりも、遥かにキレのある動きだ。
「……二刀使い、じゃ」
「ああ? 二本で戦った方がおもしれぇが、常識に考えて一本の方が戦い易いに決まってんだろうが」
「そん、な――」
そこから、凄まじい連撃がミリアを襲った。
嵐のような剣閃は、蘇生と同時に彼女を斬り刻んでいく。
「不死のバケモンを殺す方法、その五」
剣嵐の中、ミリアはジークの声を聞いた。
「――死ぬまで殺す」
最も単純な答えに達したジークが、獣のように笑う。
これが一番性に合っている、と。
(この加速……二刀流をやめただけじゃ、理由が付かない)
恐らくは、『肉斬骨断』が有する、何らかの能力。
そう辺りを付け、今のジークの動きを見切ったミリアは、反撃に移った。
剣撃の合間を縫い、ジークの脇腹を斬り裂く。
「痛えな、おい」
「!?」
瞬間、ミリアの視界が二つに分かれた。
ジークの動きを見切ったはずなのに、捉えられなくなったのだ。
(まさ、か)
今のやり取りで、ミリアはある結論に達した。
ジークの能力の効果、それは。
「その剣……傷を受ければ受けるほど、使い手の身体能力をあげる効果がある……!」
「ご名答」
『肉斬骨断』は、使い手が傷を負うことで効果を発揮する。
深くダメージを負えば負うほど、その身体能力を高めていくのだ。
普段、圧倒的な実力のせいで傷を負うことのないジークは、めったにこの剣を使用しない。
「――――ッ!!」
能力を見極めたミリアが、剣を弾いて距離を取る。
「傷を負えば、負うだけ強くなる……。確かに厄介」
しかし、ミリアの前には無意味だ。
「どれだけ強くなろうと、何度私を殺そうと、意味はない。だって、私は死なないから」
傷を負えば負うだけ強くなるなら、その度に見極めていけば良いだけ。
ミリアと違い、ジークはいずれ死ぬのだから。
「――本当にそうか?」
だが、ジークは笑みを崩さない。
自分の頬を指で突きながら、
「お前、自分の頬を確かめてみろよ」
「……?」
その言葉に、手を頬に当て、ミリアは息を呑んだ。
頬が大きく裂け、血が流れていたからだ。
「……え」
傷口は、少しずつ塞がっている。
だが、その速度はこれまでとは比べ物にならないほどに遅い。
「ど、どうなって」
「お前、自分の能力を試したことあるか?」
「え……?」
「自分が、本当に何回でも死ねるか、試したかって聞いてんだよ」
「――――」
ジークの言葉にはっと息を呑んだ瞬間、
「――隙あり」
ミリアの顔面が、斬撃によって吹き飛んだ。
「か……あ……ぁ」
吹き飛んだ顔が、緩やかに再生していく。
だが、痛みは消えず、傷は塞がらない。
「あんだけ死に怯えてたんだ。試すわけがねぇよな?」
「ぅ……ぐ」
「死ぬまで殺す。結局、『その五』が正しかったってわけだ」
塞がらない顔を押さえて呻くミリアに、ジークは告げる。
「お前の蘇生能力には、回数制限があるんだろうな。ここまでで、三十九回殺した。その回復速度からして、蘇生出来るのは後一回ってとこか?」
ミリアは死の恐怖に囚われている。
それ故に、この呪いを手にした。
だが、死に覚えているが故に、これまで自分の限界を確かめようとはしてこなかった。
蘇るとはいえ、やはり死ぬのには抵抗があったからだ。
「――それが、お前の敗因だ」
ミリアの蘇生能力には限界があった。
それさえ分かれば、後はただ、死ぬまで殺すだけだ。
「死ぬ? 私が? そんな……。嘘、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘、嘘――ッ!!」
逃れたと思っていた恐怖が、目の前にまで迫っている。
「死にたくない! 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!」
そのことに気付き、ミリアはガリガリと胸を掻き毟りながら絶叫する。
常軌を逸した態度だが、ジークは特に反応せず、鼻を鳴らすだけだ。
「死ぬ……こんなところで……。また、私は何も出来ずに」
「…………」
「そんな、の」
ミリアが、剣を構える。
「――そんなの、許容できない」
彼女が纏っていた雰囲気が、変わった。
抗うようにジークを睨み付ける。
「…ようやく、本気になったな」
蘇生することが出来るミリアは、無意識下で手を抜いていた。
躱せなくとも大丈夫だと、気が緩んでいた。
それが今、なくなったのだ。
ここから先は、死力を尽くしてくるだろう。
「――おもしれぇ」
ジークは笑う。
血肉沸く死闘こそ、己が剣を握る理由であると理解するが故に。
「――――ッ!!」
「――――!!」
そして、両者が激突した。
これまで以上に甲高い金属音が、王都に響き渡る。
「らァあああッ!!」
鋭い気声とともに、ジークの剣が奔る。
だが、ミリアには届かない。
これまでの戦いで、ミリアは既にジークの動きを見極めている。
『肉斬骨断』を使うのならば、それを踏まえて対処すれば良いだけだ。
剣戟が続いたのは、僅か一分足らず。
ジークの全力を凌いだミリアの刃が、
「が――ふッ」
ジークの腹を刺し貫いた。
口から夥しい量の血を吐き、引き攣ったように息を吸う。
これだけの傷では、もはや『肉斬骨断』は関係ない。
まともに動くことすら出来ないだろう。
「私の勝――ち?」
不意に呼吸が出来なくなり、ミリアが自身の胸を見下ろす。
そこに、ジークの右手が突き刺さっていた。
指が肉を抉り、その奥にある心臓を握り潰した。
「が……あぁあ」
血を吐き、ミリアが後退る。
「手刀で殺されるのは……想定外、だろ?」
赤く染まった手を振り、ジークが息を抜くように笑った。
「まさに『肉斬骨断』ってなぁ……」
得意げにするジークだが、貫かれた腹部からはドクドクと血が流れ出ている。
既に、ジークも死に体だ。
「――【終焉からの逃走】……ッ」
潰されたミリアの心臓が再生した。
ダメージは抜けきっていないが、それでも十分に動ける状態だ。
「……残念。後一回、足りない」
ジークが剣ではなく、手刀でミリアを殺したのは、既に剣が通用しないことの証明だ。
もはや、ジークがどれだけ加速しようとも、ミリアには指一本触れられないだろう。
「私の、勝ち」
勝利宣言を告げる、ミリアにジークはふっと笑った。
「なぁ、知ってるか? «絶剣»には、瑕疵があるんだよ」
「……何を言っているの?」
脈絡のないジークの言葉に、ミリアが訝しがる。
「«絶剣»ってのは、初代《剣匠》が編み出した、『絶対に敵を殺せる技』だ。防御も回避も許さない、必殺の一撃ってな。それが再現できた二代目の《剣匠》は、二代目の《剣聖》になってるしな」
「…………」
「けど、今オレ達が使ってる«絶剣»は、絶対に敵を殺せる技じゃねえ。発動前には溜めがあるし、シスイやお前には防がれちまう。全然、完璧じゃねえよな。再現出来てねぇんだよ、本当の«絶剣»を」
「……それが、何?」
ジークが、『肉斬骨断』を持ち上げた。
「――見せてやるよ。絶心流が誇る、不瑕疵の奥義を」
怖気がするほどの剣気を放ちながら、ジークが笑う。
「腹の傷で今にも死にそうだが――だからこそ、これが使えるぜ」
だが、彼は剣を構えない。
手をダランと下げたままだ。
「……まだ何かするつもり? でも、無駄。貴方の«絶剣»は見切った」
「そうかい。でも、気を付けな。オレが使うのは、不瑕疵の絶剣だからな」
余裕綽々のジークに、ミリアは嫌なものを感じる。
それが何かは分からない。
だが、ジークに何もさせてはいけないと、本能が警鐘を鳴らしている。
「――行くぜ」
「させない……!」
ジークが動くよりも先に、ミリアが動いていた。
「――絶心流・奥義«絶命剣»」
何も起こらない。
ジークはまだ、何もしていない。
どんな技を放とうと、ミリアの剣が先に届く。
「これで、終わり――――ッ」
そうして、ミリアの剣がジークに振り下ろされた直後。
ミリアの視界が、白く染まった。
(――ぇ?)
体の感覚がない。
視界は白く、何も映さない。
口を動かすことすら出来ない。
(ぁ……死にたくない)
ジークに斬られたと自覚したのは直後だ。
(ウルグ君。ね――)
ブツリ、と。
ミリアの意識は、そこで途切れた。
―
「……ふう」
息を吐き、ジークが地面に倒れ込む。
«絶命剣»を放った反動で、両腕の骨が粉々に砕け散っている。
腹部の傷も、ヤバイぐらいに開いた。
「……やべぇな。これ、死ぬ奴だわ」
懐にしまっておいたポーションを口だけで飲み、応急手当だけしておく。
あくまで応急手当てだ。
早いところ、治癒魔術を掛けてもらわないと命に関わるだろう。
「…………」
ジークの視界の先には、何もなかった。
立ち並んでいた家も、地面の塗装も、すべてが消し飛んでいる。
不瑕疵の奥義――«絶命剣»。
一切の動作、予兆なく、目の前にあるものすべてを切断する、絶心流の真の奥義。
これを使える剣士は、ジーク一人だけ。
その彼ですら、『肉斬骨断』の力を最大限に利用しなければこの技は放てない。
ミリアが斬り掛かってきた瞬間には、既にジークは剣を振り終えていた。
自分がいつ斬られたのかすら、ミリアは気付いてないだろう。
ミリアの目を持ってしても、この奥義だけは視ることが出来なかったのだ。
「……言ったろ?」
斬撃を放った方を見て、ジークは笑った。
「――不可視の«絶剣»ってな」